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2008年10月の8件の記事

2008年10月30日 (木)

シャクティ the Power of Love

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《エクラヴィヤ》が如何にも由緒有りげなラジャスターンの豪壮な領主の宮殿って趣きだったのに比べて、この《シャクティ》では登場人物に合わせたように今風の小さな町の奥に蹲まった荒々しい城砦のようだ。

 2002年のこのヒンディー(ボリウッド)映画は、ビデオのカバーがカリシュマ・カプールと同じ主演のはずのサンジェイ・カプールの姿がなく、終わり頃ちょっと出てくるスペシャル・ゲストのはずのシャールーク・カーンが主演のように大きく載っているのでも有名だった。

 サンジェイ・カプール、確かに今ひとつ影が薄く、初めの頃、サニー・デオールやアクシェイ・カナそしてサイーフ・アリ・カーンと区別がつかなかった。もう一方の女優カリシュマ・カプールもウルミラ・マトンドカールと似ていてるが、マトンドカールの方がちょっと感じが柔らかいのが特徴だろうか。《ピンジャル》のプロー()にはそれが必要だったに違いない。

これは僕の好きなヒンディー映画のひとつで、映画自体はタイトルの如く女性・母性的な力の凄さの形象化ってところなんだろうが、それとは逆に、主人公二人が、西側先進国カナダからインドのラジャスターンの何処かの町に降り立った処から、俄然、ラジャスターンの砂漠や荒野の凶々しい異形の邪神輩が跳梁跋扈し始めるあの凶相・悪相の饗宴、それこそがこの映画の最大の魅力だろう。

 

カナダで先進国的小市民的生活を満喫していたカナダ育ちのナンディニが、突如まずカナダではお目にかかれない種類の有象無象の薄黒い肌のインド人ばかりでひしめき合った空港ロビーに脚を踏み入れた途端、激しいカルチャー・ショックを受け、原色の悪霊世界にでも迷い込んだかの如く眩暈するというのは、SRKの《サワデス》と相似している。

 《サワデス》はNASA的近代主義が、近世的封建世界そのままの母国インドにハレーションを起こし、安易に論理のすり替えをし、インド政府の広報かと思えるぐらいに時代錯誤な啓蒙主義をやらかし続ける。その空々しさには鳥肌立ってしまう。それでも、やはり、インドはインド、インドの大地(と人々)がそんな小賢しさを底なしに浸食し無化してしまう。そこが《サワデス》の面白さであろう。

 

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カナダの大都市で育ったナンディニは恋人シェカルと結婚し一児を設け一家団欒何不自由ない生活を送っていた。そんなある日、夫シェカルがテレビのニュースで自分の母親が事故に遭ったのを知り、一家三人でインドに帰国することになる。

 ところが、シェカルの故郷に戻った途端、次から次へと凶相の男輩がシェカルの生命を狙って襲い掛かってくる。間一髪シェカルの家族とその一党の銃で武装した男達に助けられ、シェカルの実家まで送られる。そこは町外れに聳えた城砦だった。シェカルの父親ナルシマは、その辺一帯の首領だったのだ。

 早速御曹司が帰ってこられた、それも新婦を伴っててんで、周辺住民が祝いに押し掛けてくる。新婦たるナンディニのお披露目披露と相成り、住民の女達の祝福を受ける。

 しかし、余りに今までの彼女の世界とかけ離れた土俗的・前近代的過な野蛮そのもの世界に、ナンディニは怖気を揮い一刻も早くカナダに戻りたいばかり。

 そこでは、アフガニスタンは言うに及ばず隣国パキスタンですら未だそうであろう血で血を洗う幾代にもわたる敵討ち等の血縁家族・部族紛争=部族世界が目の前で繰り広げられていた。首領の一人息子たるシェカルはそんな前時代的な野蛮と封建世界に嫌気が差しカナダに脱出していたのであった。

 シェカルの生命も危ないのを知って彼に執拗にカナダへの帰国を懇願するナンディニに負け、帰国便のチケットの手配を進める。そんな矢先、ナルシマに敵意を抱いていた政治屋が、ナルシマと何代も対立してきた勢力の首領と計らってナルシマ殺害を謀らんだ。しかし、ナルシマの乗るはずだった車にシェカルが乗ってしまい殺されてしまう。

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 動転してしまったナンディニはまだ小さな息子ラジャを抱いてナルシマの城砦から逃げようとしたが、首領ナルシマは息子シェカル亡き後自分の跡を継ぐべき孫のラジャを奪う。何としてもナンディニは、夫シェカルも嫌っていたこの延々と廻り続けるカルマの坩堝に、一粒種ラジャを残していくことだけはシェカルを裏切ることでもあり絶対に出来なかった。ナンディニと首領ナルシマのラジャを巡っての戦いが始まる

