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2009年2月28日 (土)

《イン・ディス・ワールド》 ペシャワール=ロンドン

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   嘗てアフガン国境近くのパキスタンの町ペシャワールに頻く行っていた頃、新市街の宿に居たせいでサダル通りをちょっと西に向かうとトライバル・テリトリー手前に幅の狭いアフガン人達のバザールがあり、足繁く通ったものだった。それでも、もっと遠いところにある難民キャンプには数えるほどしか訪れたことがなかった。
 アフガンでそれなりの規模の商売を営っていたアフガン人達はペシャワールでもそこそこに商売は続けていたようだ。レストランやカーペット、ハンディー・クラフト屋等々。しかし、大半のアフガン難民達は使用人・労働者でなければ、見つかればバキのポリス達に追い払われる路上での商売がいいとこだったろう。恐らく安い賃金の。

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 ソ連・米国による長年のアフガニスタンの破壊のため、疲弊したアフガンにもはや希望も見出せず、外国に活路を求めようとするアフガン人達も年々増え続けているらしい。
 監督のマイケル・ウィンターボトムはそんなアフガン難民の違法渡航に声援を送りたくて、この映画を作ったという。
 当然そんな内容なので企業がスポンサーにつくはずもなく、資金も乏しく、スタッフも僅少、役者も現地採用。BBCなんて名を見て些か後悔したが、しかし、何しろ懐かしいペシャワールやアフガン人達の姿が画面に現れるとつい見入ってしまい、それなりに面白く作れていて最後まで観てしまった。配給だけなのかも知れないが、最後までBBC臭さがついて廻ったが、それはご愛敬ってところ。主演のエナヤットとジャマールは本名で本当のアフガン難民。二人とも公募で採用したらしい。

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 ペシャワール郊外のシャムシャトゥ・アフガン難民キャンプで青年エナヤットがロンドンに不法移民することになった。(これは、比較的最近出来たといわれるニュー・シャムシャトゥのことだろうか) パシュトン語だけしか喋れない彼に英語の話せるジャマール少年が付いてゆくこと運びとなった。
 親がブローカーに金を払わねばならず、早速ペシャワールのオールド・バザールの両替屋が軒を連ねた一角に赴く。ドルとルピーに換金。映画は2002年頃らしいけど、以前僕がここで幾らもないルピーを渡すと五百アフガニー札の束が返ってきた記憶がある。
 彼等は違法入国の不法移民なので且つ予算も僅少故、もう"陸路"でヨーロッパに入るしかない。つまり、パッカー達とほぼ同じコースを通って。
 ペシャワールからトライバル・テリトリー(嘗ては悪路で結構大変だったらしいけど、敢えてこのコースを選んだパッカーも居た)を突っ走ってクエッタへ。そしてクイ・タフタンを通ってイランに入国しザヘダンへ。そこにも、ブローカーの男が、テヘラン行きのバスの手配をしてくれていた。勿論あれこれとジャマール達の弱みにつけ込んでボってくる。
 ところが、チェック・ポストでポリスにアフガン人と見破られ追い返されてしまう。イランって、相も変わらずチェックに次ぐチェック体制を続けていたのだ。やがてテヘランに到着。そこから、トルコへ入り、イスタンブールへ。そこで、暫く待たされスプーン工場で働かされる。宿の窓から下の通りを歩くイスタンブールの人々の平和で幸せそうな姿を見、エナヤットは何を思ったであろうか。劇中では一人ものを演じていたが、実際にはシャムシャトゥの難民キャンプに三人の子供が居るという。
 イスタンブールからは、しかし、陸路ではなく、コンテナ・トラックの荷台の中に設えられた箱の中に隠れ、船で地中海を渡ってイタリアに向かうことになった。密封した箱の中にジャマール達や他の密航者達が何人も詰め込まれたために、当然に酸欠になってしまい、港の倉庫でコンテナを開けた時には、只二人、ジャマールとトルコ人夫婦の連れた赤ん坊以外の全員が死体となって横たわっていた。エナヤットも二度と返らぬ人となって。

