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2008年5月の6件の記事

2008年5月31日 (土)

ハヌマーンの幻郷 (藤原新也のノア)

X_2

  ちょっと旧いが旅行写真誌《コヨーテ Coyote》の今年の一月号に、
"瀬戸内寂聴特集"として藤原新也、沢木耕太郎それぞれとの対談が掲載されていた。
 藤原新也はこの雑誌に別に《日本浄土》を連載中で、そこでも、《サリン事件》オーム真理教の麻原以来の拘りなのか"水俣"と、寂聴の笑顔とを、
 「死の汚泥をくぐりぬけたからこそ、その蓮の花はより輝きを増したのかも知れないね」
 とその底に相通づるものがあると指摘してみせた。
 そんな寂聴も対談の中で、藤原の描く絵をロマンチックで詩的と賞めていた。ふと、かれこれ十年以上前旅先の何処かで読んだ彼の《ノア》の入った文庫本を想い出した。それには彼のカラフルな絵が何点も入っていた。僕の好きなラングール猿も、しかし、あくまで藤原新也風に描かれ、それだけは今一つ頷けなかった。
 
 
 同年('94,年)の作品にしてはやたら画面に傷が多かった《Balmaa》をロキシーで観て、巷で聞き覚えのある曲が流れていたのでヒット作だったのだろう、ブルー・スカイ・カフェでチキン・チーズ・バーガーとアップル・ジュースを食べる。
 パラゴン・ホテルの前から40ルピーでタクシーでカルカッタ・ハウラー駅へ向かう。藤原新也の《ノア》の舞台になったタラ・ピティに行くためだ。
 夜の十時頃、12番ホームの左側の分かりにくい場所から出発。深夜の3時頃、Bishnupulに到着。駅は小さかったが、真夜中にも拘わらずチャイ屋が営業していて、《ディル・セ》のシャー・ルークのように無理矢理店を開けさせたりする必要もなく、熱いチャイを一杯(1ルピー)飲む。ベンガル地方も二月だと冷え、熱いチャイはホント嬉しい。ホームで寝るには寒む過ぎ、リタイアリング・ルームで寝る。24時間で13ルピー。高目だ。15畳ぐらいの部屋に蚊帳付のベッド2つにソファー、机、椅子がそれぞれに付いていた。壁にクリシュナと"マー"という女性のグルの写真が掲げられていた。

 昼前にバス・ステーションからDurgapur行きのバスが出発。12Rs。3時間ぐらいで到着。さらに、Rampurhat行きのバスに乗り換える。21Rs。4時間ほどの移動の間、窓外は田園風景ばかりが続き、《ノア》に書かれていたような赤土の光景なんてお目にかかれなかった。夜の8時半頃に着き、同じバスに乗っていたインド人と一緒に、タラ・ピティTara Pithまで同道。約6キロの道のりを、サイクル・リキシャとオート・リキシャを乗り継いだ。タラ・ピティはタラ・ピィットと発音する。
 Rampurhatが《ノア》に出て来るナユンデキマシュリに相当するのか定かでないけど、Rampurhatには鉄道駅があり、カルカッタのもう一つの駅シアルダ駅まで直通の《カンチェンジュンガ・エキスプレス》が走っているのが分った。当然、帰りはそれに乗った。

 タラ・ピティの町では、《Dwaraka Lodge》にかのインド人とダブルにシェアして泊まった。大した部屋でもないのに110Rsも取られてしまった。

 このホテルのその年48歳の血色の良い頭が禿げ腹の出た支配人に、このタラ・ピティの町の近くに森なんて在るのか尋ねてみた。すると、きっぱり否定されてしまった。シラーラの名を出してみても、当然"知らない"とにべもない。彼は現実利益主義者で宗教関係に疎いのだろうと決めつけたら、後で、そのホテルの裏の空き地に案内され、そこには何とサドゥーの庵があった。彼がそのサドゥーに寄進したものらしかった。
 頂度、ブジャの最中で、その内後から後からその狭い庵に、他のサドゥーや一般人達が入ってきた。ブジャが了るとその庵の主のサドゥーが皆にチャイを作り僕も相伴に預かった。マサラが目一杯利いた強烈な奴だったが、マネージャーの言によると咽喉に好いという話だった。左に坐っていたサドゥーは爪が異様に長く、訊くともう15年爪も伸ばしっ放なしと答えた。

