2018年2月10日 (土)

ジャワ少女的動乱史 《 諦め 》

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 例によって、図書館の払い下げ書籍の一冊、《 インドネシア短編小説集 》(1983年)の中に面白い作品を見つけた。
 プラムディア・アナンタ・トゥル《 諦め 》(1950年6月)という、日本軍がジャワに侵攻してきた頃から、独立、内戦、オランダの再占領と果てしない戦乱・内乱に否応なく巻き込まれてゆく少女スリとその姉妹を中心にした物語。
 最初、日本軍のフレーズが目に入ったので、インドネシアにおける日本軍って、現地の人達から視たらどんなのだろうとページを繰り始めたのだけど、読んでみると、古さをまったく感じさせない読み応えのあるスリリングな激動史的翻弄流転譚だった。


 大東亜戦争・太平洋戦争において旧日本軍は、石油の確保のため、《対英米戦争》開戦後二週間ほど過った1941年12月20日に、先ず在留邦人保護の名目でオランダ統治下のインドネシアのダバオに上陸、翌1942年1月11日にタラカンとメナドに上陸し本格的に《 蘭印作戦 》(H作戦)を展開、3月1日には最終目標地といわれたジャワ(島)に上陸。
 この小説の舞台となった中央ジャワ県の中心地ブロラは、現在でも人口五万人の小都市だけど、沿岸と内陸を結ぶ交通の要衝らしく、侵攻してきた日本軍も押し寄せて来たようだ。


 「 日本は、地理学さえ忘れていた町も見逃さなかった。・・・
 私は、いまでもよく憶えている。
 あの時日本軍は、完全武装の兵士を乗せたトラック二台でやって来た。その後に、死体を鮨詰めにしたトラックが四台続いた。死体の上には幌が掛けてあった。幌をきっちりかけすぎたせいか、死体は痙攣した口を天に向って喘がせていた。しかし、そんなことはどうでもいい。大事なのは、日本軍が来たことだ。役人たちは、臆病風に吹かれた鶏のように為すすべを知らなかった。悪人と善人とに充ちた、貧しく小さな町は、大騒動だった。」

 
 この“ 悪人と善人とに充ちた、貧しく小さな町”ってさり気ないフレーズが好い。やがてこの小さな町=ブロラを襲う運命を暗示するフレーズでもある。


 「 侵攻後の一週間、略奪がまかり行われた。町は、近郷近在からの人びとで溢れた。自分たちの土地で暴威をふるったオランダの最期を見届けようと押しかけたのだ。
 ・・・・・・
 しかし、それも束の間、その政治の空白を軍政が埋めた。全ゆる貼紙に日の丸が描かれ、刑罰による威嚇がどうにか二十四時間治安を維持するようになった。
 ・・・・・・
 自由経済における流通の中核たる商店には、略奪されつくして、もはや商品は何も残っていなかった。商業活動は全く停止してしまっていた。しばらくして略奪品が市場に溢れたが、三週間もすると、もうそれも底をついた。小さな町は、陸に投げ出された魚のようにじたばたするだけで、日用品の流通は途絶えたままだった。
 物心両面の混乱が続けざまに起こり、人々は、一人また一人、悲しみと空腹で死んでいった。
 スリの母親が亡くなったのもそんな時だった。」

 
 「 スリはまだ小さかった。少し泣いただけだった。すぐ泣き止んだ。家計の苦しさなど、彼女にはまだ分からなかった。それが一九四二年五月、彼女が私立小学校の五年生になったばかりの時だった。
 日本は、オランダの遺習や民族主義傾向のある私立学校を無くそうと真剣だった。」


 「 大日本帝国陸軍の上陸は、若者たちに活気を与えた。彼らは、日本人に瞠目した。日本人は、アジア大陸においても、アジアの島々においても、白人帝国の威望を瓦解させたのだ。・・・・・・
 あれこれの即成教育が始まった。まず日本語の即成教育だった。若者たちは大和魂に触れたいと願った。」


