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2009年1月23日 (金)

《マライの虎》1943 "南進"の輝ける星:ハリマオ

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   1989年の陣内孝則主演の映画は未見だが、テレビシリーズの《怪傑ハリマオ》はDVD化されてもう久しく、僕も何本か持っている。内容は、やはり正に戦争の真っ最中だったこの《マライの虎》とは雰囲気がてんで違っていて、あくまでお子様仕様。只、一体何処で撮影したのだろう、と疑問に思っていたら、カンボジアということらしいので驚いてしまった。

 1943年(昭和18年)といえば、同年あの山本五十六元帥が戦死し、戦況も次第に敗色がはっきりし始めた頃で、実際には前年くらいに撮影されたろうから、その頃はまだ比較的"闇討ち開戦"の余勢もあって楽観的であった時節であろう、そんな雰囲気が漂っている。
 当時のマレーシアで撮影されたらしい。
 その割には登場人物の中にマレー人(俳優)の姿は見られず、小林桂樹や上田吉二郎なんかが黒塗りして成りきっていた。主演の中田弘二って全然知らない俳優だが、稲垣浩監督・大河内伝次郎主演の《大菩薩峠》なんかにも出てたらしい。
 もうこってこっての大日本帝国(軍)御用達の"国策"映画で、テーマは"反‐大英帝国"。"反英"的プロパガンダとしてマレー人達に観せる類のものではなく、あくまで国内向け仕様。時代的にはちょっと離れているが、謝晋のプロパガンダ映画《紅色娘子軍》と比較しても質的に可成りお粗末。サイレント映画並に、突如スクリーンに反英的スローガンなんかが現れる。あんな時代でも、日本国内ではヒットしたというから、スローガンの文字が現れると、紅衛兵達みたいに観衆は総立ちでスローガンを連呼でもしたのだろうか。

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 冒頭いきなり、"撃ちてし止まむ"のスローガン。
 もうのっけから、娯楽より軍事と云わんばかりに、単刀直入にスローガンなのだ。当時のこの手の映画って皆こんなスタイルだったのだろうか。日本からの移民なのか出稼ぎなのかもう一つ定かでないが、マレー人に成り切ろうとしたらしいので、やはり移民なのだろう、谷豊(たにゆたか)一家は、マレーで床屋を営っていた。
 そこへある時、大日本帝国軍の中国侵略に怒りを覚えた、あるいは、家族知人を殺されたりした在マレーの中国人達が"反日"デモを起こし暴徒化し、日本人街を襲撃した。その時、谷の幼い妹も、中国共産党の陳文慶に銃で射殺される。激怒した谷は、英国総督府に訴えにゆく。しかし、てんで相手にもされず、反日の中国人達は共産党で、英国の犬でしかない、というある偉いさんの言葉に、谷は、大英帝国への報復の念を燃え上がらせ、家族の前から姿を消してしまう。
 やがて、マレー中で、華僑や英国関係の商人や企業が襲われ始める。"ハリマオ"とよばれる義賊となった谷豊の仕業であった。三千人のマレー人の手下を従える一大勢力となっていた。
 それを、対米英戦争の日が刻々と近づきつつあった軍部の福原少佐配下の神谷が、真珠湾とともに奇襲攻撃を企んでいたマレーの下工作に、ハリマオ一味の手を借りようと接触してきた。単純なハリマオこと谷豊は、簡単に軍部の煽(おだ)て上げに乗ってすっかり有頂天。
 やがて、実際には相当に短期間だったらしいが、次々と英軍関係の施設を襲い、結果名誉の戦死。皇軍のマレー奇襲・侵攻作戦成功に大いに寄与したとして一大英雄として褒め称えられのであった。
 ハリマオー、ハリマオー・・・

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 「何かやらせて下さい」と、こめつきバッタのように福原少佐にすがりつくハリマオ

   モデルの谷豊は、身長が150センチちょっとの、当時としても小柄な方だったらしく、国内で受けた徴兵検査で"丙種合格"(不合格)だったという。これは、わざわざ日本に戻っての事だったので、可成り失望し、トラウマになってしまったのかも知れない。少年時、日本語もも一つ滑らかではなかったらしく、それも帰国して学校教育を受けていた頃、色々周囲との軋轢の要因になって心の傷になっていたかも知れぬ。
 そこを藤原機関の神本利男が、谷のコンプレックスをうまく突き煽て上げて対英国破壊工作活動に組み込んだ。何時でも斬り捨てられる匪賊であったからこそ利用価値もあったのだろう。テレビシリーズの"怪傑ハリマオ"では、時折将校服に身を包んでいたりしたが、実際は軍属扱いだったらしく、一体如何な身形であったろう。

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 この映画は、あくまで戦意高揚・対英プロパガンダの一環であって、事実とは当然異なっている。
 谷の妹が反日暴動で殺されたのは事実らしく、勿論陳文慶なんて共産党員ではなく、実際は拳銃ではなく刃物で、それも斬首されたらしい。斬首というと、今では、マレーシアの隣国タイ南部のイスラム勢力や中東近辺のイスラム原理主義者達の十八番であるが、当時のマレーでは如何だったのだろう。当時も少し時代が遡った二十世紀初頭でも、ベトナム辺りじゃ死刑は斬首だったようだ。況や中国でもそうだったろうし、皇軍も中国でさんざん"法的"なものではない"軍事行動"としての斬首で高名を馳せていたので(日本人が国内的にそんなことはないと言い張ってみても、現地の中国人や在留外国人達はよく知っているってことを忘れないことだ。)、在マレーの中国人達もそれに対応したのだろう。

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 谷の中国人=華僑に対する呪詛は、しかし、幼い肉親を惨たらしく殺された故のことであっても、それに至らしめた状況を理解し得てなければ、一つ穴の狢(むじな)である。
 これはもう如何ともし難い事実であり、理でもある。
 故に、軍部の、口当たりの好い、しかし、ちょっと考えれば簡単に見抜けてしまえる内容と質しかなかった論理に、いとも容易に平服してしまい、その傀儡と化してしまった。尤も、戦前の国を挙げての皇軍・皇民教育の洗脳を蒙ってきた普通の日本人達には、それは中々容易なことではなかったようだ。戦後半世紀以上過ぎた現在でも、その呪縛から抜け出せないでいる。谷の場合は、当時植民地であった朝鮮・台湾以外の遠いマレーで育ったにも拘わらず、やはり、そんな情けない思惟と感性しか包有できなかった。
 確かに、大英帝国は、当時も今でも、やはり世界のあちこちで搾取と汚染の凶事の種を撒き散らし、更に一層の災厄を蔓延させ続けている。米国然り、当時の大日本帝国然り。第二次世界大戦って、単に、帝国主義列強の植民地争奪戦に過ぎなかったのは、常識どころか、もはや歴史の定式である。そして、それが侵略されたあるいは植民地化された国々の解放と独立を生起させたというだけのことだ。・・・何だか、高校生の歴史のおさらいみたいになってしまった。

ハリマオ(谷豊)  中田弘二
母親       浦辺粂子
サリー      村田宏寿
福原少佐     押本映治
神谷軍      植村謙二郎
バテバウ     上田吉二郎
陳文慶      井上敏正
ハッサン     小林桂樹

監督  古賀聖人
脚本  木村桂三
撮影  西村四郎
美術  進藤誠吾
音楽  鈴木哲夫
制作  大映        1943年制作

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Photo

 谷豊(本人)

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