40℃世界のトロピカル・ドリンク 

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 プレ40℃ともいうべき暑熱の日々、“ 来年こそは40℃世界 ”だろう、あるいは、に違いないと妙な予断をきこしめてしまうこの幾年。未だ偶発的部分的な現象に過ぎないけど、やがて確実に40℃的焦熱世界に踏み入るのか、人類が呼び寄せ到来するのか。
 決して初めてなんかじゃない(熊本の)震災での、以前毎度決まったように凄い対応システムあるんですとばかり得意げにマスコミ総動員で喧伝してきた諸々が、これも毎回だけど何時になっても震災的噴煙さめやらぬ間に颯爽と現れ機能したって話聞かないってことからして、愈々、40℃的焦熱世界の暗澹惨憺が目に見えてしまう。

 

 

 さすが皓々と照りつづける白熱射の下、逃げ場のない遠隔地にテクテクと赴くって暴挙には走れなくなった。灼熱が多少とも緩む九月後半以降ってとこに落ち着きそうだ。先月、懲りもせず、あの小泉・あべの薩長同盟支配の論理的帰結=凋落著しい長州・山口の某遠隔僻地に赴き、延々と炎天下の彷徨を決めこまされる気息奄々。 
 ともあれ、列島中すっかりトロピカル世界と化してしまい、やっぱり、冷え冷えビールでなけりゃアイス、あるいはコールド・ドリンクってのが、俗の俗たる通り相場。
 と、ある店頭で見つけたトロピカル清涼飲料。
 いづれも初めてお目にかかるブランド。

 

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 THAI TEA BON TRE・・・紅い紅茶粉で有名なタイ・ティー。
 東南アジアじゃ、基本、コンデンス・ミルクで、甘~くオレンジ色の、欧米人達には毒々しいケミカル( 合成化学物質 )色に見え、怖気をふるう者少なくないけれど、当方には、豊穣のメコンの濁流、あるいはタイ・カンボジア的なヒンディーズムから来たアーユルベーダ風味としてむしろ東南アジア的なトロピカル色に満ちた嗜好品の一つ。
 BON TREはブランド名のようだけど、ネット確かめると、BOON TREEが正式のようだ。紅茶だけじゃなく、缶コーヒーや缶スープやタイカレーまで自然食・飲料の製造・販売のバンコクに隣接したサムット・サーケンにある企業らしい。
 二十年以上タイとは疎遠になってしまってタイ事情さっぱり。ここのネットの企業広告見てると、ずいぶんと洗練されてて、タイも愈々スマートになってきたんだなと感心することしきり。あの《 リポビタン 》がちょっと高めなタイの労働者達にとってのリーズナブルな活力飲料《 クラチン・デーン 》が、レッド・ブルとなって世界を席巻して久しいのだから、当たり前と云えば当たり前。
 紅茶は他に、抹茶ラテや黒糖ミルク紅茶なんかもラインアップされている。椎茸缶スープってのもある。コーヒーの方は缶自体に日本語の文字も入ってたりするので、既に日本でも、マイナーに販売されてるのだろう。他はともかく、件のオレンジ色の粉紅茶がやっぱりオリジナリティーがあり何よりもトロピカル風味なので、普通の店舗でも売って欲しいものだ。尤も、《 無印 》のチャイも相似した風味ではあるけれど。

 

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SOURSOP Vinut
 サワーソップ 棘バンレイシ 
 このVinutの缶ジュースは、シロップが過ぎて今ひとつサワーソップの風味が活かされてない感じだけど、何しろ当方がバックパッカー時代に現地の店で買って部屋で割って食べたのは、もう相当前のことなので、さすがに味覚も曖昧になってしまったけど、そもそもジューシーな果物じやなく、むしろ、ドリアンに近い( ドリアンに比すと若干ジューシー )。確かに、棘バンレイシの棘を取った単なるバンレイシは、大きさも形状も全く異なるので比較の対象にならない。
 ミャンマー・パガンのレストランの庭の丈の低い樹に、くすんだ緑色のボール状のカボチャ風にバンレイシの果実がなっていたのを思い出す。味はクリーミーで甜く少しザラついた舌触りが残るのが特徴で、好きな果実の一つ。これは手で簡単に割れてしまうけど、サワーソップ=棘バンレイシは、大きいのは50センチくらいで、普通20~30センチだったろうか。バスの移動時に、時折民家の庭にやたら大きな緑の実がたわわに垂れ下がってるのを見かけたものだった。