 リスの父親も、日本軍が上陸して来る以前から、支配者オランダ憎しのせいもあってか、日本語を学んでいた日本贔屓(びいき)というより心酔者で、上陸してからは、日本軍=独立のために家庭を顧みることもなく東奔西走の毎日。
 母親が亡くなったためにリスが一人で、妹ディアと三人の弟フスニ、フトモ、カリアディの面倒を見ざるをえず、あと二ヶ月を残したまま小学校を辞めなくてはならなくなってしまった。けれど、何とか自分も姉のようにちゃんと卒業資格をとって外で働きたいスリは、再三、二つ年上のイスにあと二ヶ月だけ働くのやめて家で兄弟の面倒を見てくれまいかと掛け合うのだけれども、巌として受け付けてくれず、とうとう諦めてしまう。
 姉のイスはタイピストとして働き家計を助けていたものの、出稼ぎに出て行ったまま音信不通の上二人の兄達は、知らない内に日本軍とともにビルマ戦線で戦っていて、ある日突然二人の戦死の報が舞い込む。( 実際に戦死したのは長男のスラディだけで、次男のスチプトは戦後だいぶ過ってからの独立戦争の真っ只中に、よりによってオランダ軍の軍服姿で現れ、それが災いして近所の連中に家を焼かれてしまう。)
 兄二人の戦死の報が届いてからというもの、父親はすっかり落胆し、口数も減り、日本軍政府の支援活動から次第に遠のいていった。


 「 時代も世界も、日本と日本軍とを甘やかしてばかりはおかなかった。栄えるものの常で、日本も日本軍もやがて凋落した。
 ・・・・・・
 変化が始まった。
 ・・・・・
 あちらこちらでも、礼拝所では、新しい国家の平安を祈る礼拝が行われた。
 ・・・・・・
 人びとは導師( 注・イスラム教の )の言葉を鵜呑みにした。
 スリの一家も、大日本帝国の占領による長い闇をぬけて、独立によって息を吹き返した。小都市の私たちの町では、どの家族も希望に輝いた。大体のところインドネシア人は希望が有りさえすれば、それだけで幸福になる。
 ・・・・・・ 
 きらびやかな独立だった。まるで昔物語にある勇者の凱旋だった。その独立も、時がたつにつれて、何時しか苦しい茨の道に変わった。気づいた時には、植民地の方が良かったのか、独立した方が良かったのか、判らないな状態だった。イデオロギーを持った人間と、利権漁りの亡者だけが、勢よく跳ねまわって、口角泡を飛ばしていた。」


 失意の底にあった父親も、さっそく国民委員会の委員となって、再び精力的に活動し始めた。
 通りには、銃こそ少なかったものの山刀や包丁ですら持ち出し武装した青年たちが闊歩し始め、姉のイスもインドネシア社会主義青年同盟に参加し、新生社会のれっきとした一員として活動を開始した。
 リスも既に十八才になり、妹のディアも中学生になっていた。
 そんな折、別の風が東から吹き出した。


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 「 あれは、既に何時間も前に太陽が地平線に沈んでいた時間だった。ふだんはたくさんの兵士が徘徊している道路も静まり返っていた。人々は、まだその変化に気づいていなかった。
 ・・・・・・
 『 赤が来るぞ ? 』
 市場のざわめきが一瞬静かになった。
 『 赤が来たぞ ? 』もう一度叫び声が聞こえた。
 何人かがその叫びを繰り返した。市場のざわめきは完全に死に絶えた。
 静寂だった。
 ・・・・・・
 人々がそれぞれの安全な場所に身を隠す前に、赤軍は私たちの小さな町を占領した。一時間たち、二時間たち、三時間が過ぎた。辺りはひっそりしたままだった。そして世があけた。」


 赤軍がブロラの町を占領して一週間目に、頭に巻いた赤い布をなびかせてイスが馬にまたがってが帰って来た。すっかり、“自覚した”赤軍戦士然として。
 次にはイスが所属しているらしい騎馬伝令隊のイスと同年齢ぐらいの美人の隊長を伴って。その隊長に入隊を求められ、妹のディアが自分が犠牲になろうとして行く事を決意したのをリスは押し止め自身が入隊した。


 「・・・『 お父さんを連れて行ったのは、赤軍警察よ。』と、ディアは、息を荒げて言った。『 それに、お姉ちゃんは、』と、イスを指差して続けた。『 お姉ちゃんは、病気のお父さんを連れて行った赤の手助けをしているのよ。今度は、妹を赤に売った。お姉ちゃんは、自分と妹を売ったのよ。』」


