真夜中の告発者 生ける彫像 ( 大泉黒石 )

1929

 大泉黒石の短編《 生ける彫像 》が掲載されているってことで入手してみたのだけど、いわゆる昭和初期の“エログロ・ナンセンス”を地でゆく体裁の雑誌《 グロテスク 》( 1929年=昭和4年新年号 )であった。
 おまけに、そんな雑誌の特性に合わせたように、黒石、巻末の10ページにも満たないミニ短編《 生ける彫像 》とは別に、《 勧燬(き)淫書論 ( ルビ : いんしょせいばつ ) 》なる論考をも連載しているようで、むしろそっちの方に興味を覚えてしまった。

 

 

 表紙に、“ 耽奇・探奇・談奇”とある。
 終戦直後の薄っぺらなカストリ雑誌と相違して、それなりのページ数のあるちゃんとした雑誌の体裁で、発行者は、この雑誌にも自身の論考を複数掲載している、発禁になった訳書《 デカメロン 》で有名になった梅原北明という明治の宮武骸骨に勝るともおとらない反骨精神旺盛な出版者。
 そもそもが梅原、明治末の幸徳秋水ら十数人が死刑に処された《 大逆事件 》に衝撃を受け、アナルコ・サンジカリズム運動にも影響を受けて、一時“水平社運動”に参入し結構活躍していたという。
 後年、上海のカジノで知り合った帝国海軍元帥・山本五十六も、彼のファンだったという話もあるらしく、その縁でか、いよいよ“時局”が押し迫ってきて、窮した梅原に海軍がらみの仕事を提供してくれたという。

 

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 ( チェコ出身の幻想怪異画家リチャード・ミュラーの作品。モノクロの同じ構図の作品もある。)

 

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  扉の口絵に、ページ中頃の“ グロテスク画集 ”にも掲載されているチェコ出身の画家リチャード・ミュラー( リヒャルド・ミュラー)の幻想的・怪奇的作風の絵が掲げられ、その次にとじ込みの両開きの小さなピンクの《 新年号目次 》があり、そのもう一つ後には国芳の浮世絵《 狸の睾丸画集 》と題した色刷り版画風まで折り込まれている凝り様。 
 全体的にモノクロ写真や挿絵が適時配されている。   
 梅原北明自らも( ペンネーム多いらしく、他の名で掲載しているのもあるかも知れないけど、当方には不詳 )梅原の名で複数の論考を載せていて、《 阿片考 》じゃ写真や図解まで使って阿片の吸引器具・使用法を懇切丁寧に認めている。


 《 生ける彫像 》の巻頭にも小さなモノクロ挿絵があしらわれていて、本来は、当時ヨーロッパやロシアで活躍した舞台美術・衣装デザイン・挿絵なんか手がけるベラルーシ生まれの美術家レオン・バクストの、1910年パリ・オペラ座で行なわれたロシア・バレー団の《 シェラザード 》の舞台装置の前年に描かれたものなら下絵かデッサンというところだろうか。1909年は同じロシア・バレー団の《 クレオパトラ 》だったようだ。
 シェラザードといえば、《 アラビアン・ナイト 千一夜物語 》だけど、黒石の短編と特に係わりがあるとも思えない。共に、深夜の語りって一点で共通はしているけど。

 

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 ( 中扉。先月号、つまり12月号が発禁となったとある。)

 

 それにしても、肝心の黒石の《 生ける彫像 》、余りに短かい。
 要は水子譚ってとこなんだろうけど、黒石らしく、最後の最期に一ひねり入れている。
 正に、“ 咄 々々 ”。
 ネタ元は、その何年も前、大正末の世相を騒がせた“ 柳原白蓮事件 ”なのは明白で、成金財閥、皇族・華族、それに右翼・女性権利拡張運動もが絡んだ話題に富んだスキャンダル故に、黒石的には待ってましただろうけれど、だったらもっと縦横に描いていいはずが、所詮スキャンダルってことでか、軽くあしらった。( 確かに、描きようによっては、再度、発禁 ! って事態に到りかねなかっただろうが ) 
 