最後には、シェカルの母親や娘達が身を挺して彼女とラジャを逃がしてしまい、ナルシマ一派の男達が後を追った。砂漠の起伏や灌木に身を潜め何としても空港のある町まで行かねばならなかった。と、そこに、中東のドバイに出稼ぎに行くはずだった男(シャールーク)が現れ、ナンディニは有り金の米ドルを渡し、無事男達の追撃をかわし空港のある町を通る列車に乗り込めた。男は背中に被弾し遠ざかって行く列車を見送り最後の煙草を燻らせながら死んでゆく。

 空港に着けたと思ったら、ナルシマが配下の武装した男達を引き連れて現れた。ナンディニは半狂乱になってしまった。しかし、ナルシマには、ラジャを連れ戻す気は既になかった。只息子の嫁と孫ラジャを見送りに来たに過ぎなかった。特に自分にもよくなついていたラジャに最後の別れのキスをしてやりたかったのだ。長年諍い続けてきた妻や娘達の身を挺しての諫めに、さすがのナルシマもうなだれざるをえなかったのだ。ナンディニの頭に手を遣り撫で、両手を合わせ去ってゆくナルシマに、ナンディニとラジャも掌を合わせ見送った。

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正に女達の力の勝利と謂うべき、シャクティなのであった。

解釈は色々可能であろう。話の筋運びとは裏腹に、結局、欧米近代主義が、インドの土俗神達に脚をすくわれ引っ張られしてほうほうの態で逃げ出したってところだろう。                        

この映画で僕が気に入っているのに祝いの祭りの折りのミュージカル・シーンがある。曲も中々乗れて好いんだけど、メインで踊っている男、これが踊り(ダンス)が巧い。如何にも踊り踊りしてないにも拘わらず実に妙なのだ。つい最近まで、その男を、歌手か踊りのマスターかと観る毎に疑問に思っていたんだけど、僕が殆ど南インド映画を観ないせいであったらしく、彼プラブ・デヴァは知る人ぞ知る有名な振り付け師であり俳優でもあったのだ。マニラトナムの《ボンベイ》の振り付けも彼だし、あのカジョールとも共演していたらしい。

首領ナルシマの中風を患った親父つまりシエカルの祖父の笑顔も笑わせる。

ナンディニ     カリシュマ・カプール

シェカル      サンジェイ・カプール

ナルシマ      ナナ・パテカル

敵方の首領(叔父)  アヌパム・シャム

ベージヤ      ヴィジェイ・ラーズ

シェカルの母親   ディープティ・ナヴァル 

 シェカルの祖父   チャンドラカント・ゴカール

  ジェイシン     シャールーク・カーン

  夢中の美人     アイシュワラ・ラーイ

   スペシャル・ゲスト プラブ・デヴァ

  監督    クリシュナ・ヴァムシ

  脚本    クリシュナ・ヴァムシ

  撮影    S.スリラム

  音楽    アヌ・マニク

        イスマイル・ダルバル

  プロデューサー  シュリ・デヴィ

ボニー・カプール

  制作    シュリ・デヴィ・プロダクション 2002年作品

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2008年10月25日 (土)

日本浄土  原郷の探究

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藤原新也のブログであったか、本木雅弘主演の《おくりびと》を宣伝していて、基本的に日本映画は先ず観ないのにも拘らず、丁度男性千円の日だったので入ってみた。平日だったのに客の入りは悪くなかった。

本木が新也の“メメント・モリ”を昔読みインドに行ったりしたしていて、その着想から作られたような話であった。監督は別人だったが。

映画自体は、如何にもお決まり映画で特に何を記すほどのこともない。本木クンもすっかり好い俳優になったなというのと、既に亡くなった緒方拳と同じ世代の山崎努のかくしゃくとした演技に感心し、緒方ともどもあの世代のダンディズムを感じてしまった。山崎務あんなに動けるのなら、今のうちに最後の代表作的作品作って欲しいものだ。

                                          

「昔日の友人に若い頃の面影を重ね合わせるように,私たちは出生地を訪れると、そこに失われた過去の影を重ね合わせる。」

「私は桜の花越しの雲を見ていてふと遠い昔の『花見』のことを思い出していたのである。そこには父を中心に、母や兄弟姉妹や親戚や、私のところは旅館をやっていたから仲居さんたちや板前さんもいたりして、人々は頭上の桜の花のように満開だった。

あの人間のにぎわいはどこに行ってしまったんだろう。

ふとそう思ったのだ。

最初母が死に、父が死に、兄が死に、親戚の隼人兄ちゃんも死に,風のたよりにあの美人の仲居さんも死んだことも知ったし、あたかも満開の桜が一気に散るように、人間ってやつは儚い。」

畢竟、失われたものへの憧憬と追憶ってところであろうか。

そして、それは次には世界に向けられることになる。

「歩行の速度の中でこそ、失われつつある風景の中に息をひそめるように呼吸している微細な命が見え隠れする。」

「だがこの日本においてはその無名の麗しきものやことに出会うことが年々難しくなりつつある。

過剰な情報の流入は風景のみならず人間の心をも画一化し、大規模店舗の展開はささやかに息づいてきた土地のモノの流通や人の情を消し去り、中央と直結した土建行政によって古きものは跡形もなく破壊され、いずこにおいても無感動なツルリとした風景が目の前に立ちはだかる。」