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 それでも一人になってもジャマールはロンドン行きを諦めず、とうとう人の財布を盗んでその金でフランスまで赴き、更にロンドンのレストランで働いていた同じ密航者とともに、大型トラックの車体の真下に潜り込み、とうとう念願のロンドンに到着。
 実際に、ジャマールも移民としてロンドンで働くことになったらしい。但し、十八歳になる前日までには国外に退去しなければならないという限定付きの特例として認められたに過ぎない。
 だからもうとっくに期限は過ぎていて、今現在、ジャマールは英国以外の国に移ったか再びペシャワールの難民収容所に戻ったかであろうが、当時、バキ政府はジャマールの入国を認めてなかったので、さて。勿論タフなジャマールのこと、ふてぶてしく何処かで元気に働いているだろう。

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 嘗て中国新疆ウイグル自治区のカシュガルの安宿のドミでフンジエラール峠を越えてやってきた三人組のバキ人達と一緒になったことがあった。出稼ぎ組で、ノッポの痩せと色白のデブそしてリーダーらしいの老爺。孫悟空の三人組を想わせ笑わせたが、ある日そのリーダーの老爺がベッドの上に胡座を組み淡々とした口調で僕に尋ねた。
 これから日本にでも行って働きたいんだけど何処か好いところはないか? 
 ビザは有るのかと尋ねると、無いと答え、日本は以前と違って五月蝿くなっているから止めた方が好いと老婆心で忠告した。と、老爺は、じゃあ韓国かタイにでも行こうと言い出した。それは、しかし、確固として自信に満ちた言葉であった。恐らく、彼は以前にもそうやってあっちこっちの国に入り込み稼いできたのであろう。泥縄式であっても、何とかなる術を有っていたに違いない。最悪の場合、しかるべきルートを通せば、何とかはなるんだろうし。最初は驚きを禁じ得なかったものの、最後には感心してしまった。そんなものなんだろう、と。
 それでも、実際には、エナヤットみたいに中途で斃れてしまう人々もいる。コンテナで酸欠死は頻く聞く話だ。日本に密入国しようとして酸欠死した中国人達も居た。まだEUが出来る以前だったか、トルコの不法就労のグループが家族を連れてヨーロッパまで行く映画があった。アルプスか何処かで吹雪の中を追われついには全員逮捕されたのか、寒さに堪えられず死んでしまった幼子を抱えて主がポリス達の元へ現れるシーンが印象的だった。

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 このDVDの特典映像の中に、ペシャワールの新市街のサダル通りの手前側から通りの向こうのGPOや屋上にSUZUKIの看板のある一角を映した場面があった。
 あっ、と思わず驚いてしまった。嘗てと少しも変わらぬSUZUKIの看板なんかの佇まいも懐かしいが、ゆっくりパンしてゆく手前側の建物の屋上のどれかが、嘗て知る人ぞ知る"カイバル・ホテル"の屋上だからだった。しかし、何度ためつがめつ見返してみてもはっきりしない。嘗てと雰囲気が異なっていて、銀行に変わってから屋上も改造してしまったのかも知れない。狭い通路を隔てた隣のカニス・ホテルの屋上で、料理人のアフガン人の親父さんが肉や野菜の下ごしらえしている姿が覗けていたのを記憶している。 偶々ビデオ屋で眼にとまったこのビデオ、ひょんなことから、意識の端に押しやられていた旧い記憶を想い出させてくれ、束の間の小旅遊を堪能させてくれた。

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 ジャマール・ウディン・トラビ
 エナヤトゥーラ・ジュマディン

 監督   マイケル・ウィンターボトム
 脚本   トニー・グリゾーニ
 撮影   マルセル・ザイスキンド
 音楽   ダリオ・マネアネッリ
 制作   the Film Consolution    2002年制作(英国)

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