蒼空に映える白亜の渤海クルーズ『 中華・泰山号 』

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 数日前、レトロ沿岸を散策し、小さな船舶が停泊している以外釣人の影が30℃数度の烈日に照らし出されているだけの岸壁に踵を返そうとした眼の端に、ふと、ドサクサ紛れのごとく、植込みの向こうの廃止になって久しいプレハブ・カスタム玄関の両開きドアがゆっくりと開閉する光景が紛れ込んだ。
 錯覚と決め込もうとしたもののそんなはずもなく、カスタムの玄関に向かってみると、果たして、ちょっと前まで玄関ポーチの低い階段の脇にぺんぺん草が繁茂していたのが嘘みたいに綺麗に刈られていた。あれっと、反射的にポーチの上部を見上げ、以前に消し去られた国際港カスタムの文字を確かめると当然に削り取られたまま・・・
 で、列日の反映で見難くなった入口のガラスドアの奥に眼を凝らすと、やっぱり電灯が点いていて、かつてのカスタムが機能していた時代の取り残された設備だけがぼんやりと照らし出されていた。
 人気もなく設備の点検でもしているのだろうか、と裏側に廻ってみると、細長いカスタムにうがたれた曇りガラスの全部にずらり明かりが灯っていた。

 

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 表側に戻ってようやく気づいたのだが、カスタムの岸壁側の小さな勝手口前に軽自動車が二台停まっていた。数人の男女がその勝手口のドアから出入りしていて、如何にも何か胡散臭げな雰囲気。
 しばらくすると、中から白っぽい大きなものが現れた。
 車の陰になってはっきりしない。
 と、中年女性の後について、まん丸のいわゆる地元の“ゆるキャラ”の着ぐるみがヨタヨタと歩き始めた。真昼の烈日にゆるキャラのまん丸い白い巨体がおぼつかない足取りで岸壁にそってさっさと歩いてゆく女性の後を、どんどんその差が広がってゆきながらも真夏白昼のゆるキャラはヨタヨタと追いかけ続けた。
 と、その先に、一艘の白塗りの練習船が留まっていた。
 カスタム前に来る時、ぞろぞろ見学の親子連れがその小型の練習船にのりこむのを横目にしていたのだけど、もう皆船の中に入っていたようで、女性と白日を照り返して眩いゆるキャラの二人がタラップの下で二人並び、中々出てこようとしない見学客をじっと待ち続けているのを見てると、二人の熱気がこちらに伝染してきたかのように汗が吹き出てきて、あわてて日陰に退避しその場を後にした。

 

 

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 家に戻ると、いくら何でもあんなゆるキャラ出陣のためにわざわざ廃止になったはずのカスタムの全部に灯りを点すとは考えられないので、ひょっとしてとネットをみてみると、案の定、中国の船舶が寄港する予定なのが分かった。

 

 で、10日( 土曜 )に岸壁に赴くと、24,427トン、乗客約1000人の渤海郵輪有限公司のクルーズ船《 チャイニーズ・タイシャン 》中華泰山号の白亜の船体が蒼空の下純白に映えていた。
 カスタム岸壁の手前に留まっていた練習船の姿はもうなく、カスタムの白塗りの鉄柵を越えて手前にはみ出した泰山号の、しかし、10万トン級も珍しくない昨今の大型クルーズ船世界じゃ、むしろ小型の部類に入るのだろうか。
 以前寄港したフランスのポナンPONANT社のロストラルL'AUSTRL号が1万トン級なのでその倍、5万トン・クラスの飛鳥Ⅱの半分。
 尤も、乗客は時節柄なのか、数百人くらいだったようだけど、見に行ったのが昼前で、乗客の大半はもう下船しあっちこっちに出かけた後だったのだろう。カスタム事務所の玄関から、疎らに大抵二人組の黒髪をなびかせた中国人娘が連れ立って何処か散策に向かうぐらい。周辺は閑散としてて、一般道路に出る手前に警備のパトカーが一台停まってて、裏側に観光バスが一台、カスタムのすぐ背後に“Moji Custams”と記したトラックが一台停まってるだけの静かな光景があるばかり。
 結局、このクルーズ船《 中華・泰山号 》寄港のための雑草刈りだったようだ。
 白い船体にカラフルな中国風の絵が小さくあしらわれていて、唯一中国情緒を感じさせる。折からの台風の影響でか、カスタムの鉄柵から手前にはみ出た部分の岸壁側に立入禁止のグリーンの衝立をづらり立て並べていたのが、次から次へと倒れてしまい、慌てて係り員たちが駆寄って来て立て直していた。

