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2009年2月10日 (火)

平成・町おこし観光 あの"朋友"が・・・

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   戦前は、横浜・神戸から門司港を通って、アジア・ヨーロッパへ向かう定期船舶航路が頻繁に走っていたという。  門司港=サイゴンなんてのもあったらしい。戦後は、貨物船のみとなってしまった。神戸・横浜・(下関)と中国・韓国のダイレクト定期便は再会されたが。沖縄から台湾行きってのもあるが、本土から沖縄までが大変で、むしろ韓国・中国の方が近いくらい。(このルートには台湾から香港へ、更にずっと南下していける魅力はある。)
 
 上海だと新鑑真号・蘇州号で二泊三日ってとこだろうが、もっと間近な韓国・釜山との間に、昨年六月からあの藤原新也の郷里・門司港と定期便がオープンした。以前このブログでも記したけど、ところが、何と知らぬ間にもう既に中止(廃止ではないという事らしいが)になって久しいという。確かめに行ってみたら、果たしてカスタム・ハウスの硝子扉に一枚小さな貼り紙がしてあった。その脇には件のたった二ヶ月の寿命の定期便の華々しい大きなポスターも。
 張り紙には、フェリーのエンジンが不調の由とあった。
 しかし、エンジンの不具合なんかで半年もかかるだろうか。否、実際は今後何時再開されるかも定かでないようだ。
 つまり、本当のところは、不況・円高とかすこぶる経済的(実際は政治そのもの)理由によるもの。米国がイラクに武力侵略する前から、何が結果するか普通一人前の、あるいは第一次湾岸戦争を経験済みの人間なら誰にも分かっていたはず。
 自民党が国内向けに知らぬ半ベエを決め込んだとしても、役人までがそんなポーズ採って、それも、日韓友好なんて片腹痛い、ひたすら目先の銭儲けのみの為に、一片の必要性もない釜山との定期航路をゴリ押しして一体如何いうつもりなんだろう。地元の連絡船でたった五分で行けるすぐ対岸の下関に、以前から関釜フェリーが就航していたのにも拘わらず。(下関港からは中国の青島にも定期便がある。)
 下関に行く客を門司側が横取りするってことでしかない。そんな横車を押すあこぎな真似までしなければならない如何なる理由があるんだろう。地元の住民の意志なんだろうか。そして、たった二ヶ月での破綻。もう何をか言わんやだ。
 それに不思議に思うのは、門司港なんて小さな港町の何を観光させようというのだろうか。狭い町なので、簡単に歩けてしまう。わざわざ外国の客を呼び寄せるような何物も見出せない。日本中の町なら何処にでもあるようなものしかない。所詮が寄せ集めの擬制でしかないし、レトロな佇まいなら他の地方にも幾らでもある。役人と企業のやることは、何処までいってもそんなもの。所謂"町おこし"って自民党半世紀支配の帰結の官民あげての更なる自民党的補完作業でしかない。

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 そんな見え透いたスローガンを余所に、釜山便中止と同じくらい驚いたのは、この町にあった、《萬龍》と並ぶ藤原新也指定の中華麺館《朋友》が、何と以前の場所から店舗を移っていたことだ。例の戦前風の燻すぶった建物、これこそ草の根レトロだが、ふと頭上を見上げると、確かに前回見た時以上に屋根や壁の老朽化が進行していて明らかにやばそうではあった。
 危険だから移転したのか、あるいは、改装工事のための一時的移転なのかは詳びらかでない。この町の傾向は、レトロ、レトロと唱いながら、メイン通りに面した銀行なんかの戦前の旧い建物を崩し、まさかリニューアルなのかと訝っていたら、何のことはない普通の民間の建物が跡に建っただけという、単なる再開発にもならぬ土地売りでしかなかった。で、ひょっとして、あの由緒ある朋友旧館、無惨にも解体され、跡にはマッチ箱が建ったりする可能性が高い。改修であることを願うだけ。

 
 そう言えば、これも新也が何処かで書いていたが、萬龍の先の突き当たりの石垣高く聳えた巨大料亭・三宜楼をついチラッと見上げると、保存事業云々していた割には、何とも朽ちた感じが否めない。ここは改修工事したとかいうことではなかったのかと、小首を傾げながら入口らしい通りに面した方に廻ってみると、僕は呆然としてしまった。
 殆ど廃墟・・・(下の写真参照)
 確かに、旧い老朽化した木造建築って保存が大変なのだろうが・・・と唖然とし、ふと建物の反対方向の路地の方に向かうとそっちにもくの字に折れた石段の奥に門の様な木戸があった。あれっ、こっちの方が料亭の表門って感じしなくもない。それにこっちは燻すんではいても、さっきみたいに落魄した雰囲気はない。すると、さっきのは裏側?・・・

 それでも、この町の擬制の粋を極めたレトロ地区なる一角にある東アジア図書館に入ろうとしたら、ガヤガヤとカラフルで何とも愛らしい一団、中国の中学一、二年くらいの生徒達が現れた。修学旅行なのか、カラフルなダウン風のジャケットと如何にも健康そうな美麗な肌の娘達には思わず目を瞠った。普通の日本人の同じ年の娘より鮮やかで、皆良い処の子弟ばかりなのかと思ったが、見てると必ずしもそうではなかった。一人っ子政策の恩恵なのだろう。
 その時、すぐ思い出したことがあった。
 嘗て雲南省の大理の洋人街を、如何にも周辺の山奥からやってきたような生徒の一団がゾロゾロと、外人観光客達が談笑していたりする店の中を窓ガラス越しに動物園の檻のようにジロジロ覗き込みながら通り過ぎて行った。彼等は、地元の大理の血色の好い生徒達とは明らかに、その皮膚から相貌から着ている服から違っていて、皆一様に燻すんでいた。ふと、その時の彼等の冴えない表情が脳裏にありありと浮かびあがった。
 けど、カラフルな彼等は何処から来たのだろう。対岸からだとすると、青島近辺って処だろうか。シンガポールや香港では間違ってもなかった。そんな擬制であっても、皆楽しそうにデジタル・カメラを片手にあっちこっち写しまくっていた。

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えっ、これって保存活動中? どうやら、裏口らしい・・・それとも別物?

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 温暖化もあるけど木造の建物の保存って大変のよう・・・

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