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2009年1月17日 (土)

《川島芳子》 "満州帝国"謀略故事

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   最近、にわかに生存説(と云っても、死刑にならなかったという意味で、1978年に病死)が巷を賑わせている川島芳子こと、愛新覚羅顕紓(けんし)、1948年北京で国民党軍による銃殺刑から六十年も過って尚日中両国民の耳目を集めて了ることがない。
 戦前、清国粛親王四番目の側室の娘(第十四格格)として、七歳の時、粛親王と親交のあった日本人浪人・川島浪速の元に養女として遣わされた。浪速と粛親王とは、"満蒙独立国"建設ということで結びついていて、就中粛親王にとっては、"清朝再建"という悲願が籠められていた。幼少の頃から芳子は、そんな構想と思想を浪速に叩き込まれていたのだろうし、浪速の家には、頻繁に日本の軍幹部や右翼連中が出入りしていて、自然そんな色に染まっていったろう。

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只、浪速も芳子も、当初の構想と異なる大日本帝国が作り上げた所謂"満州帝国"には、裏切られた想いが強く、批判的であった。渦中にあって面前で指弾する芳子は、関東軍にとって次第に邪魔な存在になり、終いには、芳子と愛人関係にあった山家享に芳子殺害の指示すら出されたようだ。
 満州帝国の陰の支配者とも、影帝(満映の帝王)とも謂われる"女・子供殺し"で有名な甘粕正彦が、芳子を極端に嫌っていたという話しもあるらしい。確かに、清朝のお姫様という血筋と女を武器に軍幹部を手玉にとり、帝国権力(実質は日本)の手の隙間からスルリと抜け出しかねない一筋縄ではいかない、それも内地で"男装の麗人"として人気の高い芳子なら、権力のなんたるかを十二分に知り尽くし、その上にふんぞり返って隠微に行使し続けてきた甘粕なんかが、快く思う訳もなかった。
 そういえば、南方軍マレー侵攻作戦の英雄"ハリマオ"がやはりそんな役回りを与えられていて、それから推測すると、何しろ同じ軍隊・謀略組織がやることだから、ハリマオの死も如何にも胡散臭い。

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 芳子の場合は、彼女が山家(当時、中佐)の愛人だったこともあってか殺し渋り、満州からの追放処置でお茶を濁したようだ。山家は、しかし、李香蘭を満映に紹介したりの軍の宣伝・芸能関係の畑を歩いてきたらしく、川島芳子だけでなく、満映の看板中国人女優の李明、白光なんかとも浮き名を流した色男だったらしいが、彼自身満州での日本軍・権力の有り様を不快に思っていた親中国派だったからかも知れない。挙げ句、終戦の二、三年前、突如、国家反逆罪、機密漏洩、軍紀違反等十以上の嫌疑で軍法会議に追いやられ、実刑判決を受け、服役させられたけど、この逮捕劇には芳子自身が絡んでいたという話もあるらしい。初恋の相手に対する心理・感情って拗れたりすると何処までもうねるように持続しつづけるのかも知れないが、又、彼を疎ましく睨め付けてきた手合い(軍)も少なくはなかったろうから、実際の処は曖昧錯綜として不明。

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 前年に中国でも、《哀恋花火》なんかの何平ハーピン監督によって作られていて、こっちの方は未見。寧静主演の《哀恋花火》は女性映画としても結構面白く、彼の撮った川島芳子も興味あるが、彼より一あるいは二世代前の方令正監督の《川島芳子》は、やはりそんな世代と時代を感じさせる作風。
 冒頭、法廷の被告人席の芳子の短いショットの後、北京(当時は、北平ペイピンと呼称)の粛親王宮での粛親王と着物を着た七歳の芳子(中国名・金壁輝)の別離のシーンから始まり、東京の浪速邸での少女時代を省いて、いきなり転居した先の松本に舞台は移る。この頃既に、山家少尉と恋愛関係にあった芳子は、"満蒙独立国"構想実現の為に蒙古の将軍の息子との縁談を浪速に一方的に押しつけられ、可成り抵抗したようだ。画面では、浪速が着物姿の芳子にたかが少尉風情の山家なんかとはさっさと別れてしまえ、清朝復権のため"満蒙独立国"樹立のためにも、蒙古の将軍の息子へ嫁げと迫る。そして、ふと、着物の裾がはだけ、芳子の白い太腿が露わになった途端、義父・浪速は忽ち欲情し襲いかかる。それも、"満蒙独立国"の必要性を延々と説きながら。そして、自殺未遂。これはもう、有名なエピソードだったらしいが、無知だった僕は、このシーンに驚いてしまった。 
 東洋のマタハリの前に、本家ヨーロッパのマタハリが居て、彼女は美貌と艶やかな肢体で権力者達を魅了し虜にして情報を得たが、芳子は写真見ても、扮したアニタ・ムイを見ても、到底そんな魅惑的な存在ではない。それでも、日本軍高官達には、十分に魅力的な存在だったようだ。そんな演出が巧みだったのかも知れない。で、結構セクシャルなシーンが多いが、王家衛の様に耽美的ではない。
 この事件後、芳子は断髪し、女を捨てると宣言。それが新聞にも載って有名になり多くのファンが出来たらしい。

