2017年8月19日 (土)

 解かれた封印 《 ザ・マミー 呪われた砂漠の女王 》

Mummy


 早朝五時前のまだ暗い東の夜空四十度くらいの方向にオリオン座が三日月の下に小さく耀いていた。ゆらぐ赤色巨星ベテルギウスはまだ健在のようで、青白く瞬いているはずの下方のシリウスは、残念ながら定かでなかった。このシリウス、実は連星で、現在は地球並の大きさに縮まってしまったシリウスBの方はとっくに死に向かっている白色矮星という。
 
 《 ザ・マミー 呪われた砂漠の女王 》を、盆休みの昼の回で観た。
 久しぶりの映画館だけど、さすが盆だからか、トム・クルーズ主演って訳でか、雨上がり的な天候にもかかわらず館内はほとんど満員。
 you tubeの予告編のホラー風味に好奇心をくすぐられての運びで、考えて見りゃあ、“マミー”ってつまり“ミイラ”、漢字の“木乃伊”の方が感じが直截に表れている包帯ぐるりの動きの緩慢なキャラだったはず。初期のゾンビーたちが、ゆるゆるおぼつかない足取りだったのが、次第に時代の閉塞感・切迫感が増すにつれ、いつの間にか走り出し、人間より敏捷に疾駆する屍鬼に進化してしまったように、この《 ザ・マミー 》でも、女王ミイラは、昨今のホラー映画定番の如く、自在に走り飛び跳ねる正に魔物。


 予告編の女王の棺を積んだ輸送機の中での思わせぶりなシーンに、勝手にホーラブルな展開を逞しくしてしまってたのが、しかし、スクリーン上じゃ、ホーラブルとは些か趣きの異なったむしろ冒険アクション的展開。それもドタバタ風味まで加味され。
 これは好みじゃない。
 けど、席蹴ってしまうほどでもなく、持ち込みの缶コーヒーをチビチビ飲みながら、最後まで観てしまった。
 

 いずこの国・時代でも、権力争いの種は尽きまじとばかり、古代エジプトの宮廷内権力争奪的惨劇 ─── その怨嗟と呪詛、ふとした偶然から数千年の時を超えた現代にその封印を解かれてしまう。
 エジプト=ミイラ物の基本構図なのだろうけど、数百年のヴァンパイヤー(吸血鬼)物から、昨今流行のエイリアン物だともっと膨大な時間が上積みされ現代に甦る。
 古代の種子も、うまくやれば現代でも見事な花を咲かせるのだから、地底や海底の底深く結晶化した何億年の彼方から運ばれてきた一滴、一微粒子が封印を解かれ、禍々しいあるいは驚倒すべき遥か銀河からのパンドラの匣物語って、ミレニアム( 2000年代 )に入っていよいよ現代人の好奇心を掻き立てるようだ。


 さすが片方の主役たる王女アマネット、ぐるぐる包帯の下は朽ちたミイラ然とした老婆の態じやなく、生きたままミイラに封印された時の若々しい妖女そのものとして造形されていて、姿態も裸体シルエットも艶めかしく、前世紀の近未来世界造形映画の金字塔《 ブレード・ランナー 》(1982年)のレプリカント(サイボーグ娘)・プリスの剥き出しのエロティシズムとバイオレンス性を想起させる。
 以前どこかで見た覚えがあると思っていたら、ハリウッド・台湾合作ホラー映画《 ダブル・ビジョン 》(2002年)の妖女がやはり“双瞳”を備えていて不気味さ醸し出していた死霊とも生霊とも知れぬ人の精気を吸って生気を甦らせる妖魔アマネットの双瞳。二つ連なった金色の瞳、妖しくねめつけるその両の眼差しは、中々にエキゾチック。
 只、せっかくのエキゾチックな妖魔女も、端折った作りのためか、中途半端に了ってしまってた。
 砂漠の妖魔女の封印が解かれたのはロンドンだったけど、今週リアルに砂漠=中東の呪詛の封印が解かれたのはスペインでありヨーロッパ大陸だった。こっちの封印は植民地主義的帝国主義、十字軍遠征の頃の産物、あるいはもっと以前からの因縁的産物?


