2018年7月14日 (土)

 平成末的門司港残影

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 ちょっと前、門司港レトロ・エリアでこの街の如何にもローカルな港祭なんかが催されていた頃、友好姉妹都市・大連の旧ロシアの東清鉄道事務所の洋館を復元した国際友好図書館に行き、二階の図書館に向かう階段を登ろうとすると、階段の前に貼紙があり、読んでみたら何と三月いっぱいで“廃館”とあった。
 尤も、図書館だけが廃されるだけで、後日観光施設としてリニューアルという。
 中国・韓国なんかの東アジアの蔵書、満州関係のかなりの資料もごっそり何処かへ移されたのであろう。一キロぐらい離れた場所にある雑書館とも謂うべきチャチな図書館の倉庫に移すには余りにも膨大・・・はちょっとオーバーかも知れないが、それでも明らかに多過ぎて、同じくらいの図書館がもう一ついるぐらいの量ではある。
 恐らく、以前幾度か訪れてみたことのある隣町の図体ばかりデカい図書館の方に大半が移されたのだろうが、まず宝の持ち腐れってところだろうか。

 例えば、十五巻ぐらいの分厚い中国語の辞典、勿論中国の辞典だからすべて中国語だけど、最近こそさっぱり音沙汰になってしまったものの以前は色々と重宝させて貰った。調べ物でなくても読んでるだけで勉強になるくらいの有難い代物で、一体、その他の大きな都市の大図書館でも備わってないだろうその大辞書は何処へ隠されてしまったのか。 その隣町の大きな図書館の薄暗い倉庫の奥に黄ばみ朽ちるまで半永久の眠りにつかされてしまうんじゃあるまいか・・・等と、何ともうら寂しい想いに捕らわれてしまった。


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 文化じゃ金にならないってとこなんだろうか。
 この国際友好図書館、そもそもが図書館と銘打っていたものの、図書室の照明は薄暗く、テーブル上の卓上蛍光灯を傍に寄せてもまだ照度不足なくらいの、本当にまともに利用者に本を読ませようという気なんてあったかどうか甚だ怪しい代物ではあった。レトロな建物が欲しくて、図書館を口実にしたってところじゃなかったろうか。メインはレトロな建物って訳で、書籍は飾り。それでも、観光コースと思った観光客たちがゾロゾロと入って来てはチラリと一瞥し出てゆくのを尻目に、ごく少数の利用者が疎らには散見されはしたけれど。
 
 
 どころか、あれだけ何度も出来ては消えを繰り返してきた、韓国五千万=ニッポン一億総ベンチャー時代の象徴たる日韓国際フェリーの発着所=玄関前に雑草も伸び庇も朽ち始めてた国際旅客港のカスタム事務所の玄関にも一枚の張紙が貼ってあった。
 何と、裁判所の公示書。
 地元の債務企業が勝手にその元のカスタム事務所の設置物や地権を移動させてはならぬという通達らしいけど、一体全体如何なる経緯でそんな訳の分からぬ仕儀に至ってしまったのか。ここの自治体か第三セクターか知らないけど・・・この国際図書館も国際旅客ターミナルも平成的産物で、正にニッポン末期資本主義的アベノミクス的凋落の好個の例として海峡史に刻印されるべきもの。
 思い起こせば、明治維新直後の長州及びその走狗と化し利権を漁ろうとした既存の元の小倉藩庄屋(小倉藩じゃ、手長と呼ぶ)たちに困窮・呻吟した農民たちが蜂起した企救郡一揆の際の小倉藩領地を支配していた長州側のトップが誰あろう、安倍の先祖・佐藤寛作だったという因縁つき。
 
 そういえば、対岸の下関と向かい合った海岸沿いの古戦場ともいうべき小山の端に立っていた国民宿舎跡に何か立つはずだったのが、その業者が暴力団がらみだったとかいう事で宙に浮いたまま、いつの間にやら、トロピカル列島化した現在には一等不向きなコンクリ床の露天展望台ってところに落ち着いてしまっていた。確かに、役人たちのやる事だろう。


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2018年7月 7日 (土)

