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2008年9月 4日 (木)

ヒンドゥークシの旅路  伊藤君、香田君そして人知れず志し半ばで逝った旅行者達を悼む

   Afghan

   アフガンの伊藤君誘拐は最初身代金目的と云われていたのだが、その後二転三転、如何なったのであろう。そもそもペシャワール会は最悪"死"を覚悟して活動に入るのだろうから、彼自信にとっては本望であるか否かはともかく、自身の信念の上での結果でしかない。
 
 何しろ金魚の糞の如くこの国(日本)は米国の尻にくっ着きアフガンやイラクに侵略戦争を、後方支援という重要な軍事活動部門を担ってきて、その上湾岸戦争の時は数千億円、今回のイラク侵略では一兆円米国に上納金まで奉じた事実性で、当事国住民からは"侵略者"として一括されてしまうのは致し方ない。この国の国民が、否、彼は違うのだ、彼等はそんなんじゃないのだと云ったとしても、日々無差別爆撃や銃撃を受けてきた人々には容易に聞えはしないだろう。彼が居た特定地域ではそこの大半の住民に了解性はあったにしても、全ての住民にではないし、そこ以外のアフガンの大半の住民達に於いておやだ。無論ペシャワール会は云うに及ばず伊藤君もそんな事は前提として踏まえての活動。
 
 四年前の旅行者・香田君のイラクでの誘拐・公開処刑とは些か赴きを異にするが、畢竟伊藤君も香田君も自身が求めた旅路の果ての帰趨に過ぎない。国内を旅しているぶんにはさして問題はないだろうけど、一旦海を越えて異邦の地に踏み込んだ途端、我々旅行者バック・パッカーは、何時彼等と同じあるいは別様の事件に巻き込まれるかも知れない。今じゃ、自国の空港で麻薬課の輩に麻薬を荷物の中に仕込まれかねないご時世。インドやタイ・カンボジア等の後進国特有の権力犯罪とばかり嘲笑ってなんか居られなくなってしまった。

 僕もかれこれ十年以上前、まだマスードがパシュトン系の総帥ヘクマチアールと死闘・暗闘を繰り返していた頃、隣国パキスタンのペシャワールやクエッタあるいはチトラールからアフガン入国をあれこれ他の旅行者達と試行錯誤したりした時期もあった。まだペシャワールにカイバル・ホテルがあった頃、チトラールから越境する話があり僕も加わっていた。悪天候続きでチトラールに行けぬまま期日が過ぎてしまった。後日、チトラールから越境しジープでアフガン領内を走り始めて間もなく、アフガン政府軍に攻撃を受け、乗っていた乗員・乗客に死傷者が出たという話だった。もし、天候が好く、チトラールに行けていたら、ひょっとしてそのジープに僕や他のカイバル・ホテルの泊まり客の日本人が乗っていたかも知れなかった。いやはや・・・・・・
 
 

   シャルワール・カミーズを身に纏い中国製の黒い自転車に乗って、クエッタ(チャマン)から入りカブールへ至ってペシャワールに抜けた日本人青年が居た。彼の語った処によると、ともかくゆっくりしているとバレそうだったのでともかく自転車に乗ったまま走り続けたらしい。確かに、それだと怪しまれる隙もない。しかし、ゆっくりとアフガンを堪能するっていう旅本来の姿からはほど遠い。確かに、状況に応じた臨機ではあろう。それも旅の一つのあり方に違いないが。でも、タリバンの時代に入ってからはそれも増々危うい綱渡りになってしまった。
 アフガンに越境しアフガンの何処かで誰に知られることもなく死んでいった旅行者達一体どれくらい居るのだろうか?

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