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2008年3月 8日 (土)

マギー・チャン《阮玲玉》

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  1935年3月8日上海の瀟洒な寓居で阮玲玉ルアン・リンユイは25歳のその短い生涯を自ら閉じた。
 先年亡くなった張国栄の《ルージュ》、《藍宇》、《長恨歌》のスタンリー・クワン(關錦鵬)監督が、1991年、その1930年代の代表的な、否映画の女王であった阮玲玉の女優になって名声を勝ち得てから自死までの短期間を
阮玲玉の当時の映像や生存者のインタビューを挟んで描いた。
 代表的香港女優のマギー・チャン(張曼玉)が阮玲玉に扮し、ト萬蒼、蔡楚生、孫瑜、費穆、そして映画作曲家の聶耳ニュアル(中国の国歌となった映画《風雲児女》の中の《義勇軍進行曲》の作曲家であり、阮玲玉の自殺した一ヶ月後に訪日、日本滞在中の七月湘南海岸で遊泳中に死亡)等の当時の映画界のそうそうたる顔ぶれに囲まれた華やかな雰囲気から始まる。
 16歳で明星影片公司のオーディションに合格し早速《掛名夫婦》でデビューしてからの順風満帆な女優生活であったが、早く父親を亡くし、母親や彼女達の面倒を見てきたらしい張家(やがて没落してしまう)の道楽息子・張達民との長い恋人(ヒモ)関係にけじめをつけられぬまま唐季珊と同居。資産家であり彼女の属していた映画会社《聯華公司》の株主でもあった唐季珊の瀟洒な三階建ての住居で彼女の母親と養女の小玉と一緒に水入らずの楽しい生活が続いた。そんなある時、彼女が主演した新人監督蔡楚生の《新女性》が進取過ぎてマスコミの猛反撃に遭ってしまう。そんな中、すっかり零落した張達民が嫉妬に狂ったのか裁判所に二人を訴えた。唐季珊は怒り、彼女は途方に暮れる他なかった。家の外には連日記者達が貼付くようになっていた。すべてに疲れ果ててしまったのか、深夜睡眠薬を多量に飲み唐季珊の傍で倒れてしまう・・・
 阮玲玉とは些か趣きを異にするマギー・チャンではあるが、マギー・チャンなりの阮玲玉を演じていて悪くはない。30年代と90年代では当然演じ方も作り方も可なり違うのだろうが、カラー映像の劇中に挿し込まれるサイレントのモノクロの阮玲玉の映像は何か迫力があって思わず見入ってしまった。

 結局、阮玲玉と彼女を取り巻く男達の愛憎と相克、男と女のドラマって事に尽きてしまう。

 映画では張達民が一手に悪役を買っているが、実際は豪商・唐季珊も彼に劣らずの質の悪い男だったようだ。特に彼女の死は、彼に負う処が大のようだ。そして、実-関係があったのかどうかは定かでないが、「漁光曲」で国際的評価を受けたばかりの新進監督・蔡楚生。映画では梁 家輝が扮している。下層出身の苦労人って訳か一人ウンコ坐りして煙草を吸う場面があるが、同じ広東人として気を許したはずの彼女の心の支えにもなれなかったようだ。要するに、彼女にとってろくな男達ではなかった、という訳だ。摩登女性、神女、新女性、等々当時の先進的冠詞の着いた女朗(モダン・ガール)だった阮玲玉も実際は何とも侘びしく寂しい孤独な女性であったようだ。唯一、老いた母親と小さな養女のみが心のささえであったか・・・否、それすらも・・・

 阮玲玉自身の映画では如何か知らないけど、この映画ではジャズ・バンドをバックにしたダンス・シーンが多い。当時の華やかな社交界って訳だが、余りお目に掛かったことのないような種類のダンスも披露していた。実際、阮玲玉もダンスが得意だったよだ。長年彼女に付きまとい喰い物にしてきた張達民から教わったものらしい。  

 当時阮玲玉と並んで国民的なアイドルだった周璇も後年やはりろくでもない男に苛まれ自殺未遂の後心を病みあげく病死してしまう。「美人薄命」って言葉、中国にもあるらしい。

阮玲玉 マギー・チャン(張曼玉)
蔡楚生 レオン・カーフェイ(梁 家輝)
唐季珊 シン・ハン(秦漢)
黎莉莉 カリーナ・ラウ(劉嘉玲)
張達民 ローレンス・ウン(呉啓華)
林楚楚 セシリア・イップ(葉童)
ト萬蒼 チン・シュウワー

監督 スタンリー・クワン(關錦鵬)
撮影 プーン・ハンセン
脚本 ヤウ・タイ・オンピン、ペギー・チュウ
美術 ポク・ヨークモク

制作 1991年(香港)

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