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2008年3月の7件の記事

2008年3月29日 (土)

TATA 伸び続けるサイアムのパパイヤ

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  あれは何回目にタイを訪れた時だったか、帰国も間近に迫ってバンコクの土産物屋にふと立ち寄ってあれこれ物色していると、小さな豆粒みたいな顔をした親爺さんが両手で捧げるようにしてカセット・テープを僕の前に差し出した。
 「おみやげならこれ、今、タイで一番売れてます!!」
 見ると、ターター・ヤン(グ)の、百万枚コピー記念と銘打ったアルバムだった。ターターの名は既に知ってたけど、買うチャンスが無くて喜んで買った。早速ゲスト・ハウスで、一人ベッドの上に横になりウォークマン(これも現在では殆ど骨董品なっちまったが)で聴くと、正にタイのポップ・アイドルであった。

 それから何年かしてバリに二ヶ月ぐらい滞在した。宿の在るウブドとクタを往復するバスに乗った時、いつもウォークマンで聴いていたのが、高校生になっていたターターの"アメージング・ターター"と同じ頃発売された"ターター・リミックス"。ターターのオリジナルをハウスやヒップ・ホップ、テクノ等様々な系統の音楽に編曲して作った奴だ。バスの窓から吹き込んでくるバリの風を心地よく受けながら、一人乗りに乗っていた。仲々上手いリミックスだなと感心した。同じ頃聴いたビヨークのリミックスよりも遙かに乗れ、タイの音楽レベルもここまで来たのかと感心してしまった。

 暫くターターの名を聞かなくなったと思っていたら、《O-ネガティブ》という大人の青春映画に出ていた。WTC(最近名前が変わったらしいが)で観た。さすがに満員であった。ルー・マクドナルドやチャークリット・イエムナム、今や押しも押されぬタイの中堅俳優として揺るぎない位置を占めている二人が共演者。バンコクの大学を舞台にしたキャンパス映画ってところだろう。ターターもそれなりに好演していた。

 その内バンコクで行われたアジア大会のセレモニーでタイの国歌かなんかを唄っているのをテレビで観た。ターターも押しも押されぬタイを代表する歌手に成長していたという訳だ。更に幾年かして、とうとうかの"ボリウッド映画"の《ドゥーム》のテーマ曲を唄うまでになっていた。映画のエンディングで主演の三人と絡んでミュージック・クリップに出ていたのには驚かされた。セクシー路線をひた走っていたターターの一環的産物に過ぎないと云ってしまえばそれまでだけど。それにしてもターターもとうとうここまで来たかと、他人事ながら嬉しくてつい微笑んでしまった。
次は如何なる方途へ赴くのやら、楽しみに出来るアーチストだ。

 ターターのゴシップとして、大部前、バンコク・ポストか何かで見たと記憶しているけど、ターターの家に泥棒が入ったことがあった。ターターらしく、ゴルフのアイアンか野球の金属バットか忘れてしまったが、今度又入ってきたらこれで退治してやると息巻いていた写真まで載っていたのには、苦笑させられた。が、ターターけっこう上背があるので思いっきりぶん殴られたら、大の男でも即病院行きになってしまうだろうなと、さすがタイの女と妙な感心までしてしまった。

 タイ・ポップスのも一人の女王マイに腹違いの妹(映画《ナンナーク》の主演女優・サーイ・チュリンプラ)が現れたように、ターターにも居たという話があった。こっちはサーイと違って芸能人ではなかったようだ。
突然今まで自分の全く知りもしなかった兄弟・姉妹が現れたら、誰でも吃驚し訝しい想いに駆られてしまうだろう。ターターは如何だったのか。その手の情報に詳しいサイトを見て貰う他はないが。
 
 YOUTUBEを観ているとデビュー前のまだ12歳ぐらいのターターがジュニア・シンガーの大会で"One Night Only"を熱唱しているビデオがあった。勿論英語でだが、安室奈美恵の同じ年頃のやはりコンクールで熱唱していたのを思いだしてしまう。それもYOUTUBEで観た記憶がある。二人とも後年の片鱗を覗かせていて興味深い。

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2008年3月24日 (月)

