八年目的螺旋 2026

 

 

 

 ( 戦前の公共広告ポスター【弾丸切手】「米英を撃てる切手買い」 を掲載してたら、いつの間にか消えていた。Yahoo!なのか公的なのか定かでないが、仮にも戦前の公的なポスターなんだから、現自民党権力が戦前体制に否をいったって聞いたことないはず。南京どころかフィッリピンやシンガポールetc、一向にちゃんと認めもせず、謝罪も、まともに賠償もしていないまま。そのくせ他国のことだと、米国の尻馬に乗って大騒ぎ。本当は、【鬼畜米英】のタイトルのポスターを張り付けるつもりが見つからず、「米英を撃つ」にした次第。「屠れ!米英」ってのもあったんだけど・・・)

 

 

 凡愚凡足の当方、無駄と知悉していても、うだうだと記してしまうミレニアム。

 ミレニアムのミレニアムたるおどろおどろしい終末の呪詛めいた慟哭の呻きがあちこちで唸り始めるのだろう。

 つい、二十世紀末的フレーズの羅列になってしまったけど、正月早々アングロサクソン同盟の悪辣さを唾棄したら、さっそくトランプがベネズエラの大統領を拉致し、あたかも自国の囚人のごとく法廷とやらに引き立ててゆく姿がテレビでも流されていた。

 バイデン・トランプ=アングロ同盟輩の建国以来の強殺犯宜しくの悪辣さ全開に、ふと、デジャヴ的感応を覚えてしまった。

 第二次世界大戦、つまり、東の果ての列島=大日本帝国の軌跡、同様に欧米列強、ソ連、ナチスドイツ、イタリア等が互いに鎬を削った植民地争奪戦の軌跡。およそ碌なものじゃない。鬼畜×鬼畜×鬼畜×鬼畜( 戦前大日本帝国が得意としていた常套句。)・・・・・。

 おぞましいばかりの悪目立ち、正に魑魅魍魎図絵的一大展開。

 独裁者を拉致されたベネズエラの権力のなんとも情けないさっそく米国=アングロ同盟にすり寄り。以前独裁者に抗していたらしい反対派は米国権力に予め言い含められていたのかすっかりご満悦。普通ならむしろ反米救国をいち早く表明するものだけど、もっぱら損得勘定的ご満悦に余念がないようだ。以前、世界のあっちこっちで見かけた図絵でもある。売国・亡国の一大行進曲の軍楽隊のかまびすしいことしきり。

 コロナで華々しくデビューした令和、八年目の今年は、果たして如何なる展開になることやら。

 

 

 

 

 

2026年1月 2日 (金)

蒼茫的2026年・・・

 いよいよ四分の一世紀から四分の二世紀へ突入の2026年。

もっともだからといって何が変わるってことでもない、世界は前年からのなし崩し的慣性・趨勢そのままなんだろう。

バイデン、トランプ、ゼレンスキー、ネタニアフ等の悪目立ちは、プーチン以上で、もともと何か画策してるのが見え見えだった一連の世界的災禍。アングロサクソン同盟と一括りできるくらいの共謀性に満ち満ちている。果たしてその帰趨の果ては。

 権力国家の常套が「危機」の醸成でありその上での「危機管理」の刷り込みとそのシステム化で、もうはるか以前から、この東の果ての列島でもさんざん駆使されてきたしろもの・・・第二次大戦がその結実果。

 一体、何時になったら、『大人』になれるんだろ。

 そもそも『大人になれ!』とは、彼らエスタブリシュメントの十八番の常套句だったはず。

 皆が皆楽しく平和に暮らせる、自由と平等な世界であろう、作り出そうとするのを、いい目にあっていいのは俺(達)だけだとばかり嫌悪し憎悪する輩の勢力の、唯一神教が世界をいよいよ制覇してゆくのと併せて、何と世界に跳梁跋扈しているものか!

 大人論でいえば、若い世代に、一体どれだけの負債を背負せようとするのか・・・まったく申しわけなさで涙が禁じえくなるってのが普通のはずなんだが・・・テレビでもまずお目にかかれない大人達。

 山上君、一体どうなるんだろうね・・・

 

2025年12月16日 (火)

 諭吉の里 明治のスピリット

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 隣町の書店に" フリー "の表示のある棚に、岩波が出している月刊《 図書 》が並べてあって、以前は主だった出版社が自社のステータスといわんばかりに出していたこの手のフリーの小冊子、昨今てんで見なくなってしまってて、限られた紙幅の中にも時折面白い記事・論考があったりして、あれば手にする事少なくない。
 今月"12月号"、ロシア文学者の長縄光男が書いた《 ゲルツェンと福沢諭吉 》は興味を惹いた。福沢諭吉の思想的転換ともいわれているらしい《 民情一新 》( 1879年:明治12年 )の中で、

 

 「『 モスコー』府の学士に『 ヘルズン 』なる者あり。該府書生党の巨魁にして魯国社会党の元祖なり。此の学士嘗て政治の事に付き些細の得失を談じたるが為に、先帝の忌諱に触れ罪を得て禁錮せられたりしが、事に託して伊太里に行き遂に英国龍動府に走て復た帰らず。同府に於て出版の一局を開き、毎週雑誌を発兌して其表題を『 コロコル』と名く。
 ・・・・『 恐れ憚るところもなく公然として魯国専制の治風を攻撃したるものなり。』」

 

  ヘルズン : ゲルツェン 書生 : インテリゲンチャ 
  先帝 : ニコライ二世  龍動 : ロンドン

 