 

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 このVinutはベトナム・ホーチンミンに本社がある比較的新しい企業のようで、広範囲のトロピカル・フルーツを扱ってて、あの五芒星ならぬ五斂子の日本名のスターフルーツや果物の王様と呼ばれるドリアンすらもジュースのラインナップに並べている。やがて、店頭で見られるようになるのだろうか。ネット通販だと、高め覚悟なら、今でも可能だろう。

 

2026年7月31日 (金)

舞い上がる女党首あれば、すっかり雑草繁茂した裏庭に精霊飛蝗跳ねることなし 暑熱の門司港2026

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 この国がトロピカル列島と化して、もう、かれこれ十年以上、否、当方の記憶じゃ二十年以上前から。昨今、列島各地で、トピカル・フルーツまで栽培できるようになった。あのバナナ、マンゴーまでが。やがてココナッツも可能になる勢い。それは、しかし、海水の温度上昇等様々な面で変化・変容を来たし、色んな災害等も派生する。
 源平の頃から、幕末・明治の小笠原藩=長州藩の時代まで、最短幅800メートルの関門海峡を間に対峙してきた門司=下関であったけど、その海底深く地底遊歩道=関門トンネルも、以前は、夏も涼しいの謳い文句だったのが、昨今、海水自体の温度が上がったからか、涼しさとは無縁の、結構蒸し暑い場所になってしまった。

 

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 もともと欧米系の観光客の姿は殆どなく、あるとすれば陸路じやなく、海路、つまり外国航路専用の岸壁に接岸した客船で訪れた欧米人達ぐらいで、その殆どは、頻繁に停留しているフランス中型客船からのフランス人観光客。この幾年、さすがに、三ヶ月も持たない韓国フェリーは頓挫したままだけど、博多から流れてくるのか、空路でやって来るのか、韓国・中国系の観光客が、毎日の如く、観光エリア=レトロ地区( 第三セクター的産物 )を、孤人、カップル、少数グループ、団体が漫ろ歩きあるいは闊歩している。

 春以降は韓国系の娘達が透き通るような独特の肌理細かな白肌の両の脚を惜しげもなく露出し闊歩しているのが、もう、風物詩のようにさえ馴染んでしまった。ここの門司港駅のホームに降り立った、あるいは乗車待ちの可観光客が、駅名のある電光ボードを背景に写真を撮る姿同様に。まあ、これは海外旅行者達の共通の習性ってとこだろう。

 

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 対岸の下関には戦前から韓国・釜山と行き来する関釜フェリーがあって、現在もきっちり就航している。下関には戦前から朝鮮半島からの移住者達がいっぱい住み着いていたらしく、唐戸という地名もあって、これは唐=中国というより朝鮮や南蛮等の海外からの移住者達の海に面した居住区ってことのようだ。対岸の門司港側にも、古来からの朝鮮半島由来の変容した地名地域が何箇所かあり、朝鮮併合以降に移住してきた出稼ぎ労働者達が戦前でもかなり居て、大正の米騒動の折にも、日本人より少ない賃金と低劣な条件で呻吟していた彼等が一等戦闘的だったという。五族協和のおよそ心にもない理念とやらで捏ね上げたデマゴギーを連呼・吹聴しながら、自分達ニッポン民族が頂点に君臨し、それ以外は指導されるべき隷属民族としてしか見なしてしていなかったのは、もう歴史の余りにも明々白々な現実的事実。昨今のまともじゃ成り行かなくなった米国=トランプ政権と相似。                                                            