《 十三棵泡桐 》改革開放的盲流下の青春

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  時代は90年代、四川省の省都・成都の泡桐樹中学(中・高を併せた学制)が舞台。
 何風he-fengは18歳のぼさぼさのボーイッシュな短髪の女生徒で、父母が離別した益々激増しているらしい中国の離婚家庭のガードマンの父親と二人暮らし。元軍人で些か粗暴。良い子とは言い難い奔放な一人娘の風(子)に手を焼き、暴力を揮うしか術を知らない世界中何処にでもいる愚親。おまけに、父親の戦友の元に母親が逃げてしまっていて当然父娘の中は険悪。その戦友と父親は今だ行き来していて、風(子)の誕生日のプレゼントを戦友が持ってくると、父親は風子に目一杯皮肉られてしまう。
 「母さんを奪っておいて臆面もなくこんな物を持ってくるなんて、父さんの戦友もたいしたものね」
 怒った父親は風子を背後から殴りつける。

 上下のトレーナーが制服の泡桐樹中学に、新入生が二人入ってきた。一人は小肥りした髭面の、チベットのラサからの転校生で包京生という。チベット人ではなく漢族であろう。これが仲々のくせ者で、早速風子にちょっかいを出したり、クラスの金持ちのボンボン阿利に金をたかったり。彼と風子の恋人?の陶陶は最初から互いに敵意を抱いていて衝突することしきり。陶陶は又中年の英語教師・宋小豆と肉体関係を持っていた。やがて風子のことが疎ましくなってきたのか、脚の不自由な銀縁眼鏡をした優等生の娘にわざとらしいまでに接近してゆく。
 嫌われながらも風子にちょっかいを出し続けてきた包共生に、しかし、風子は次第に胸襟を開いてゆき、とうとうある日、彼の部屋で肉体交渉をもってしまう。検閲でもあったのか、陶陶と英語教師との交渉も風子と包京生も濡れ場シーンは、僕が観たDVDには無い。この映画は中国当局からクレームがついたので有名らしい。設定ではまだ"生徒"と云うことで露骨な性描写を当局が嫌ったのであろうか。別によくある話で問題ないと思うのだが・・・そういえば、アメリカでは若い美人女教師が中学生だったか男子生徒と肉体関係を持ったという事で逮捕・投獄されてしまう事件もあった。現代版ロメオとジュリエットと云う訳なのか。つまり、「愛に国境も身分も年齢もない!」と今だに声高に叫んでなくちゃあならない、世界はロメオとジュリエットの頃の時代と大して変わってないという事の証左であろう。
 次第に一人孤立していった包京生は、最後に、風子のバッグから誕生日プレゼントに貰ったナイフを奪って、ボンボンの阿利を人質に銀行に立て籠もってしまう。ナイフを阿利の喉元に突きつけながら外へ出て来た処を同じ中学の生徒の一人が横からタックルし、向いの建物の屋上でライフルを構えていた狙撃斑に射殺されあえなくその19歳の短い半生を終えてしまった。銀行の向いの警察のバリケードの後ろで風子は泣き崩れるしかなかった。
 
 《孔雀》、《青紅》と彷徨える現代中国の若者達を描いた作品と較べて、時代設定もより近くなっているせいもあるのか、より錯綜しヒステリックで、西側欧米先進国と同じ軌跡を辿っているのが好くわかってしまう。正に「改革解放」のなせる業ってところだろう。革命を起こした後で改革開放は些か情けないが、更にそれが単に資本主義化でしかないので破綻という意味で自己否定になってしまったお粗末。これじゃ笑いも出来ない。やがて、中国的特殊性として、一気に《シティー・オブ・ゴッド》的状況に至りかねない。
 
 因みに、簡体字の「风」は風であって鳳ではない。確かに「鳳」だと意味づけし易いように思える。中国でも日本でも、昔から鳳凰はキリの木の上に停まるのがお決まりだったらしい。だが、残念なことに、鳳凰が停まるのは同じキリであっても「梧桐」であって一般的な「泡桐」ではないという。

何風   劉欣
陶陶   段博文
包京生  趙夢橋

監督   呂楽
脚本   呂楽
撮影   ミゥー・ウェイ
美術   チャオ・アンチー
音楽   リウ・ソラ

制作 長春電影制片庁  2006年

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2008年3月21日 (金)

