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2008年2月の5件の記事

2008年2月28日 (木)

榕美茶室(クアラルンプール)

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マレーシアの首府・クアラルンプール、スルタン通り。
 高い天井に吊られた三台のファンの風が長居すると肌寒さすら覚えさせる。底にコンデンス・ミルクの溜まった紅茶を陶器のレンゲでゆっくりと何度もかき混ぜる。皿に載せられたジャムを塗ったトーストを熱いうちに囓りながら、薄暗く落ち着いた店内を見廻してみると、細長い室内に沿ってテーブルが七つ配され、奥にも小さな別室があった。前の壁にはギネスの日めくりカレンダーが掛けてあって、今日の日付が"2"と大きく記され、その下にSaturday星旗六、横にはJanuary1999一月とあった。
 珈琲、アイス珈琲そしてこっちのおやつの定番のようなトーストを頬張りながら家族が語らっていた。子供が嬉しそうにミロをレンゲで掬ってフー、フーやりながら飲み、インド人の親爺さんは一人でビール。
 左隣に中国系サラリーマンが坐った。短髪にノーネクタイのワイシャツ、メタル・フレームの眼鏡。トーストを囓り、グラスのアイス・ティーをストローで吸いながら英語のコンピューターの本を読んでいた。その内、小皿の油っこい目玉焼きに醤油と胡椒をかけスプーンで忙しなく幾度もかき混ぜドロドロにし、口元に小皿ごと持っていってスプーンで掻き込んだ。小皿の上に残ったギトギトした油も綺麗に胃の腑に流し込んでしまった。それがこっちの食べ方なんだろう。マレーシアの目玉焼きはタイと同様油で揚げるので油っこい。
 こっちの面白いのは、カップにレンゲは添えてあってもスプーンは付かない。スプーンは目玉焼きに付いてくるのだ。
 トーストとミルク・ティそして水をテーブルの上に並べゆったりと煙草を燻らせていた白髪の老インド人が、食べ終えたのか立ち上がりゆっくりと僕の前を横切って行った。七十歳ぐらいであろうか。
 中国系の店主が営っているこの《榕美》という喫茶店は、泊まっていた《利民旅社》の近くにあって、雰囲気が気に入り毎日通っていた。軒廊(カキルマ)の静んだ佇まいの中で、明るい陽射しに照らされた外の物憂い光景を眺めながら、甘~いコンデンス・ミルクのミルク・ティーをレンゲでチビリ、チビリと頂く特権的な時間は何物にも換えがたいように思えた。 トースト一枚RM0.6 ホット・ミルクティーRM0.9 
 ブラック・ティーRM0.8 (因みに1$=RM3.77) RM=マレーシア・リンギット

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2008年2月23日 (土)

あの鉄拳は何処? 精武英雄

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  霍元甲といえば、ちょっと前、ジェット・リー(李連杰)主演の中村獅童
が敵役?で競演した《霍元甲:スピリッツ》が記憶に新しいが、霍元甲の死因の真偽はともかく、彼の死後を扱った映画を想い出した。
  霍元甲の精武体育會から来たのであろう《精武英雄》というタイトルで、主演は同じくジェット・リー。これはしかし、1972年制作、かのブルース・リー主演の《ドラゴン怒りの鉄拳:精武門》のリメイクで、このオリジナルの方は時代を反映してか凡らゆる意味において面白い。
 二十世紀初頭の日欧米列強の帝国主義支配に一人敢然と立ち向かうというヒロイズムが、特にラスト・シーン、陳真(ブルース・リー)が、列強軍待ち構える外に、例の怪叫とともに一人決死の怒りの跳び蹴り喰らわさんと突撃する場面が圧巻で、やっぱり、任侠映画の高倉健が一人長ドス片手に多数待ち構える敵地に乗り込んで行くシーン以上のエモーションを覚えてしまう。如何いう訳か、あのブルース・リー主演でありながら、容易に、DVD屋の棚に見つけ出すことが出来ない、もはや幻の映画となってしまった、《ドラゴン怒りの鉄拳:精武門》、僕はブルース・リーの映画の中で一番好きなんだけど、ジェット・リーが再び陽の目を見せてくれた。それも、日本の詰襟の学生服まで着て。