 暫くして情勢はまた変転した。
 今度は、元の植民地支配の再開を目論んだオランダ軍が再上陸してきたのだ。ブロラにも忽ちにオランダ軍が攻め込んで来た。


 「 赤軍の侵攻と、オランダ軍の侵攻とは、少しやり方が違っていた。赤軍の時には、一発の銃声も聞こえなかったが、オランダ軍の場合は、焼土作戦で、砲声が小さな町を包んだ。日本軍の時と、全く同じだった。」


 そんな最中、ボロボロの衣服をまとっていても一目で赤軍の敗残兵と分かってしまう痩せ細った風体の女が、よろよろと現れた。リスだった。シリワギ軍に追われ、乗っていた馬が撃たれ、崖から転落して片腕を骨折していた。イスは全滅したスマラン近郊に本隊とともに向かっていたらしい。兄弟皆が喜びと安堵の涙を流したのも束の間、今度は、とっくに戦死していたはずの次男スチプトが両の眼を赤く充血させオランダ王国軍の軍服姿で戸を叩いた。しかも、これ見よがしに、表に自動車まで停めたまま。
 案の定、自動車は焼かれ、リスたちの家にも火が放たれた。彼女たちの一番恐れた事態。スチプトは慌てて外に出、再び戻ることがなかった。燃え盛る炎に、さすがに兄弟たちも逃げ出し、畑の藪に駆け込んだ。一層夜闇に真っ赤な炎をあげて、スリたちの家が燃え上がってゆくのをいつまでも眺めつづけるのだった。


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 状況も設定もまったく違うのだけど、直(ひた)向きなスリを見ていると、ベトナム戦争の真っ只中で親や姉妹を米軍や南ベトナム政府軍に散々な目にあわされ殺害され、その恨みを晴らさんがため、少年少女たちで組織された拳銃と爆弾を隠し持ってのテロリストの途へ直走っていったベトナム娘クイ(《 ツバメ飛ぶ 》1989年)を想い出してしまう。
 日本軍が持ち込んだ“隣組”のせいばかりじゃあるまいが、中国の文化大革命期を彷彿とさせる悉皆敵といわんばかりの喰うか喰われるかの疑心暗鬼・監視密告の閉塞的極限状況の連綿って、何ともアジアは、否、当時の言葉を借りるなら、“第三世界”は何処も自由と解放への契機を孕むものであったとしても同じ悲惨な時代状況にあったのだな、と改めて思い至らせられてしまった。


 作者のアナンタ・トゥル( 2006年没 )、ネットで調べてみると、嘗てノーベル文学賞候補にもなったインドネシアじゃ高名な作家であり、且つベスト・セラー作家でもあったらしい。
 オランダ支配に抗する運動に連座し2年ほど投獄され、この短編が執筆された15年後の1965年に起きた《9・30事件》( CIAも関与していたらしい )でも逮捕、スハルト政権に政治犯としてブル島に10年以上も幽閉され、その後も10年以上自宅軟禁状態に置かれていたという。
 2000年、福岡アジア文化賞を受賞した際にもスハルト政権が出国を許さず、ジャカルタでインタビュー( 朝日新聞 )をしたという。


 三十二年間のスハルト政権とは何だったのか。

 “ ヒトラーと同じファシズム体制だった。ヒトラーに対しては全欧州が抵抗したが、スハルトには、だれも抵抗しなかった。同時代を生きた知識人があまりにも無力だった。西側諸国もスハルト支援に回った。”


一九六五年の九・三〇事件がスハルト政権を生み出した。事件後の共産党弾圧では、五十万人が殺されたともいわれる。

 ”初代のスカルノ大統領は「反植民地主義、反資本主義、反帝国主義」だった。九・三〇事件は、そのスカルノ政権を倒すために利用された。共産党によるクーデター未遂事件とされ、共産主義者は「人殺し」とののしられた。だが、殺されたのは共産党員だった。”

《 インドネシア短編小説集 》監訳 : 佐々木重次( 井村文化事業社 )1983年

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2018年1月20日 (土)