 

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門司港を出ると、佐世保に寄り、大連港に戻っていった。
 本当は大連を発ったこの《 中華・泰山号 》、今日15日にも再び寄港する予定であったらしいのが、台風10号のせいで中止になったらしい。15日昼前現在、船舶動静情報(AIS)でチェックすると、台風をやり過ごそうとしているのか、大連港のちょっと沖で停泊したまま。

 

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2019年8月 5日 (月)

 昭和五年勢ぞろい新年特集号『 グロテスク 』と黒石《 人肉料理 》

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 ネットで執筆人のそうそうたるのを見て驚いてしまった『 グロテスク 』昭和五年(1930年)一月新年特集号。
 見開きの目次を見ると一目瞭然なんだけど、大泉黒石を筆頭に、葉山嘉樹,尾崎士郎、川路柳虹、青野季吉、稲垣足穂、辻潤、今東光、金子洋文、黒島傳治、生方敏郎・・・尤も、案の定というのか、辻潤なんて一頁半の、しかし、

 

「 泡を吹いてゐ(い)るのだ――それは泡を吹いてゐるのだ。
 雲の中で眼も鼻もない蒼白い楕円の月が凶暴な不協和音を吼へながら凝結したミルクの泡を吹いているのだ。・・・」
 
なんてのっけからダダ的吐露。
《 一九五〇年売笑婦 》の葉山嘉樹は、

 「 一九五〇年売笑婦 と云う編集者の註文であるが、その頃には×××なってるだろう。しかし売笑婦は、×××と雖も、直ちに撲滅し尽されるものでなく、一時的には、却って激増するに違いない。・・・」

 

 と、20年後の娼婦たちについて唯物史観的だけど分かり易く言及。それ故にか、途中二カ所ほどかなりの語数が伏字ならぬ空白のまま。
 稲垣足穂、エッセイ風な創作と銘うった《 少年読本 》、定番の少年愛的饒舌が破格に20ページに及んでいる。

 

 「 何故なら、私たちはKyotoのD院に所蔵されてゐる『稚児草子』というたぐいの絵巻物をいくつか知ってゐるし、又、Nerigiやお寺の庭に植えてあるKeshiについての話もきいてゐるからです。( 何、御存じない? Nerigiとは必要に応じて手のひらの上でとくように出来た山いもの粉をかためた云わば一つのLubricantです。この種のものがUenohirokojiなどで売られてゐました。KeshiとはPoppyの粉であって、それだけのものが局所麻痺の作用をするのかどうか、それこそさっきの医学生に正してみる必要がありますが、紙に包んでこれを印ろうに入れてゐた見ぬ世の人々の間には、次のような言葉さえあったそうです。“ Keshi o ipuku mairasesorae ”)・・・」

 

 

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 黒石、この号でも《 人肉料理 》と『人を喰った男の評伝』(梅原北明の巻)のコーナーで《 快漢北明論 》なる4ページの人物伝を載せている。
 以前このブログで黒石の《 草の味 》(1943年)を紹介した際、“草木の生命の根源である葉緑素(クロロフィル)が、人間と他の生き物の生命の素であった歴史を有っているのである。”から皇軍的帰結=人肉食にまで敷衍したことがあって、このタイトルと遭遇し、植物の血液・クロロフイル=人類の血液・ヘモグロビンから人肉(血)漁りへの如何なる論理的展開ありや、と勝手に好奇の念を燻らせてみたら、短編小説でもない既存の世界の人肉食的事例を何片か紹介しているだけであった。

 

