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2009年1月 1日 (木)

地獄の黙示録(特別版2001年) 

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  1979年作品のこの《地獄の黙示録》Apocalypse Nowほど、興味深く且つ話題の多い映画も珍しいだろう。
 更に、2002年に、ディレクターズ・カット"Redux"が出され、最初の1979年版と随分と感じが違ってしまっていて、些か戸惑を覚えてしまった。往々にしてディレクターズ・カットって、オリジナルの余分な贅肉を削ぎまくった劇場公開版と異なり、冗長になりテンポも遅くなりがち。水増しされふやけてしまうのだ(勿論そうならない場合もあるが)。タイの《スリヨ・タイ》みたいに元々が三時間の劇場上映が、ディレクターズ・カットだと倍の六時間なんて、さすがちょっと勘弁して欲しいって感じだが、これだともう準-未編集版って趣で、すっかり編集監督にでもなった気になって、あれこれ何処を削るべきかなんて、編集ソフトを使って自分用の"スリヨ・タイ"を造ろうかなんて本気で思わされてしまいかねない。

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 ベトナム戦争は反戦フォークやサイケデリック・カルチャーと共時的で、当然それは"ドラッグ"・カルチャーをも意味した。僕が最初にこの映画を観た時、ベトナム戦争を舞台にしたサイケデリックな"ドラッグ・ムービー"だと思った。ドラッグ・カルチャーの申し子"ドアーズ"の極北"ジ・エンド"の正に"ブルー・バス"=プラスチック・ボートPBRに乗ったエキセントリック且つサイケデリックなロード・ムービーと云うべきか。当時的語彙でいえば、ヒッピーというより、戦争=政治性を有ったイッピー風。
 元のオリジナルは、ジョン・ミリアスとジョージ・ルーカスのアイデアだったらしい。この二人じゃ、余り大した物は期待できない。それなりに金は稼げたかも知れないが。

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 やはり、コッポラだったから、そして様々なアクシデントが次々に起こり、マーロン・ブランドが我が儘言い放題で駄々をこねまくり、デニス・ホッパーはドラッグ三昧、マーティン・シーン始めスタッフ・キャストが次々と病に倒れ続けたりの遅滞延々で、その間に入り込んだ色んな要素が入り乱れてのカオス状態の中でこそ出来得た作品だろう。この作品の面白さはそこら辺にあると思う。何よりも撮影現場自体が、"泥沼"と化していたのだ。"泥沼"とは、当時のベトナム戦争の定冠詞あるいはベトナム戦争自体を意味していた。

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 ディレクターズ・カット版では、フランス植民地時代からのプランテーションを守り続けているフランス人入植者一族とその私兵達が登場する。'79年版では完全にカットされていて、ここでは、フランス人達の口を借りて、ベトナム戦争に対する批判を展開している。「ベトコンは、フランス植民地時代にフランスに対抗するため当時の米国政府が作り出した反-フランス組織ベトミンがその前身なんだ・・・」と、ベトコンを作ったのが米国であることをウィラード大尉に教示する場面がある。CIAであるウィラード大尉はその事実を初めて知り戸惑ってしまう。
 勿論、コッポラも単純にそう考えている訳でもないだろう。あくまで、映画的に戯画化し、図式化しているに過ぎまい。事実的には、米国子飼いの南ベトナムのゴ・ジンジェム政権なんかと違って、あくまで側面的援助と利用であったろう。それは又、米国だけでなく英国始め日本を含めた欧米列強の常套手段でもあった。 米国がカンボジアのポル・ポト、所謂"クメール・ルージュ"を支援してきたのも同様にそんな姑息な手練手管に過ぎない。アフガンのムジャヒディーンの一方の英雄・マスードの死も、私見するところそんな類であろう。

 '79年版では特設ステージでのパフォーマンス・モデルと観客でしかなかったのが、ディレクターズ・カットでは、そのプレイ・メイトのモデル達と単なる慰問団から慰安婦的関係になってしまっていて、これには些か興醒を禁じ得ない。確かに、アメージング・パークと化さされた戦場であってみればそんな夢想的現実も有りなのかも知れないけど、PX(売店)で喧嘩腰で手に入れたジーゼル・オイル缶を、プレイ・メイトを抱くためにそのオイル缶と交換するなんてちょっと考えられない。リアリズム・整合性を基準にして考えると、この場面は、どうにも浮いてしまって蛇足に過ぎてしまう。先のプランテーションのフランス人女と一夜を伴にするってのも何ともそぐわない。これらの要素は、しかし逆に、コッポラ達のオリジナルの着想、戦争の"アトラクション"化、アメージング・パーク化の中で見るなら十分に成り立ち得るだろう。夢を叶える場だからだ。

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 ウィラード大尉    マーティン・シーン
 カーツ大佐      マーロン・ブランド
 報道カメラマン    デニス・ホッパー
 キルゴア中佐     ロバート・デュバル
        
 監督 フランシス・F・コッポラ
 脚本 ジョン・ミリアス、フランシス・F・コッポラ
 撮影 ヴィットリオ・ストラート
 音楽 カーマイン・コッポラ、フランシス・F・コッポラ
 制作 ディレクターズ・カット特別版 2001年 (オリジナル版1979年作品)

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