七彩のアジア的幻視 ? 《 シャンバラの道 》 ニコライ・レーリッヒ

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 シャンバラ関係の定番とも謂うべきニコライ・レーリッヒの《 シャンバラの道 》(1996年)、眼を通してみると、シャンバラの探求書というより、1920年代( 大正後期~昭和初期 )のチベット=東洋文明に関するレーリッヒの著作を集めたアンソロジーってとこで、シャンバラに言及したのは一部。どころか、レーリッヒ、当時のチベット仏教の現状にかなり辛辣な言及をしていて、それはそれでリアルで興味深い。
 

 レーリッヒとその家族がチベット=アジアを旅したのは1920年代で、英国(インド)・ロシア・中国・米国・日本等の列強がそれぞれの己が利益と侵略的野望のためにチベットを篭絡し浸蝕し、ダライ・ラマ13世、パンチェン・ラマ ( タシ・ラマ ) 9世たちが遁走・奔走に明け暮れる正に混沌の坩堝。
 いやでも命がけの、否、何人もの犠牲者すら出しての過酷なチベット=シャンバラ探求行となってしまった。厳しい自然的環境の故というより、専ら当時のチベットに蔓延していた頽廃と政治的な無能・悪辣の故。
 実際にチベットに入ってレーリッヒが何よりも一番驚いたのが、チベット僧( =ラマ僧 )たちの無能と堕落だったようだ。

 
「 あるラマは雪雲を阻んで、雪を解かしてやろうと申し出た。この気象上の現象がごく手ごろな値段で手に入るという ── すべてひっくるめて二アメリカ・ドルだ。わたしたちはそれをのんだ。ラマは骨の笛を吹き、まじないの言葉を大声で叫んだ。が、彼はなかなかの商売人で、私たちにその二ドル分のご大層な領収書をよこした。私たちはまたとない好奇心でそれを取っておいた。雪は降りつづき、さらに寒さが厳しくなっていたが、それはどうでもよいことだった。このタントラ行者はくじけなかった。彼は自分の黒い天幕の上に紙の風車のようなものを取り付けて、ひと晩中、人間の骨でできたらっぱを吹き鳴らしていた・・・。」


 「 ダライ・ラマから特別な信任を得ているあるラマ僧の外交官は、私たちがある僧院に灯明の油代として一〇〇ナルサンを寄進したことを聞いて、にわかに怒り出した。彼は言った。『 いいですか、ここの僧侶はあなた方の金を自分で着服してしまい、けっして灯明に火をともすなんてことはしませんよ。聖像に明かりを供えたいのでしたら、この私から油をお買いなさい』」
 

 「 中央チベット、シェーカル地方で、数人のラマが近づいてくるが、そこで聞かれるのは祈りではなく、市場(バザール)を訪ねたことがある者にはおなじみのあの言葉だ。驚くなかれ、市場の乞食の『 バクシーシ(お恵みを)』という言葉をきわめてはっきりと聞き取ることができる。このラマの口から聞かれる『 バクシーシ』という言葉には、何ともがっかりさせられる。こういった大勢の役立たずやろくでなしは、いったいどこからやって来るのだろうか?」


 「 というわけで、すべての有害で無知な条件を排除したときに、チベットにおいてはより高い教えへの意識ある崇敬は、その多くが人里離れた場所で隠遁生活を送る、少数の人びとによってなされいることがわかる。チベット人たち自身が、仏陀の光明の教えは、チベットでは浄化される必要があると言っている。
 ・・・・・ダライ・ラマの命令が、ラマの城壁を越えても大いに価値があるのだと考えるなら、それは間違っている。私たちはこれ見よがしな、何もかもひっくるめた、ダライ・ラマの政府が発行した旅券を持っていたが、まさに私たちの目の前で、人びとは自分たちの支配者の命令を実行することを拒絶した。『 私たちはデワシュン(政府)のことは知らないのですよ』と長老は言った。そして各地のゾン(注:チベットの行政的宗教的及び軍事的拠点ともいうべき城砦 : シガツェのが有名らしいが最近再建されたもので、むしろブータンに本来の姿で残っているという)の官史たちは、自分たちが恥ずかしげもなく要求した袖の下がどれだけ気前よく払われたかに応じて、それぞれがその旅券の内容を勝手に解釈する方法を編み出しているにすぎない。」


