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2007年11月13日 (火)

雨林居 蒼山下の中国揺滾的根拠地

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蒼い峰々をかすめるようにして白い雲が次から次と下方の
アルハイ湖にむかって流れてゆく、雲南省・大理の古城市は、
俗化されたと嘆かれ始めても尚清々しく、そして歴史を感じさ
せる佇まいの町であった。
 
 メイン・ストリートの復興路から一本奥に入った博愛路、
日本人御用達の《菊屋》や《ヤク・カフェ》等が軒を連ねたその通り
に、外にもテーブルを並べた《雨林居》というカフェが在った。
 《菊屋》や《ヤク・カフェ》等が本来外人向けの店であるのと違っ
て、否、元々はやはり外人向けであったかも知れないが、専ら地元
の若者達の溜場になっていた。薄い中国の様々な雑誌も棚に
備えていた。

 僕が足繁く通うようになったのは、備え付けられた大きなスピー
カーから、中国揺滾(ロック)が流れているからだった。
 一応英語のメニューは有った。日本人向けの品目も。
けれど、そこのオーナーの小天自身が、もどき日本料理を、何故
こんなものが美味いんだ、と首を傾げるくらいの、味は今一の店
であった。尤も、僕も二度ほど御相伴に預かった彼等が食べる料
理は、チャイニーズで、十分に美味かった。

 小天は漢族地域からこの地へ新聞か雑誌の仕事で赴き、すっか
り大理が気に入ってそのまま居着き、中国揺滾の歌手志望だった
らしく、店の中でも定期的に他のメンバーとバンドを組んでボーカル
として唄っていたらしい。残念ながら、僕は一度も聴くチャンスがな
かったが、道端で、時折立ち止まっては何か小声で叫んでいるのは
幾度も目撃した。
 その内、ラサで音楽活動をするような話を興奮してしていた。その
為にか、店を彼女に任したような事も口にしていた。
 近代中国の詩人・徐志摩を好んでもいたようだ。文革の頃な
ら吊るし上げられ自己批判を強いられたであろう。

 崔健、ドーウェイ、黒豹、唐朝から張楚、地下嬰児、輪廻等
種々様々な中国ロックのテープが並べてあり、入口の棚に、手
製の中国揺滾アルバムやミュージシャン紹介のファイルまで置
いてあるのめり込み振り。僕にもブロークン・イングリッシュ
と筆談であれこれ教えてくれた。
 
 只、実際は、私見した処、殆ど小天の思い入れと相異した空
回りの趣で、《雨林居》を訪れる地元の若者達は、むしろ香港のビ
ヨンド等のおよそロックとはほど遠い代物ばかり。十代の娘達はそん
なビヨンドの眠くなるような曲を<改革開放>西側からの自由の風とば
かりに嬉しそうに一緒に口ずさむのだった。
  崔健の《紅旗下的蛋》なんかのハードな物でも大音響で流そうもの
なら、罵りながら逃げ出しかねなかった。大理に、まだロックは早かっ
たのだろう。彼もそれは十分に分かっていただろう。で、ラサだったの
かも知れない。
 その後如何なったのか、今でもまだあの通りに在るのか如何かも、
定かでない。

China_rock

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