旅先の映画 : 燦然と輝くボリウッドの神々 1
確か<HUM>であったと思う、僕の記憶にある初め
て本場インドで観たヒンドゥー映画は。
が、実際はちょっと前に同じニュー・デリーのコ
ンノート・プレイスで他のを観ていたのかも知れ
ない。
ともかく、このメガ・ヒットと云われる<HUM>が
一番印象に残っている。
「ボンベイ、・・・」
というナレーションで始まるボンベイの港を舞台
にした単純アクション物だが、今DVDを観直し
てみても何か活気があって遂最後まで観てしまう。
映像は現在の映画より荒いが、野郎ばかりめいっ
ぱいの群舞なんかでは逆にバイタリティーに溢れ
迫力がある。
アミターブ・バッチャン主演で、タイガーと呼ば
れた彼の歳の離れた兄弟として小太りゴビンダや
あのラジーニカントも共演していた。
DVDのクレジットでは見られないが、映画ではラ
ジーニカントのところで、例の「スーパー・スタ
ー」というのが入っていて、あれっ、スーパー・
スターといえばアミターブの事でしかないだろう
に、何故ラジーニなんとかいう脇役にそんな冠詞
がついているんだと、まだ彼が南の雄であること
を知らず怪訝に思っていた。
ジュマ、ジュマ、デー、デー・・・のリフレイン
が、コンノートの映画館周辺の映像とダブッて記
憶に残っている。当時、メイン・ストリート(パハ
ール・ガンジ)のあっちこっちで流れていたように
も思えるが、定かではない。
ひょっとして現在でも同じかも知れないが、当時
劇場の中にショルダー・バッグの類は基本的に持
ち込み禁止で、入れなかったこともあった。その
頃はまだ、ちょっと後(ヒンドゥー教徒が、遙か以
前ヒンドゥー寺院だった跡に建てられたイスラム
寺院を占拠し破壊した事件:その後、インド中で、
イスラム側の爆弾テロが続いた。メイン・ストリ
ートも夜間外出禁止令が出ていたらしい。その頃
僕はネパールに移動していて、新聞で初めて知っ
た)みたいに、爆弾事件が頻発していた訳でもな
かったはずだが。
このHUMの音楽が気に入っていて、後に隣国・
パキスタンのペシャワールのテープ屋で手に入れ
ることが出来た。パキスタンでも、インド映画は
ビデオで観れ、大判の綺麗なポスターも売ってい
た。頂度、マドーリ・ディキシットが絶頂の頃で
パキでもシュリ・デヴィ以上に人気があるようだ
った。
シュリ・デヴィと云えば、ペシャワールにまだカ
イバル・ホテルが在った頃、旧市街のパターン人
宿に住んでいたアフガンのダーリー語専攻の口実
語学留学生の日本人青年の部屋で、レンタル・ビ
デオをカイバル・ホテルの同居人達と一緒に観た
事があった。
紅一点の娘のリクエストがやはり最優先され、彼
女が、大のシュリ・デヴィ・フアンだったので、
これもメガ・ヒットらしいシュリ・デヴィ主演の
<チャンドニー>の上映と相成った。
このテーマ曲もインドの巷で頻(よ)く流れていた
と思う。
チャンドニー、チャンドニーと曲に合わせて唄い
ながらその娘はやたらのりまくり、インド映画初
めての旅行者すら取り込まれてしまって、ある種
の新興カルト教団の集会の様相を呈していた。
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