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2017年7月22日 (土)

真夜中の牛肉麺

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 先だって博多に行った際、キャナルシティーという商業コンプレックス・ビルのラーメン・コーナーで、“大明担々麺”の看板を見つけ入ってみた。
 但し、“ 重慶 ”と銘打ってあって、担々麺といえば四川料理のはずなのに・・・と怪訝に思いながらも、紅く映えた見栄えの良い一品に舌鼓をうった。激辛ってほどじゃなく、食べ易い。日本人向けにディフォルメしているんだろうか。

 かつて一度だけ四川の省都・成都を訪れた時、体調をくずし、咽喉の調子が悪かったのもあって、せっかくの辛さが面目の四川料理をあれこれ試食するって機会を逸してしまった。ふと通りかかった路地角の小さな担々麺屋のガラス棚の中に、実に簡素に、丼に山盛りになった麺と別の碗の濃いスープが並んでいるだけで、そのいかにも麻辣(ピリ辛)風に映えた赤黒いスープに、思わず咽喉の奥がピリピリしてきた記憶が甦ってきた。
 
 でも、それは四川の中心地・成都でのことで、そういえば、これも最近ちょっと散歩気分で地元の路線バスに長々乗って、めったに訪れることもなかった一応デパートもある、しかし、周辺の商店街は構えばかりですっかり廃れた、自民党半世紀支配の論理的帰結、所謂“アベノミクス”的帰結を絵にかいたようなくすんだその昼尚薄暗い商店街の奥で見つけた小さな中国食品屋の棚に陳列されていたインスタント・ラーメン二種、片方は有名な“康師傅(カンシフ) 牛肉面”、もう一方ははじめてお目にかかった“酸辣”(ホット&サワー)味の表示のある“重慶小面”、この“重慶小面”、発売元が躍進著しいらしい《四川・白家食品》なのだが、生産地が四川・成都となっていた。
 ( 因みにブログ見ると、十年くらい前、日清食品がこの白家食品の株を取得のため協議したことがあったようで、その後どうなったのだろう。)


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 そもそも重慶って、調べてみたら、元は四川省に属していたという。
 雲南や貴州の一部も。行政的区割りとして、四川省から直轄市として独立して重慶市(北海道くらいの広さ)となったに過ぎず、風土・食物まで変わった訳じゃない。
 四川は四川。
 もう二十年近く以前、二、三回ほど、列車の窓から重慶の町の姿を望み見たことがあった。
 内陸奥地の赤土の曠野の涯の、両側のクレパスのような長江と嘉陵江の濁流に臨んで屹立した正に異境都市然としていて、通る毎に、そんな地の果ての荒寥とした佇まいに、中国人=漢人たちのバイタリティーに感心したものだった。
 2002年の中国映画《 ションヤンの酒家 》を観て、重慶の街並みが結構近代化されているのが分かったけど、映画は旧い繁華街の再開発問題を背景に使っていて、それから既に15年も過っている現在、すっかり近代的な都市の景観を呈しているのだろう。


で、大明担々麺だけど、もう一つの売りメニューに、“四川・牛肉麺”があった。
 これも流行りのメニューのようで、最前の“ 康師傅 牛肉麺 ”はじめ結構色んなメーカーがインスタントの牛肉麺を出している。
 生の牛肉麺は、といえば、これまた相当旧いけど、ちょうど20年前、昆明から列車で2泊3日かけて上海に夜遅く到着し、定宿の《 黄浦飯店 》はさすがにチェック・インはできないだろうと、駅前のあっちこっちに現地の人々が、新聞紙やゴザを敷いて寝っ転がっていたのを見るにつけ、朝まで駅前で待つことにし、とりあえず夕食とばかり入った店が、中国のあっちこっちで見かけるようになっていた《 美国加州牛肉面大王 》だった。
 一番最初にその名を見たのは、確か敦煌観光の拠点の町・柳園の通りで、大道音楽芸人のパフォーマンスが行われていた近くに、オープン記念だったかの派手な看板が並んでいたのを思い出す。“加州”ってのが一体何のことか分からず、ひょっとして米国のカリフォルニアのことかなと推測しながらも、
 アメリカに拉麺なんかあったっけ?
と、それが牛肉麺といかなる関係があるのか理解できぬまま気にもとめなかった。
 さすが上海と云うべきなのか、その店は24時間営業の店だった。
 値段は当然少し高めだったけど、どんな麺料理なのか試してみたかったのもあって、くだんの牛肉麺をスプライトと一緒に注文。
 牛肉麺=6・5元   
 雪碧( スプライト )=5・0元   
 醤油系スープに麺、その上に、牛肉とレバーの角切り、香菜(パクチー)と刻み葱。
 普通の拉麺で辛くはなく、けっこう旨かった。
 深夜の上海駅前の光景を眺めながらすする牛肉麺はまた格別だった。
 
