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2008年9月20日 (土)

パルザニア 地上の楽園は何処?

  Parzania

   最近はインドに限らず英語劇ならぬ輸出仕様英語映画が流行っているようだが、如何も今一つしっくりこない。タイや日本で日常会話でタイ製英語や和製英語以外に英語を使うなんて普通あり得ないが、多民族・多言語国のインドなんかでは、必ずしもそうではない。ヒマラヤ近辺カンチェンジュンガの望めるガントックの安宿じゃ泊客の現地人(インド諸州)達の会話は共通語であるはずのヒンディー語ではなく英語だった。別に教養有る学者・先生方ではない庶民の親爺達だったにも拘わらず。マア、意地でもヒンディー語を使わない人達も居て敢えて旧植民地宗主国のであっても英語を使うってことになってしまうのだろう。もはや定番とも云うべき大国主義的陥穽。
 それとは別に、クイズ番組でも、シャールークやプリティー・ジンタなんかヒンディー語と英語のチャンポン会話が妙に弾んでいて、それをチャイ屋なんかで観ているような多数のインド人なんて理解出来るのだろうか。親はさっぱりでも、義務教育受けている子供達の方はそれなりに理解できているってことも有りそうな昨今のインドではある。

 ナセルディン・シャーは以前にも、英語映画"モンスーン・ウェディング"でも主演していて、インド英語映画=ナセルディン・シャーというイメージすら出来てしまった。ヒンディーでもイスラムでも況やシークでもジャイナでもないパールシィ=拝火教=ゾロアスター教(ザルトーシュト)、インド西部に固まって住んでいるイラン方面から移住してきたパールシィ教徒。ボンベイの街中でパールシィのシンボルを刻した古い建物を見た覚えがある。バス会社のターターもパールシィらしい。ペルセポリスの世界だ。

 インドじゃパールシィは大海の中の一滴程度の存在でしかないという。イラン=ペルシャにイスラムが怒濤のように押し寄せて来た時、逃げ延びてきたパールシィ教徒達の末裔、ヒンディーにもイスラムにもお前達は違うと邪険にされたシークとは又違った、一つの勢力にもなり得ないような小さな考古学的存在、だけど、それは"True story"と銘打っていたのなら、象徴的に設えたのではなく、単に偶々パールシィだった主人公とその家族ということになる。
 
 2002年2月28日グジャラート州アハメダバードでのヒンディー原理主義者達のイスラム教徒虐殺暴動で、一人のパールシィー教徒の十歳の少年Azhar Modyが行方不明になった事件が元になっている。
 前日、グジャラート州ゴードラー駅で、1992年にヒンドゥー原理主義者達によって破壊されたバーブリ・モスクで有名なアヨデヤのラーム寺院での式典から戻ってきたカルセヴァクス(宗教奉仕団)一行の乗ったsabarmati express がモスレム(風)の一隊に襲われ六十人近くが殺害されていて、その報復という形の暴動らしい。
 例によって選挙が間近に控えていたらしいし、何よりも前日起こって列車襲撃から幾らもしない内に起こった組織的暴動の手廻しの良さが、何とも胡散臭い。真相は現在でも究明中ってことらしいけど、世界中で頻(よ)く使われるいい加減擦り切れた果てた手口と云えなくもないが、相も変わらず何処ででも使われている。何よりも人間達が依然として愚かなので、尚も簡単に使えるのであろう。
 これ又、例によって、地元の警察も、贔屓の引き倒し的に見て無関心・冷笑的、普通に見ればヒンドゥー勢力に荷担していたようだ。アハメダバードで警察に射殺された被害者四十人の内イスラムは三十六人だという数字からも簡単に見て取れよう。これじゃどっちが暴徒か分ったものじゃない。

 アハメダバードの映画館の映写技師サイラスには二人の子供と妻シェルナズがいた。サイラスは嘗てペルシャから逃れてきたゾロアスター教徒(パールシィ)の末裔で、息子パルザンは空想好きな少年で、お菓子の国パルザニアを彼の楽園・夢の国として想い描いていた。
 そんなある日、突如サフラン色の鉢巻きをしたヒンディー教徒の暴徒達が、彼等の住んでいるアパートに遣って来て、一緒に住んでいたイスラム教徒を襲い始めた。シェルナズは二人を連れて、いつも親しくしていた隣のヒンディー教徒の老夫妻に助けを求めるが夫の方が巻き添えを怖れて頑として中に入れてくれなかった。殺戮と混乱の中、娘ディルシャドの手を握り外へ逃げ出した。暴徒に追われ郊外の野原に身を潜めた。
 騒ぎを知ってサイラスは家族を捜した。パルザンと顔見知りのヒンディーの同世代の新聞売りの少年がサイラスを隠れている二人の処に案内し、互いの安全を確かめ合った。が、息子のパルザンの姿が見当たらなかった。警察に行っても相手にされず、路上に放置された屍体を一つ一つ確かめて行くしかなかった。ここは、マニラトナムの《ボンベイ》中のセーカルが息子の安否を確かめるため死体置き場で一体一体確認してゆくのを彷彿とさせる。その日以降、サイラスはアハメダバード中をパルザンの姿を求めて探し廻り続ける。
 結局息子パルザンの姿は確かめれぬまま・・・現在のインドの現実と同様、杳として霧中のまま・・・

 サイラス   ナセルディン・シヤー
 シェルナズ  サリカ
 アラン    コリン・ネメク
 パルザン   パルザン・ラストゥル
 ディルシャド パール・バルシワラー

 監督  ダフル・ロダキア
 脚本  ダフル・ロダキア、デビッド・Nドニフエ
 撮影  ロバート・E・エラス
 音楽  ザキール・ハッサン、トゥフィック・クレシ
 制作  Circles Motion Pictures  2005年

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