 
 カーリー寺院に向かった。
 沿道には土産物屋がずらり列なり、金色の塗装をされたカーリーの像が店頭に並んでいた。《ノア》でシラーラと擬せられたグルらしき人物の写真も10ルピーで売られていた。
 ふと見ると、その参道の右側に少し入ったところに、木立が疎らに伸びている一角が在った。近づいてみると、木立の間に、点々とサドゥーの小屋というのか庵の類が覗けていた。ラングール=ハヌマーン猿や犬達も居て、ひょっとしてここが《ノア》の舞台となった"森"ではないかと直感した。そこは一種の聖域で、靴を脱がないとそのエリアには入れなかった。
編み上げブーツを履いていたので脱ぐのが面倒で入らなかったけど、遠くから眺めるだけで、もう十分だった。木立の間をサドゥーや参拝客達が彷徨いていた。結局、《ノア》は、あくまで藤原新也の物語=フィクションに過ぎなかったのが確信出来た。・・・それにしても、なんと徒労させられたものであろうか。が、それを補うものを色々と得られはしたので、善しとすべきであろう。

Tara_pith_2

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《8番らーめん》 旅先のファースト・フード

  8 

  タイに進出した日本のファースト・フードといえば、すぐにポシャッた《吉野家》は問題外として、まず《8番らーめん》だろう。
 タイ全土でどのくらい出店しているか定かではないが、バンコクのあっちこっちで見掛ける。否、バンコク中に網羅されている。あの、ついこの間まで、タイの旧き好き時代の恋愛映画のスタンダード《クワンとリアム》の舞台ともなった田園地帯であったバーン・カピにすらあるらしい。
 
 本格的なラーメン店ならタニヤ周辺にあるけど、やっぱりタイ人客の入る店でなきゃ意味がない。MBKなんて三カ所も出店していて、映画のついでに入るには上階の方が便利なんで頻(よ)く入った。
 場所柄女子高生など若い連中が多く、単品オーダーということはなく、飲物を別にしても他に唐揚げや餃子、ライス関係を注文していた。
 
 この店の唯一の問題は、大抵のタイの店は水のグラスに氷は入れて運んでくるが、この店は別料金。水も無料じゃないし冷えてもいない。ちょっとせこ過ぎる。ミネラル・ウォーター持参の女子高生をよく見掛けた。それでも皆見栄っ張りなのか、そんな些細な事気にする階層ではないのか、いっぱい入っている。シーロムなんかだと、一人で行くと、カウンター席に無理矢理坐らせられかねないくらい。
 人件費が安いから従業員が多いし、皆若々しい。その割には料理が出て来るのが遅い。厨房の問題なんだろう。
 あの雰囲気が嫌いじゃないので、待ち時間も僕なんかは楽しめる。なまじさっさと料理が出て来てしまったら、早く出て行かねばならず、遅ければ遅いほど好い。

 タイ人は、特に娘達は、ラーメンを食べる時、日本人の如く音を立てな
い。マクドナルドのハンバーガーやパイすら、ナイフとフォークを使って食べる者すらいる。

 ⑧HACHIBAN RAMEN (1998)

                                 BATH
とんこつラーメン       58
トムヤム・ラーメン      50
照焼ラーメン         55
味噌ラーメン         50
醤油ラーメン         50
8ちゃんめん          40
坦々めん            45
冷めん              60
ざるラーメン           55
焼そば              48
チャーハン           45
ぎょうざ              35
唐揚げ              45
ぎょうざラーメン・セット    80
チャーハン・ラーメン・セット 80
Coke                              17
Heineken  Beer(S)      60
Drink Water          10
Ice                   3

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2008年5月24日 (土)

クメールの開国開放

  Pnom_penh

  この十年くらいずーと異常気象が続いていて、ここ数年益々それが加速されてきてるなーと思ってた矢先、最近相次いでミャンマー・サイクロンや中国・四川大地震等が続発してしまった。
 それでも、権力・企業は果てしなく目先の私利私欲に狂奔し、害悪を世界中に瀰漫させ続けている。 「もう救いようがない」とは、前世紀の世紀末に頻く言われたセリフだが、だとしたら・・・もはや言える言葉は何も無いという事になる。

