ハヌマーンの幻郷 (藤原新也のノア)
ちょっと旧いが旅行写真誌《コヨーテ Coyote》の今年の一月号に、
"瀬戸内寂聴特集"として藤原新也、沢木耕太郎それぞれとの対談が掲載されていた。
藤原新也はこの雑誌に別に《日本浄土》を連載中で、そこでも、《サリン事件》オーム真理教の麻原以来の拘りなのか"水俣"と、寂聴の笑顔とを、
「死の汚泥をくぐりぬけたからこそ、その蓮の花はより輝きを増したのかも知れないね」
とその底に相通づるものがあると指摘してみせた。
そんな寂聴も対談の中で、藤原の描く絵をロマンチックで詩的と賞めていた。ふと、かれこれ十年以上前旅先の何処かで読んだ彼の《ノア》の入った文庫本を想い出した。それには彼のカラフルな絵が何点も入っていた。僕の好きなラングール猿も、しかし、あくまで藤原新也風に描かれ、それだけは今一つ頷けなかった。
同年('94,年)の作品にしてはやたら画面に傷が多かった《Balmaa》をロキシーで観て、巷で聞き覚えのある曲が流れていたのでヒット作だったのだろう、ブルー・スカイ・カフェでチキン・チーズ・バーガーとアップル・ジュースを食べる。
パラゴン・ホテルの前から40ルピーでタクシーでカルカッタ・ハウラー駅へ向かう。藤原新也の《ノア》の舞台になったタラ・ピティに行くためだ。
夜の十時頃、12番ホームの左側の分かりにくい場所から出発。深夜の3時頃、Bishnupulに到着。駅は小さかったが、真夜中にも拘わらずチャイ屋が営業していて、《ディル・セ》のシャー・ルークのように無理矢理店を開けさせたりする必要もなく、熱いチャイを一杯(1ルピー)飲む。ベンガル地方も二月だと冷え、熱いチャイはホント嬉しい。ホームで寝るには寒む過ぎ、リタイアリング・ルームで寝る。24時間で13ルピー。高目だ。15畳ぐらいの部屋に蚊帳付のベッド2つにソファー、机、椅子がそれぞれに付いていた。壁にクリシュナと"マー"という女性のグルの写真が掲げられていた。
昼前にバス・ステーションからDurgapur行きのバスが出発。12Rs。3時間ぐらいで到着。さらに、Rampurhat行きのバスに乗り換える。21Rs。4時間ほどの移動の間、窓外は田園風景ばかりが続き、《ノア》に書かれていたような赤土の光景なんてお目にかかれなかった。夜の8時半頃に着き、同じバスに乗っていたインド人と一緒に、タラ・ピティTara Pithまで同道。約6キロの道のりを、サイクル・リキシャとオート・リキシャを乗り継いだ。タラ・ピティはタラ・ピィットと発音する。
Rampurhatが《ノア》に出て来るナユンデキマシュリに相当するのか定かでないけど、Rampurhatには鉄道駅があり、カルカッタのもう一つの駅シアルダ駅まで直通の《カンチェンジュンガ・エキスプレス》が走っているのが分った。当然、帰りはそれに乗った。
タラ・ピティの町では、《Dwaraka Lodge》にかのインド人とダブルにシェアして泊まった。大した部屋でもないのに110Rsも取られてしまった。
このホテルのその年48歳の血色の良い頭が禿げ腹の出た支配人に、このタラ・ピティの町の近くに森なんて在るのか尋ねてみた。すると、きっぱり否定されてしまった。シラーラの名を出してみても、当然"知らない"とにべもない。彼は現実利益主義者で宗教関係に疎いのだろうと決めつけたら、後で、そのホテルの裏の空き地に案内され、そこには何とサドゥーの庵があった。彼がそのサドゥーに寄進したものらしかった。
頂度、ブジャの最中で、その内後から後からその狭い庵に、他のサドゥーや一般人達が入ってきた。ブジャが了るとその庵の主のサドゥーが皆にチャイを作り僕も相伴に預かった。マサラが目一杯利いた強烈な奴だったが、マネージャーの言によると咽喉に好いという話だった。左に坐っていたサドゥーは爪が異様に長く、訊くともう15年爪も伸ばしっ放なしと答えた。
カーリー寺院に向かった。
沿道には土産物屋がずらり列なり、金色の塗装をされたカーリーの像が店頭に並んでいた。《ノア》でシラーラと擬せられたグルらしき人物の写真も10ルピーで売られていた。
ふと見ると、その参道の右側に少し入ったところに、木立が疎らに伸びている一角が在った。近づいてみると、木立の間に、点々とサドゥーの小屋というのか庵の類が覗けていた。ラングール=ハヌマーン猿や犬達も居て、ひょっとしてここが《ノア》の舞台となった"森"ではないかと直感した。そこは一種の聖域で、靴を脱がないとそのエリアには入れなかった。
編み上げブーツを履いていたので脱ぐのが面倒で入らなかったけど、遠くから眺めるだけで、もう十分だった。木立の間をサドゥーや参拝客達が彷徨いていた。結局、《ノア》は、あくまで藤原新也の物語=フィクションに過ぎなかったのが確信出来た。・・・それにしても、なんと徒労させられたものであろうか。が、それを補うものを色々と得られはしたので、善しとすべきであろう。
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