 京都大学に留学していた陳真(J・リー)に、ひょんな事から、黒龍会の船越(倉田保昭)から師である霍元甲の死を知らされ、急遽帰国することになった。日本人の恋人であった光子(坂上忍)も強引に彼と一緒に上海に渡った。
 戻ってみると、何と師は日本の黒龍会分会虹口道場の柔術師範芥川と試合をして敗け死亡したと云う。愕然としながらも、沸々と怒りが沸き起こり、単身一人で虹口道場へ乗り込む。道場の門弟達を片っ端から叩き潰し、最後に師の仇である師範の芥川と対戦。しかし、これが大して強くもなく、陳真にあっさりと敗れてしまう。これはおかしい・・・こんな相手にあの師が敗れる訳がないと疑念を抱き、早速師の墓を暴き、医師に死因を調べさせる。果たして、毒殺であった。
 芥川が日本軍の長官・藤田(周比利)が対戦相手の霍元甲に毒を盛った事で自分のプライドが傷つけられたことをなじり、藤田に殺されてしまう。翌朝虹口道場前で芥川の死体が陳真の名が認められた張り紙とともに発見され、陳真は上海の警察に逮捕されてしまう。が、裁判で光子が犯行時陳真とずっと一緒に居たと嘘のアリバイ証言をし無罪釈放となる。やがて、藤田からの果たし状が、霍元甲の跡取り息子の廷恩(銭小豪)に送りつけられ、陳真と二人で藤田の元へ乗り込む事となる。図体ばかりデカくて弱い病んだ中国を嘲けた「東亜病夫」の扁額を持って、一人藤田は道場で待っていた・・・
 
 「東亜病夫」と上海租界の公園の入口に設けられた看板「犬と中国人は入るべからず」は、このシリーズの基本的キー・ワードである。
 
 サイトを見てみると、霍元甲毒殺説は怪しそうだが、J・リーの《精武英雄》の映画の方は定かでないが、DVDでは、冒頭に「本故事乃借一部分歴史事実而杜撰、如有雷同、実属功合」とある。
 しかし、これはあくまで映画なのだ。
 何としても、陳真の師・霍元甲は病死でも事故死でもなく、侵略者=帝国主義日本によって卑怯にも毒殺されたのでなくてはなるまい。エンターテイメントの常道なのだ。それであるからこそ、陳真に人は声援を送る。 Wiki Pediaによると、《ドラゴン怒りの鉄拳:精武門》の監督・羅維は陳真を生き続けさせたかったようだが、B・リーが陳真は何人も殺しているので死ななければならないと、あの時代のアメリカ映画の一つの傾向と同致した発想で押し切ったらしい。
 でも、悪辣で巨大な敵に、怒り憤激し爆発し一人敢然と立ち向かった陳真は、やはり壮烈な死しかない。それでこそ、一層ヒロイズムが掻き立てられ完結する。   
 日欧米帝国主義列強に一人抗すなんてあの七十年代のパッションから抜け出た中日友好的ムードの漂う九十年代の《精武英雄》では、嘗ての"往年の"敵役・倉田保昭が老獪な好人物として登場したり、陳真の恋人の日本人娘 まで出て来る。この映画、悪くないんだけど、今一つ盛り上がりに欠けるのは、そんな処にあるのだろう。

 陳真  ジェット・リー(李連杰)
 船越  倉田保昭
  光子  坂上忍
 藤田  周比利
  廷恩  銭小豪

 監督      陳嘉上
 アクション監督 袁和平
  制作 20世紀FOX  1994年

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2008年2月16日 (土)