 カンボジア・プノンペンの《ソリヤ・ショッピング・センター》以降の状況を確かめようとサイトを眺めていると、今春、モニボン通りで、あの本家KFC《ケンタッキー・フライド・チキン》が営業を開始したらしいのが分った。そのちょっと前には、シアヌーク通りの《ラッキー・スーパー&バーガー》の何軒か先に、ラッキー・バーガーの小綺麗な新店舗が登場したらしい。マクドナルドとロゴの紛らわしいソリアの《BBバーガー》と共に、着々と本家《マクドナルド》を迎え撃つ準備をしているんだろうか。
 
 本当のところ、僕はファースト・フードのハンバーガーは余り好きではない。旅に出るまでは入ったことすらなかった。で、旅から戻ってきて、早速勝手知ったように、
 「サムライ・バーガー!」
 なんて注文し、女の店員に目いっぱい引かれ、更に
 「パイナップル・パイ!」
 と注文すると、                  
 「そんなもの、うちには有りません!」
 とにべもなくはねつけられてしまった。
 けど、今現在の(国内の)戦略バーガー無しのマック、食べれるものなんて相も変わらず照焼きバーガーだけ・・・だったら、モス・バーガーか
それとも自画自賛の"絶品チーズ・バーガー"をこの時とばかり喧伝するマックの傍の落ち穂拾いの名もすっかり馴染んだロッテリアに入るしかないか。
  
 ブノンベンのシアヌーク通りは目抜きの高級店街といった所なので、そこの《ラッキー・スーパー&バーガー》なんて、店の前に、バイク・タクシーやシクロの運ちゃん、物売りの大人・子供から、バクシーシ、暇をもてあました子供達が群れをなして待ち構えている。中国の地方都市の食堂ですら入ろうとして直ぐにそこのおばさんに「ここは、お前達如きが入れる店じゃない!」----その時、ふと僕は嘗て観たブルース・リー主演の《ドラゴン怒りの鉄拳》の中の、上海租界の公園入口に立てられた看板の文字を想い出した。"犬と中国人は入るべからず!"----とばかり物凄い剣幕で追い出されてしまったバック・パッカー然とした形(なり)の者ですら、冷えたドクター・ペッパー缶一本買っただけであってもそこから出ると、マハラジャでも現れたかのように一斉に走り寄って来られる。その隣のガラス一枚隔てただけのバーガー屋のテーブルで、気の弱い僕なんざ到底ガラス越しに彼等の何とも形容しがたい複雑な両の眼差しと対峙して馬鹿高くて不味いバーガーなんて喰えやしない。尤も最近はもうそれほど人だかりもしてないのかも知れないが・・・
 で、いずれ上陸してくるであろう美味くもないマクドナルドやKFCの肩を持ついわれもない。同様に現地では財閥でしかないラッキーやBBワールドだが暫くの間は文字通り影ながら声援を贈ってやりたい。マックのロゴを逆さにしただけのようなBBバーガーのロゴ好いねー。タイの牛丼屋「牛野屋」と共に。

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2008年5月17日 (土)

旅先の珈琲《スターバックス》

Starbucks1

  セントラル・デパート本店の一階、スクンビット通りに面したガラス張りのバンコクでの《スターバックス》第一号店が出来た時、関西出身のパッカーが、梅田だったか心斎橋だったかにも最近出来たらしいと云っていたのを想い出した。

 今現在、バンコクにどのくらい《スターバックス》が出店しているんだろう。列島の我が南西辺境州でも、繁華な地域に二店ほど幾年も前から出店しているけど、昨年だったか、いきなり大きなカップがノーマルになってしまって、高い料金を払わされてしまった。デカ・カップで飲む趣味はなく、この店もいよいよ終焉(おわり)だなと、二度と脚を運ぶことはなくなった。
 他の地域でも同じなんだろうかと首を傾げていると、最近《スターバックス》本社で色々と慌ただしい動きがあったニユースを見、やっぱりなと一人頷いてしまった。

 セントラル・デパートというと、場所的にも庶民的なロビンソンと違って、如何にも高級デパートといった趣きで、一階の長細いガラス張りの店内は、当初白人やセントラルでの買物を了えた身形が違う階層のタイ人達で溢れていた。時たま、一目で分るバック・パッカー達の姿も紛れていることもあった。アメリカでは一般的な庶民の珈琲ショップ・チェーン店であっても、タイに来ると忽ち高級店になってしまう。自宅に何人も家政婦の居そうな小綺麗な身形の婦人方が、"セルフ"で珈琲を運んで飲んでいる様には笑ってしまった。