 

 と、ある成金資産家、“五十万”( 大正時代頃の資産家の財産基準らしい )とのっけから但し書きし、いわゆる財閥レベルじゃないところをあらかじめ明示している。理由はモデルにした“ 柳原白蓮事件 ”故に、九州の石炭財閥当主そのままに登場させる訳にはいかなかったのだろう。
 叩きあげの筑豊・飯塚の炭鉱王・伊藤伝右衛門の方はともかく、妻の、歌人として知られていた伊藤の半分の年齢の柳原白蓮=燁子( あきこ )の方が問題だった。
 彼女の父親・柳原前光は、大正天皇の生母の柳原愛子の兄で元々の公家、彼女の兄・義光は貴族院議員、姉・信子の夫・入江為守は東宮侍従長とどっぷり天皇=皇族・華族的しがらみに漬かっていた白蓮=柳原家。とりわけ、貴族院議員の兄・義光の選挙資金がらみの政略結婚の噂が喧しかったようだ。
 そんな白蓮が、よりによって、大陸浪人・革命家として高名だった宮崎滔天( 当時は既夢破れて病床に伏していたらしい )の息子・宮崎竜介と不倫関係になり、失踪し、竜介の下に走ってしまった。
 市井の一市民同士の不倫失踪ならまだしも、それでも当時は姦通罪に問われてしまうが、皇族=華族がらみってことでかなり世間にバッシングを受けた。成金財閥の伊藤自体はそれ程悪しざまに言われるような質の人物じゃなかったらしいものの、裸一貫で切った張った三昧の炭鉱労働者関係と渡り合ったりのおよそ教養とは無縁の処世故に、華族深窓の歌人娘との対比で如何にも式に女性権利拡張論者・運動家から誹られつづけたという。その辺の所も斟酌・加味した黒石的展開にはなっている。
 宮崎滔天は息子と白蓮との結婚を応援していたようだけど、世論は厳しかった。
 福岡の右翼団体《 黒龍会 》も白蓮非難の急先鋒だったようだ。
 それでも白蓮、不義の子を産み、何年か後には龍介と一緒になってしまう。
驚いたことに、その子を、当時の宮内省が、伊藤が怒りを露わに断っても断っても、執拗に伊藤に自分の子としての認知を迫りつづけたという。終いには、伊藤、自ら精子検査を受け“生殖不能”、つまり彼の子じゃないってことを証してしまう。
 

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 ( 巻末の新春増大号扱いで、黒い縁取りが付されている。)

 

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 ( 1910年のパリ・オペラ座での<シェラザード>のレオン・バクストの舞台装置。<生ける彫像>の巻頭に配された挿絵とは別のもの。写真かと思ってよく見てみると絵のようでもあり、定かじゃないので画像としておく。バクスト自身の手による作品かも。)

 

 
  「 ・・・動物の貂皮でおおわれた臂(ひじ)掛椅子に、ふかぶかと身を埋め、閃く石の美しい双手に、額を支え、皺だらけの顔に沈痛な色をうかべ落ち窪(くぼ)める眼に愁しげなる涙さえ湛えて、物思いに沈む、半白の老紳士があった。言うまでもない。これが此の部屋この邸の主人なのだ。彼はこの夜の枕に就くべく、ここに入り来ってより数時間を、この姿こうしているのだが、時々はその暗い面を静かに擡(もた)げて、寝臺(しんだい)の真上の壁に、沾(うるお)える眸(ひとみ)を向け、そこに掛けてある額を瞶(みつ)めながら、深い溜息を洩らすのである。額の中には世にも比類なく麗しき夫人の肖像が嵌めこまれている。」

 

 