《盗馬賊》 1920年のチベット

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  1920年、第一次世界大戦が終結して間もない頃、チベットもまだ中国人民解放軍的「解放」前の、旧態依然とした封建制下にあった。
 「文化大革命」で若き日辛酸を舐めた一人である田壮壮の、1985年のこの映画は、チベットの習俗や風習を昏らいトーンで淡々と点描しながら、故なくして躓いてしまったチベット族の男ロルブの一家の転落と流浪の軌跡を辿った故事。
 貧しさ故に盗馬や回族の商人に強盗を働いたり。その金の一部を寺院に喜捨したため、不浄な金を仏前に供したとて咎め立てされ、遂に村から追放されてしまう。
 この情景は、些かニュアンスは相異するが、タイの作家サイニムヌアンの《蛇》の一節を想起させる。
 
 「そんな大金をどうするんだい、母さん」
 「本堂を建てるのに寄進するのよ。狭苦しい古ぼけた本堂にいらっしとゃるご本尊さまがお気の毒でならないから。おまえもタムブンなさい。五百バーツはしなさいよ。そうすれば悪口を言っている人もおまえのことをわかってくれるから」
 ・・・
 「どうして」そんなにたくさんしなけりゃならないんだ」
 「なにがたくさんなもんかね。一人五百バーツきりだよ。それに住職様は名前を記してくださるんだよ」
 「二人で千バーツだよ。どこからそんな大金・・・」
 「そんな言い方ないでしょう、なんて罪深いの。タムブンよ。たくさんすればするほど得られるものも多いわ。それに、お前がどれだけ善根を持っているかみんなに見せられるじゃないか」                                                                                                                   
  
                          《蛇》ウィモン・サイニムヌアン                                                                     桜田育夫・訳
                      1984年(メコン)

 嫁と幼い一人息子のザシ、老いた父母を伴って長年住み慣れた地を離れゆく。暫くして、以前村にまだ住んでいた時に、仲間と郊外の野原で誰かが仏に捧げた供物の中から首に掛けるお守りを、懐から代金は置いていったが勝手に自分のものとしてしまった。そしてそれを息子のザシに遣り首に掛けさせたためにか、ザシが病に倒れとうとうあえなくその短い一生を終えてしまった。
 ザシの霊を弔うために、ロルブと嫁の二人は五体投地の巡礼の旅に出る。マニ車を廻しながら嫁が呟く。
 「仏様は、屹度別の子が可愛いのよ・・・」
 やがて付近一帯家畜の疫病が猛威を揮い多くの羊達が死んでいった。一層の窮乏に老いた父母も斃れ、とうとうロルブは自分の馬を売って糊口を凌がざるを得なくなってしまう。そんな中、新しい子供が生まれた。しかし、このままいけば、この子もやがて無惨に死んでしまうに違いない・・・ロルブは、決死の覚悟をした。暗くなって、再び、やむなく近隣の住民の馬を二頭盗み、一頭に嫌がる嫁と乳飲み子を乗せ郷里である村に走らせた。馬の持ち主達の銃声が鳴り響く中、ロルブは自分を囮に追っ手の前を突っ切った。激しい銃声が何度も鳴り響いた。翌朝、空が白み始めると、曠野にロルブの短剣が点々と続く血痕の傍に転がっていた。・・・
 
 チベットの風物が、チベット特有の蝋燭の炎を利用して回転する廻り灯籠の如く、仄暗く明滅し続ける。田壮壮の文革時代や1920年代のチベットの苦悶と嗚咽が、チベット僧の奏でる地の底から湧き上がってくるような経楽となって響き続ける。それは、又、現在(1985年以降)の、チベット、否、中国の苦悶と嗚咽と続いているのでもあろう。

キャスト  才項増仁  旦枝姫  帯巴  高 娃
監督 田壮壮
脚本 張鋭
撮影 候咏,趙非 
美術 霍建起
制作 西安電影制片庁 1985年作品

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2008年3月19日 (水)

癒された地

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2006年のアジア・フォーカス映画祭で一度観たきりだけど結構面白く、その後何の音沙汰もなくDVD化もされてないようで、もったいないので紹介しておきたい。
 