 出来てまだ幾らもしない時期だったので、僕が料金表をノートに書き写そうとすると、若いそこの責任者らしい女が前に立ちはだかって、
「書かないでくれ」
 とクレームを再三つけてきた。
「ただの旅行者だよ、商売敵じゃない」
 と、云っても聞く耳持たない風だった。
 
 日本なんかの一般的な所謂珈琲専門店の珈琲と一味違う。(尤も最近は、珈琲専門店の方が《スターバックス》を真似したようなメニユーを並べる傾向も出て来はしたけど。) 一味というのは、珈琲本来の"味わい"と云うより、"旨み"だろうか。如何にも今風の味であろう。旧くからの珈琲党には今一つ馴染まないみたいだ。僕はどっちでも飲める。

 日本ではメニューにないらしいけど、タイ北部の山岳地域で取れる珈琲豆をブレンドした《ムアン・ジャイ》というメニューもあるらしい。しかし、タイの庶民はやっぱし屋台や茶店のコンデンス珈琲かプラスチック袋に目一杯の氷と一緒に入った甘々珈琲だろう。

  STARBUCKS (1998)

                                             S    M    L

Caffe  Latte                            45   60   70(bath)

Ice Caffe Latte                        70   80   90

Ice Caffe Americano                  65   85   95

Caffe Frappeccino                    75    95  100

Instant Tea                             30    30   50

                                                             

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2008年5月10日 (土)

たゆたう蠱惑の歌声 : ビーナ・サハスラブッデ

  Vsahasrabuddhe

  ラジャスターン砂漠の小さなオアシスの町、数少ないブラフマンの聖地とも云われているプシュカル。
 夜の帳りも降り、店々の灯が通りを淡く照らし出し、様々な風体の巡礼者達と一緒にそぞろ歩いていると、何処からともなく、蠱惑的な女の少しハスキーな歌声が流れてきた。
 その艶やかな歌声に惹寄せられるように、壁に自作の絵を並べたある小さなハンディー・クラフト屋の店先に至った。、中は工房にもなっていて、両側に大きなスピーカーが据えてあり、そこからその妖艶とも謂える歌声が流れていた。まだ若い髭を蓄えた画工の青年が、にこやかに、その歌声の元のカセット・テープを見せてくれた。
 《BHAKTIMALA》shiva vol.2   Veena sahasrabuddhe
                             Living Media India Ltd. 1991  Rs.55
これは、ニュー・デリーのコンノート・プレイスにある音楽出版社らしいく、"Music Today"と銘打ったシリーズの一つらしい。
 
 それまで、映画音楽やR.シャンカルなんかの器楽曲、あるいは男達の今一つ琴線に触れぬ宗教歌しか巷で聞いたことしかなかった。インドにも、
こんな宗教音楽と女性歌手が居たのかと、眼からウロコが落ちる思いだった。
 曲調が今までのと違っていて、歌詞は全てサンスクリット語。今時、サンスクリット語自体に神秘的なものを求める物好きも居まいが、古い宗教曲は皆サンスクリットらしい。その古い古典に、現代的感性をミックスし編曲したのが、このMUSIC TODAYシリーズらしい。
 確かに、遙か古えのインド世界の響きに、ラビ・シャンカル以降の新しい響きが微妙に混わり、現代の我々にも馴染み易く入っていける。
 裏面には、来日したこともあるGUNDECHA BRS.が入っている。これも仲々好い。YOUTUBEに東京サマー・フェスティバルでの"シバ、シバ、シバ"のビデオがあり、これがこのテープB面の最初に入っている。十数年の経過を経た最近の彼等の唄とまだ今より若かった頃の唄を聴き比べてみると面白い。(このカセット・テープは、今でも、"Music Today"で検索するとサイトが有り、入手出来る。)

 このバクティマラ・シリーズには他に、女性歌手アシュウィニ・ビッデ
等も入っている。ガネーシャ(ガナパティー)の賛歌を唄っているA.ビッデはV.サハスラブッデと違ってちょっと鼻声で、揺らめ続ける曲の中でのその鼻声は一種独特の効果をあげていて、このシリーズに入るくらいだから有名なのであろう。YOUTUBEで聴いたら鼻声ではなくなっていた。十五、六年も歳を喰って声質も変わってしまったようだ。同じ項にV.サハスラブッデの映像もあり、メンバーが皆女性だった。さすがに声は嘗ての蠱惑性は影をひそめてしまったが、逆に枯れた深みが出て来ていた。