無一物的遁走へ Spectator《 つげ義春 》特集

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 この数年、ホント古本屋を訪れることがなくなった。
 ネット、とくにアマゾンでチェックして安く買うことが多くなり、物によっては殆ど送料だけってこともあって、懐事情を鑑みざるをえない当方としては有難くもあるけれど、これだと古本屋の方が軒並み潰れてしまいかねなくなる資本主義的矛盾律というより論理的帰結への危惧の念の方が一層強まってくる。
 とはいえ、例えば手持ちの新旧の書籍を処分しようと古本屋へ持ってゆくと、足元を見尽くしたように二束三文、そして何日か後にはその古本屋の書棚に信じられないような価格で収まっていたりするのを見たりしていると、やっぱし、アマゾンの方に食指が動いてしまう。
 アマゾンって、すっかり苔むし蔦類が覆ってしまったどう見ても廃屋然とした民家のガラス戸が突然軋みを立てて開き、仄暗い中から当たり前のように住民の姿が現れたりするアベノミクス的平成末=末期資本主義的風景の只中で、一切を白熱に輝く終焉へと導くファンファーレの奏手=真っ白い両翼の天使なのだろうか。


 久し振りの新刊書店の雑誌コーナー、青灰色の地に独特のタッチで描かれた表紙絵に思わず眼が止まり、手に取って見てみると、果たして、つげ義春の特集号であった。
 《 スぺクテイター》Spectator 、なじみのない雑誌名で、奥付を確かめると、なんと所在地が長野。
 つげの特集って定期的に何年かに一度は何処かの雑誌が企画しているみたいで、もう作品を描かなくなって随分な年月が過ぎているのも関係しているのだろうが、やっぱし変わらない人気の故に尽きるだろう。
 近影からはまだまだ元気って感じだ。
 《 おばけ煙突 》、《 ほんやら洞のべんさん 》、《 退屈な部屋 》の三点が掲載され、後は周辺的な記事。
 巻末の、取材嫌いらしいつげに何とかアプローチした苦肉の策ってとこだったらしいインタビューが興味を惹いた。
 昨年八十才になったつげ義春、それを記念してだったのかどうか定かでないが、《 日本漫画家協会 大賞 》を貰ったのが、会場に姿すら現さなかったらしい。
 編集部に近況を問われ、

「 近況は、早くこの世からおさらばしたい。もうそれだけですよ。」

 と、にべもない。 
 眼を悪くし絵が描けなくなってしまっていることもあってか、もはややり残したこともなく唯だ日毎の生活に追われるばかりの生に辟易している風。
 一刻も早くこの世から消え去りたいって呪句、昨今の“生き延び過ぎた”老人たちが頻く吐露する流行り言葉の感すらある常套句だけど、つげの場合、一切から解放されたいという彼自身の抱懐する“逃げる思想”= 仏教的解脱ってことらしい。
 (本来)無一物の最高の境地としての“乞食”に対する憧憬の念すら明らかにし、そういえば、つげの作品に幕末の流浪俳人・井上井月に触れたものがあったのを思い出した。


 《 スぺクテイター》41号 2018年 (発行・エディトリアル・デパートメント)

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2018年6月23日 (土)

夜闇は死の香りそれとも生の息吹 《 立去った女 》 (フィリピン映画)

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 最長十一時間の作品もあるというフィリピンの監督ラブ・ディアス、この二年前の作品《 立去った女 》で初めて知ったのだけど、思わせぶりに大型拳銃まで初老の元女教師ホラシアに持たせたりしながの“ 復讐譚 ”のはずが暴力に厭んでいるのか、最後にはスルリと回避し、むしろ“ 平穏 ”を選ばさせてしまう。
 それにしてもこの作品、三時間というより四時間近い長丁場にもかかわらず全その長さを感じさせず、その上タルコフスキー並みにそのモノクローム映像が中々のものだったとしたら、ともかく最後まで一気に観るほかないだろう。