 通俗的?なアクション映画なんかと範疇を異にした映画だが、これが下手なハリウッドのアクション映画よりも遙かにスリリングなのだ。別に派手な撃ち合いがある訳でもないのに。本当、スリリングな映画を造るのに大袈裟な設備やスタントなんて必要ないと証明してくれたかのような映画だ。それがベトナムの映画ってところが味噌なんだろう。

 元南政府軍兵士だったタイは、当時は結構有ったらしい重婚の、二人目の妻と娘を連れて地雷や不発弾があっちこっちに埋まったままの土地に移住することとなった。
 地雷原から有刺鉄線を集めては酒代にしていた以前解放軍兵士のナムに会い、タイはその遣り方を学ぶ。旧米軍基地の地雷原に行き、命がけで手掘りで地雷を撤去しながら、くず鉄を集め、二人の妻と子供達を養うことができた。当時はくず鉄が好い値で売れたのだった。やがてナムが地雷で死んでしまい、くず鉄も次第に底をつき始めた。家族を養ってゆくためには、自分達のそれなりの広さの農地が必要であった。開墾用の土地を得るため、更に薄氷を渡るように地雷を撤去してゆかねばならなかった。それでも、少しづつの撤去と開墾を細心の注意で辛抱強く続けてゆき、やがて広大な野菜畑に代わってしまう。憎悪と血と破壊に疲弊し尽された凶土が癒され瑞々しい緑の畑となって蘇ったのだ。
 「青いパパイヤ」や「シクロ」のアン監督作品のように西側風に洗練されたものとは違う、実話を元にしたベトナムからの何ともスリリング極まりない生命賛歌って処だろうか。

監督 ブイ・タク・チュエン
脚本 ブイ・タク・チュエン
     グェン・ティ・ミン・ゴク
撮影 ホアン・タン・ファン
音楽 ド・ホン・クァン

タイ    チャン・ヒュー・フク
タイの妻  ゴー・ファム・ハイン・トゥイ
タイの妻  マイ・ゴク・フーン
ナム    マイ・ヴァン・ティン

制作  2005年(日・越合作)

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2008年3月15日 (土)

インビジブル・ウェーブ  (ペンエーク= 淺野忠信)

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視えない波・・・画面全体に昏らいトーンで起伏する波・・・ゆらぎ。
 南廻りの客船の仄暗い船底部屋、果てしないエンジン音と熱で熔け出した意識と記憶が不確かな微睡みの中で起伏しゆらぎ続ける。
 一見それは、金子光晴の世界を彷彿とさせる。が、ペンエーク、浅野忠信のそれは、何としても《熱》が感じられない。間欠的に恭司(浅野忠信)が画面の外に走って行く《嘔吐》にしても、熱=リアリティーが欠如していて、むしろコミカルな様相すら呈している。凡てのものが記号と化し、曖昧朦朧としてゆらめいているばかり。

 罪悪感(制作者側のテーマらしい)云うけど、料理人・恭司の不倫の相手だった聖子を、その夫たるボス(料理長)に命ぜられて殺害し事に対する罪悪感なんてエモーショナルなリアリティーなんぞ、画面には一片だに窺えもしない。艶やかな聖子の脚の投げ出されたカーペットを引き摺り、薄闇にキラリと包丁が鈍い光を放ちはするけど、磨り硝子一枚隔てた向こうで、すべては仄暗くゆらめく。
 
 マカオの植民地時代の宿舎から毎日香港のレストランに通っているコックの恭司は、自分のボスのコック長の女・聖子を自室で殺害し死体を隠し、客船でタイのプーケットに向かう。もうマカオにも香港にも戻らず、プーケットか何処かで自分の店でも持つつもりだったらしい。奇遇な事に、船内で知り合った子連れのノイ(カン・ヘジョン)という女が、実はボスの別の女であった。プーケットの宿で何者かに襲われ無一文になってしまってコレクト・コールでボスに助けを求めると、リザード(光石研)という男を向かわせると応える。画面では恭司が香港から客船に乗り込む時から彼の後を付いて廻っていて、恭司を殺害するために送られた男らしく、逃げる恭司に銃弾を浴びさせる。
 しかし、画面はいつの間に元のマカオー香港となり、杖をつきながら復讐のためにボスの処に押しかける。一体如何して俺を殺すんだとボスはびっくり。ノイと蜜月状態で今が一番幸せだとボスは云う。やがてノイが幼子を連れて現れ、恭司は、幼子を抱いたボスに向けていた銃口を下げ、拳銃をテーブルの上に置いて断念する。待っていたリザードに、埠頭で、自分も求めていたかの如く射殺される。
 リザードに何故ボスを殺らなかったのかと訊ねられ、恭司は呟く。
「本当に生きるべき人間はどっちかなと思って・・・幸せな人間か、行き場を喪失った俺のような人間か・・・」
 