 何年かして、同じプシュカルのメイン通りの途中の角の本屋も兼ねたミュージック・テープ屋で、V.サハスラブッデの三本組のテープ・セットを見つけた。
 《The Awakening》RAAG GURJARI TODI    Plus Music  1995 Rs.60
 この60ルピーはテープ単体の定価で、このプラス・ミュージックというのはボンベイにある"プラス・チャンネル"の会社らしい。"プラス・チャンネル"はインドのテレビ局だったはず。
 こっちの方は、宗教曲では無く、ラーガ。"バクティマラ"と異なって、今風なメリハリはなく、本来の古典的な楽曲そのままのようだ。
ゆったり流れるインド的時間そのもの。唄・曲とも申し分ないけど、延々と果てしなく続く。三本組なのだ。ラーガなんて、嘗ては夜通し演奏されてきたものらしい。ミニアチュール絵画の世界だ。どっぷりと浸りたい御仁にはもってこいだろう。

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2008年5月 3日 (土)

化生達の暗闘 《オ-パパティカ》

  Opapatika

  インターネットの予告編を観て、とうとう《ネクロマンサー》の次に来るべきものが来たか!なんて可成り期待していた。
 制作者によるとタイ風"アクション・ファンタジー"として観て欲しいらしいが、到底"ファンタジー"なんて呼べる代物ではない。予告編観ただけでそんなつもりで作ったなんて考えられない。ツイ・ハークの札付きの駄作《天上の剣》が大金掛けて作ったらしいが、そんな看板掲げてたような記憶があるが定かではない。
 
 "オカルト・アクション"というのが相場だろう。
 有名役者揃えて金と時間かけた割には、凡作。金と時間掛け過ぎて、苦労して撮った数多のアクション・シーン、割愛するのが惜しくなって、結局アクション・シーンばかりのB級アクション映画に落ち着いてしまったというと穿ち過ぎだろうか。僕はこれでも褒め過ぎと思っている。尤もひたすらなるアクション好きのファンには面白かろう。
 結局、今世界的に流行りの吸血鬼あるいはゾンビー・アクション映画の乗りそのもの、それにタイ風に化生の札を貼り付けただけってところだろう。。
 
 確かにアクション・シーンはそれなりに好く出来ていると思う。
でも、瞠目するようなレベルではない。が、殆どそればかり延々と続く。
 観客も疲れるだろうと制作者達の涙ぐましいサービス精神が、ちょこ、ちょこと小休止の如く、申し訳程度に普通のセリフや白い衣装の女をあしらってくれている。

 チャークリット・イエムナムが仲々格好良く撮れているけど、R・マクドナルドを見てるともう中年太りの兆候か脂肪が少しついてきて元々のシャープな風貌が崩れて始めていた。、そうか彼ももうそんな年齢になったのかとターターの《O ネガティブ》の頃を想い出してしまった。ポンパット、ニルットの渋い中・高年コンビも頑張っていた。この映画では、殆ど、イエムナムとポンパットの戦いがメインに据えられていて、ポンパットはモス・グリーンのフィールド・ジャケットが決まっていた。刑事でありながら銃身を短くカットした散弾銃を射ちまくり。

 オーパパティカとは化生のことらしい。主人公達は皆一度死んだ若者で、皆札付きの殺戮者として生まれ変わった。老いたオーパパティカであるサドックが吸血鬼の如く彼等の精を求め、彼の使い走りのトアチットが配下特殊部隊を率いてオーパパティカ達を襲い続ける・・・
 化生なら化生らしくもっと面白い展開を工夫しても好さそうなものだが、時間は有ってもひたすらアクション・シーンにのみ没頭したようだ。

パイソル  チャークリット・イエムナム
アルット  レイ・マクドナルド
ラミル   アティプ・ナナ
ジラス   ソムチャイ・ケムクランド
プラン   ケムプソーン・シリスカ
トアチット ポンパット・ワチラバンジョン
サドック  ニルット・シリチャンヤ

監督  タナコーン・ポンスワン
脚本  タナコ-ン・ポンスワン
撮影  デチャ・シリマンタ,テーラワット・ピエール
音楽  チャイバンディット・ペウチヤポンサブ
政策  サハーモンコル・フィルム   2007年

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