 門司港は戦前、東南アジアの娼館等に娘達を送り出す根拠地でもあったけど、戦後も、隣国・朝鮮戦争で、ゴールドラッシュで沸きたつ中、門司港から在日朝鮮人達を含んだ結構な数の労働者達が、GHQと暴力団が結託して、朝鮮・仁川の戦死者達の遺体処理作業に派遣させるべく送り出していたという。このエピソードって、確か、唐十郎監督の《 任侠外伝・玄界灘 》( ATG )にも出てきたと記憶している。但し、門司港じゃなく、対岸の下関を舞台に設定してて、脚本が大島渚組の石堂淑郎と唐十郎。主演は安藤昇、李礼仙、根津甚八。丁度五十年前の1976年制作。自身の嫁・李礼仙の出身地でもある朝鮮半島への、当時、朴正熙独裁軍事政権下での苛斂誅求的惨事にも触発され、かつ東映・深作の実録仁義なき戦いにも影響された唐十郎の、十全ではないもののそれなりにカラーを出した面白い作品だった。

 

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 関門海峡をたった五分で渡る連絡船は、近年韓国・中国の観光客で賑わうこと多くなった。元々はもっぱら地元民用で、戦前からあったフェリーで、下関駅~門司港駅の渡船としての国鉄の連絡船より早く就航していたという。国鉄の連絡船はとっくに昭和に廃止になっていたけど、こっちは私企業の船会社。近隣諸国観光客が訪れるようになる前は、通学・出勤時間帯はともかく、大抵乗客は疎ら。稀に日本人観光客が乗ってくるぐらいだった。船体も現在のと相違して古めかしい朽ち始めたような代物だった。確か、航路廃止になるような話があったような記憶もあったのが、折からの近隣諸国の観光ブームで活気を取り戻した。下関側の待合室はそれなりに整備されてるけど、門司港側のは何かぞんざい。

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 もうかれこれ十年になるだろうか。

 集中豪雨があって、暗渠から流れ出た土砂が堆積してこんな州になってしまった。満ちると海面下に沈むけど、昨今のトロピカル気候のおかげで、海も透過度が増し小綺麗な些かの南国風味を醸し出す仕儀に。元々関門海峡自体、遙か以前は陸続きだったという話もあって、水深が浅く、頻繁に浚渫を繰り返している。赤レンガの向こうに覗けている山陰、対岸の下関・火の山で、麓から頂上までロープウェイが長年運行されてたのが、利用客の激減もあって、新たに数両連結のパルス式のロープウェイとして、来春オープンの予定で現在工事中らしい。門司港にも、戦後、元の出城・門司城址に至る短いロープウェイが運行していたけど、ブームが去ると閑古鳥って事由で廃止。対岸の壇ノ浦に対した麓近くに、幕末の欧米四カ国連合艦隊と長州との戦いで亡くなった四カ国軍の犠牲者を葬った墓石碑が静かに佇んでいる。長州=下関・壇ノ浦の背後にそびえる火の山は、自身長州側に組して小倉藩=幕府軍と戦った坂本龍馬が、姉に送った戦争俯瞰図の視座がこの火の山頂上であるようだ。

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 1995(平成7)年にオープンした「門司港レトロ」エリア、去年が三十周年だったらしい。2002年に、旧大阪商船ビルに漫画・イラストレーターのわたせせいぞうのギャラリーも常設され、最近リニューアル・オープン。彼ももう齢80とか。そういえば、当方が勝手に新爺とネーミングしたバックパッカー達( もう古色蒼然の感があるけど、現在でもアジア・南米・アフリカに貧乏旅行わ決め込む若者って結構居るんだろうか? )の教祖・写真家=藤原新也も80歳代。以前はちょくちょく門司港の街角で見かけたけど、最近はおよそ皆無。佐木隆三や甲斐大作達は残像がのみ徘徊するのだろうが。そんな中で、レトロ海岸エリアの少し外れた廃ビルに、もうだいぶ以前からだったらしいイラストレーター・画家の黒田征太郞が棲み着いているとか。実際は、アトリエとしてのようだけど、あっちこっちと精力的に画家描画活動に専心しているとか。齢的に他より一回り上の黒田が一番上。ともかく、この世代、パワフル。

