TATA 伸び続けるサイアムのパパイヤ
あれは何回目にタイを訪れた時だったか、帰国も間近に迫ってバンコクの土産物屋にふと立ち寄ってあれこれ物色していると、小さな豆粒みたいな顔をした親爺さんが両手で捧げるようにしてカセット・テープを僕の前に差し出した。
「おみやげならこれ、今、タイで一番売れてます!!」
見ると、ターター・ヤン(グ)の、百万枚コピー記念と銘打ったアルバムだった。ターターの名は既に知ってたけど、買うチャンスが無くて喜んで買った。早速ゲスト・ハウスで、一人ベッドの上に横になりウォークマン(これも現在では殆ど骨董品なっちまったが)で聴くと、正にタイのポップ・アイドルであった。
それから何年かしてバリに二ヶ月ぐらい滞在した。宿の在るウブドとクタを往復するバスに乗った時、いつもウォークマンで聴いていたのが、高校生になっていたターターの"アメージング・ターター"と同じ頃発売された"ターター・リミックス"。ターターのオリジナルをハウスやヒップ・ホップ、テクノ等様々な系統の音楽に編曲して作った奴だ。バスの窓から吹き込んでくるバリの風を心地よく受けながら、一人乗りに乗っていた。仲々上手いリミックスだなと感心した。同じ頃聴いたビヨークのリミックスよりも遙かに乗れ、タイの音楽レベルもここまで来たのかと感心してしまった。
暫くターターの名を聞かなくなったと思っていたら、《O-ネガティブ》という大人の青春映画に出ていた。WTC(最近名前が変わったらしいが)で観た。さすがに満員であった。ルー・マクドナルドやチャークリット・イエムナム、今や押しも押されぬタイの中堅俳優として揺るぎない位置を占めている二人が共演者。バンコクの大学を舞台にしたキャンパス映画ってところだろう。ターターもそれなりに好演していた。
その内バンコクで行われたアジア大会のセレモニーでタイの国歌かなんかを唄っているのをテレビで観た。ターターも押しも押されぬタイを代表する歌手に成長していたという訳だ。更に幾年かして、とうとうかの"ボリウッド映画"の《ドゥーム》のテーマ曲を唄うまでになっていた。映画のエンディングで主演の三人と絡んでミュージック・クリップに出ていたのには驚かされた。セクシー路線をひた走っていたターターの一環的産物に過ぎないと云ってしまえばそれまでだけど。それにしてもターターもとうとうここまで来たかと、他人事ながら嬉しくてつい微笑んでしまった。
次は如何なる方途へ赴くのやら、楽しみに出来るアーチストだ。
ターターのゴシップとして、大部前、バンコク・ポストか何かで見たと記憶しているけど、ターターの家に泥棒が入ったことがあった。ターターらしく、ゴルフのアイアンか野球の金属バットか忘れてしまったが、今度又入ってきたらこれで退治してやると息巻いていた写真まで載っていたのには、苦笑させられた。が、ターターけっこう上背があるので思いっきりぶん殴られたら、大の男でも即病院行きになってしまうだろうなと、さすがタイの女と妙な感心までしてしまった。
タイ・ポップスのも一人の女王マイに腹違いの妹(映画《ナンナーク》の主演女優・サーイ・チュリンプラ)が現れたように、ターターにも居たという話があった。こっちはサーイと違って芸能人ではなかったようだ。
突然今まで自分の全く知りもしなかった兄弟・姉妹が現れたら、誰でも吃驚し訝しい想いに駆られてしまうだろう。ターターは如何だったのか。その手の情報に詳しいサイトを見て貰う他はないが。
YOUTUBEを観ているとデビュー前のまだ12歳ぐらいのターターがジュニア・シンガーの大会で"One Night Only"を熱唱しているビデオがあった。勿論英語でだが、安室奈美恵の同じ年頃のやはりコンクールで熱唱していたのを思いだしてしまう。それもYOUTUBEで観た記憶がある。二人とも後年の片鱗を覗かせていて興味深い。
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