 冒頭の資産家が深夜、彼の自宅の一室で亡くなった愛妻の追慕に浸り悲嘆にくれるシーン。
 “ 人の心や社会の底を流れゆく時の風潮”に疎い無教養者( イグノラント )とある。
 よくある叩きあげ資産家なんかの定番の通俗的人物像であろうが、かといって封建的家父長的な因業横柄さとは無縁の思いやり深い酸いも甘いも噛分けた善人で、彼女が“ 心やさしく夫に尽せば、それに倍して彼は妻を愛した ”という愛妻家でもあった。
 

 

「 いつも美しく、いつも若々しいのが、子を生まぬゆえに、容色の衰えを免れる夫人の徳である。分娩は美貌の敵という、彼女は宛(さなが)ら不老泉に住む永遠の乙女のその如くに水々しかった。」

 

 

 「 子なき寂しさは、絶えるまもなく胸底に往来し、年と共に強くなるばかりであった。ただ彼の美しき同伴者である『 生ける彫像 』によって慰められていた。いや自ら慰められていたのであったが、哀れむべし、遂にはその唯一の慰藉者にも遠くえ往かれてしまった。」

 

 

 「 老いて子なき夫が、頼りとする妻に先立たれたる心中は。いかなる人の言葉も慰め和らぐるには足りないであろう。嘗てそこには優しき佳人の愛情ある面影を見た一室に閉じ籠り、無情の想いに胸を掻き毟る彼の心は、痛ましくも悲惨なものであった。」

 

 

 財産家の美麗な妻とその妻との間の子宝に恵まれなかったことへの哀惜の最中、ふと、小さな物音が響いた。

 

 

「『 コッ。コッ。コッ。』
 他聞(ひとぎき)を憚るように、ほとんど聞きとれぬほど、微かに静かに此の部屋の扉を叩く音がして、覚めかけていた黙想から、はッと老人。やや驚きの面差で、背後へ振りかえった。
『 誰じゃ ? 』」
 

 「 しづかに入って来たのは正に少年。風采凛として、豊かな頬に、さも懐かしげな愛情のほころびを泛(うか)べた品のいい、しかし、全く見も知らない美少年であった。」
 

 少年は唐突に自分が財産家の息子だと告げた。

 

 

 「『 何かの間違いではないか? 寝呆けて戸惑っているんじゃないか? 儂の名は入江九衛門。邸の門札に出ておる筈じゃ。子どもなどは一人もないわい。』
 『 ありますよ。僕がそうです。』
と少年。にこりと微笑する。」

 

 

 訝る財産家、少年に自分の顔をよく見てくれと言われ改めてまじまじと見直してみると、確かに亡くなっ妻の花貌のあれこれが生き写しだし、財産家の部分的特徴と相似な造りも見て取れた。もし妻との間に子供が出来たとしたら、正に、面前の少年の容貌のごとくであったろう。
 得も言われぬ想持に囚われた財産家、少年に誘われるように、邸を出、暗い夜道を少年の後についてトボトボ歩き続けてゆくと、人通りの絶えた商店街の常夜の電飾看板や街燈にぼんやり照らし出された通りに差し掛かった。

 

 

 「 ・・・曲がり角にある外国書籍店のまえにぴったり立ち停まった少年は、いかりに耀く眼を、くわッと見ひらき、店窓(ショウウインドウ)の中に飾られた外国本の一つを恨めしげに睨ねめつけながら『 僕は、それ、その黄表紙の悪魔に殺されたのです ! 』」

 

 

 突然、少年は蒼白となった貌に悲憤の念を燃え上がらせ、そう、叫んだ。
 驚いた財産家、あわててガラス越しにその黄表紙の洋書のタイトルに両の眼を凝らしてみたもののさっぱり英語は解らず眼を白黒。ふと、少年の方を振り返ると、忽然と少年は消えていた。
 少年の姿を通りに捜す財産家の背後のショーウィンドウ・・・

 

 
 「 煌々たる電燈の光りに黄表紙の背文字が踊るばかり。×××××夫人著。“ BIRT CONTROL”! 咄々々!」

 

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 ( リチャード・ミュラーのグロテスク画集の中の一片。エッチング )

