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2008年10月12日 (日)

稲妻 (成瀬巳喜男)

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  前年の《めし》に続いての林芙美子の原作物で、今回は田中澄江の脚本。戦後七年目の1952年作品。終戦後すぐに女性脚本家が複数居たって今頃知って驚いてしまった。

 1941年の《秀子の車掌さん》以来の高峰秀子とのコンビで、後年《浮雲》に結実することになる。

 《浮雲》では、戦時中仏印(ベトナム)で出遭った男に、戦後もウジウジとしがみ続ける女であったが、この《稲妻》では、逆に男嫌いな清純なハト・バスのバス・ガイド娘を演じていて、高峰の魅力が溢れている。戦後七年目の東京、モノクロの下町の点描も好い。

 すべて父親が異なる三女一男の四人兄弟。

 長女は龍三といううだつの上がらぬ株と競馬にうつつを抜かす男と所帯を持ちいい加減辟易している。長男は南方の前線で喰らった実弾数十発が今でも身体の中に入ったままで、南方ボケとやらで失職中のパチンコ屋通い。次女は姉に押し付けられた男と一緒になり、小さな商店を一人で切り盛りしていたが、その夫がある日突然外で急死してしまい、その保険金が入ることになる。葬式が済むや否やの、家族とその周辺の保険金を巡っての心の揺らぎ・人間模様。

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 ある日、長女・縫子が末娘・清子(高峰秀子)の婿としてパン屋の綱吉という中年男との縁談を持ってくる。清子は如何にも胡散臭い脂ぎった中年男の綱吉を一目見ただけで嫌悪してしまう。程度の差こそあれ、清子は、同様に兄達にも、つまり、男そのものに対して生理的な嫌悪感を持っていた。それは彼女の出自にも関わってくる。

 時を同じうして、次女・光子の旦那が外で脳溢血で死んでしまう。

 ようやく葬式も終わり、途方に暮れながらも、さてこれから如何やって生きていこうかと悩む暇もなく、早速まだ手中にすらしてない保険金を狙って、家族やその親族達が何やかやと群がり寄ってきた。死んだ旦那の愛人までもが乳飲み子を背負って現れる始末。

 「みんな一体何の権利があって、ひとの保険のことなんか気にするの!

 

 結局、姉夫婦の営っている旅館を手伝うことになってしまう。が、その頃には、姉の縫子はやり手のパン屋の綱吉の元に走り、夫・龍三とは完全に絶縁状態になってしまう。酔った龍三が旅館に現れ縫子と喧嘩をしたりで、辟易してそこを止めてしまい、神田に自分の喫茶店を開いた。清子が訪れてみると、何とそこにあのパン屋の綱吉が二階から現れ光子に馴れ馴れしい口をきいているではないか。

 清子は母親の家を飛び出し、静かな年配の寡婦の一軒家の二階を借りて住むことになった。その隣の小さな貸家からいつも流暢なピアノの音が流れてくる。両親の居ない二人の兄妹が住んでいた。仲睦まじく明るい、清子達とはまるで別個の世界の人間の如く思え、自らの惨めさと彼等に対する羨望の念に堪えがたさを覚えてしまう。やがて兄妹の兄に対してほのかな恋心を抱く。

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そんなある夕昏、母親が訪ねてくる。堪えられなくなってか光子が姿をくらませてしまったという。あのひとは大丈夫よ、早まった真似なんてしやしないわ、死んだ旦那の墓にでも行ってるんじやないの、と自殺を恐れる母親を宥める。そのうち話が次第に煮詰まってくる。

 

「そうよ! 産んでくれなきゃ好かったのよ! 犬や猫みたいに行き当たりばったりの子供なんて、私は生れて一度だって幸福だなんて思ったこと、ないわよ!・・・(泣声)

 (団扇を手にしたまま母親も泣き出す。・・・隣家からピアノの音が流れてくる。・・・清子が立ち上がり電灯を点ける。)

 ・・・・・・

 「母ちゃんだって、子供を不幸にしようと思って産みやしないよ! 一人ひとりお腹を痛めて産んだんだ! 誰が悪いって言うんだよ! ・・・誰が・・・誰が・・・(泣声)

 (・・・窓の外の遠くに稲妻が光る)

 

 産んでくれなきゃ好かったのよ!”というフレーズや保険金を巡る家族の人間模様、こんな昔から使われていたとは知らなかった。ひょっとすると、戦前にまで遡るのであろうか。物語の方は、龍三に散々有り金を無心され一文無し状態の母親に、清子が自分の僅少な貯金をはたいて母親に浴衣を買ってやろうと言い出すと、母親が売れ残り物なんて嫌だよと涙を拭いながら笑って応える。所謂雨降って地固まるっところなんだろう。

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 タイトルである稲妻、窓外の遠い稲妻は、すったもんだの挙句のピリオド、遠のいて往く嵐のかそけき閃光という訳なのか。母娘二人して静かな夜道を、ひょっとして光子が戻っているかも知れないと帰宅する母親を途中まで送ってゆく最後のシーンに、予断を許さぬ気配は微塵も感じられないようにみえる。むしろピアノ兄妹の兄の如何にも育ちの好さが窺われる笑顔すら夜空の向こうに浮かんでいかねない。

 それでも、稲妻が、実は後年の、清子の辿ってゆくことになる浮雲のゆき子のような軌跡=(あるいは風雪)を予兆する閃光だったと牽強付会的な穿ち視の余地はまだ残されているのではなかろうか。

監督 成瀬巳喜男

原作 林芙美子

脚本 田中澄江

撮影 峰 重義

美術 仲美善雄

音楽 斎藤一郎

高峰秀子  清子

三浦光子  光子

村田知英子 縫子

浦辺粂子  母おせい

植村謙二郎 龍三

丸山修   嘉助

小沢栄   パン屋の綱吉

香川京子  つぼみ

根上淳   つぼみの兄・周三

制作 大映 1952年作品

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