 その中の一つ、中国での逸話、《 股肉の膾(なます) 》なる明末、河北省での大飢饉の頃の話を紹介してみよう。
 ある旅人が昼飯をたべようと路端の客桟( 宿 )に入ると、店先に据えてある大きなまな板の上に、一人のまだ若い女が素っ裸のまま縛りつけられてて、驚いて店主に尋ねると、貧窮した自分の亭主に金を工面するために自分の肉体を切り売りしようとしているんだとか。
 旅人、女の余りの過酷さに同情し、身銭を切って女を解放してやった。
 女は狂喜し、夫に金を渡してやれれば本望とばかり、後は旅人の奴隷にでもしてくれとひれ伏した。裸のままじゃと、旅人、足元に脱ぎ捨ててあった女の衣服を手に取り、女に着せてやろうとして、ふと、指先が誤って露わな女の乳房にちょっと触れてしまった次の刹那、女はすっくと立ちあがり、憤然とした眼差しで、
 「命の恩人のあなた様へ、召使いとして一生御奉公致す所存でありましたが、しかしながら、貴女様の妾(めかけ)の類になろうなんて気は金輪際ありません! 夫以外の誰にも触れさせるつもりもないからこそ、肉体の切り売りを願い出たのですから。やっぱり、いっそのこと、この身を、肉体を切り刻んでおくれなさい。」
 と女は自ら、大まな板の上に再び仰向けに横たわってしまった。
 思わぬ勘違いに罵られた旅人は言葉もでず、むしろそれに怒ったのは店主の方で、縁もゆかりもない旅の旦那に助けてもらいながら、何ていいがかりつけやがる。こうなっちゃ、もう誰が何てったって聞かねーぞ、と啖呵を吐き捨て、大包丁を高く振り上げ、止める旅人を蹴飛ばし、渾身の力で女の裸体に叩き下ろしたという酸鼻譚。

 【 黒石評 】実に壮烈無比凄惨無類の話だ。こういう方法で身を殺し、貞操を完うする婦人は、今日はもとより昔の支那にも滅多にあるものではない。

 

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 黒石の些かクールな評だけど、話の冒頭で、“ 今でも ”と当時昭和初期の頃の中国の文字通りの人身売買の状況にちょっと触れている。
 幼女が10米国ドル、7歳くらいの男児は20ドルあたりが相場で、他の小動物と一緒に道端に並べて売られているという。いわんや飢饉旱魃の時節においてをや。
 いづこの国でも似たり寄ったりの、とりわけ子供たちの惨状ではあるが、なかんずく中国は世界に冠たるグルメ国、その奢侈の極みなのか、あるいは遥か後期ネアンデルタール世紀の遠い記憶のグルメ故の残滓的発露なのか。 
 飢饉旱魃時は西も東もゾンビー映画さながらの百鬼(昼)夜行はもはや常識だけど、日本でも天明の大飢饉の折など、道端や河原に流れ着いた屍体から始まり墓をあばき出すに到り、あるいは、わざわざ指を串に刺して焼いて食したりなんてあったらしい。指の串焼きってまともに考えるともう単なる食材扱いから美味志向まであと一歩って趣きすら窺えて、非常事態的食人が常態化してしまうと、今度は美味の追及に流れてゆくという人間の性すら垣間見えてしまいそう。
 中国美食道的探求とは正にそれなんだろう。
 天明の飢饉の極みは、死にかけた自分の母親を担保に隣人宅の屍肉を分けて貰うという、もはや流通貨幣と化してしまった例に尽きるだろう。(《 医療としての食人 日本と中国の比較 》吉岡郁夫 )
 
 尤も、人身売買って、食肉とは別途に流行りの言葉で言えば薬膳的素材としての、つまり漢方的・習俗的(=民間療法)薬的素材としての意味もあるだろうし、魯迅の《 薬 》を待つまでもなく中韓日じゃとっくに昔からポピュラーで、昨今は“臓器移植”なんて科学的医療の体裁すらとってもっと直接的なものとして流布している。

 

 因みに、ネアンデルタール人の共喰いが始まったのは、地球の環境が、丁度現在の我々が置かれているのと相似な、むしろ将来を具現したように、温暖化が進んで沿岸地帯が海に沈んで生態系に劇的変化が生じ食料難を来たしたからってことらしい。
 ネアンデルタールの異種との交配が進み始めたのも同じ頃という。現代の我々のDNAにも彼らのDNAが混じっているってのが言わずもがななんだろう。