 例によって、ストーリー展開は曖昧朦朧としている。そもそもボスが聖子殺害を命令したかどうか、否ボスの女だったかどうかも怪しくなってくるような不確定なゆらぎ世界の発露と云うと些かオーバーかも知れないけど、「罪悪感」を媒介にした心象風景って処だろうか。
 この手の映像嫌いではないので面白く観させて貰ったが、同じコンビの次回作こそ期待したい。

監督   ペンエーク・ラタナルアン
脚本   プラープダ・ユーン
撮影   クリストファー・ドイル
美術   サクシー・ジャンランシー
音楽   ファランポーン・リッディム

恭司   浅野忠信
ノイ   カン・ヘジョン
リザード 光石研
僧侶   エリック・ツァン
聖子   久我朋乃

制作   フォルテッシモ・フィルムス 2006年
     (タイ・オランダ・香港・韓国合作)

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2008年3月 8日 (土)

マギー・チャン《阮玲玉》

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  1935年3月8日上海の瀟洒な寓居で阮玲玉ルアン・リンユイは25歳のその短い生涯を自ら閉じた。
 先年亡くなった張国栄の《ルージュ》、《藍宇》、《長恨歌》のスタンリー・クワン(關錦鵬)監督が、1991年、その1930年代の代表的な、否映画の女王であった阮玲玉の女優になって名声を勝ち得てから自死までの短期間を
阮玲玉の当時の映像や生存者のインタビューを挟んで描いた。
 代表的香港女優のマギー・チャン(張曼玉)が阮玲玉に扮し、ト萬蒼、蔡楚生、孫瑜、費穆、そして映画作曲家の聶耳ニュアル(中国の国歌となった映画《風雲児女》の中の《義勇軍進行曲》の作曲家であり、阮玲玉の自殺した一ヶ月後に訪日、日本滞在中の七月湘南海岸で遊泳中に死亡)等の当時の映画界のそうそうたる顔ぶれに囲まれた華やかな雰囲気から始まる。
 16歳で明星影片公司のオーディションに合格し早速《掛名夫婦》でデビューしてからの順風満帆な女優生活であったが、早く父親を亡くし、母親や彼女達の面倒を見てきたらしい張家(やがて没落してしまう)の道楽息子・張達民との長い恋人(ヒモ)関係にけじめをつけられぬまま唐季珊と同居。資産家であり彼女の属していた映画会社《聯華公司》の株主でもあった唐季珊の瀟洒な三階建ての住居で彼女の母親と養女の小玉と一緒に水入らずの楽しい生活が続いた。そんなある時、彼女が主演した新人監督蔡楚生の《新女性》が進取過ぎてマスコミの猛反撃に遭ってしまう。そんな中、すっかり零落した張達民が嫉妬に狂ったのか裁判所に二人を訴えた。唐季珊は怒り、彼女は途方に暮れる他なかった。家の外には連日記者達が貼付くようになっていた。すべてに疲れ果ててしまったのか、深夜睡眠薬を多量に飲み唐季珊の傍で倒れてしまう・・・
 阮玲玉とは些か趣きを異にするマギー・チャンではあるが、マギー・チャンなりの阮玲玉を演じていて悪くはない。30年代と90年代では当然演じ方も作り方も可なり違うのだろうが、カラー映像の劇中に挿し込まれるサイレントのモノクロの阮玲玉の映像は何か迫力があって思わず見入ってしまった。