「だから歩き続けなければならない。歩くことだけが希望であり抵抗なのだ。」

「ごく普通の風景、そして出来事でありながら、いや、であるからこそ現代においては得がたいという意味において本書を『日本浄土』としたのだ。」

己が「手のひらサイズの浄土」を求めての、彼、藤原新也の全国行脚の旅。

新也が故郷・門司港に度々訪れ年々変わりゆく姿に、思春時代に故郷を石もて追われた分だけ一層切実に己れの昔日の記憶=原郷すらが脆く毀れてしまいかねない危機感を覚えたのであろか。

さりとて、所詮一カメラマンに過ぎぬ身にとっては、それは又他の個々の誰であっても同様で、現実には如何ともし難い。それ故、なけなしの「抵抗」を不断に試み続けるしかない。時代はもうそこまで切迫し切っているのだから。

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2008年10月22日 (水)

神話 the Myth  秦始皇帝的洞天

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  この映画ちょっと旧く、ジェット・リーとの共演作《フォービデン・キングダム》の前で、丁度陳凱歌監督・真田広之主演の《無極》、陳芸謀監督・コン・リー主演《黄金甲》、馮小剛監督・章子怡主演《夜宴》等の中国の大型時代劇が相次いで出た頃。他国の姫が他国に嫁ぐという韓国=中国のプロットは、秦と元の違いはあるが、既に2001年キム・ソンス監督・章子怡主演の《武士》があった。

 別にJ・チェンのファンでもないのにこの映画に興味を持ったのは、インドでロケをし、インドの俳優も出演するという、インド(ボリウッド)映画が香港やバンコクでロケすることが次第に増え始めた現象に対応したものだったからだ。おまけに、ロケ先が普通なら先ず選ばれないであろうデカンのハンピという。

行き辛さもあって一度っきりしか訪れてないものの、あの周囲八方地平の果てまで岩だらけの廃墟・遺跡が見渡せる凄さって中々の景観ですっかり気に入ってしまった。嘗て僕が訪れた時にはまだトイレすらまともにない宿、否、宿すら余りなかった。近くの町に行けば別だったが。

マリカ・シェラワットという女優は僕は知らなかったが、インドでは結構セクシー女優として有名だったらしい。真偽の程は定かでないが、最初はアイシュワリヤ・ライにオファーがあったのをスケジュールの都合で流れたらしい。最近、A・ライ、ハリウッドの時代アクション物ザ・ラスト・レギオンに出演したのは、ちょっと遅きに逸した感を否めない。

最初余り期待してなかった。

案の定、冒頭からのアクション・シーン、いい加減中国の派手やかな衣装・甲冑等見慣れている目から観ると、何ともすべての面において安っぽさ・陳腐さが目立ってしまい白けてしまった。その上、J・チェンが考古学者でレオン・カーフェイ(梁家輝)反―重力を専門にした物理学者というのが何ともそぐわない。それでも舞台がハンピに移った辺りから次第にハンピの景観とスペクタクルな映像が好く、セクシー女優マリカ・シェラワットも雰囲気を盛りたて、次第に見れるようになってくる。

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秦の始皇帝の秘された巨大な霊廟、これはイマジネーティヴで気に入った。滝の背後に秘された洞窟=秘境・異界への入り口って、中国神話・民話の定番でもあり、又、日本をはじめ世界中に流布してもいるようだ。孫悟空の水蓮洞も有名。今時反―重力を荒唐無稽と言えるかどうかはともかく、若干の科学的意匠と伝説を基に拵えられたこの古装武侠故事片、脚本はあの全米で大ヒットしたらしいグリーン・デストニィやトニー・レオン主演のラスト・コーションの台湾の女性脚本家・王恵玲。(来年?章子怡主演予定のムーランにも参加するらしい。) しかし、彼女、どのくらいからこの作品に関わったのだろう。

せっかくの面白セットもお決まりドタバタじゃ情けない。J・チェンは「普通の古装武侠映画ならぼくが出る意味がない」と言ってたらしいが、今時まだ変り映えのしないワン・パターンを繰り返す方の意味が、ファンではない僕には分からない。尤も、ファンとはあのお決まりを見たいのだろうけど、もうラッシュ・アワーだけで十分じゃなかろうか。そろそろ新境地を開発すべきだろう。

ダニエル・ウーや竹中直人なんかも共演している「新宿事件」なんかそんな新境地の模索的作品なのかも知れないが、公開延期になってしまって残念。カンフー・マスターではなく、単なるオヤジを演じたらしい。