 「 ・・・・・・チベット高地の部族ホル人は、自分たちをラサのチベット人といっしょにしないでほしいと私たちに頼んだものだった。アムド出身の人びとやカムに住む人たちは、つねに自分たちはラサの人間と違うのだと強調する。
 ・・・・・ラサ以外の、これらすべての人たちは、きわめてあからさまにラサの官史に対立したことを語る。シャンバラからの新たな支配者が、数えきれないほどの兵士を引き連れてやって来て、ラサを打ち破り、その城塞の内部に正義を確立するという予言を、彼らは引き合いに出す。これも同じ人々から聞かされたことだが、タンジェリンの僧院に端を発する予言によれば、現在のダライ・ラマは十三世にして最後の支配者と呼ばれているということだ。また、ほかのいくつかの僧院から流された予言では、真の教えはチベットを離れて、その発祥の地であるボーディガヤに再び戻るということだ。」


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 首都ラサはあたかも頽落した伏魔殿の様相すら呈していたかの如く。けれど、更にレーリッヒの癇に障ったのが、チベットに仏教以前からあった土着の宗教といわれていた《 ボン教 》であった。


 「 しかし、民衆のかなりの部分が、仏陀をまったく拒絶し、完全に独自な守護者と導き手を主張するボン・ポ、『 黒教 』に属していることを忘れてはならない。彼らは公然とすべての仏教徒たちを敵とみなし、ダライ・ラマを宗教的な力を持たないたんなる世俗の支配者としてしか認めていない。これらの人びとはきわめて強情であり、仏教徒もラマ教徒も自分たちの寺院に入ることを許さない。彼らの儀式では、あらゆるものが逆向きにされる。
 ・・・・・・彼らの間では、もっとも低いたぐいのシャーマン教、黒魔術などが実践されている。まるで中世にいるような錯覚に陥る。」


 当方も以前、ダライ・ラマと亡命政府の居地ダラムサラに滞在した折、ボン教徒を自認する学生に遭ったことがあった。他のチベット仏教徒の学生たちと一緒に、これからのチベットのありようを模索していた普通に明るい人見知りしないタイプの学生で、ボン教はチベット仏教と共存している口吻だったけど、後にも先にも当方が実際に接した唯一のボン教徒であった。
 レーリッヒが訪れた当時は、まだ、チベット文化一般、いわんやチベットの宗教の研究レベルなんて低く、時代的制約というべきレーリッヒのボン教観であって、ボン教自体は結構その始原は古く、古代中央アジアってことらしく、チベット仏教の最古二ンマ派とも互いに影響し合っていたともいい、幾年も滞在していた訳でもない所詮一外人旅行者に過ぎないレーリッヒたちが、アニミズム的所作の毒々しさに幻惑させられ、チベット僧=役人たちの低劣な行状に辟易し、あげくレーリッヒ一行は彼等のために幾人もの犠牲者すら出さされてしまっていたという状況故に、勢い厭わしいものに観えてしまったのだろう。そんな悪しきアニミズム的産物を一刀両断に一蹴し、創造的進化=シャンバラの御旗を高々と掲げてみせる。


 「 仏陀の誓約を守ることには高い責任が課せられる。迫りくる啓発されしマイトレーヤ( 弥勒菩薩 )の再来の予言のなかに、創造的進化に向けた足がかりを見ることができる。シャンバラの偉大な概念は、人に間断ない知識の蓄積を求め、啓発された労働、そして広範な理解力を求める。この気高い理解のどこに、最下位のシャーマニズムや呪物崇拝が入り込む余地があるだろうか? 」


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 シャンバラ自体に触れているのは、「 ラマよ、シャンバラについて教えてください!」から始まる表題作の第一章《 輝きを放つシャンバラ 》だけど、もはや流布したシャンバラを語る上での定番と化したエピソード・言説のオリジナルの出所がここなので、逆倒した表現をすれば、特に目新しさはない。
 

 「 私は高き魂が、すでに準備が整えられているならば、シャンバラへと呼び招く声である『 カリギヤ 』の叫びを聞くことを知っています。私たちはどのタシ・ラマ( パンチェン・ラマ =ダライ・ラマと並ぶチベット仏教指導者 : この時代に既に中国権力との係わりが強かったようだ )がシャンバラを訪れたのかを知っています。私たちは大僧正タイシャンの『 シャンバラへの赤き道』という本のことを知っています。・・・・・・」


