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2007年10月 2日 (火)

フンザは今日も晴れだった (フンザ・イン 2): カリマバード

20070711104314

中国からフンジェラール峠を越えてカリマバードのハイダル・ベグ氏の《フンザ・イン》に、僕等がチェック・インして四、五日した九月八日、朝から小雨が降り始め、翌日も篠つき続けた。
その夜、斜面のドミトリーの屋根の固めた泥が溶け始め、どんどんと雨漏りがひどくなって、全員レストランに移る。更に他に移ったような記憶もあるが、定かではない。
フンザ地方は降雨量が少ないので、日干し煉瓦や泥を固めたような物でも問題はなかったらしい。何しろハイダル爺に云わせると、「生涯で初めての経験」らしく、未曾有の大雨であったのだ。僕等にとっては、たかだか二日ほど小雨が続いたぐらいでしかなくても。
夜中慣れない場所で寝たからか寝付けず、真夜中にふと外に出てみると、雨が雪に変わっていた。

その長雨のせいで、早速カリマバード―ギルギットの道路が不通、フンジェラールに向かう道路も寸断という事態に陥り、カリマバードは陸の孤島と化してしまった。
インダス川中・下流域ではギルギットを始め、大洪水という。
一緒の夏休み利用の学生達が慌て始めた。
帰路の便が既にフィックスされている者も少なくなく、その上電話事情も芳しくなかった。

カリマバードの端まで歩いてみると、アスファルト路の崖側の部分に亀裂が走っていて、インダス川の対岸の崖が崩落し土煙をあげていた。思い出したようにあっちこっちで土砂崩れの轟音が不気味に轟き続けた。やがて、それは日を追うに従ってダイナマイトの爆発音に変わっていった。

カリマバードーススト間で崩れた道無き道を渡ろうとして白人女性だったか落石で死亡したという噂も流れた。
スストから三日もかけて遣ってきた日本人の話では、カラコルム・ハイウェイはめちゃくちゃに寸断され、四、五メートルの岩が道路の真ん中に転がっていたという。

水道すら使えなくなり、仕方なく皆でウルタルの麓まで空のペット・ボトルを何個も持って水汲みに行った。
一週間ぐらいして漸く蛇口から水が出るようになった。泥が多かったものの。

学生達は単位を失う事を懼れ、無理してギルギットの方に下っていったが、日本人の事故があったという話は聞いてないので無事下って行けたのであろう。
カリマバードは二日の雨だけで、後は青空の下、のんびりと普段の生活に戻り、テレビやラジオの"フロッド、フロッド"と喧しい下界の洪水騒ぎなんて全く別世界の事柄でしかなかった。

二回目の《フンザ・イン》滞在の時であったか、
背後のウルタルでは時々遭難者が出、何人もの日本人登山家が死んだりしていたのだが、登山家とはお世辞にも云えぬ、我が《フンザ・イン》のパッカーに、一人、あわやその遭難死者名簿に載りかかった者が出た。勿論、白雪頂いたウルタル峰なんかではなく、その遙か下界の麓、地元の子供達ですら頻繁に行き来しているウルタル氷河辺りでのこと。

ある日、同じ斜面のドミの泊まり客が、昨日の夕方からウルタルに向かった同室の日本人が戻って来ない。ひょっとして遭難した可能性があると、僕等に心配顔で訴えた。
早速ハイダル爺に伝えると村の者に伝えようと肯ってくれた。
勝手の分からぬ泊客なんぞの出る幕ではないと僕等は待つことにした。
が、ハイダル爺に訴えた時居合わせた白人達の幾人かはそうではなかった。早速ロープなんぞを手に捜索に向かっていたのだ。
ひょっとして彼等は山に慣れていた者達かも知れなかった。
それでも、必ずしも特に親しくはなかったであろう日本人の捜索、果敢且つ迅速な対応に思わず僕等は頭が下がった。

僕等は殆ど諦めかけていた。
とうとう何人か目の日本人のウルタル遭難者がこの《フンザ・イン》から出てしまうと。
やがて、地元の捜索隊が戻って来たという報が入った。
地元民の背に背負われて件の日本人遭難者が戻って来た、と。

彼は未だ学生であった。
短くカットした頭髪に半ズボン、サンダル履きだったかどうかもう忘れたが、ミネラル・ウォーターだけは持っていたらしい。
夕方(一番の禁止事項だろう)、近いからと軽い気持ちでウルタルに向かったと云う。
帰途、暗くなって足下が定かでなくなり、足を滑らし崖下の段差に落下、大した高さではなかったものの、足を痛め歩けなくなった。例え歩けたとしても暗闇で山路は歩けはしない。
その段差は窪み状になっていて、その奥に寄りかかり、ペット・ボトルの水で何とか露命を保ったらしい。途中小雨も篠ついていた記憶もあるし、夜は少々じゃないくらいに寒かったはず。軽い凍傷にはなっていたのかも知れない。
この件は、余りにも不名誉なため、彼のためにも外部には漏らさない方が好いのではないかと、最初に彼の行方不明を訴えた青年が云い、そんな仰々しい事かなと首を傾げたものの、魑魅魍魎の跋扈する昨今、何が機縁で何が如何なるか分かったものではなく、皆肯った次第。
けど、もうあれから十数年、知られざる《フンザ・イン》史の封印も解かれていいのではないかと。

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