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J・チェン         蒙毅将軍/ジャック

キム・ヒソン        玉漱 

L・カーフェイ       ウィリアム  

 マリカ・シェラワット    サマンサ

  ラム・ゴパール・バジャイ インドの老子  

チェ・ミンス        チェ将軍

 

 監督 唐季禮 スタンリー・トン

脚本 王恵玲

撮影 黄永恆

音楽 王宗賢

制作 英皇電影   2005年作品

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2008年10月18日 (土)

エクラヴィヤ   追憶のラジャスターン

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 ビッグBこと、アミターブ・バッチャンの老年アミターブの面目躍如とした作品で、暮れなずむラジャスターンの黄昏の如く消え去ってゆく遺制(王制・封建制)への鎮魂と追憶ってところだろうか。その象徴としての最後の近衛兵エクラヴィヤ。本当は、挽歌って言葉を使いたかった。けど、映画の結末がそれを押し止めさせた。

 上映時間105分、てっきり流行りの英語映画かと思ったら、そうでもなく、観始めて、これ又最近ボリウッドで流行りのシェークスピアの翻案物かと疑ってかかるとどうもそうでもないようだった。

 時代は現代、しかし意匠は中世、尤もインドって巷でも中世は生き続けているので、その境は甚だ微妙。

 ラジャスターンの古城で、そこのもはや領土なき藩王ジャイバルダンの妃スハシニデヴィが、病の床で藩王の見守る中で、最後の呻きの如くある人物の名を呼びつづけた。

 「エクラヴィヤ、エクラヴィヤ・・・」

 滞在先のロンドンから一人息子ハルシュワルダン王子が急遽帰国した。藩王の弟ジョティワルダンとその息子ウダイワルダンも既に駆けつけていた。燃え盛るカファンに包まれた母親の屍の周囲を松明を手に左回りに廻りながらハルシュワルダン王子は、直前に母親が寄越した手紙に認められていた秘密(カルマ)に心揺れ無常の冷やかな風が吹き抜けていた。

 

 妹ナンディニ姫の部屋にハルシュワルダンが訪れると、テーブルの上に彼女が描き溜めた絵が何枚も積んであった。と、その中の一枚に眼が釘付けになってしまった。父王ジャイワルダンが母后スハシニデヴィの首を絞めている絵であった。心を病んでいたナンディニの残酷な現実の赤裸々な具象画であった。華奢なナンディニの心に赤々ととぐろを巻き紅蓮の炎を吐き続けた秘密(カルマ)に、ハルシュワルダンは

思わずナンディニを抱きしめてやり嗚咽するしかなかった。

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そんなある日、ジャイワルダン王は、お抱え運転手とエクラヴィヤを伴って外出した。郊外の踏切に差し掛かり車が止まると、突然何者かの撃った銃弾がガラスを砕き運転手の頭を撃ち抜いた。

王を狙撃したに違いない、とエクラヴィヤは、王を伏せさせ、愛用の拳銃ワルサーを片手に外に飛び出した。無数のラクダの群れが車の前を遮るように砂塵をあげてゆっくりと通り過ぎてゆく。エクラヴィヤは地面に腹這いになってラクダ達の脚の向こうの敵を必死に捜した。

 と、何者かが、エクラヴィヤの手を靴で蹴り上げワルサーを跳ね飛ばした。やがてラクダの隊列もとぎれエクラヴィヤが慌てて車の方に戻ろうとすると、ドアが開き、王がフラフラと歩み出、地面に倒れた。何者かに撃たれていたのだ。やがて王は息を引き取ってしまった。エクラヴィヤは呆然としてしまう。自分が傍についていながら・・・

 ハルシュワルダンが部屋に戻ると、背後からエクラヴィヤの声がした。驚いて振り返ると、愛用のワルサーを手にエクラヴィヤが佇んでいた。てっきり、彼の命に従って、エクラヴィヤの故郷の村に戻り安寧に余生を送ってくれているものとばかり思っていたのだ。

 エクラヴィヤはワルサーを手にしたまま不可解さを晴らそうと、告白し始めた。村には帰らず、そのまま亡くなった王の弟の息子ウダイワルダンの居所に向かい彼を殺した、と。踏切の処で彼の手を蹴った賊の履いていた靴が正に彼ウダイワルダンのものだったからだ。そして彼の父親ジョティワルダンが、エクラヴィヤに刺殺される前に、何と、王殺害を依頼してきたのは、王の長男であり新王のハルシュワルダンその人だと告げた、とも。

 一体何故そんなことをしたのだと、エクラヴィヤは詰問した。

 ハルシュワルダンは真実を告げた。

 王の妃シハシニデヴィが幾度も漏らしたエクラヴィヤの名で、王妃の産んだ双生児ハルシュワルダンとナンディニの実の父親がエクラヴィヤであることを王が気付き、堪えられず妃を自ら絞殺してしまったこと。母后が手紙でエクラヴィヤが本当の父親であることを既に告白していたことも。そしてその母親殺害の報復のため彼がジョティワルダンに義父王殺害を依頼したことも。さらに、王の方がエクラヴィヤ殺害をジョティワルダンに命じていたことも。

 只、ハルシュワルダンは、婚約者のラッジョーの父親である運転手オンカルを結果的には殺してしまったことを悔い、果てしない業(カルマ)の連鎖を断ち切るために、自らの生命を断とうと拳銃をこめかみに向け引き金を引こうとした次の刹那、エクラヴィヤの短剣が飛んだ。ハルシュワルダンの手を掠め拳銃は床に転がり落ち、ハルシュワルダンは一命を取り留めた。

 自ら銃口を向け、正に引き金を引こうとしたその瞬間、カルマの連鎖は断ち切られ、ダルマ()は成就された・・・?