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 ゲルツェンといえば、貴族出自の、ロシア・ツァーリ専制独裁政治に抗して立ち上がったナロードニキ運動のイデオローグともいわれたロシア権力にとって不倶戴天の危険人物。二度も投獄されヨーロッパに亡命し、自ら主宰した雑誌《 コロコル 》誌上で反ツァーリズム運動を展開しつづけ彼地で亡くなった社会主義者。
 ナロードニキといえば、ヴィ・ナロード( 人民の中へ!)、当方の脳裏にすぐ浮かぶのが、かの明治・大正の詩・歌人、石川啄木の次の一節。

 

われらの且かつ読み、且つ議論を闘たたかはすこと、
しかしてわれらの眼の輝けること、
五十年前の露西亜ロシヤの青年に劣らず。
われらは何を為なすべきかを議論す。
されど、誰一人、握りしめたる拳こぶしに卓をたたきて、
‘V NAROD!’と叫び出いづるものなし。
        
       「はてしなき議論の後」《 呼子と口笛 》1911年(明治44年)

 

 

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 戦後も暫くはこの国でも未だ使われていた" インテリゲンチャ( 知識人 )"なる前時代的な術語ともどもに、ロシア革命前史の金字塔的存在だったように記憶しているゲルツェン。当方的には、専ら、《 土地と自由 》→《 人民の意志 》→ソフィア・ペロフスカヤ→ロシア皇帝アレクサンドル2世暗殺というテロリズムあるいはテロリストの系譜とは裏腹な、穏健派的象徴としてのイメージが強い。
 女侠・ソフィア・ペロフスカヤはじめその一党の多くは絞首刑台の露と化したが、真珠湾攻撃の同年七月に出版された大泉黒石の《 白鬼来 阿片戦争はかく戦われた 》で、舞台は中国に設定されてはいるけれど、ロシア皇帝アレクサンドル2世暗殺事件の構図をそのまま扱っている。但し、官憲に底意を見抜かれた際のアリバイ的布石としてだろうか、暗殺は失敗としている。たしかに、人民の意志党、六年後に息子の新ロシア皇帝アレクサンドル3世暗殺に失敗し、潰滅してしまった顛末もあるが。  

 

 
もちろん、諭吉も、穏健なゲルツェン的方途を志向した"官"を拒否しあくまで"民"に己れの基準を置いた啓蒙家で、やがて慶応義塾(大学)創設に繋がってゆくのだろうが、日清戦争の際には、最右翼の強硬派と化していたらしく、その辺の成り行きは詳らかにしない。
 現在(とき)あたかもこの列島の米国権力=トランプ風邪に浮かされ、東海の涯(はて)の浜辺の砂小山から掘り出した錆びた懐刀(ナイフ=大日本帝国 )を弄ぶ現半世紀支配権力。明治末の閉塞的時節にも啄木が探し出した浜辺に埋伏されていた真っ赤に錆びた懐刀は如何。
 因みに、実際の啄木の歌集じゃ、テロリスト的心性への憧憬としての、砂山から顕れたのはピストルとある。五十年前のロシアのテロリストたちが埋伏していた暗殺用のピストルだったが、官憲に捕縛され絞首台に登ったか、あるいは監視され容易に取りに来れぬままの歳月だったのか。あるいは、この列島で闇から闇に葬られた管野スガ、宮下太吉等の遺恨として。

 

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 そんな諭吉翁の里に、今夏赴いてみた。
 内陸山間の田川・伊田線と違って、こっちは周防灘沿岸を走るJR線だからか、編成数多くなくてもそれなりに乗客は乗っていた。
 中津は、福岡県との県境近くの大分の人口八万人の小都市。
 高架の線路上から見下ろすと、錆びたアーケードの商店街が駅前から伸びているのがまず眼に入って来る。駅構内に、さっそく一万円札宜しくの諭吉のコーナーが特設されていて、何たって列島中に流布してきた万札のご当人ってところが強味。
 でもやっぱし、この中津の街も、アーケード商店街はシャッターが多く、枝道にいたってはずらり廃墟と化した一角もあった。それでも、昔ながらの昭和的佇まいを残した店舗も頑張っていて、昼尚仄暗く静まり返ったアーケードの下、ノスタルジックな想もちに浸るにはもってこいの場所。周辺の辺鄙な郊外から、街燈に群がって来る蛾の如く夜の帳が離る頃になると男達が参集する飲屋ばかりがやたら多いように見受けられた。

 

 

 

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 長州・萩城もそうだったけど、この中津藩・中津城も海の近くに位置していて、囲繞するように拡がった武家屋敷エリアの一角に、諭吉の屋敷があった。
 ぶ厚い茅葺の特徴的な建物で、現・高杉晋作の屋敷よりも若干大きいようにも思えるぐらいの中津藩・下級武士の居所ではあった。只、ここは生まれ育った屋敷じゃなく、生れたのは大阪の中津藩屋敷、幼少から育った屋敷はすぐ近くにあったらしい。いずれにしても、明治維新以降は、江戸=東京住まいだったのだろうから、この現在の諭吉屋敷の中庭に面した畳部屋で、正座し本を読む少年諭吉像って、何とも嘘っぽ過ぎるけど、それ故に、その佇まいが一層シュール映えていて、面白い。当方的には、此の屋敷は、この張子か塑像か定かじゃない少年諭吉像に尽きている。
 帰途、まだ夕刻の明るさが残っているこのローカル電車に、終点駅の周辺に蝟集したそれぞれの勤先に向かうのであろう艶かさを露わにした嬢たちが次から次と乗り込んで来る様に、一幅の軽妙な風俗図絵でも観ているかのような蠱惑を覚えてしまった。

 

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