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 前述した門司港の古のロープウェイの起点近くに、とっくに廃業してもはや不気味感圧倒的なラブ・ホテル址。元々山際の狭い隘路を通ってゆかねばならない場所ってのもあって、そんなに流行る環境とは思えない。この自民党半世紀支配=小泉・あべの薩長同盟支配の論理的帰結=遺産としの廃墟の前を、昼間は通学の小学生達が行き来し、夜は猪達が徘徊するという。

 

 

 

2026年7月18日 (土)

じめった令和梅雨にココナッツ

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 ひさしぶりに晴れ間が拡がって束の間鬱々とした湿りッ気から解放され、隣町の、とあるスーパーで、ひょんなモノに遭遇。
 橙ぐらいの大きさの、パッキングされたココナッツだった。
 恐らく、元は、茶色の毛の生えたココナッツだったのを、毛の生えた表皮を剥いで、環境配慮の竹製の細いストローの入った紙袋も一緒にパッキングした製品。ココナッツ・ジュースだけをパッキングした紙パック製品は時々見かけるけど、ココナッツの実自体ってのは、珍しい。

 

 パッケージに絵付きの使用説明が印刷されていて中々に親切。
 頂点に小さなストローを入れる穴らしきものの輪郭が覗けてて、ナイフの先端で穿つ説明書き通り抉ってみると、簡単に開いた。
 市販のココナッツの実を買った場合、一番問題なのが、飲むためのこの口=穴で、東南アジアの現地じゃ、大抵、おばさん達が、片手で持った青い大きなココナッツの上端を、鉈で数回少しく勢いをつけ叩きつける。馴れないと穴から中のココナッツ・ジュースが勢い余って飛び出してきたりする。国内じゃ自分で穿たなきゃならず、危険でもあり些か面倒。ワイルドに直に口を当てて飲む現地の人もいるけれど、昨今は、路上だと氷で冷やしたり、店舗だと冷蔵庫で冷やしたりして、独特の生臭さも押さえられて、ストローで飲むのが一般的。

 

 このスーパーのは、COCOPROというメーカー名らしきものがあるだけ。
 
《 ベトナム産 オールド・ココナッツ 成熟ココナッツ 》

 と、ラベルに大書きしている。ココナッツの定番、飲み了った後の殻を割っての内側に張り付いた白い果肉取り。スプーンなんかで刮げ取って食べる。淡泊だけどフレッシュな味わいは癖になる。青くて大きなココナッツだと、けっこう飲み応えも食べ応えもあって、暑熱や粘り着くような湿気にうだった現地の人々の束の間の涼を兼ねたスナックという所だろう。
 企業所在地が記してないので、ネットで調べてみると、ベトナムはメコンデルタの観光地ミ・トーらしい。
 そのCOCOPROのブログ見ると、何種類ものパッキングしたココナッツがあって、やがて日本のスーパーやなんかの店頭に並んだりするのだろうか。青い大きなココナッツもラインアップされていて、期待してしまう。大きな柑橘系のポメロなんかも。

 因みに、このココナッツ、五百円。

 念のため、アマゾンで確かめたらみつかった・・・けど、プライス=二千円~。

 

 

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 バンコクはサイアムビルの上階の小さめのフードコードで、ジュークボックスからパーン・ナカリンを流しながら、辛いグリーン・カレーやイエロー・カレーを汗だくになりながら頬張り、その都度、青い大きなココナッツの冷えた果汁をストローで胃の腑に流し込んだ記憶が蘇ってくる。そういえば、バンコク・アクロスの山内君、まだ頑張ってるのだろうか。バンコクのあちこちをビデオカメラ片手に徘徊するブログやってたな。久しぶりに、確かめてみよう・・・

 

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上海の弁護士・公認会計士・税理士