 

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 ( 巻頭のスイス・チューリッヒの操人形劇団の特集。「操人形」解説までふされていて、二十ページ近い写真も載せてある精力ぶり。人形の顔  がグロテスクなところでの特集なのだろう。)

 

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2019年7月20日 (土)

 映画『 血と霊 』への仮構的アプローチ 《 1923 溝口健二『 血と霊 』 》佐伯勉

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 以前、四方田犬彦が《 大泉黒石と表現主義の見果てぬ夢 ――幻の溝口健二『 血と霊 』の挫折――》(月刊新潮 2015年9月号 )で言及した、映画《 血と霊 》のフイルムが現存しない故の当時のあれこれの記事・写真から再現してみようとするパルテノン多摩でのプロジェクト、その監修を務めた溝口の研究家らしい映画評論家・佐伯勉の1991年に著した《 1923 溝口健二『 血と霊 』 》。

 

 映画関係のシリーズ“ リュミエール叢書 ”の第11巻。
 タイトルから一冊全部、映画《 血と霊 》に言及したものかと決めつけていたら、その前史としての当時の演劇・映画界の状況の概括からはじまってて、映画《 血と霊 》の再現的アプローチは実質半分にも満たなかった。
 そもそもフィルムが当時、関東大震災で焼失し、そんな遠く平成・昭和・大正という三時代も前の事柄ゆえに、当時観た人達の情報も僅少・曖昧、残存する写真・評論の類に依拠するほかないのだからそんなものなんだろう。
 ただ、前史たる当時の映画・演劇界的事情を見ていると、黒石を中心とした例えば辻潤、そのかかわりとしての舞踊家・石井漠、あるいはむしろ《 浅草オペラ 》なんかの名なんかが出てきて、興味を惹かれた。
 
 
 「 この人( 辻潤 )も浅草で活躍した一人である。むしろ高田保( 浅草・新国劇の劇作家 )をリードする立場にあり、自分で原稿を書いたり、下手な芝居に出演したり、それなりの浅草では有名な存在であった。」
   
                                                                                       《 ダダイズム 》石井立夫

 

 

 元々辻潤が演劇関係に係わっていたのは知ってはいた。
 けど、てっきりちょっと舞台に出てみるだけのお遊び程度と決めつけていたら、そんな浮薄な質のもじゃなくて、けっこうそれなりに演劇に入れあげていたのには驚いてしまった。そんな辻と、黒石、盟友なのか腐縁なのか。

 

 

 「 彼(=黒石)がまだ浅草の山平社時代に、公園でバットの屑を拾い歩いたり、草担ぎをやったり、一山百文のドラマを書いて五九郎に売りつけたりしていた時代からの知己で 」 ( 曾我廼家五九郎 : 浅草演劇の雄でもあり喜劇映画の売れっ子でもあったらしい。)

 

                                                                          陀々羅行脚《 絶望の書 》辻潤                             
             
 そして自らも、

 

「 昔、尾上松之助の芝居を、一日百枚書いて十円貰って、ほんとうに、みっともなへいほどお辞儀をしていた時分 」

 

    《 刺笑の世界から 》大泉黒石

 

 大正末に黒石が、《 中央公論 》でセンセーショナルな作家デビューする以前に、尾上松之助や喜劇の曾我廼家五九郎の脚本を書いていたとはつい最近まで知らなかった。
 映画《 血と霊 》に至るまでの、とりわけ映画《 カリガリ博士 》以降、当時の一大現象だった“ 表現主義 ”をめぐるこの国における映画・演劇界はたまた舞踊界までの様々な試行錯誤ではあるが、唐突に黒石にそのお鉢が廻って来たという訳じゃない細い糸でのつながりってものが、むしろ了解できてしまう。

 

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 大正の映画雑誌《 活動雑誌 》( 1923年九月号 ) の“ 映画物語《 血と霊 》”という6ページにわたる特集記事や当時の映画雑誌や新聞・雑誌の映画評、現存するスチール写真、あるいは関係者の記憶的断片を元にしての筆者・佐伯なりのイメージ的再現。