 この《 美国加州牛肉面大王 》、もう中国全土的チェーン店らしいのだが、《 李先生 》なる新看板と重複したりのややこしい商標トラブルに揺れているという。
 人民中国、いよいよ“改革開放”の波に乗って、絵にかいたような資本主義的トラブル全開ってところなんだろう


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1974年の紅い水蓮 シアター・プノンペン

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 カンボジア映画って、2001年の《バンコク・フィルム・フェスティバル》でのリティ・パ二ュ監督のドキュメンタリー映画“ザ・ランド・オブ・ワンダリング・ソウルズ”以来。
 バンコクからハノイまでのコンピューター回線だったかの地下埋設工事のプノンペン周辺の工事の光景を、その土地に埋もれたカンボジアの歴史を“digging”してゆくって寸法だったんだろう。暑熱のプノンペンの光景を、やたら冷房ガンガン効いたたった十人居るかいないかの客席で、長袖ジーンズシャツをTシャツの上に着こんで震えながら観ていた記憶ばかりが残っている。

 普通のカンボジア映画を観るのはこの《 シアター・プノンペン》が初めて。
 今回ネットでちょっと調べてみたら結構カンボジア映画作られていて、日本でも上映されていたらしい。
 今世紀初頭、というと何とも仰々しいが、2000年代に入る前後のプノンペンの映画館ってそれまで煤けたフランス植民地時代の旧い佇まいの文字通り古色蒼然とした廃墟でしかなかった。別の用途に使われていたり、表にポスターを貼りだして細々と営っているところもあった。只、上映映画って殆どがポルポト時代以前に作ったものなのか、あるいはタイから安く輸入した如何にも古めかしいホラー物ばかり。さすが、観る気にはならなかった。それでも、今世紀に入ってからは、メイン通りのモニボン通りに面した映画館が小綺麗にリニューアルし、大きな看板までかかげて“現代”ものらしき作品を上映するようにはなっていた。
 興味をひかれ、平日の昼間入ってみたら、まだ上映前で、男女の高校生ばかりが群れていて、さながら中学校の休み時間なみのはしゃぎよう。昼間のせいか、一般客はわずか。やがて始まった映画は、どうも様子が、プノンペン=カンボジアのものとは思われず、ポルポト以前の首都プノンペンが小パリと呼ばれていたのを考慮にいれたとしても、まるで雰囲気も地理も違う。やがてそれが、隣国タイの首都バンコクらしい、それもどうも1973年に軍政側と学生の衝突したいわゆる“血の日曜日”事件を扱った映画らしいのが分かり始めた。何のことはないタイの映画だった。でもそれが、ポルポト時代以前に輸入したフィルムなのかそれともそれ以降あるいは最近輸入したものなのかは定かでない。


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 この2014年制作の《 シアター・プノンペン》の舞台ともなった映画館もそんな廃墟然とした旧い建物で、場所的には、モニボンなんかのメインの通りじゃなく、むしろ奥まった路地に面したような薄暗い佇まい。2014年現在でのプノンペン設定なので、まだまだ似たり寄ったりの映画館事情なのだろう。
 もっとも、昨今は、プノンペンにも、場所は定かでないが、日本出資のイオンモールが出来、タイの映画会社メジャー・シネプレックスが入って、多数のスクリーンも備わり、3Dどころか最先端らしい4DX(匂いも風も、しまいにゃ水で濡れたりもする体験型らしい)まで揃えているという。