  実在の城塞や宮殿を使っての撮影らしく、広大且つ美麗な建物自体が嘗ての栄華を偲ばせる哀愁を帯びた優雅さを湛えている。アミターブは正に古のラージプト戦士を彷彿とさせているが、個人的にファンのナンディニ役のライーマ・センも適役だったと思う。ただ、もう少しスラリとして欲しかった。

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エクラヴィヤ    アミターブ・バッチャン

王         ボマーン・イラニ

王妃        シャルミラ・タゴール

王子        サイーフ・アリ・カーン

ナンディニ姫    ライーマ・セン

ラッジョー     ヴィディヤ・バラン

警部        サンジェイ・ダット

王の弟       ジャキー・ショーロフ

監督    ヴィドゥ・ヴィノッド・チョプラ

脚本    アヴィジャット・ジョシ

      スワナンダ・キルキレ

      ヴィドゥ・ヴィノッド・チョプラ

音楽    シャンタヌ・モイトラ

撮影    ナタラージャ・スブラマニアン

制作    ヴィノッド・チョプラ・フィルム 2007

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2008年10月16日 (木)

旅先の珈琲 (カンボジア)

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  ちょっと前まで、マクドナルドのプレミアム\120コーヒーが、珈琲専門店スターバックスの珈琲に肉薄しているとか喧しかったけど、所詮ファースト・フード珈琲でしかなく、比較の対象になるようなものではなかった。要するに、米英主導の果てしない軍産複合体的侵略戦争のツケが米英をはじめ世界中に波及したに過ぎず、一部の者以外の誰もが、安い方へ安価な方へと流れただけのこと。

 そもそも普通の珈琲チェーン店より少し上を狙っているスターバックスの客が、そのままマックに流れるなんて先ず有り得ないだろう。スターバックスに衰退があるとすれば、それはスターバックス自身に内在していた問題の故だろう。

アジアを旅していると種々様々な茶=チャイを楽しめるが、更に珈琲(コーヒー、カフェ、コピ、ガウヴェ)もそれぞれの国独特のものが味わえる。

 僕の場合、一番多く珈琲を飲んだのはカンボジアであった。主にプノンペンだけど、ここは布漉しフィルター方式。路地の屋台でも、レストランでも気軽に飲めるし、味も悪くない。

 狭い厨房の傍らに珈琲を濾す布フィルターが何枚も並べてあり、皆布が長め。グラス用ではなく、ストーブの上の大きなアルミカップ用なので長目なんだろう。ていると、蓋を取った大きめの土瓶の上に直にアルミ・カップの大きな奴を乗せ、その上に布フィルターを乗せ、何度も何度も執拗に濾している。小さめのクーラーに砕いた氷を予めいっぱい入れている。

先にグラスに砂糖かコンデンスを入れ、珈琲を注ぎ、大きめの匙で三杯くらい山盛りに氷を入れて小皿を添えて出す。

只、東南アジアは基本的にコンデンスミルクなので、僕はアイス珈琲しか飲まない。ホットだとコンデンスの甘さが際立って到底飲めたものではない。ブラックという手もなくはないが今一つ馴染めない。バリのコピもそうだけど。あれだったら、小さな杓子状のジエスヴェで煮立て小さなカップで飲むトルコ珈琲の方が全然好い。

完全にカンボジア人の日常的飲物で、旧宗主国フランスの影響も大きかろうが、フランス・パンに珈琲、これはラオスでも同じだった。ベトナムだけ、アルミフィルターが独特で、この出自は如何なんだろう。

豆は何処のかは分からない。カンボジア国内でも作っているようだし、隣国タイやベトナムでも栽培している。タイ豆なんて、日本ではメニューにないようだが、タイのスターバックスには有るようだ。

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2008年10月12日 (日)

稲妻 (成瀬巳喜男)

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  前年の《めし》に続いての林芙美子の原作物で、今回は田中澄江の脚本。戦後七年目の1952年作品。終戦後すぐに女性脚本家が複数居たって今頃知って驚いてしまった。

