ハンピ 遙かなる石の都
J.チェンの《神話》で久し振りに巨石群の都ハンピの壮大な風景を見て、かれこれもう十五年くらい以前に、一度だけだったが、訪れすっかり気に入ってしまったハンピのことをあれこれ思い出した。
ここはカルナータカ州デカン高原南部の、トゥンガバドラ川(古名パンパー)に沿った中世の遺跡群で、アンコールワットと同様長い間忘れ去られていた。だから町自体は比較的最近出来たらしい。
嘗てはヴィジャヤナガラ王国の都として川の古名パンパーがカンナダ語化してハンピになったという。六世紀頃から既に聖地として信仰の対象になっていて、土着のパンパー女神はヒンドゥー教のパールバティと同一視され、現在でも宗教活動が行われているシヴァを祀った川沿いのヴィルーパークシャ寺院はパンパーパティ寺院とも呼ばれているらしい。
侵略してきたイスラム勢力に対抗するため南部諸国が協同して作った都らしく”勝利の都”という意味のヴィジャヤナガラとなり、数世紀の間繁栄していたようだ。それでも十六世紀にはイスラム軍に大敗を喫し、ハンピ(ヴィジャヤナガラ)を放棄しペヌコンダに遷都を余儀なくされてしまった。
所謂”シャンバラ”も、同様に侵略してきた破竹の勢いのイスラム勢力に対する強迫観念が生んだ産物というのはもはや歴史的定式となっている。
ヒンドゥー=イスラムの戦いなんて、あの宏大な地平線の果てまで拡がった岩石と遺跡のモニュメントを前にした時、てんでそぐわず、もっと遙か以前の古代やドラヴィタ=ヒンドゥーの神々の相克ぐらいでないと話にもならない。やはり、ネックは”パンパ女神”であろうか。しかし、それは当方の手に余り、他に委ねよう。
僕がこのハンピを訪れたのは、1993年の初頭で、アウランガバード➝ビジャプール➝ホスペット➝ハンピとバスで移動し続け。ホスペットからハンピまで、バスで三十分ぐらいで2Rs(ルピー)。
ビジャプールからのバスから遠くに見えていた山頂の石群が、実際に訪れてみると、バナナと椰子の林に囲まれた(巨)石遺跡群、そしてそれが際限なく見渡す限り遠くまで続いているスケールには圧倒されるしかなかった。半年でインド・ネパール一周という目標・制限がなければ気の済むまで滞在したかった。実際、視界に入る限りを逐一見て廻ったとしたら、悠に半年、否、一年くらいはかかってしまいそうだった。
当時はハンピにはバザールや白人相手のレストランは軒を並べていたけど、ホテルの類は余りなくて、たいていは隣町ホスペットの宿から通うのが普通だった。トイレが付設されたホテルは一軒しかなく、他のホテルの泊まり客は、何処かで用を足すのでなければ、そのホテルまで行ってトイレを借りなければならなかった。
僕はクリシュナ・ゲスト・ハウスに泊まった。手違いで床に直に布団を敷いた小さな部屋に入ることになってしまった。ファンと蛍光灯が附いていて、60Rs。
バナナ・パンケーキって色々なバリエーションがあるが、ホテル・ガネーシャのレストランで食べたバナナ・パンケーキは、チャパティ地の上にバナナのスライスをのせ、おろしたチーズを振りかけた奴で、味は淡泊。テーブルに備え付けの蜂蜜をかける。8Rs。他の店で、パパイヤ・パンケーキというもっと淡泊な代物もあった。
インドにも自称”ケンさん”は何人も居て、一様に自ら”ケンさん”と呼んで呉れという言うのが特徴で、ここハンピでも一人出逢った。
些か薄くなった髪をかなり伸ばした痩せた年配の旅行者で、もう四ヶ月近くもここに滞在していて、大部年の違う彼女が身籠もってしまってインドで生むんだとか喜んでいるのか悩んでいるのか定かでない風であった。随分とざっくばらんな人で、初対面の僕にあれこれと喋り続けた。彼は以前、川向こうの白人達の溜まり場となっているヨガ・アシュラムに居たらしい。
彼の話によると、雨季があけて少ししてから雨が数日続き、この辺り一帯洪水になって、流された民家もあったという。その時は、彼と身重の彼女も大変だったらしく、上流のダムが決壊する恐れが出て住民に避難命令すら出たという。地元では二十年ぶりの大洪水らしかった。そのちょっと前、ハンピを流れているトゥンガバドラ川で四メートルのワニを白人達が見つけたと言ってたのは彼だったが、そん時は如何だったのだろう。
その洪水、前年の九月、僕が中国からフンジェラル峠を越えてフンザに滞在していた時起きた、フンザ・インのハイダル・ベグ氏に言わせると生まれて初めて経験した大雨と驚いていたが、実際には一日半ぐらいの小雨でしかなかった。それでも、泥作りの屋根が溶け落ちて雨漏りや崩れたりしていた。その後晴れだし、下界のギルギットやもっと下流域では大洪水に見舞われテレビのニュースで大騒ぎし始めた頃には青空が拡がりのんびりと日光浴なんかしていた。ひょっとして、その時の洪水のことをケンさんは言っていたのだろうか。
たった数日の滞在だったけど、北のラダックとプシュカル、そしてこのハンピはインドで一番印象的で魅力に富んだ地として心に刻まれ、誰かにインドで何処か好いところは?と尋ねられると、確信を持ってその三つの名をあげてきた。尤も、ラダックは冬はやたら寒く、ハンピはやたら熱いのだけど。
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