 

そもそも黒石はあくまで原作者で、それもこの映画のためにホフマンの《 スキュデリー嬢 》を基にした翻案物。監督の溝口健二が脚色し、《 カリガリ博士 》での意表を突いた不安神経症的な怪異な表現主義派的舞台装置を美術の亀原嘉明・久保一雄・渡辺造酒らが担当し、撮影が青島順一郎。
 制作は、1923年6月~7月。大正12年8月15日葵館で試写。9月1日関東大震災。

 

 

 写真(スチール)は全部で17枚。
 映画とタイアップした黒石の短編小説集《 血と霊 》大正12年(春秋社)の巻頭にもない、ネットでもあまり見たことのない写真が結構あって驚いた。映画関係者だけあって、あっちこっちから掻き集めてきたんだろう。
 “ 映画物語《 血と霊 》”は、映画の流れを簡単に活字化したもののようだけど、その現物が提示されているわけでもなく、佐伯の提示する断片を見るしかない。
 18片のシーンによって構成され、流れ的には黒石の小説と大差ない。
 けど、佐伯は不満をこぼす。

 

 

 「 映画物語を読む限り原作にあった鳳雲泰の内面の分裂の苦悩など何も感じられない。」

 

  「 映画《 血と霊 》の重点が鳳雲泰の内面描写には無かったと結論づけていいのかも知れない。」

 

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 その上で、当時の批評の一つ、《 キネマ旬報 》の批評に触れる。

 

 

  「 むしろ内田岐三彦が『 物語の筋は不思議な殺人事件を中心とした大変面白いもので』( 《 キネマ旬報 》1923年12月1日号『 主要映画批評 』)と書いているように、映画の物語面での面白さは、怪奇的な殺人をめぐる秘密を解き明かしてゆく謎解きの面白さにあったと言えよう。」

 

 

 という“ 怪奇探偵物 ”としての評価。
 総じて期待された“ (国産)表現主義派映画 ”という肝心の面じゃ余り芳しくなかったようだ。当時の異口同音な映画雑誌や新聞の評論やコメントが並べられている。監督・溝口の脚色の拙さと、そもそも出演俳優たちやスタッフ自身が“ 表現主義 ”をまず理解していない点がやり玉にあげられている。
 でも、外来のニュー・ウェーブなんてどの時代でも大差はない。
 その時点でどんなものを創りあげれたかってところが肝心なのだし、未消化であったとしても、種々様々な違和・錯誤があってもその有機的連関・総体のダイナミズムが、やっぱし面白いはず。
 文部省・教科書的な正誤表的価値判断は余り意味を持たない。
 尤も、原作者・黒石自身も、“失敗作”と断じ、何よりも表現主義に対する理解の無さを嘆じつつ、舞台装置にはそれなりの評価をしていたようだし、次作の、《 絨毯商人 》で挽回を期してもいたようだ。
 
 制作側のアプローチの端的な例が次の髪結の回想であろうか。

 

 

  「 昔表現派とでもいうのでしょうか。/ 故人溝口監督が《 血と霊 》という映画を作りました。監督さんの注文が『 おびえた頭 』『 恐怖の頭 』という具合には困りはてました。絵にでも描いてくれるならともかく、言葉だけの注文ですから話のほかです。結局雀の巣のような頭を作ったことを覚えております。」
      
                                               ( 結髪を担当した亀田(伊奈)もとの回想《 髪と女優 》伊奈もと )

 

 

 大泉黒石+溝口健二=映画《 血と霊 》の実像に迫れると思っていたのだけど、何たって関東大震災の直前に作られたせいで、まともに上映すら行われることもなくフィルムが失われてしまったという状況からしたら、まあ、そんなものかも知れない。
 既に大泉黒石の原作を読み、それに関する二、三の論考まで読んでいる者としては、特に目新しい何かがあった訳でもないものの、未見の幾点かの映画スチールが映画の空間的イメージの雰囲気を大体了解させてくれた。

 

 

 

                           1923 溝口健二《 血と霊 》佐伯勉 ( 筑摩書房 ) 1991年

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