 そのレーリッヒの問に、ラマはこう答える。


 「 大シャンバラは海を越えたはるか彼方にある。それは広大なる天上的な領域だ。私たちのいる地上とはまったくかかわっていない。何ゆえに、どうしてこの世の人びとがそれに興味を持たねばならないのか?・・・・・・」


 「 ラマ、私たちは偉大なるシャンバラのことを知っています。私たちはそれが実際には言葉にできない領域であることを知っています。が、私たちはまた実在する地上のシャンバラについても知っているのです。身分の高いラマがシャンバラに行った話や、その途中では、まさしくこの世の風景を目にしたという話も聞いています。
 ・・・・・それどころか、私たち自身が、シャンバラの三つの前哨地のひとつである白い国境哨所を見たのです。ですから、どうか私に天なるシャンバラについてだけでなく、地上のそれについてもお聞かせください。」
 
 更に、

 「 ラマよ、いまだに地上のシャンバラが、旅人たちによって発見されないでいるのはどうしてなんでしょうか ? 地図の上にはすでに多くの探検家の足跡がしるされています。すべての高みはすでに征服されて、すべての渓谷や川は踏査されてしまったように思われます。」


 「 まことに、地中には多くの黄金があり、山々には多くのダイヤモンドやルビーがあり、あらゆる者がそれらを喉から手が出るほど欲しがっている ! じつに多くの人びとが、それらを見つけようとしている !
 ・・・・・・多くの者たちが、呼ばれてもいないのに、シャンバラに至達しようとした。彼らのうちの多くが永遠にこの世から消えてしまった。ごくわずかな者だけが、神聖な土地に到着したが、それはほかならぬ彼らにカルマの用意ができていたからだ 」


 「 法を侮ってはいけない ! 熱烈な労働のなかで、シャンバラの使者があなたのもとを訪れるのを待つがよい。彼が絶えざる達成のただ中に現れるのを。力強い声が『 カリギヤ ! 』と叫ぶのを待つことだ。そのときは安全に、このすばらしい事柄のなかへと入ってゆけるだろう。むなしい好奇心は誠実な学習へと、高き原理を日々の生活に適用してゆくことへと変容されなければならない」


 「 カーラチャクラに明らかにされているものとは何か ? そこには禁忌というものがあるのだろうか ? いいや、高雅な教えは建設的なことしか示さない。そういったものなのだ。この高き力がすべての人類に差し出されている。元素の自然力を人類のために使う方法が、きわめて科学的に説き明かされている。『 最短の道はシャンバラにある、カーラチャクラにある』と言われているが、それは勝ち取られるものが達成不可能な理想なのではなく、誠実で勤勉な努力によって、ここで、このまさに地上で、このまさに生において達成されうるものであることを意味している。これがシャンバラの教えだ。まことに、だれもがそれを達成しうる。まことに、だれもが『 カリギヤ ! 』の叫びを耳にすることができる。」


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 もはや、現ダライ・ラマ14世ですら、シャンバラってこの世に実在するものではなく、あくまで方便と公言する時代であってみれば、残るのは我が内なるシャンバラ探求あるいは嘗てのもはや失われた理想郷跡の考古学的探求ってところだろうか。そもそも、このレーリッヒもそうだけど既存のシャンバラ志向って、基本賢人政治。その本質はファッシズム=全体主義。そんなものは御免こうむりたいものだ。
 むしろいっそ樹立されるべき人類的理想郷として探求・建設してゆくものとしてのシャンバラ、それこそが今日的な在りようではなかろうか。 
 かつて尊師・麻原彰晃率いる《 オーム真理教 》もシャンバラに言及していたけれど、如何なる現実的力学によってか、インドからチベットに仏教をもたらしたといわれる蓮華生パドマ・サンバヴァの“ ボア ”の概念やミラレパ的カルマを援用したような所謂《 ハルマゲドン 》( 世界最終戦争 )の果てに幻視した彼らの王国とは、果たして、七彩に輝くものだったろうか。

