映画《禅》 昏い座席で只管打座
この処、《おくりびと》やこの《禅》等、普段滅多に観ない邦画を立て続けに観てしまったけど、どちらかというと余り一般向け乃至は若向けって感じじゃない映画ばかり。流行の《K-20》や《わたしは貝になりたい》なんかの方が好かったのかも知れないが、どうも中身が見え透いていて仲々その気になれない。
又また、千円の日を狙ったのだが、やっぱしソダーバーグの《チェ 28歳の革命》の方が正解だったようだ。ちょっと迷っちまったのだが・・・
《禅》というタイトルに騙されたというより僕が勝手に勘違いしたっていうのが本当のところかも知れないが、早い話禅そのものの追求なんかではなく、道元禅、つまり永平寺を拠点とする曹洞宗の勃興史としか思えなかった。
最初から最後まで何か臭い、それは内田有紀が両手を合わせる場面でも漂っていて、そもそも一般の日本人が拝むという行為からすっかり疎遠になってしまっていることなのかとも思えたけど、例えばタイなんかで若い連中がバスの中から通りの寺院なんかの前に差し掛かると拝ん(ワイ)だりする光景に出遭っても別に違和感なんて感じないし妙な臭さなんて覚えようもない。
その違和感=臭さは、どうにも道元=曹洞宗の"宣伝"、つまり宗教団体の宣伝映画臭さから来ているようだ。同じ禅というより仏教を扱った映画、ちょっと古いし実際はもう大部記憶も薄れてしまってタイトルすらはっきりしないけど韓国映画《達磨は西から来たか》?や何年か前の《春夏秋冬そして春》には全く感じなかったものだ。
中国での場面に出てくる光景、雲南や新疆、チベット等の辺境ばかりで中国=漢族エリアなんて上海ぐらいしか訪れたことのない貧乏旅行者にとっては、初めてで、こんな場所もあったのかと思わず感心してしまった。現地ロケの威力だろう。
それにしても、わざわざ中国まで行って現地ロケまでしているのに、中国人芸者も英語を話すご時世、別にとやかく言う筋合いもないけど、日本人俳優が中国人役を演るってのもどんなものだろう。色々と事情あったのだろうか。一人、中国人俳優・鄭天庸が如浄禅師役で気を吐いていた。
それにしても、こんな映画で現代の人々に一体何を言おうというのだろう。これは偏(ひとえ)に制作側の問題であろう。"現代"を俎上に据えるなら、せめて、藤原新也あたりを企画に入れるべきではなかったか。又、プロパガンダならプロパガンダで造りようがあろう。紅衛兵もびっくりするぐらいのものを作ればよかったのだが。
神は死滅して久しいが、さりとて釈迦とは無縁の仏教界、一体何時まで自ずから煩悩の焔・業の炎を決め込むのだろう。
せっかくの千円の日、客も疎らな映画館の座席で、暗澹として"只管打坐"じゃ堪ったもんじゃない。
また邦画、当分観ないだろう・・・
道元 中村勘太郎
おりん 内田有紀
如禅禅師 鄭天庸
北条時頼 藤原竜也
懐奘 村上淳
寂円 テイ龍進
俊了 高良健吾
伊子 高橋恵子
監督 高橋伴明
脚本 高橋伴明
撮影 水口智之
美術 丸尾知行
音楽 宇崎竜童、中西長谷雄
制作 角川映画 2008年作品
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