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2008年6月 7日 (土)

幻影のアフガン (ソ連侵攻前のアフガニスタンの風景)

  Photo

  九十年代前半、パキスタン・ペシャワールに幾度も脚を運んだ。
 デリーから列車に乗り、翌朝アムリトサルに到着。すかさず、ボーダーへ急ぎ、国境事務所が開くと同時にパキスターンに抜ける。ラホールからミニ・バスで一路ペシャワヘルへ。
 イランやフンザ=中国へ抜けるのでなければ、そのままインドへ後戻り。

 つまり、パキスタンといえば、ペシャワールだった。
ガンダーラ以来の古都でもあり、又、アフガン人(難民)の多いインドや中国と違った中央アジアの香りのする街であった。
 最初に泊まった宿が無くなる直前の《カイバル・ホテル》、オーナーのカイバルとは別の負債のため銀行に差し押さえられてからは、駅寄りの《ツーリスト・イン》や《カイバル・ホテル》と狭い露地を隔てた隣の《カニス・ホテル》の屋上のドミトリーなんかが定宿になった。

 ペシヤワールにはカチャガライやボート等のアフガン・バザールがあり、新市街のサダル通りには前述した定宿やアフガン・カーペット、アフガン・ハンディークラフト屋が軒を連ねていた。新聞社もあり、角を折れると映画館もあった。角のカフェでアイス・クリームを食べていると、食べ了えたのか子連れのパキスタン親爺が起ち上がり、ゾロゾロと子供達も席を退って小肥りした親爺さんの後を従って出ていった。8人近く居た。
周囲のパキ人達がそれをクスクス笑っていて、パキスタンでも都市部じゃ、もう子供は数人なんだというのが分った。

 この周辺に書店が何軒かあり、大抵外人旅行者が暇そうにあれこれ本棚を物色しているのを見掛けた。英語本が多く、ウルドゥー語やアフガンのダーリー語・バシュトン語の本なんて少数であった。少しして、カブールの本屋《シャー・M・ブック店》が移ってきた。カブールじゃ如何しようもないのだろう。ここにはアフガン系の出版物もあった。
 ここの本屋で見つけたのが、あの当時なら、アフガニスタン写真の定番であったろうか、それを見つけた日本人旅行者の大半がその写真集を欲しがり、あるいは建物の屋上からカイバル峠-アフガン方面に覗けたアフガンの白い峰々を望み、アフガンへの憧憬の念を弥が上にも高め、ある者は危険を犯してまでも実際にボーダーを越えアフガニスタンの地を踏んだかも知れなかった。下手をして人知れぬまま返らぬ人となった者も居る可能性もあろう。

     "Afghanistan"
                                 Roland and Sabrina Michaud
                                             (Thames and Hudson)
                                                 1980初版

 

  サイズは手頃で、ソ連侵攻前の、旧き好き時代のアフガニスタンの人々と自然が定着されている。旅行写真家のミチャウド夫妻が14年もの歳月を費やして撮ってきたものだ。こんな長閑な日々、今だにアフガン人達は取り戻せていない。ソ連の次は、アメリカとその追従国家群の侵略。ペシャワールの難民達も帰るに帰れず、隣国といえども必ずしも居心地が好いわけでもない異国で不本意な日々を送るしかないのであろう。
 この写真集、12イギリス・ポンドのシールが貼ってあったが、丸善などの洋書屋に注文すれば入手できるはず。
 小さなホーローのポットからグラスや湯飲みにミルク・チャイやカフワ・チャイを注ぎ、チビリ、チビリと飲みながら、この写真集のページを繰ってゆく一時、雄大なアフガニスタンの自然とそこに暮らす人々(あるいは、暮らしていた人々)、そしてアフガンを巡る世界に想いを馳せるのも一興かも。

Afghan2

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