バード&チンタラー《マー・タムマイ》雑話

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  《ナン・ナーク》のノンシー・ニミブット監督の2003年の映画に、未だに燻り続けるタイ南部を舞台にした《OK ベトン》というのがある。マレーシアとの国境の町ベトンで美容院を営んでいた姉が南部問題の列車爆破テロに遭い死亡してしまって、唯一の肉親である仏教僧タム(プーワリット・プムプアン)が呼び戻され、還俗し一般人の男として美容院の後継オーナーとして、少しづつ成長して行く姿を描いた佳作だ。
 長年の男ばかりの僧院生活から突如姉や娘と親しかった近所の旅行会社のイスラム系の美人スタッフ(チラナン・マノーチェーム)やクラブ歌手、美容院の女性従業員達に囲まれ、履き慣れないズボンや食べ物に四苦八苦するシーンが面白いが、姉の葬儀を終え、美容院に戻り、ソファーに座るシーンで、テレビから流れてくる映像と音楽が、バード・トンチャイとモーラム歌手チンタラーの大ヒットしたデュエット曲《マー・タムマイ》であった。
 劇中では、チンタラーのバック・ダンサーと似たような振り付けを踊る緑色の衣装を着た女達の前で、どういう訳か、マイクを片手にした幼い娘が、店の女達に下手な化粧をされ唄わさせられるシーンが、タムの抱いた悪夢的な想念として続くのだが、同年であったか、バンコクの定宿でチラッとテレビから二人の唄声が聞こえてきたのでフト観ると、コークのCMであった。バードはともかく、コカコーラのコマーシャルに、ルークトゥンよりもっとマイナーなモーラム歌手のチンタラーが出るとは・・・彼女のファンでもあったので、ぶりっ娘チンタラーも大物になったな~と隔世の感に暫し画面に見入ってしまった。
 別にバードのファンじゃなく、今まで彼がどんな曲を唄っていたのか全然知らなかったけど、チンタラーとの絡みで、同じく大ヒット曲《フェーン・チャー》やコンサートの、亦インターネットで観たイサーンの田舎を走るキャンペーントラックの《クン・マーク・ラ・ティク・チャイ》の映像が面白くて、あれこれ何枚か彼のVCDを買ってしまった。
 フェーン・チャーのコンサート・ライブのVCDは、あらゆる面で感心させられてしまうものであった。本当にバードは幅広い層に人気があるんだなーとか、スポーツ会場だけと思っていたウェーブとか、演歌歌手のコンサートのおばさん達が持っていそうな声援用のスティックとか・・・。
 でも、何故バードとチンタラーなんだろう?
 そして如何してあんなに大ヒットしたんだろう・・・これはタイ"住民"でない僕には手が余る問題だけど、仲々面白そうではある。タイにはそんなこの問題を分析したり解釈したりする評論家なんて居ないのだろうか?
 
 確かに、あの頃は、ポップス歌手がルークトゥンやモーラムの曲を唄ったりしていた。タイ・タナウットやパーン・ナカリンなんかも。
 その後、チンタラーのコンサートのVCD《サーオ・リーヤン・ピン》が出たので買ってみたら、彼女の声の調子の悪さもあって、散々な代物であった。チンタラーのVCDはそれまで何枚か持っていて気に入ってたけど、実際のモーラムのコンサートってあんなお座なりなものなのかと呆れてしまった。一緒に唄っていた訳の分らぬ男の歌手は最悪で到底プロの歌手とは思われない。あんなのと彼女は常時一緒に地方廻りをしてるのだろうか・・・チンタラーって所詮そんな扱いしかされてなかったのかとか、思わず同情とも哀れみとも知れぬ些か情けない想いに駆られてしまうVCDであった。

 それにしても、何故あんな物を敢えて商品化したんだろう。会社側の気が知れない。普通は没にしてしまうと思うけど、何しろ弱小モーラム音楽出版社なんなんだろうから、再度のコンサート・ライブの録画撮りするだけの予算がないのかも知れぬ・・・等と勝手に憶測してしまう。が、実際は、単にマアこんなもんで好いかって、ミー(マイ)・ペン・ライって処なのかも知れない可能性もタイなら有り得るだろう。
 何としても、まともなコンディションのチンタラーのコンサート・ライブのVCD観てみたいものだ。バードはあの後は、あれこれ色んな歌手とデュオしたりしてたけど結局元のバード・トンチャイでしかなく、僕の範疇外でてんで興味もないが・・・

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2008年2月 9日 (土)

アジアン風味 インドの茶(チャイ)

