TTゲスト・ハウス雑話(1)
バンコクのチャオプラヤ川沿に走るチャルンクルン通りと交差したシープラヤ通りに、ケーオ・チャムファー寺があり、その脇の路地を少し行くとTTゲスト・ハウスがある。
最初にTTに泊まったのは、カルカッタのパラゴンで一緒だった学生に連れられて行ったからだが、妙に込み入った一角にあって、外出して戻るのに苦労した。現在のTT(Ⅱ)は、別館と呼ばれ、TT(本家)がフルの時に廻され、あそこは狭いと評判は今一であった。
本家TTは、リビング・ルームも広く、テレビも観れ、白人日本人比率も半々か白人の方がやや多かった。勿論、その時によって変動はあるだろうが。
しかし、何年かして、都市高速道路建設の為にそこら辺一帯軒並立退きになり、やがて凡て更地にし高架道路が頭上に造られ始めた。で、TT(Ⅱ)が本家になってしまった。
ここは、客が少ない時は好いが、多いと、たった4つしかテーブルがないので不便この上なく、テーブルに長居しているとレセプションのカウンター越しに厳しい眼差しを覚えざるを得ない事もあった。ところが、年々客が減ってゆき、狭いリビング・ルームを一人で占有できる事も多くなり、脚にじゃれる猫と、暇を待て余し新聞や雑誌を拡げたり、集まって何かを食べたりする女性スタッフ達の姿が目立つようになってきた。
このTTが何故それなりに人(日本人)に知られているのかというと、「旅行人」のバック・ナンバーが揃っているからだ。「旅行人」社が指定して送って来ていたらしいが、今現在如何なっているのか定かでない。
もう一つ、「旅行情報」ノート」が置いてあったからだ。一時、この分厚い情報ノートがなくなった事がある。盗まれたのだが、殆ど同時期にプノンペンのキャピトル・レストランでも情報ノートがなくなっていた。恐らく同一人物が盗んだのであろう。TTの方は戻ったという話であったが、一日二日ではなく可成り長期であったのであれこれ憶測も喧しかったであろう。
これは名称だけの問題に後に変わってしまったけど、最初有ったドミトリーが、一時無くなってしまったことがあった。
「チーパーなビジネスはやりたくない」
と若いオーナー家族の言であった。が、ドミ目的の客が減っただけで何の成果も上がらなかったのか、再び今度はドミとは云わず、三人部屋のベッドという扱いで復活。
洗い場は洗濯できる作りになっていて、トイレにシャワーが併設されていた。年月が過つにつれて、シャワー部品やドアの不具合が次第に多くなってきて、仕舞いにはベニアのドアの下部に張ってあったブリキの端がめくれ返って気をつけないと脚を切りかねなくなってしまった。いよいよ場末然としてきて、それで高い料金を払わされたんじゃたまった物ではない。
タイも一時は好景気に沸いていたのが忽ち元の木阿弥に戻ってしまい、
「我々は自分達が思っていたほどには豊かではなかった」なんて自嘲をバンコク・ポストか何かで読んだ記憶がある。やりくりが大変になってきての、若いオーナー達の試行錯誤だったんだろうが、すべからず閉鎖的・独善的過ぎ且つせこ過ぎ、客離れをしか結果しないのは自明の事柄。
ここは、7分ぐらいで、ホアランポーン駅やヤワラート(チャイナ・タウン)まで歩いて行け、中央郵便局も近いし、今ではその有難さは薄れたものの日本料理屋『花屋』の本店も直ぐ近くに在った地の利を名目に、料金はカオサン等に比べると割高。だから、カオサンみたいな騒々しい場所に泊まるのが嫌な旅行者が多少割高料金を払ってでも泊まる処なのだ。尤も最近は、カオサン自体が変貌してしまって比較的静かで瀟洒な建物も多くなり、とくにファラン(白人)達がそっちへ流れている可能性もある。
もう閉まってしまう、という噂も耳にしたこともあるTTゲスト・ハウスだが、それでも僕は、バンコクへ行けば、先ずそこに泊まるだろう。
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