 

 この××夫人とは、幾度も来日した米国の産児制限運動家・マーガレット・サンガーで、黄表紙本のタイトルとは“ BIRTH CONTROL”。
 この短編じゃ、“H”が抜けて“ BIRT CONTROL”となってるけど、黒石が意図的にやらかしたのか、この雑誌《 グロテスク 》の編集者の校正ミスなのかどうか定かでない。というのは、黒石のもう一つの掲載物《 勧燬淫書論 》の最後の“ 附記 ”に印刷所のミスを記しているから、ひょっとしての可能性も捨てきれない。
 当時、日本でも女性権利拡張運動の一環として注目されはじめ、避妊(器具)推進等で、米国ともどもに権力・保守勢力にあの手この手の阻止にあったようだ。なかんずく、マーガレットは米国で投獄の経験すらある女闘士。
 

 

 でも、これって、成金財産家の入江九衛門の積年の願いとは裏腹に、当の水晶の花貌、心優しく夫に尽くしてきたはずの妻は、一緒に連れ添った20年もの間、まさか旦那が認める訳もない避妊を、つまり女性側の意志での避妊を隠れて行いつづけてきたってことになる。
 正に、不実。
 実在のモデル、成金財閥・伊藤伝右衛門も、妻・白蓮に裏切られ、後ろ脚でめいっぱい汚泥をかけられ若い龍介のところに逃げられてしまったが。
 幼馴染の娘と一緒になり、沢山の子供をもうけた黒石とは真逆。
 子沢山の故もあるのか生活苦に喘いでいた黒石こそ、マーガレット・サンガー女史の唱えるところの貧窮からの脱出のための産児制限が必要だったのじゃないのか、と自嘲したのか、内外のそんな運動に後ろめたさや反撥心を覚えてしまっての結晶化した作品なのか。
 

 その妻の20年にも及ぶ背信的所作って、物語中にも述べられていたように、彼女の若々しい美貌を保つためだったのだろうか。

 

 「 いつも美しく、いつも若々しいのが、子を生まぬゆえに、容色の衰えを免れる夫人の徳である。分娩は美貌の敵という、彼女は宛ら不老泉に住む永遠の乙女のその如くに水々しかった。」

 

 この如何にも意味ありげな言葉は、やはり前フリってことだろう。
 旦那もそれを愛でていたからこそ、彼女も子宝を断念し、若々しい美貌の保持の方を敢えて選んだってのもありえなくはないのかも知れない。
 あるいは、容色の衰えが旦那の寵愛を遠ざけてしまうという懸念からか、それとも専ら自身の美意識のなせる術だったのか。
 それにしても、多年の間、無数の避妊で、どれだけの本来的結合的結晶が未完のまま汚物として廃棄されてきたのだろうか。

 この視点からすると、なんとも途方もない罪業の淵って趣きが濃くなってくる。

 その水子にすら成り得なかった前-水子霊の群が真夜中の訪問者の少年として結晶化したってことなのだろう。
 昨今、この伝でいけば、毎夜の如く、自分によく似た風貌の少年・少女たちにドアをノックされる人々の数って半端ないに違いない。

 

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 ( 裏表紙 当時、中国でも仁丹やなんかと一緒に流布したクラブ化粧品の歯磨きの広告。)

 

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2019年6月 8日 (土)

黎明的ゆらぎ  『 菊とギロチン 』

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 you tube にある秋山清『 白い花 』の土取利行の朗読がけっこう気に入っていて、その戦中に認められた詩の彼自身の解説があるということで読んでいた《 わが解説 》( 文治堂書店 ) 、ところが、ふと立ち寄ったレンタル・ビデオ屋の棚に、秋山と遠戚関係にあるらしい中浜鉄を中心とした《 ギロチン社 》の面々を主人公にした瀬々敬久監督《 菊とギロチン 》が並んでいた。
 

 

