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2009年4月15日 (水)

レイン  破滅的青春群像(バンコク・デンジャラス1999)

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   昨年公開され世界の大半を巡ってきて、漸くこの五月、大陸の果ての我が列島でも公開される運びとなったニコラス・ケイジ主演のハリウッド版《バンコク・デンジャラス》、監督は同じオキサイド&ダニー・パンだが、どうも人気今一だったようだ。サイトのトレーラーを観るにつけ、1999年のオリジナル版とはまるっきり別物て感じで、単なるアクション物の赴き。

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 このオリジナル版は、2001年の同じパワリット・モンコビシット主演の《ワン・テイク・オンリー》と同様、特に六十年代から世界中で作られ始めた所謂"破滅型青春映画"で、定石通りの"破滅の美学"を香港=バンコク的感性で彩色した傑作の一つと思う。
 聾唖というハンディーを背負って鬱々と社会の底辺を生きてきたコン、偶々掃除夫として働いていたシューティング・レンジで巡り会った殺し屋(ムー・プーン)のジョーとの出遭いによって、積年のこの社会に対する怨嗟とコンプレックスを一気に払拭し逆に攻撃に転じる殺し屋の途に就き、水を獲た魚の如く溌剌とした毎日を送っていた。

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 ある日仕事先の香港で罹いた風邪をこじらせ、薬を買いに薬局に赴くと、そこにフォン(タイ語で雨)という愛らしくも気だての好い娘が居て、フォンの方は普通に客に接したに過ぎなかったにも拘わらず、コンは生まれて初めて優しく接してくれた女性に出遭ってすっかりフォンに惚れてしまう。真摯なコンのアプローチにフォンは素直に受け入れてくれた。
 これは"自立"以降のハリウッド映画の女性像とは無縁のすこぶるアジア的な産物であって、香港=バンコク的感性もその埒外ではなかった。今時そんな淑やかな娘がバンコクに居るかといえば甚だ難しい。けれど、絶対に居ない訳ではない。パン兄弟の一つの理想の女性像でもあるのであろう。けれど、殺伐とした殺人世界の只中では、やはり、掃き溜めの鶴ってところが、映画的に必要でもあったろう。フォン役のプリムシニー・ラタナソパァー、仲々魅力的で僕も薬局の場面ですぐに惚れてしまった。性的に没交渉の、ひたすらプラトニックな恋愛のまま。
 ある夜、公園をデート中に二人組の強盗に襲われ、バンドに挿んでいた拳銃を奪われそうになってフォンの面前で一人を射殺してしまう。平々凡々な世界の住人たるフォンはショックを受け、そのまま逃げ去ってしまう。
 思いもよらぬ成り行きの破局。

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 一方、殺し屋のエージェントのボスの顧客が、ジョーの恋人オームに暴行を加え、それを知ったジョーが激怒し、その暴力団の顧客を射殺してしまう。すると今度は、ボスが自分の大事な顧客を殺されたと怒って、仕事と見せかけ、空砲の弾を仕込んだ拳銃を渡してジョーを嵌め、殺害する。
 コンとオームの二人だけのジョーの葬式。
 恩人であり無二の親友でもあったジョーの仇討ちをコンは決意し、
 単身、ジョーを殺害した一味の屯する日本料理屋に乗り込み、奥の一室で酒盛りの最中の一味を殲滅する。一味の頭目に、実は、ボスに頼まれたやっただけと告げられ、今度は、ボスの生命を狙う。
 が、オームと二人で通りに出た所をボスの一味に急襲され、オームが被弾し死んでゆく。ボスの本拠地に乗り込み、配下の者を一人一人始末してゆきとうとう最後にボスの身体に一発ぶち込み、銃を持った警官達の待ち構える外へ引き摺ってゆく。
 その直前、コンがフォンに手渡した手紙に、ジョーやオーム達、コンの最愛の者達の死を経験し、今まで怒りに任せて殺害してきた人々の親族達の悲しみを痛感し、せめて自分なりの償いをすると認めてあるの見て、慌ててフォンはコンの後を追ってきた。駆けつけたフォンを警官が制止する間に、コンはボスと自分自身の頭を一発で撃ち抜き自殺して果てる。
 茫然とその場に崩れるフォン・・・

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 実際の話、デートの最中に、突然強盗に襲われ、恋人がやにわにその一人を眼前で拳銃で射殺してしまったり、警官達の包囲する中、やはり面前で恋人が拳銃自殺してしまったりしたら、平凡な優しい娘なら、心はズタズタになり、精神科の治療を必要とするようになるのは眼に見えている。悄然と沈鬱に翳ったフォンの姿が眼に浮かんできそうだ。何たる残酷・・・けれど、それが現実でもある。

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  ニコラス・ケイジじゃ、青春物って訳にはいかないだろう。
 ハリウッドじゃ銭儲けのひたすらなるアクション物って処だろうから、後は《テッセラクト》的手法を如何に展開出来ているのかが一つの眼点であろうか。

 因みに、最近はどうか定かでないけど、以前は(この映画の頃も)バンコクのシーロム通りのマクドナルドの前の階段のところで聾唖の人達がよく集まって(数十人くらい)手話で会話をしていたものだ。

 フォン役のプリムシニー・ラタナソパァー(クリーム)、数年後に"シーウィー"でシーウィーに優しく接した女性記者ダーラーを演じていたが、ここでは結構気丈な自立した女って役作りをしていて、やっぱしクリームも女優なんだなー。女性タイ・ポップス・シンガーのフォースのアルバムの"コン・ティー・チャイ"という曲のミュージック・クリップにも女優として出ている。

 
 監督 オキサイド&ダニー・パン
 脚本 オキサイド&ダニー・パン
 制作 ノンシィー・ニミブット
 撮影 デーチャー・スリマントラ
  音楽 オレンジ・ミュージック
  制作 タイ 1999年

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