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2007年10月 2日 (火)

バリのアプサラ (ウブド)

20070701160852

あれはジャカルタで暴動が起き、華橋・中国系の住民が襲われたりして大騒ぎになってまだ幾らも過ってなかった98年の夏頃、一度っきりであったが念願のバリ行を果たした。
若い娘達で溢れ返っているはずの芸能村ウブドの通りには閑古鳥ばかりが人待ち顔に侘びしくさえずるばかり。
知人に聞いた宿も15000Rp(インドネシア・ルピヤー)から25000Rpに跳ね上がっていた、と云うと語弊があろう。1$=14000~ 15000Rpに暴落していたのだ。
宿のボーイのワヤンの言によると、暴落前までは月に100000Rpで生活でき、残りは貯金すらできていたのが、今では月300000Rpは必要となり、逆に貯金を引き出さねばならなくなったらしい。
暴動の余波で外人観光客が文字通り激減し、ホテル等の従業員も可成り失業したという。

宿は前に青い田んぼが拡がったバルコニー付の広い部屋でホット・シャワーどころか、バス・タブまで付いていて、朝食付き。
毎朝、ワヤン手製のそこらのにわかレストランより美味いパン・ケーキなんかを運んで来てくれた。ドミだ狭いシングルだにすっかり馴染んでしまっているパッカー達にとって、バリは正にインド洋に浮かんだ楽園であった。

夜は長年是非直に観てみたかったバリ舞踊三昧。
有名処の歌舞団の生演奏・舞踊を、たった一ドルで観れたのだ。
それも常時早めに行って前の席を確保し、あるいは椅子席より前の舞台の真下に坐りかぶりつき。有名なジュリアティyuliatiやビダニーbidaniなんかの舞う姿を間近で観れた。只、かぶりつきは余りに舞娘達に近過ぎてもろ視線が会うことも多々あり、互いに視線のやり場に困ってしまい喜んで好いのか悲しんで好いのか嬉しい困惑も。
グヌン・サリ、ティルタ・サリ、サダ・ブダヤ、スマラ・ラティ、メカル・サリ、グンタ・ブナ・サリ等殆ど毎晩通い続けた。

石造りの神社の境内で月や星、刻々と流れ変容していく雲なんかを背景に観る演奏と舞に勝るものはなかった。

会場には大抵地元の娘達が小遣い稼ぎなのかポリ・バケツに入れた飲物やスナックを売りに来た。顔ぶれは大体同じで、ボルことをまだ余り知らない八歳ぐらいの小娘から瓶コーラを何時も買っていた。2000Rp。売娘の中にはジュリアティの同級生も居た。
その同級生だったか誰だったか、ある夜公演が終わった帰り道、僕の前をその娘が空になったポリ・バケツを片手にてくてく歩いていた。と、その娘が自分の家らしい商家の敷地に入った。ふと見ると、可成り売れたのか満面に笑みを浮かべさも自慢げに片手の札束を家族にみせていた。何とも無邪気なものであった。

頂度この頃、14歳の舞姫ジュリアティは長年有名馳せたレゴン・ラッサムの舞の要チョンドンの役を卒業し、脇のレゴンの方を舞っているのを一度観た。これは何とも侘びしいものであった。一ヶ月近く観てきた彼女の艶やか且つ華麗なチョンドン舞が焼き付いていただけに。
一方妹のビダニーの方はもはやティルタ・サリの押しも押されぬチョンドン役として美麗な舞を披露してくれていた。

時たまジュリアティの家族が営っている宿、《ジュリアティ・ハウス》の前にある《Rizka Cafe》で過ごすことがあった。直ぐ脇に民家が有り、そこの家族がオーナーのようで、その家の娘とジュリエティ、ビダニー が同じ学校らしく、ビダニーが白いブラウスに紺のスカート、白い長めのソックス、スニーカーのいでたちで現れ、ポッキーをむしゃむしゃ食べながらその向かいの友人の家にさそいに行ったり、三人で学校から戻って来ているのを眼にしたこともあった。
二人の追っかけ連中はその《ジュリアティ・ハウス》に泊まるらしい。大半が日本人という。実際会場で見掛ける日本人が出入りしているのを頻く見かけた。

当時はまだデジ・カメやDVではなくハンディー・カムの時代で、日本人の少なからずがビデオに収めていて、国内には相当彼女達の舞の映像が潜在しているはずだ。
如何いう訳か、ジュリアティやビダニー、否彼女達以降の舞娘達の映像がビデオ・カセットやDVDに結晶化するってことがない。商品化する事自体に何か問題があるとしか考えられない。何でもかんでも商品にしてしまう現在、普通ならとっくに売られているだろう。
バリの人々のそういう風潮に対するささやかな抵抗なのであろうか。古いVCDは有るようだが。

サイトで以前ビダニーの短いチョンドンのを観たことがあったが、今はもうなくなったようだ。何しろ、舞踊なので、動画じゃないと意味がない。YOUTUBE幾ら捜したって見つからない。
まあ、NHK教育のインドネシア語講座に出ていたので、そのDVDを観れば好いのだが、もう二十歳過ぎて、過日の褐色のアグン山と奥深いバリの森から顕われたプリメリアの妖精の如くの妙艶さはさすがに色褪せてしまっている。舞踊家としては益々磨きがかかってゆくのであろうが。DVDを観ると、ティルタ・サリのレゴン・ラッサムでまだレゴンを演っていて、もはや彼女の定位置となったようだ。本来的には、侍女チョンドンより、レゴンの方が重要な役割なので、それはまたそれで好いのだろう。ジュリアティがレゴンを舞うことで、又別様の見方が出来るようにもなるからだ。

僕はビデオカメラまで持って旅する気はなく、嘗ては一眼レフまで持っていたものだが、やっぱり邪魔で、壊れてからはコンパクト、そしてデジ・カメ。この頃カメラの調子悪く、肝心の時になると作動しなくなったりで大した写真残せてないのが、何とも悔やまれて仕方がない。それにしたって、ウブドは、やはり思いで深い。
ジュリアティもビダニーももう教える立場になっているようだ。ワヤンは日本娘と結婚して日本に居るらしいが、他のバリの人々、一体どんな生活送っているんだろう。現在じゃ入場料55000Rp~80000Rpという。

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