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チャイといえばインド。

 インドのチャイは基本的にミルク・ティー。水っぽい英国のミルク・ティーとは別種の濃いミルクと香料が特徴。(尤も、最近はそのインドのチャイも経済的な理由で水っぽくなったらしいし、且つ水の汚染も非道くなって随分と惨憺たる状況を呈しているようで、実に残念で仕方がない。)
 初めてチャイを飲んだのは、カルカッタのサダル近辺のチャイ屋。塀際に粗末な長椅子が並べてあって、現地人や外人旅行者達と一緒に、厚めのグラスで香料の利いた濃いミルク・チャイは、正にインド林檎以来連綿と醸成されてきた異国情緒=インドの味であった。大抵チャイ屋には、ガラス壺にクッキーの類が備えてあって、これがまた、香料の入ったのもあったりして結構いけた。
 奥行の全くない人一人が胡座をかくのがせいぜいくらいの横にほんのちょっと伸びた小さな店舗は、夜になると、彼等の寝床にもなり、寝袋で寝るように狭い板床や台の上で眠りに就く。確かに、インドじゃ人件費がかからないはずだ。
 眼の不自由な老爺が杖をつきながら前を通りかかると、常連らしき住民の男が呼び止め、手を取って傍らに坐らせチャイを注文したり、小皿にグラスのチャイを零しゆっくりと小皿から少し醒めたチャイを啜ったり、インド庶民の日常が同じ長椅子で同じ物を飲みながら感得できる場でもある。
 鉄道の駅の中にもチャイ屋があり、結構重宝した。シャー・ルーク・カーン主演の《ディル・セ》でも、冒頭夜雨の中、マニーシャ・コイララの歓心を買うためチャイ屋へ走るシーンがある。寝ていたチャイ屋を叩き起こし無理矢理二人分のチャイを作らせるが、持って戻った時には、彼女の乗った列車は既に発車していた・・・

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2008年2月 3日 (日)

アジアン風味  中国の茶(チャイ)

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アジアを旅していると必ず何処かで観かけ、亦口にするのが茶(チャイ)だ。茶の本場中国を初めて訪れた時も、早速上海空港近くのホテルの部屋に最近は色々種類も豊富だが、その頃はもうそれしかないようにジャスミン(茉莉花)茶のティー・バッグが茶碗と花柄ポットと一緒にテーブルの上に並べてあった。薄く容易に出ない粗末な代物で、それでも、これぞ中国風味と想像力を逞しくして美味しく頂いたものであった。
 
 砂漠の町カシュガルの葡萄棚の下の冷んやりした木陰のチャイ屋で、敷き詰めたカーペットの上に直に坐わり地元の白いあご髭の老爺やなんかと並んで、日本の旅館なんかで出す飲み口の広くなった形の湯飲茶碗で七彩の花柄をあしらった茶瓶から濯いで飲んだこともあった。茶の種類は定かでなかったが、何しろ雰囲気はもうシルク・ロードのオアシスのそれで、それだけで十分に堪能できた。
 あの日本の旅館や食堂なんぞで使用されている湯飲みって、日本に居るときは何ともムサい代物と馬鹿にしていたが、一歩大陸に渡ってみると、砂漠世界の住民達すらが使っている汎アジア的な形であることを知り、改めて見直してしまった。唯、国内の大抵の物は、やはりお座なりな代物が多く、大陸の方は観ているだけで、粗末な物であっても、何かしら趣が感じられる。路上の日蔭のあちこちに規模の違いはあれチャイ屋が点々と散在していて、カーペット一枚の見るからに腕白そうな少年が営っているチャイ屋もあった。
 広場なんかでは、大きな氷の塊が入ったホーロウの洗面器に濯いである冷えた茶を飲ませる店も有った。これは大抵テレビとビデオが備わっていて、ビデオを観ながらチャイを飲むというカンボジアはじめ東南アジアなんかにもある営業方式。昼真っから只見の子供達で溢れてたりしていた。

 上海の豫園の湖心亭は有名な茶館で、何度か脚を運んだことがある。
 余りに観光コース化し過ぎているけど、早めに行けばまだのんびりと出来る。鉄観音のセットを注文すると、ポットと保温用の大きな容器の上に小さめの茶褐色の急須とミニ湯飲茶碗、小皿にうずら卵と豆腐の点心、そしてオシボリが出て来て、伝票を見ると、〈上海老城隍庙湖心亭茶楼〉と銘打ち「套茶」12×1とあった。套はセットの意味で、12元。さすがにもう鉄観音の味までは覚えていない。十時前になって漸く点心のウィンドゥの中に饅頭が並べられ、潮州名産の「双仁細沙」、「精制老婆餅」二個一皿で4元。味はそこそこだったと思う。別の店で買った月餅の方が美味かったとは日記にある。
 上海の目と鼻の先の紹興にも魯迅がらみの有名な茶館があってそっちにも行きたかったが、結局未だに行けてない。観光客で犇めいていては到底阿Qや吶喊、老舎の茶館世界に浸るなんて出来やしないだろうが。

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