 大正末、関東大震災直後の軍部( 権力 )や自警団による“ 朝鮮人・中国人・労働組合活動家・社会主義者 ”たちの虐殺に、一矢報いようとテロルを画策するアナキスト集団《 ギロチン社 》、そして当時巷で流行っていたその殆どが東北出身者だったという女相撲の一座《 玉岩興行 》、その二つの底辺的存在がひょんなことで遭遇することになった。
 同じ《 ギロチン社 》を扱った山田勇男監督の映画《 シュトルム・ウント・ドランクッ 》( 2014年 )とは又些か趣きを異にした大正末・青年群像劇。
 戦前この国の貧窮の象徴のように謂われた東北地方、昭和十一年の《 二・二六事件 》等でも決起将兵の中にも東北出身者が多く、女相撲も大半が東北出身者によって占められていたらしい。昨今の女たちのスポーツ界進出も華々しくなった状況にダブらせるように、“ 強くなりてえ ! ”と、女たちの置かれた困窮的因習的差別的あるいは暴力的現実から這い上がろうとする藻掻(もがき)を、一向に“ 解放・革命 ”を具体的現実として実現できずに藻掻きつづける《 ギロチン社 》と絡めてみた物語の成り行きは、しかし、依然として仄暗い黎明が彼方にゆらめくばかり。

 

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 相撲といえば、確か秋山清も、地元の浜鉄の柄杓田の隣村、今津で村祭の際に行われる奉納相撲でけっこう活躍していたという。 
関東大震災の直前、大正十二年夏、秋山は東京から一時帰郷し、一夏故郷の夏休みを満喫したのだけど、夏祭の余興の素人相撲に、何を思ったか、青年・秋山、借りたマワシを締め、飛び入りで参加した。ところが、素早い取り口で勝ち進み、その強さに村の相撲の頭取( 親方 : 各村に居たらしい )に気に入られ、近隣の村祭りの相撲に参加することになったという。勝つと紙に包んだ花( 御捻り )が投げ込まれた。それなりに人気があったのか、結構な額の花が貰えたらしい。映画の方じゃ、花じゃなく、野菜や魚なんかの現物のようだったけど。
 村の相撲が開催される際、他の村の相撲取りにも参加して貰うため、開催地の頭取の遣いの者が他の頭取の家の前で、任侠の仁義に似た、腰をかがめて口上を述べるのを、秋山の近くに親方が住んでいて何度か見たことがあったという。
 年配の相撲取りが彼の四股名を秋山に呉れたという。
 《 今響 》
 今津と響灘をかけた四股名なんだろうが、アナキストや詩人で相撲の四股名を持っているなんて、まず他にはいないだろう。
 この映画の時代設定の頃、浜鉄の親戚の秋山も、裏門司といわれた地域一帯の土俵の上で活躍していたとは・・・

 

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2019年5月21日 (火)

アスリート・ファースト  平成=令和のアベノミクス的残影

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 早朝5時前、独特に微妙な曙光に暗い上空全体にうっすらと流れてゆく雲の向こう南天45度に満月が絶妙に端座していた。その右、兎陰の下方に少し距離をおいて小さく木星が輝いていた。他に星影もない早朝の空に、その二つだけ。

 

平成から令和に年号も変わり、来年は《 東京オリンピック 》ってことらしい。
 けどこの、本来は福島=東電原発事件の被災者やらの復興に最優先的に回して当たり前の東京都の予算を、急に何を思いついたのか、当時の東京都知事・石原慎太郎が、予算ならちゃんとあるんだとぶち上げたのが発端。
 そもそもが東電・福島原発の最受益者であり、むしろその故にごり押しして来た東京都、彼らにこそ多大の責任があるにもかかわらず、これで足れりというほどには支出もせず、あろうことか専ら東電に一切の責任をなすりつけ、まずあり得ようもない《 東京オリンピック 》をぶち上げ、注ぎ込んでしまった。
 それも、いかにも連中( 都知事・石原=自民党 )らしく、金に物をいわせての誘致までやらかしてまで。 
 

