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2008年10月25日 (土)

日本浄土  原郷の探究

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藤原新也のブログであったか、本木雅弘主演の《おくりびと》を宣伝していて、基本的に日本映画は先ず観ないのにも拘らず、丁度男性千円の日だったので入ってみた。平日だったのに客の入りは悪くなかった。

本木が新也の“メメント・モリ”を昔読みインドに行ったりしたしていて、その着想から作られたような話であった。監督は別人だったが。

映画自体は、如何にもお決まり映画で特に何を記すほどのこともない。本木クンもすっかり好い俳優になったなというのと、既に亡くなった緒方拳と同じ世代の山崎努のかくしゃくとした演技に感心し、緒方ともどもあの世代のダンディズムを感じてしまった。山崎務あんなに動けるのなら、今のうちに最後の代表作的作品作って欲しいものだ。

                                          

「昔日の友人に若い頃の面影を重ね合わせるように,私たちは出生地を訪れると、そこに失われた過去の影を重ね合わせる。」

「私は桜の花越しの雲を見ていてふと遠い昔の『花見』のことを思い出していたのである。そこには父を中心に、母や兄弟姉妹や親戚や、私のところは旅館をやっていたから仲居さんたちや板前さんもいたりして、人々は頭上の桜の花のように満開だった。

あの人間のにぎわいはどこに行ってしまったんだろう。

ふとそう思ったのだ。

最初母が死に、父が死に、兄が死に、親戚の隼人兄ちゃんも死に,風のたよりにあの美人の仲居さんも死んだことも知ったし、あたかも満開の桜が一気に散るように、人間ってやつは儚い。」

畢竟、失われたものへの憧憬と追憶ってところであろうか。

そして、それは次には世界に向けられることになる。

「歩行の速度の中でこそ、失われつつある風景の中に息をひそめるように呼吸している微細な命が見え隠れする。」

「だがこの日本においてはその無名の麗しきものやことに出会うことが年々難しくなりつつある。

過剰な情報の流入は風景のみならず人間の心をも画一化し、大規模店舗の展開はささやかに息づいてきた土地のモノの流通や人の情を消し去り、中央と直結した土建行政によって古きものは跡形もなく破壊され、いずこにおいても無感動なツルリとした風景が目の前に立ちはだかる。」

「だから歩き続けなければならない。歩くことだけが希望であり抵抗なのだ。」

「ごく普通の風景、そして出来事でありながら、いや、であるからこそ現代においては得がたいという意味において本書を『日本浄土』としたのだ。」

己が「手のひらサイズの浄土」を求めての、彼、藤原新也の全国行脚の旅。

新也が故郷・門司港に度々訪れ年々変わりゆく姿に、思春時代に故郷を石もて追われた分だけ一層切実に己れの昔日の記憶=原郷すらが脆く毀れてしまいかねない危機感を覚えたのであろか。

さりとて、所詮一カメラマンに過ぎぬ身にとっては、それは又他の個々の誰であっても同様で、現実には如何ともし難い。それ故、なけなしの「抵抗」を不断に試み続けるしかない。時代はもうそこまで切迫し切っているのだから。

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