イラン コジャー・ミ・リ(何処行くの)
最近のイランは如何なってるんだろう。
僕が最初にイランを訪れた時は、まだ、パキ同様ノー・ビザであった。 バンコクからカラチ経由で入った。
同じ飛行機に、スカーフにレインコートの清楚で美麗な娘が乗っていて、旧い使い古したカメラ・バッグを肩から提げていたのが印象的であった。髪はブロンド系。アゼルバイジャーンであろうか。
テヘランでは、バンコクでコックをしていたアリ氏の実家に世話になった。街中の間口の狭い三階建て。久方振りの家族の再会で、彼の弟も涙を流して喜んでいた。イラン人はまだ家族的絆が強く純情なんだなってつくづく思わさせられた。家族は僕も歓待してくれ、マシュハド行きのバス代すら払ってくれた。まさか、イラン初日から庶民の民家に泊まる羽目になろうとは想像だにしてなかった。
アフガン国境近くの聖地マシュハドでは、街中で知り合った旅行エージェント氏の家にやっかいになった。
彼の家にタクシーで向かう途中、執拗に僕の肩に腕を掛けてくるので、僕はそっちの趣味はない旨伝えやんわりかわすと、彼も大人で、二度とそんな挙に出ることはなかった。彼の老いた母親と二人の小さな中庭つきの家には二、三日泊まった。
彼は以前はレスリングをやっていたらしく、イランの古式レスリングのジムにも連れて行って貰った。彼はホメイニー体制に批判的で、長いチャドルは埃やなんかを引き摺ったりして不潔きわまりないと嫌っていたし、チャイを飲む時イラン人が氷砂糖を一緒に囓ったりする風習をイラン人に多い糖尿病の元凶だと批判していた。
シーラーズでは宿は普通の安宿に泊まっていたが、ある学生にペルセポリスに連れて行って貰った。彼は昼食用の豆の缶詰すら持参していた。そしてそれをペルセポリスの他に誰も客の居ないレストランで、皿とスプーンを持ってこさせ、チャイぐらいしか注文しなかった。レストランでそんなんで大丈夫かいなとこっちが気にしてしまったが、当の学生はこれが当たり前と云わんばかりに堂々としたものだった。その少し大きめの豆は薄く甘味がついていて仲々美味かったのを覚えている。
で、彼の家族が住んでいるアパートに案内されたが、彼は中産階級の様で、マンションといった趣。室内に入ると、一人若い十代中頃の娘が勉強していた。彼の妹らしく、ぞんざいにこんな処で何してるんだと云うと、連れの客が居るのを知って、慌てて隣室に駆け込んだ。そういえば彼もイケ面だったが、その妹も可愛い美人で、一緒に話でもと思ったものの、イランでは御法度。
彼の母親はもろ中産階級然としていて、あっちこっち海外旅行をしてきたらしく、中国だけは絶対二度と行きたくないと露骨に顔を歪めた。北京の胡洞あたりで漂ってきた糞臭に怖気をふるったようだ。
何しろ二千年以上前のペルセポリスには下水道が張り巡らされていたお国柄であってみれば、当然の事かも知れない。
彼は自分は純粋のイラン人と自負していた。ペルセポリス=ザルトーシュト(ゾロアスター教)の「アフラマズダー」を何度も繰り返していた。胡乱なことに僕は、彼がゾロアスター教徒なのかどうかを確かめることをしてなかった。インドにはイランから移民してきたゾロアスター教徒(パールシィー)が結構居るようだし、ボンベイの中心地なんかそれをあしらったビルを見かけたこともある。
その後何回かイランに行ったけど大体僕が会ったイラン青年の大半は一応に聖職者を嫌っていた。タブリーズのある青年なんか露骨に前を歩いている聖職者を指差して、
「He is a Badman!」
と罵った。彼の父親は元「将軍」ということだったけど、彼の一人住まいの下宿は貧相で、彼に言わせると、
「イランの軍隊には将軍なんて腐るほど居る!」。
一度だけその鼻髭を蓄えた父親と遇ったことがある。尊大さなんて微塵もなく、初老の何か侘びしさすら感じさせる静かな人であった。
その彼に、吟遊詩人が表演するチャイ・ハネ=喫茶店に連れて行って貰った。四方の壁際に椅子とテーブルの並んだその店で、中年太りしたトルコ帽みたいな帽子を被った親爺さんが、イラン語で延々と何か云いながら、時々、拍子を取るように、「神は偉大なり」「ホメーニー万歳」と客も唱和するのだけど、青年の中には結構嫌な顔をする者も居た。
イラン人の家に泊まれたのは最初の一回目だけ。
二回目以降は、僕の形(なり)がバック・パッカー然としてきていて警戒された可能性もあるが、ビザ=移民労働のギクシャクした関係が影響してもいたのだろう。
テヘランのヒルトン・ホテルの上階にあるフランス・レストランに一度前年来たことがある日本人と連れだって昇ったことがあった。
ヒルトンのレストランなんて今後ももうないだろうと後学のために
と同道したのだが、まぁ、こんな処なんだなーと予想通りの佇まい。広く高い窓硝子の向こうにテヘラン市内が一望できた。
前年彼は他の仲間と一緒に、安いイラン・リアル料金で、向こうから散発的に弧を描いて飛んでくるイラクのミサイルが街中の何処かに落ちてゆくのを眺めながら、フレンチのコースに舌鼓を打っていたと云う。フレンチ・ワインの肴の如く。
確かに、堕落したブルジョアジーの趣。ヨーロッパ映画の一光景を想わせる。
イスファハンのオールド・バザール
当時あっちこっちに見られた朽ちた一角。
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