 

 ところが、当時、そんな金に物をいわせるやり口って何処でもやってるんだとばかり、自民党近辺やスポーツ界・マスコミもむしろ得意顔だったのが、案の定、今年になってフランス当局にその違法性を問われはじめると、皆一応に知らぬ半兵衛を決め込む始末。 ニッポン=《 東京オリンピック 》勢力の恥知らずな違法性が明らかになっただけ。
 福島(や東北 )の被災者支援・復興の予算を削ってまで、“ アスリート・ファースト”なんて掠め取った予算の再分配( ありていに云えば、貪ぼり )をぬけぬけとやってのけれるのが、そもそも昔から一貫しての前時代的封建主義・権威主義的権力主義と利権漁りの権化=ニッポン《 体協 》なのだろう。昨年あたりやたらマスコミで喧伝されたスポーツ界のパワハラ問題も、元々そんな体質の問題でしかなく、"アスリート・ファースト"ともどもの再分配問題でしかない。

 

 

 かつてオリンピックの表彰台で、米国の黒人選手たちが黒い手袋をした拳を高々とあげ米国の黒人差別に対する抗議=“ブラック・パワー”を誇示したのを、米国権力が怒り、関係した選手たちを徹底的にパージした。オリンピック・スポーツに“政治を持ち込むな ! ”と。
 ところが、その後、今度はその米国権力が、ソ連のアフガン侵攻に抗議とか称して、モスクワ・オリンピックを“ボイコット”し、他の国にもボイコットを強要し、多くの国々( 所謂西側先進国を中心に )がオリンピックのこれ以上ない政治利用に賛同し棄権する挙に出た。それはそのまま、“自由と平等”と真逆な“権力と金”の権化そのものでしかない米国と一心同体であることを、つまりオリンピック精神とやらを公然に踏みにじって見せたそれらの国々自体の正体をも証してしまった。( 尤も、そのソ連も報復としてその後の米国でのオリンピックをボイコットし、結局、“ 何処の国も ”って救いようの無い顛末が結果してしまった。)
 つまり、いわゆる西側先進国って、そもそもがスポーツの世界的祭典=オリンピックになんて参加する資格すら持ち合わせてなかったのだ。それがそれ以降もぬけぬけと、厚顔無恥なんてものかわ、したり顔までして、それぞれの国で多額の予算を湯水のごとく浪費してまで参加しつづける始末。
 だから、国際社会だとかパラリンピックだとか声高に騒いでみせても、所詮これ以上ないくらいのさもしいばかりの政治的経済的利権、つまり性根=商魂の大団円以上の何ものでもないってことだろう。
 
 
 だから自民党半世紀支配なのだろうし、あれだけその危険性・経済的・社会的リスクを指弾され警鐘を受けて来たのにもかかわらず、そんな批判派を非科学的とか無知とか嘲笑してきた自民党・経済界の福島原発( あるいは他の原発 )ごり押しの論理的帰結=福島原発事件で、自民党や経済界・関係マスコミの誰一人として責任とることもなくしたり顔し被災地を廻って見せたりできるのだろう。
 そんな中の、肝心なその責任取りだけはスルーして“反原発”を新たな御題目として掲げて廻っていられる小泉なんだろうが、しかし、かつて、この国の売国・亡国の輩総出演の観すらあったFテレビの朝の政治番組で、そんな原発批判に対する嘲笑・愚弄をさんざんやらかしていた張本人の一人が誰あろう石原慎太郎だった。
 そもそもが、かつて自民党・鈴木都知事“三選”の際、“権力の亡者・老害”とばかり唾棄し嘲笑までしてみせた石原、都知事になるや空前絶後に“四選”までやらかした張本人。( 都民=有権者の大半が、そんな石原を四度も都知事に選んで見せた。)
 その石原が、ぶちあげたのが、他ならぬ、“ 東京オリンピック ”だった。
 正に、平成=令和って、売国・亡国行進曲の輝かしい軌跡って訳だ。

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