共にダライ・ラマ十三世( 現在のは十四世 )と係りがあったらしい同時代人の同じロシア(アルメニア)出身の神秘主義的思想家グルジエフとは、神秘主義的思想活動の他に、グルジエフが舞踏・作曲、レーリッヒが絵画・音楽舞台美術に特異性を発揮してて、随分と肌合いが違う。只、レーリッヒの方が、ノーベル平和賞候補に挙げられたり、ソ連からロシアに変転する頃活躍した大統領ゴルバチョフにも高く評価されたりの紛う方ないエスタブリッシュメント的存在だったのは意外。でも、考えてみれば、既に1913年、ニジンスキーが振付けをしたストラビンスキーの《 春の祭典 》のパリ初演の際、舞台美術を任されるほどの著名人だったのだから、別に不思議なことではないだろう。 


 学研版の田中真知の《 理想郷シャンバラ 》(1984年)のリファレンス的ポジションは、尚も不動のままってところのようだけど、30年以上も過ぎているのに中々これを越える《 シャンバラ 》論の決定版って出てこないってのも残念。そもそも学研の、ジュニア世代を対象とした“ ムー・シリーズ ”の一冊なんだから、いくら田中真知がかっちり作った労作であったしても、こうも越えるものが出現しないってのも情けない情況には違いない。


 《 シャンバラの道 》ニコライ・レーリッヒ
           訳 : 澤西康史 ( 中央アート出版 )1996年

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2017年12月31日 (日)

 ラビットの誘う不気味な世界 《 魔女 》The Witch

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 1620年、英国プリマスから、英国・国教会に否を唱え、自分達の宗教世界を実現せんと清教徒ピューリタン一行が、草創期の米国植民地に到着してから十年後、1630年の、とある東海岸北部のニューイングランドの入植地にある集会所での会衆シーンから映画は始まる。
 その入植共同体の責任者から、正に、その教団=共同体からの追放の宣告を受けようとする一家の家長は、尚も頑なに神の摂理に沿わない旨を根拠にその教団=共同体を指弾した。
 解る人たちにはその場面のあれこれで了解できてしまうのだろうけれど、英国キリスト教なんぞにてんで知識のない当方には、単純に画面でこれ見よがしに描かれたもの以上の理解は不可で、そもそも、その共同体がピューリタンのものなのかどうなのかも定かでなく、もしそうだったらその一家は体制内改革派のピューリタンを批判する分離派ってことになるけど、ひょっとしてその共同体の方が分離派で一家はピューリタンだったってこともあり得る。あるいはもっと別様の異端派なのか。その辺のところが特に明示されてないので甚だ曖昧なまま、しかし、物語はどんどん進行してゆく。
 結局、一家は追放されてしまう。
 やがて、こんもりと茂った森と対峙するように彼らの家があった。
 一見、前途洋洋、漸く手に入れた自分達だけの新たな生活に浮かれているようにさえ見えてしまう。が、自給自足の、他に助けてくれる者もない自分達の力だけで一切を作り出し賄ってゆかねばならない生活に、やがて疲れと焦り=不安めいたものにじわじわと捕らわれ始めてゆく。メイフラワー号には、ピューリタンとは別個に植民地建設に必要な経験と力量を備えた男達が乗り込んでいたけれど、そもそも追放された一家は一般の信者家族でしかなく、ゼロからの開拓をそれも一家族でだけで完成できるほどの力量も経験も乏しかった。さっそくその破綻があっちこっちで燻り始めていた。


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 そんな矢先、庭先で、長女トマシンが乳児をあやしている内、忽然と乳児が姿を消してしまった。ほんの一瞬間のタイム・ラグの間隙を衝くように。
 トマシンは、すぐ真ん前に拡がった森の中を必死に捜し廻った。
 ( 乳児は森の奥深く隠れ住む魔女にさらわれ、殺害され、魔女はその血を自分の裸体(からだ)中に塗りたくった。)
  
 夜半、経済的に窮してトマシンを出てきた共同体のある家に奉公に出そうと両親が相談しているのを盗み聞きしたトマシンと弟のケイレブが、ひょっとして森に仕掛けた罠にかかっているかも知れない獲物を採りに向かう。もし獲物がかかっていればそれを食料にするか売るかして家計の助けになるから。そして、獲物がどんどん獲れるようになってゆけば・・・。ところがトマシンとはぐれてしまったケイレブが、件の魔女の手管にかかってしまう。
 物語の終わり近くで初潮を迎えるトマシンが15才、姉のトマシンのふくらみ始めた胸元が妙に気になってしまうケイレブが12才くらいの思春の頃。この森の魔女に、というよりも、トマシンとは相違して大きく成熟しはちきれんばかりの魔女の胸のふくらみに吸い寄せられるように、若いケイレブに舌なめずりして瞳を輝かせた魔女の肉厚な唇に簡単に絡め獲られてしまう。中近世のキリスト教と異教世界、暴力とエロス=処女って世界、ふとベルイマンの《 処女の泉 》を想起してしまった。