 数年ほど蒙古の将軍の息子と生活を共にするが、結局飛び出し、上海へ逃げる。そこで、駐在武官の田中隆吉少佐と愛人関係に陥る。しかし、写真見ても田中少佐、到底女好きする風貌ではなく、絵に描いたような"親父"でしかない。余程芳子はファザコンだったのか、それともあくまで"満蒙独立国"の為身を挺したあるいは享楽と実益を兼ねた工作だったのか。
 その田中との出遭いが、芳子を"諜報・謀略"の世界に踏み入れさせたとは定説のようだ。画面ではサラリと流されている。

 やがて満州事変、満州帝国独立、上海事変等が続き、芳子も田中少佐や甘粕等の特務関係と連んで謀略工作に奔走する。中でも、上海事変での芳子の活躍は有名で、日蓮宗僧侶殺害や中国人殺害で、十二分にどちらの国法に於いても重罪。しかし、画面では、やがて満州帝国皇帝となる愛新覚羅溥儀の妃・婉容を天津から旅順に移送する場面があるだけ。ベッドで阿片を燻らす婉容と芳子の妖しげなシーンだが、も一つ情緒が足りず、些かお座なり。総じてこの監督、この手の場面、思わせぶりにエピソードの提示って域から出ない。

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 この映画、てっきり芳子と山家の二人が主人公なのかと思っていたら、途中からアンディー・ラウが姿を現す。最初は単なる地元の身軽な腕っ節の立つ青年ってところだったのが、後に京劇の美猴王(孫悟空)役者として再び登場し、陳凱歌の《覇王別姫》('94)を想起させるような、芳子が権力にものを言わせて、京劇役者・雲開をいたぶり慰み者にする場面となる。《覇王別姫》の方は、如何にも京劇の一シーンを彷彿とさせるような好場面であったものの、こっちの方は前述した濡れ場同様、演出が今一。アニタ・ムイやアンディーの熱演も空振りに終わった感が強い。
 この雲開って男、実在の人物とは思えず創作と思うが、しかし、
芳子が実は刑死してなかったという新たな視点から見直してみると、ひょっとしてこの男が、芳子を刑務所から秘密裏に連れ出し、末期癌患者の女を金の延棒十本で入れ替えた人物に擬されていた可能性が浮上してくる。それは、最後の面会所での雲開の言葉を聞けば了解できる。

 突然場面はプロローグと連なった法廷の場面となる。
 このシーンも何かも一つで頂けない。この映画、芳子のエピソードが余りに多過ぎるからか、全体的に端折った感じで、も一つ丁寧に撮れてない。
 1945年10月、国民党軍に芳子は逮捕され、"漢奸"(売国奴)として訴追され、1948年3月25日北平第一監獄で銃殺刑に処された。
 死期に臨んで芳子はこの世に未練を覚え執着するようになったようで、日本の養父・浪速に戸籍票を送って呉れるよう頼み込んだようだ。ところが、関東大震災で原本自体が焼失してしまっていた。万事休す!
 しかしながら、中国は男親の国籍を基準にその子供の国籍を決めるので、芳子が幾ら養子先の国籍=日本を基に自らを"日本人"と言い張ってみても元々意味はなかったのだ。 
 処刑場で一人芳子は地べたに坐る。背後に立った一人の国民党軍の兵士が徐ろに腰のホルスターからモーゼル銃を抜き出し、ゆっくり芳子の後頭部に狙いをつける。緊張し翳った素ッピンの芳子の表情が複雑に変容してゆく。この時のアニタ・ムイの横顔は仲々好い。そして、銃口が火を吹。ドサリと前のめりに芳子は崩れ落ちる・・・。

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 それにしても、あの東洋のマタハリとまで世間に喧伝されてきた良くも悪くも時代の寵児が、それ以降、己の正体を秘したまま三十年近くも市井の一女性として営んできた生とは如何なるものであったろうか。

 川島芳子   梅艶芳アニタ・ムイ
 阿福(雲 開)  劉徳華アンディー・ラウ
  山家享         爾冬升
 宇野俊吉   謝賢
  婉容皇后      陳玉蓮
     
 監督  方令正
 原作    李碧華
 撮影  馬楚成
 美術  莫均傑・方盈
 音楽  沈聖徳
 制作  寰亜  1990年(香港)

 断髪前の娘時代の芳子

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 左が芳子

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死の直前西側の記者が会った時には、芳子は髪を短く切っていたという。

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