一昔前のフィリピンといえば信じられないくらいのはした金で殺人を請け負う貧民層で溢れた国ってイメージが強く、現在は如何なっているのか定かじゃないけど、この映画の設定はまだまだそんな時代状況の最中ってところ。
 地方ボスが暴力と金で幅を利かせ、同じ頃、タイなんかでもそんな暴力抗争が殺し屋なんかも介在して果てしない状況を作品化した映画も後を絶たず、否どころか、国家権力自体が正にそんな状況を派手に現実化しつづけ、マルコス以降のフィリピンも同様だったのだろう。同じスペイン語圏という訳じゃあるまいが、中南米並に誘拐事件の多発なんかが伝えられてもいた。

 詳細は語られないけれど、地方ボスだったかつての恋人ロドリゴが、後にホラシアが別の男と一緒になったのを恨み、ある女を使ってホラシアに殺人犯の汚名を着せ、投獄させてしまった。それから三十年が過ぎ、何の因果でそうなったか同房で起居を共にする羽目に陥ったその冤罪事件の当の殺人犯だった女囚が、長年ホラシアと生活する中でホラシアの人間性に感服し、貧しさからやむなく犯してしまった旨も一緒にロドリゴに頼まれてやらかした事件の顛末を刑務所長に自白してしまい、ホラシアが釈放された日に自殺してしまう。
 唐突に保釈されたホラシア。
 が、彼女は、釈放されたことを、誰にも秘密にしておいてほしいと刑務所長に頼み、自身の家に戻ってみると、不在の間の管理人家族が住み着いているだけで、彼女の夫はとつくに死去し、息子は行方知れず。唯一娘だけが嫁ぎ先で健在。その娘にも彼女の釈放のことを他言無用と厳命する。
 そして、仇敵・ロドリゴの住む島へと向かう。
 小さな食堂を始め、夜な夜なロドリゴの屋敷の近辺の様子から探り始める中で、様々な“虐げられた人々”と遭遇し、関係が深まってゆく。深夜のそんな光景や蠢きがモノクローム世界に繰り広げられてゆく。


 《 タクシー・ドライバー 》(1972年)でロバート・デ・ニーロが演じた主人公・ヴェトナム帰りの元海兵隊員トラビスの有名な所作・場面に相似したシーンも少なくない。
 バロット(アヒルの半孵化卵)売りに拳銃の入手を頼み、連れられて行った先のブローカーのところで、テーブルの上にずらり並べられ黒光りした拳銃・・・これって《 タクシー・ドライバー 》の定番シーン。日本の映画でも汎用されたショットで、さすが自室で半裸になり鏡に向かって拳銃を構えたりはしていなかったものの似たシーンも。
 支持する大統領候補の私設警護官を決め込んだトラビスが、大統領候補の演説会に下見に向い、本物のシークレット・サービスに怪しまれ、ほうほうの態で逃げ出してしまう。そのあたりから明らかにトラビスの心に変容を来たし、錯綜的力学の果てに、ひょんなことから巡り合った少女娼婦アイリスを売春組織から救い出そうと完全武装して一人乗り込んでゆくって些かエキセントリックな慣性的な衝動の軌跡。
 死の匂いをプンプンと漂わせるトラビス。
 当時は病み鬱屈したポスト・ベトナム的状況の米国の象徴として、そして現在の救いようもなく荒廃し鬱屈した日本でも盲目的迷走の秘されたイコンとして。
 しかし、ホラシアも地方ボス・ロドリゴの行きつけの教会に下見にゆき、そこで見つかりそうになって逃げだすのだけど、逃げ戻った部屋で蒼白となって鎮静剤をしこたま呑み込んだりすることなく、闖入ゲイのホランダの傷ついた身体と心を献身的に癒してゆく中で、次第に復讐への意志と情念が薄らいでゆき、ついには復讐を放棄してしまう。
 ところが、入れ替わるように、元々自殺衝動の強かったホランダがホラシアの拳銃を使って、ロドリゴを射殺してしまう皮肉。
 同じ夜の世界が基軸になっていても、トラビスの孤独な魂のゆらぐ夜の闇と、ホラシアの潤んだ夜の闇とは、やはり微妙に違っているようだ。


  監督・脚本・撮影・編集 ラブ・ディアス (2016年)

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