 1941年の《秀子の車掌さん》以来の高峰秀子とのコンビで、後年《浮雲》に結実することになる。

 《浮雲》では、戦時中仏印(ベトナム)で出遭った男に、戦後もウジウジとしがみ続ける女であったが、この《稲妻》では、逆に男嫌いな清純なハト・バスのバス・ガイド娘を演じていて、高峰の魅力が溢れている。戦後七年目の東京、モノクロの下町の点描も好い。

 すべて父親が異なる三女一男の四人兄弟。

 長女は龍三といううだつの上がらぬ株と競馬にうつつを抜かす男と所帯を持ちいい加減辟易している。長男は南方の前線で喰らった実弾数十発が今でも身体の中に入ったままで、南方ボケとやらで失職中のパチンコ屋通い。次女は姉に押し付けられた男と一緒になり、小さな商店を一人で切り盛りしていたが、その夫がある日突然外で急死してしまい、その保険金が入ることになる。葬式が済むや否やの、家族とその周辺の保険金を巡っての心の揺らぎ・人間模様。

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 ある日、長女・縫子が末娘・清子(高峰秀子)の婿としてパン屋の綱吉という中年男との縁談を持ってくる。清子は如何にも胡散臭い脂ぎった中年男の綱吉を一目見ただけで嫌悪してしまう。程度の差こそあれ、清子は、同様に兄達にも、つまり、男そのものに対して生理的な嫌悪感を持っていた。それは彼女の出自にも関わってくる。

 時を同じうして、次女・光子の旦那が外で脳溢血で死んでしまう。

 ようやく葬式も終わり、途方に暮れながらも、さてこれから如何やって生きていこうかと悩む暇もなく、早速まだ手中にすらしてない保険金を狙って、家族やその親族達が何やかやと群がり寄ってきた。死んだ旦那の愛人までもが乳飲み子を背負って現れる始末。

 「みんな一体何の権利があって、ひとの保険のことなんか気にするの!

 

 結局、姉夫婦の営っている旅館を手伝うことになってしまう。が、その頃には、姉の縫子はやり手のパン屋の綱吉の元に走り、夫・龍三とは完全に絶縁状態になってしまう。酔った龍三が旅館に現れ縫子と喧嘩をしたりで、辟易してそこを止めてしまい、神田に自分の喫茶店を開いた。清子が訪れてみると、何とそこにあのパン屋の綱吉が二階から現れ光子に馴れ馴れしい口をきいているではないか。

 清子は母親の家を飛び出し、静かな年配の寡婦の一軒家の二階を借りて住むことになった。その隣の小さな貸家からいつも流暢なピアノの音が流れてくる。両親の居ない二人の兄妹が住んでいた。仲睦まじく明るい、清子達とはまるで別個の世界の人間の如く思え、自らの惨めさと彼等に対する羨望の念に堪えがたさを覚えてしまう。やがて兄妹の兄に対してほのかな恋心を抱く。

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そんなある夕昏、母親が訪ねてくる。堪えられなくなってか光子が姿をくらませてしまったという。あのひとは大丈夫よ、早まった真似なんてしやしないわ、死んだ旦那の墓にでも行ってるんじやないの、と自殺を恐れる母親を宥める。そのうち話が次第に煮詰まってくる。

 

「そうよ! 産んでくれなきゃ好かったのよ! 犬や猫みたいに行き当たりばったりの子供なんて、私は生れて一度だって幸福だなんて思ったこと、ないわよ!・・・(泣声)

 (団扇を手にしたまま母親も泣き出す。・・・隣家からピアノの音が流れてくる。・・・清子が立ち上がり電灯を点ける。)

 ・・・・・・

 「母ちゃんだって、子供を不幸にしようと思って産みやしないよ! 一人ひとりお腹を痛めて産んだんだ! 誰が悪いって言うんだよ! ・・・誰が・・・誰が・・・(泣声)

 (・・・窓の外の遠くに稲妻が光る)

 

 産んでくれなきゃ好かったのよ!”というフレーズや保険金を巡る家族の人間模様、こんな昔から使われていたとは知らなかった。ひょっとすると、戦前にまで遡るのであろうか。物語の方は、龍三に散々有り金を無心され一文無し状態の母親に、清子が自分の僅少な貯金をはたいて母親に浴衣を買ってやろうと言い出すと、母親が売れ残り物なんて嫌だよと涙を拭いながら笑って応える。所謂雨降って地固まるっところなんだろう。

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 タイトルである稲妻、窓外の遠い稲妻は、すったもんだの挙句のピリオド、遠のいて往く嵐のかそけき閃光という訳なのか。母娘二人して静かな夜道を、ひょっとして光子が戻っているかも知れないと帰宅する母親を途中まで送ってゆく最後のシーンに、予断を許さぬ気配は微塵も感じられないようにみえる。むしろピアノ兄妹の兄の如何にも育ちの好さが窺われる笑顔すら夜空の向こうに浮かんでいかねない。

 それでも、稲妻が、実は後年の、清子の辿ってゆくことになる浮雲のゆき子のような軌跡=(あるいは風雪)を予兆する閃光だったと牽強付会的な穿ち視の余地はまだ残されているのではなかろうか。

