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2008年7月 5日 (土)

《失われた地平線》 秘境シャングリラ

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  インドやネパールあるいはバンコクには外人旅行者向けの古本屋があって、仕入れはタダ同然、店頭に並んだ時はそれなりの値が付けられているけど、バンコクくらいになると日本の小さな古本屋並なので結構重宝したものだ。
 日本人商社マン御用達のタニヤ通りにも、ビルの中に、現地のタイ人娘の店員の居る古本屋があった。ある日廉価本コーナーを物色していると、色褪せた如何にも古そうなカラフルな絵の表紙の文庫本を見つけた。
 
 《失われた地平線》Lost Holizon
           ジェームス・ヒルトン 訳・足達昭雄 (角川文庫)

 '73年四月の初版で、後記に米国コロンビア映画で一大ミュージカルとして制作中とあった。英国での初版は1933年で数年後に映画化されている。戦後、新潮文庫で一度出版されている。今年('08)、復刻版が出たらしい。
 
 その名前だけは知っていた《失われた地平線》は国内でもそれなりに捜してみたことがあったけど見つからず諦めていたのが、撚りによって、旅先のちょっと立ち寄ったタニヤの古本屋で見つかるとは、それも廉価コーナーで。やっぱし、廉価本コーナーは一応浚っておくべきだなとつくづく痛感してしまった。

 陶淵明の《桃花源記》と同似のユートピアあるいは異界・異郷譚で、グルジエフ、ニコライ・レーリッヒ等によって流布された《シャンバラ》に影響されたのか、このジェームス・ヒルトンのはシャングリラ記。英国人好みの、英国人のための、英国人の異郷譚。当時英米でベスト・セラーとなり二度(戦前・戦後)の映画化で更に一般の人口に膾炙することとなった。

 以前、雲南省の大理・麗江を北上したチベット族自治区・中甸に、この"香格里拉"の看板を見た覚えがあったが、何と2002年にこの"香格里拉"シャングリラを県名にしてしまったという。シャングリラはチベットのシャンバラをモデルにミルトンが創作したものなのに、逆輸入という訳だろう。"英国"ってえのが少し鼻についてしまうが。
 中甸は小さな静かな町で頂度体調が今一の時(ここは標高三千メートル以上なので高山病の可能性もあった。同室の香港人も冴えなかった)で寒くもあったし、余り遠出もせずにいて、泊まっていたホテルのホールでチベットの民族舞踊を観たのと、同室の香港人に、やっぱり(ニッシンの)カップ・ヌードルは、深夜ちょっと小腹が空いた時に食べるのが一番美味と聞かされた事しか記憶になかった。

 
 1931年五月、革命騒動で、英国統治下のインド・バスクールから避難のため居留民を乗せた一機の小型旅客機がペシヤワールに向かって飛び立った。が、小型旅客機はペシャワールには着かず、行方不明になってしまった。
 この機には四人の乗客が乗っていた。
 英国領事のコンウェイ、副領事のマリソン大尉、東方伝道会のブリンクロー女史、お尋ね者の米国人バーナード。そして、操縦士の、しかし、本来の操縦士ではない、彼等をヒマラヤ山脈の彼方、秘境・シャングリラに連れて行くために自ら志願し、勝手に操縦士になりすましたチベット人。
 
 十八世紀に一人のカプチン修道会の修道士がこの地へ遙々布教のためにやってきた。当時、この山腹にはチベット仏教の僧院があったけれど、衰退の一途にあり、そのカプチン会修道士は、キリスト教の修道院を建てた。
 彼、ペロウは、長生きし、やがて谷間のどの寺院からも、「感謝聖歌」と「南無阿弥陀仏」が聞えてくるようになった。
 十九世紀に入ると、二人目の欧州人が現れた。ヘンシェルいうオーストリア人の貴族の出らしく、ナポレオンの軍と戦った経験もあった。この谷に金鉱があるのを知ってそれで一攫千金を夢見ていたものの、ペロウの薫陶を受け、シャングリラを守る事に腐心するようになった。チベットから遠く北京まで赴き、無尽蔵にある金を使って必要な外界の品物を外界の者に所在を捕まれないように運び込むルートを完成した。
 しかし、さしもの中庸的理想世界も秘境故に人の行き来が限られ、年々人員が不足し始め、その確保のため、彼等四人の乗った小型旅客機がハイ・ジャックされたのだった。米国人とブリンクロー女史は早々と残留を決め、指導者的地位の跡目を託されかけたコンウェイもこの地で生涯を全うしようと考えていたのが、部下のマリソンがシャングリラの娘に恋をし、二人して外界に逃げることになったのを知らされ、結局二人と共に秘境を後にすることとなった。コンウェイも彼女に惹かれていたのであった。

 長生の術をもったペロウが、彼の後継を託そうとしてコンウェイに云った。
 「おそらく世界がまだ見たこともないような嵐になるでしょう。武力によっても安全たり得ず、権力によっても救い得ず、科学によつても解明され得ないでしょう。あらゆる文明の花々が踏みにじられ、あらゆる人間が巨大なカオスへと投げ込まれるまで、これは荒れ狂いつづけるでしょう。わたしはナポレオンの名前さえまだしらなかったころに見ておりました。そしていま、わたしはそれを刻一刻、さらに鮮明に見ているのです。・・・」

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