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2008年3月24日 (月)

《 十三棵泡桐 》改革開放的盲流下の青春

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  時代は90年代、四川省の省都・成都の泡桐樹中学(中・高を併せた学制)が舞台。
 何風he-fengは18歳のぼさぼさのボーイッシュな短髪の女生徒で、父母が離別した益々激増しているらしい中国の離婚家庭のガードマンの父親と二人暮らし。元軍人で些か粗暴。良い子とは言い難い奔放な一人娘の風(子)に手を焼き、暴力を揮うしか術を知らない世界中何処にでもいる愚親。おまけに、父親の戦友の元に母親が逃げてしまっていて当然父娘の中は険悪。その戦友と父親は今だ行き来していて、風(子)の誕生日のプレゼントを戦友が持ってくると、父親は風子に目一杯皮肉られてしまう。
 「母さんを奪っておいて臆面もなくこんな物を持ってくるなんて、父さんの戦友もたいしたものね」
 怒った父親は風子を背後から殴りつける。

 上下のトレーナーが制服の泡桐樹中学に、新入生が二人入ってきた。一人は小肥りした髭面の、チベットのラサからの転校生で包京生という。チベット人ではなく漢族であろう。これが仲々のくせ者で、早速風子にちょっかいを出したり、クラスの金持ちのボンボン阿利に金をたかったり。彼と風子の恋人?の陶陶は最初から互いに敵意を抱いていて衝突することしきり。陶陶は又中年の英語教師・宋小豆と肉体関係を持っていた。やがて風子のことが疎ましくなってきたのか、脚の不自由な銀縁眼鏡をした優等生の娘にわざとらしいまでに接近してゆく。
 嫌われながらも風子にちょっかいを出し続けてきた包共生に、しかし、風子は次第に胸襟を開いてゆき、とうとうある日、彼の部屋で肉体交渉をもってしまう。検閲でもあったのか、陶陶と英語教師との交渉も風子と包京生も濡れ場シーンは、僕が観たDVDには無い。この映画は中国当局からクレームがついたので有名らしい。設定ではまだ"生徒"と云うことで露骨な性描写を当局が嫌ったのであろうか。別によくある話で問題ないと思うのだが・・・そういえば、アメリカでは若い美人女教師が中学生だったか男子生徒と肉体関係を持ったという事で逮捕・投獄されてしまう事件もあった。現代版ロメオとジュリエットと云う訳なのか。つまり、「愛に国境も身分も年齢もない!」と今だに声高に叫んでなくちゃあならない、世界はロメオとジュリエットの頃の時代と大して変わってないという事の証左であろう。
 次第に一人孤立していった包京生は、最後に、風子のバッグから誕生日プレゼントに貰ったナイフを奪って、ボンボンの阿利を人質に銀行に立て籠もってしまう。ナイフを阿利の喉元に突きつけながら外へ出て来た処を同じ中学の生徒の一人が横からタックルし、向いの建物の屋上でライフルを構えていた狙撃斑に射殺されあえなくその19歳の短い半生を終えてしまった。銀行の向いの警察のバリケードの後ろで風子は泣き崩れるしかなかった。
 
 《孔雀》、《青紅》と彷徨える現代中国の若者達を描いた作品と較べて、時代設定もより近くなっているせいもあるのか、より錯綜しヒステリックで、西側欧米先進国と同じ軌跡を辿っているのが好くわかってしまう。正に「改革解放」のなせる業ってところだろう。革命を起こした後で改革開放は些か情けないが、更にそれが単に資本主義化でしかないので破綻という意味で自己否定になってしまったお粗末。これじゃ笑いも出来ない。やがて、中国的特殊性として、一気に《シティー・オブ・ゴッド》的状況に至りかねない。
 
 因みに、簡体字の「风」は風であって鳳ではない。確かに「鳳」だと意味づけし易いように思える。中国でも日本でも、昔から鳳凰はキリの木の上に停まるのがお決まりだったらしい。だが、残念なことに、鳳凰が停まるのは同じキリであっても「梧桐」であって一般的な「泡桐」ではないという。

何風   劉欣
陶陶   段博文
包京生  趙夢橋

監督   呂楽
脚本   呂楽
撮影   ミゥー・ウェイ
美術   チャオ・アンチー
音楽   リウ・ソラ

制作 長春電影制片庁  2006年

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