 やがて素っ裸のままのケイレブが転がり戻って来た。

 土間に寝かされたケイレブ、うわ言の果てにのけぞって法悦の笑みを浮かべ死んでしまう。夭逝を悼んで皆で祈りを捧げようとすると、小さな双子達が聖句を唱えるのを忌むように騒ぎ立てはじめ、あげく、乳児が居なくなったのもケイレブが失踪しこんな無残な死に至ったのもトマシンが魔女だからよ、と彼女を指弾する。トマシンも負けじと、二人は飼っている黒い雄山羊といつも話しをしているとか、乳児が居なくなった際も女が連れ去ってゆくのを見えたという訳で、双子達こそが魔女と言い返す。
 が、次第に、状況はトマシンに魔女の烙印を押すことに。
 父親は双子と一緒にトマシンを納屋に閉じ込める。


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 翌朝、外に出た父親は、壊された納屋の下の二匹の白山羊の屍と起き出したばかりのトマシンの姿に呆然とする。と、突然、黒山羊の大きな角が彼の腹部を激しく突き刺した。更に再び、とどめを刺すように突進し、父親は積み上げた薪の下に倒れこみ二度と起き上がることはなかった。父親の様子を間近で確かめようとしたトマシンを、今度は長男ケイレブを失ったことで平衡感覚を失った母親が襲い掛かる。堪えられなくなって、トマシン、傍にあった小鉈で馬乗りになった母親に反撃する。
 二回、三回。
 トマシンの顔や胸に母親の頭から流れ落ちた血が滴り落ちる。

 ラスト・・・森の奥の、裸体の魔女たちの供宴(サバト)に、一糸まとわないトマシンも加わってゆく。やがて、頭上高く飛び回り始めた魔女達に少し遅れて、トマシンもゆっくりと昇りだす。・・・


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 当時、魔女や悪魔崇拝者達が、幼児を喰ったり、“洗礼前の子供の脂肪”を身体に塗ると飛行能力がつくとかいう風説が流布していたようだ。事ある毎に現れる黒ウサギや大きな角を生やした雄山羊も、キリスト教以前の異教の匂いをプンプンさせたアンチ・キリスト的な悪魔の化身の如く登場していて、《 不思議の国のアリス 》的な“不可思議な世界”って訳で面白いのだけど、意外とあっさりとした描き方をしている。
 “ニュー”ならぬオリジナルのイングランドの森ならば、異教的森羅万象ってことなんだろうが、何しろ、遙か大西洋を二カ月以上もかけて渡ってきた新大陸、つまり先住民=ネイティヴ・アメリカン達の森って訳で、果たしてあの森の中に棲んでいた魔女は何者なんだろうか。ネイティヴ達(あるいは先祖の霊)の呪いにかかってしまったのか、それとも、本国の異端的因縁すらも帆船で運んできたのだろうか。
 
 それにしても、巡航ミサイル国産化に呼応するような、最近の“ 日馬富士暴行事件”での、それまで聞いた風な良識的デモクラット的言説・主義を決め込んでいた連中が、まるで申し合わせたかのようなマスコミ総動員の、そんな見せかけをかなぐり捨て、いとも容易に自らの正体を臆面もなく晒しはじめた余りにこれ見よがしな展開の、戦前もこうだったかと想わせる排外主義的熱波って、苦笑することすらできぬ正に亡国的金字塔ってとこだったけれど、“ 神の導いてくれた新大陸 ”の錦の御旗を掲げて、さっそくの先住民達に対する略奪と虐殺の惨劇の上に建てられた神々しいばかりの清教徒的構築物=アメリカ、それがいよいよ底なしに、他の惑星にすらその触手を伸ばそうとしているミレニアム=新時代ってとこなんだろう。


Witch_5

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