監督 成瀬巳喜男

原作 林芙美子

脚本 田中澄江

撮影 峰 重義

美術 仲美善雄

音楽 斎藤一郎

高峰秀子  清子

三浦光子  光子

村田知英子 縫子

浦辺粂子  母おせい

植村謙二郎 龍三

丸山修   嘉助

小沢栄   パン屋の綱吉

香川京子  つぼみ

根上淳   つぼみの兄・周三

制作 大映 1952年作品

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2008年10月 8日 (水)

つげ義春とぼく   出自、あるいは不可知の海

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《 紅い花》や《ねじ式》は、もう"古典"の部類に入ってしまっているようだけど、この《つげ義春とぼく》は、'77年に一度晶文社から出版され、'92年に新潮文庫から再出版された。
 
 「颯爽旅日記」、「夢日記」、「断片的回想記」、「旅の絵本」、「桃源行」の五章からなる、つげの文章と圧倒的に克明な風景と切り取られた紙人形(ひとがた)の如く貼り付けられた人間達の挿絵で構成された一冊。私的には、つげの回想録である「断片的回想記」が彼の筆致と相俟って一番面白い。「夢日記」も、'05年に早逝した画家・石田徹也の昏い情念の絵画と同じトーンを帯びた如何にもつげらしい昏さとイマジネーティブな絵も面白い。

 「断片的回想記」に"自殺未遂"という一節がある。
 嘗て錦糸町に住んでいた頃、「つまらぬことが原因」で、自殺を企てたらしい。睡眠薬ブロバリンを薬局で百錠も買い込み、当時つげが居候していた部屋の主Kさんが入り浸っていた駅前のバーに行って、Kさんに水割りやジンフィズを奢って貰った。これはつげの計算された行動で、「睡眠薬はアルコールとの混飲が効き目がある」からだった。
 一足先にバーを出て自分の(Kさんの)部屋に戻り、さっそく80錠ほど飲んだ。
 しかし、それ以上は苦しくて到底飲めなかったらしい。その内、眠気に襲われ、寝床に横になっていると、つげの態度に不可解なものを感じていたKさんが直ぐ彼の跡を追ってきて、危うく一命を取り留めたという。

 「病院では、私は苦しみのたうち三度ベッドからころげ落ちた。Kさんは寝ずに看病してくれた。二日め、近所の画家のHさんがお見舞いに来てくれれたとき、医師は私の放尿、脱糞を案じてオムツをしようとした。看護婦がズボンのチャックを下ろしたとき、私は無意識でチャックを閉め直した。二、三度同じことをくり返したので、医師は力ずくで私のズボンを脱がせようとした。KさんHさん看護婦など四人がかりでも私を抑えきれなかった。私はHさんの画家としての感覚を批判する夢をみていたようで、『センスがねえなあ』と怒鳴ったのを覚えている。医師は私に手をやいたが命に別状ないと診断した。」

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 つげの父親は、大島で板前をやっていたらしい。
 皇族すら泊まる一流の旅館の板頭。それが、如何なる理由によってか大島を離れ、福島の四倉に移って"寿司屋"を営り始めてから次第に運が傾き、出稼ぎ先の東京の旅館で病を獲てとうとうそこの薄暗い布団部屋に押し込まれてしまった。挙句、母親に連れられてつげの兄弟が最後に会いに行った時には、どす黒い顔に、のび過ぎた爪で空を掻くように死んでいった。

 「万引き」では、つげの母親の父親は、つまりつげの祖父は、元々漁師だったのが戦後のドサクサで、体力の衰えもあってか、漁網を盗んでは転売する泥棒稼業にうつつを抜かすようになったらしい。
 それでも、二年ほどで逮捕され、一年服役したという。やがて出所し、他に行く宛もないので、つげ(の母)の家へ転がり込んできた。ところが、母親は昔祖父のところの養女となって可成り過酷な仕打ちを散々受けてきたのを恨んでいて、立場が逆転し、「このボッタ爺い、何処へでも行っちまえ」と、収入もなく、家にいつもくすぶるしかない刑務所暮らしでめっきり体力も落ちた義父に酷く当たるようになった。
 「ボッタは、ボロ布という意味で、義父は着る物を買う金もなく、つぎはぎだらけのボロ雑巾のようななりをしていた」
 女手一つで必死に三人の子供を養い続けてきた貧しい家庭では確かに起こり得べき事だろう。