 結局、阮玲玉と彼女を取り巻く男達の愛憎と相克、男と女のドラマって事に尽きてしまう。

 映画では張達民が一手に悪役を買っているが、実際は豪商・唐季珊も彼に劣らずの質の悪い男だったようだ。特に彼女の死は、彼に負う処が大のようだ。そして、実-関係があったのかどうかは定かでないが、「漁光曲」で国際的評価を受けたばかりの新進監督・蔡楚生。映画では梁 家輝が扮している。下層出身の苦労人って訳か一人ウンコ坐りして煙草を吸う場面があるが、同じ広東人として気を許したはずの彼女の心の支えにもなれなかったようだ。要するに、彼女にとってろくな男達ではなかった、という訳だ。摩登女性、神女、新女性、等々当時の先進的冠詞の着いた女朗(モダン・ガール)だった阮玲玉も実際は何とも侘びしく寂しい孤独な女性であったようだ。唯一、老いた母親と小さな養女のみが心のささえであったか・・・否、それすらも・・・

 阮玲玉自身の映画では如何か知らないけど、この映画ではジャズ・バンドをバックにしたダンス・シーンが多い。当時の華やかな社交界って訳だが、余りお目に掛かったことのないような種類のダンスも披露していた。実際、阮玲玉もダンスが得意だったよだ。長年彼女に付きまとい喰い物にしてきた張達民から教わったものらしい。  

 当時阮玲玉と並んで国民的なアイドルだった周璇も後年やはりろくでもない男に苛まれ自殺未遂の後心を病みあげく病死してしまう。「美人薄命」って言葉、中国にもあるらしい。

阮玲玉 マギー・チャン(張曼玉)
蔡楚生 レオン・カーフェイ(梁 家輝)
唐季珊 シン・ハン(秦漢)
黎莉莉 カリーナ・ラウ(劉嘉玲)
張達民 ローレンス・ウン(呉啓華)
林楚楚 セシリア・イップ(葉童)
ト萬蒼 チン・シュウワー

監督 スタンリー・クワン(關錦鵬)
撮影 プーン・ハンセン
脚本 ヤウ・タイ・オンピン、ペギー・チュウ
美術 ポク・ヨークモク

制作 1991年(香港)

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2008年3月 2日 (日)

クアラルンプールmy名物

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 クアラルンプール名物といえば、僕の場合、先ずスルタン通りのレックス・シネマ前の屋台、生蝦肉雲呑麺プラウン・ミー、それに瓦煲鶏飯クレイ・ポット・チキンライスだろう。
 僕が訪れた頃は同じ場所に生蝦肉雲呑麺の屋台が日替わりで出ていた。お目当ての店主の屋台でないと味が全然違う。鶏飯の方も特定の曜日にしか営ってなかった。赤いラー油のようなものが入った(しかし辛くはない)少しどろっとした鶏ガラスープに平べったいきしめん風の麺、その上に蝦の入った雲呑とネギ。蝦の香りが程好く、美味い。尤も麺はそれ以外に黄色い麺と細いビーフン風の麺の三種類から選べるらしいが。狭い場所に所狭しと並べられた低いテーブルと椅子は殆ど満員で待ち客もズラリ。丁度"ラマザーン"であったが、中華街なのでお構いなし。又、蝦と鶏肉と香菜の載った麺もあった。
 醤油で味付けした鶏肉の入った米をクレイ・ポットつまり土鍋を高熱で短時間で焚きあげる鶏飯は、坊主刈りの親爺さんが端っこの方で営っていて、少々時間が掛かるのでやはり客は少ない。けど、味は中々好い。好吃!
 南タイのハジャイのデパートの上階の食堂でも喰ったことあるけど到底その親爺さんの物と比べようもない代物であった。
 下の方にスープが染みこみ焦げ、底の方からかき混ぜてから食べるのが作法のようだ。現地の人達はクッチャクチャにかき混ぜて食べる。
 
 これは一般的名物ではないのだろうが、僕の場合、それに豆沙包(子)つまりアンまん、
を挙げたい。但しS&M星馬デパート前の"正華茶餐室"Cheng Hua Cafeの表の蒸し器ケースに入った豆沙包。甜い!
 この店は普通の店で特に趣きがある訳でもないが色んな客が入ってきてインド人の酔っぱらいも居たりして観てると面白い。

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