 暴走族の親玉ベスナと恋仲の女学生ソポンは、ある日、ちょっとしたトラブルからプノンペンの町中の煤けた古の映画館の中に一人紛れ込んでしまう。
 そこには、立ち退きを開発業者の手先から迫られながらも、頑なに拒否し、何とかかつてポルポト体制直前に作られた恋愛叙事詩映画《長い家路》の最後の部分last reelの欠落を補って上映したいと願っていたベチアという初老の支配人が一人住んでいた。
 実は、その映画の主演の女優こそ、ソポンの病気がちの母親だった。
 以前女優をやっていたとは生まれてこの方一度も聞いたこともなかったソポンは、残ったフィルムの欠落部分を補おうと、通っている大学の映画部の教授に協力を仰いだ。生徒たちを引き連れ教授は、傷んだフイルムを整備し、残りの欠落部分を、ソポンと暴走仲間から抜けたベスナに主演の恋人同士を演じさせ、ベチアの案内で、かつてそれが撮られた場所へとロケに向かう。

 ところが、母親が撮影に参加し、監督のはずだったベチアと四十年ぶりに対面すると、途端血相を変え、「この男は監督じゃなく、彼の弟よ!!」と吐き捨てて逃げ帰ってしまう。ベチアやソポンの母親、監督たちはポルポト体制下に連行された労働キャンプで、誰かの内通で正体(ポルポト体制下では、映画関係者も処刑の対象となっていた)がばれそうになり、取調室=拷問部屋に連れ込まれたベチアが、拷問の末か、兄が映画監督であることを白状し、監督は処刑されてしまっていたのだった。
 そもそもが、ソポンの母親と監督は恋仲にあったのだけど、その映画で、仮面をした村の男を演じた俳優であもあったベチアも、ソポンの母親に強い恋情を抱いていたのだった。今回の欠落部分も、実はちゃんと映写室に残っていて、思い余って欠落部分を自分の恋情を遂げるシナリオに書き換えて完成させようと企図したものだった。その上、ソポンの父親も、実は、このポルポト的惨禍に深くかかわっていたのだった。


 中国でも文革時代の頃の惨禍・惨劇さらに現在でもその力学が作用しているらしい政治的相克には、中々触れられたくない雰囲気だけど、カンボジアのポルポト体制下に行われた惨劇、その渦中に放り込まれた人々の芯奥の傷(トラウマ)は容易に癒えることの難しい事柄で、端(外人)が勝手に思うようには触れがたいもののようだ。ポルポト全体主義体制下の愛憎的残滓が、しかも尚現在にもそれが暗渠の底に鬱々と暗い流れを作っているカンボジア的今を、流行のミステリー仕立てにしてみせた小品。
 あの、タイとは一味違った赤土から発するカンボジアの熱気と土埃が嫌いじゃない僕にとって、あらゆる意味で、興味深い映画作品。


 欠落した部分(リール)のあるフィルムって、すぐに、中国文化大革命や、それ以前の反右派闘争=百花斉放百家争鳴的整風運動などの渦中である巻(リール)が紛失し更にフィルム構成が支離滅裂にされてしまった中国映画《 孤島天堂 》(1939年)を想起してしまう。
 中国・文革=カンボジア・ポルポト派的社会革命、両者を統べるものはマルクス主義的全体主義ってところなんだろうが、中国文革の方は映画や芸術など自体を否定している訳じゃなく、あくまで党=毛沢東の意に沿っていない反党的、反革命的つまり右派として指弾されてのパージ・弾圧なので、その辺がポルポト的機械的全体主義と相違するところだろう。
 反右派闘争と文革に通底とているのが諜報関係のトップ康生で、毛沢東・江青とつるんで多大な犠牲者を出してきた張本人。《 孤島天堂 》の改変や廃棄も彼なら可能だったろうが、推測の域を出ない。その康生とポルポトの影響の伝聞が時折見られるけど、直接の接触はなかったようだ。 


 《 シアター・プノンペン》the last reel

監督  ソト・クォーリーカー
脚本  イアン・マスターズ / ソト・クォーリーカー
制作  カンボジア(2014年) 

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