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「それでも手塚(おさむ)の新刊(マンガ)が出ると、私は祖父に買ってくれとねだった。祖父の収入のないことに考え及ばず困らせた。
 ある日、近所の本屋へ無理やり祖父をひっぱって行き、手塚の新刊を買わせようと、かなりしつこくねばったら、金は後日必ず都合をするから先に本を貸して欲しいと祖父は交渉した。しかし乞食のような祖父を見て本屋の主は断った。すると祖父は私の手をひいて隣町の本屋へ行き、そこで『どれが欲しいのか』と訊いた。祖父は文盲で文字が読めない。私は『これだよ』と指差すと、『これか、これだな』と念を押し、ちょっと考え込む風にした。私は『間違えんなよ』と言って外に出た待っていた。
 ほんの一分もしないうちに祖父は何くわぬ顔で店から出て来たが、半纏のふところから手塚の本がちらりと見えた。だが五米も行かぬうち、本屋のオヤジが血相を変えて跡を追って来て、祖父から本を奪い取るとその本でパンパンと二つ祖父の頬を叩いた。本屋のオヤジは顔面蒼白になって体をふるわせていたが物も言えぬほど昂奮していたようで、それ以上とがめることもなく店にひっこんだ。
 祖父はしばらくうなだれじっとしていたが、
『行くべえよ』
 と言って私の手をひいた。祖父は鼻みずをたらしていた。冷たい風が吹いて木の葉が舞っていた。私はいまいましそうに、
『ちえっ』
 と舌うちした。」 

 つげは幼少の頃からあっちこっち転々として育った。
 おまけに、戦争世代だったので、疎開すら経験していた。ふと、藤原新也の「喪失感から出発している」という言葉を想い出した。新也とは些かその出自・環境の相異はあるものの。
 
 「母はじいさまとは折合いが悪く、子供の頃から過酷な仕打ちを受け、じいさまのために苦労の絶え間がなかったというのに、なぜ招きに応じたのだろうか。しかも、じいさまは四倉に一時的に滞在していたにすぎず、いつまた何処へ流れて行くかもしれず、じいさまがいなくなれば、父や母にとって四倉は縁もゆかりもない心細いところということになる。
 このとき、私の兄は二歳のときだったというから、昭和十、十一年ころのことになる。私は兄より二歳下だが、月数にすると三歳のひらきがある。私はこの四倉で母の腹に宿ったそうだ。私は戸籍上では昭和十二年十月生まれとなっているが、実際には四月生まれである。十月十日を逆算してみて私は胸が痛くなった。人間は何処で宿り何処で誕生しようとも、またいつ何処で死のうとも、それは偶然のことと思っていたのに、縁もゆかりもない寂しい四倉で生を授かったということがひどく根拠の薄いものに感じられたからである。」
 「・・・私は近ごろなぜか、自分の生れる以前のことを知りたいと思うようになった。守子(つげの姉。三歳で死亡)のこと、四倉で過した父母のこと、そのほか母の語る断片のいくつか、それらは私の直截関知せぬことである。にもかかわらず、私の生れる以前の、私の生の過去として心にやきつくのである。
 たった一度だけ偶然に立寄った四倉へ、私は再び出掛けてみたいと思っている。」

 《つげ義春とぼく》 著・つげ義春  (新潮社)

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2008年10月 5日 (日)

バイヨン・パーニック   カンボジアのフリー雑誌

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  カンボジアの首府プノンペンのキャピトル・レストランじゃ、落書帳に近い"情報ノート"でなければ少年・少女が売りに来る日刊紙"カンボジアン・デイリー"そして店の一角にポンと積まれたフリー(無料)雑誌"バイヨン・パーニック"(英語)が数少ない文字情報媒体であった。大部過って、趣旨の定かならぬフリーの日本語紙"龍包"も見掛けるようになった。

 "情報"誌というにはほど遠い代物ではあるが、"バイヨン・パーニック"は、天井ファンが熱気を掻き混ぜる下で、シクロやバイ・タク、荷物を満載したピックアップ・トラック、乗用車の群れが通りを白煙蹴立てて立ち往生の渋滞を眺めるのに飽きた時なんか、ちょっと眺めるのに調度好いファラン(白人)輩のご満悦と飲み屋の宣伝ばかりの雑誌であった。
 モーター・スポーツが連中の好みらしく、毎号載っていた。

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  1999年の2月号では、前年末に開催された"アジア大会"に続いて同じバンコクで行われた"身障者"の大会の記事が表紙と冒頭を飾っていた。如何にも、地雷の国・カンボジアってところで、この頃は、まだ町中にいっぱい片脚や両脚を失った男達が居て、戦争・内戦の後遺症として風物詩と化していた。嫌でも馴染んでしまい、やはり、彼等の誰かが競技会に出たのであれば、つい応援したくなってしまう。この大会では、銀・銅メダルを獲得したという。
 今度の北京でのパラリンピックじや随分ハイテク化して後進国・貧乏国は蚊帳の外になってしまったのか。カンボジアの選手達が如何だったのだろう。隣国タイの方は金メダルも銀メダルも取ったようだ。やはり、ハイテクだからか。貧乏国はローテクのマン・パワーだけでプレイするしかないんだろう。でも、順位やメダルに拘っても仕方ないのも事実。精一杯やればいいだけで、順位は単なる結果に過ぎない。この本末転倒が全ての禍の基。

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