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2009年5月 5日 (火)

《 六神丸奇譚 》  夜逃げ&放浪国際派・大泉黒石

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   大正・昭和に尺八一管手に日本国中を徘徊・放浪したダダイスト=ニヒリスト・辻潤と同脈の作家に大泉黒石という、こっちは同じニヒリストであっても、日本→ロシア→フランス→日本と世界を股にかけた幼少の頃からの放浪者国際派で、おまけにロシアの血まで混じっている筋金入り。それは亦、藤原新也・林芙美子等と通底する放浪的血脈でもあった。        
 大正八年、編集長・滝田樗陰に認められ《 中央公論 》に《俺の自叙伝》を連載し、好評を獲、一躍出版界の寵児となる。但し、所謂"文壇"とは最後まで拮抗・疎遠なままであったという。
 大泉黒石といえば、《老子》や《人間廃業》が代表作だが、とりあえず彼の得意の範疇でもある怪奇物の並んだ《大泉黒石全集 7》から『六神丸奇譚』を紹介したい。

 冒頭、早速当時の状況と物語の設定時代たる明治の日清戦争直前の状況を重ねてみせる。 
 「支那満州は都会であれ田舎であれ、いやもう、至る所でお目にかかる、人家の塀や城の塀にベタベタと貼られた仁丹の広告だが、よくも、ああ万遍なく行き渡ったもんでありまするなッ。さればいつぞや青島からちょっと入った江蘇省は徐州なる町の県衛門正面の影壁──というと玄関の衝立──に次のような排日檄文が貼り出されたこともあって直訳すればこうだ。」
 
 恐らく当時だと伏せ字になった箇所が多かったろう。それでも、当時中国の津々浦々まで瀰漫した日本製品、仁丹や大学目薬、味之素、獅子牙粉(ライオン歯磨き)等にかこつけて、政治的には見え見え、小説的には巧妙に当時(明治)日本で愛用され重宝がられていた中国薬"六神丸"を持ち出し、彼の故郷である長崎を舞台に探偵物と怪奇物をミックスしたような一大奇譚を展開。
 あれだけ各国を流浪していながらの彼の日本や中国に関する風俗的博識には舌を巻いてしまうけど、それ以上に止めどなく畳みかけてくるような修辞・形容にも感心してしまう。豊饒といえば豊饒なのであろうが、セリフに長崎の方言・なまりの類が殆ど見えない。この短編では見られないが、親交のあった辻潤の影響もあってか江戸言葉に興味を持ち造詣も深いと云われている。

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 舞台はポルトガル以来の白人毛唐の商館居並ぶ異人の町・長崎、面白いことに幕末から長崎には日露戦争の頃までロシア艦隊の基地があったという。ロシア水兵用の娼館もあり多くのラシャメン(洋妾)も居たらしい。尤も、小説の方は、専ら唐人街廃(な)き後の中国人達の跋扈する新町=支那町で、黒石の他の小説にも多く登場し、仲々に異国情緒溢れている。
 
 「・・・かつてはこの長崎の港街、至たるところの人家の壁やら石垣やらに、弁髪の唐人が両手を高く差しかかげ、六神丸の巻軸を広げた絵看板広告の類が目まぐるしいほど貼られていたのである。それはかかる弁髪人種の眼中に、日本なるものが余り大きく置かれてなかった日清戦争のちょっと前頃、奇薬六神丸とは因縁浅からぬ『人買船』と街人に呼ばれる唐人船が、港の沖に出没したのは、まさにこの時代でございまする。」

 上海方面から現れた"唐人船・金山号"が金貸明神岬沖に錨を下ろしてから、やにわに勃発した連続少女拐わかし事件。留置所が嫌疑者で毎晩いっぱいになるものの翌朝には皆追い出されるばかり。警察の無能に対する世間の非難が一層高まっていた。支那人居留地たる新地街管轄署長・山本正也の配下、外事課刑事・松村文助が、夜半ふらふらと千鳥足で彷徨う金山号の乗組員と覚しき弁髪の大入道の跡をこれまた似非弁髪に支那服の扮装で尾行するところから物語は始まる。
 ところが、早速途中の酒桟(いざかや)「南京飯店水亀楼」の裏口から姿を消してしまう。
 してやられた松村が署長に報告かたがたに戻ろうとして、毛唐人街に連なる三叉路に面して佇むゴシックのユダヤ教会の前で支那服の痩せた水夫風の男がウンウンと蹲り、傍に一人の丸髷の艶やかな貴婦人が按排を窺っているのに出くわした。やがて通行人達も寄ってきて、件の水夫やにわに起ち上がって取り出したのが六神丸。単なる物売りに過ぎなかったが、"金山号"の乗組員と決めつけ、署にしょっ引くとは悟られないようにそこら辺で話を訊きたいと誘って半丁も行かぬ内にこれまた忽然と姿を消してしまった。

 実は、この支那人街西端銅座側のほとりの黄檗宗支那寺の末寺・玄冥院の住職・不印和尚こそ、支那蘇州の末寺で納所(出納係)をしていた頃、博徒や六神丸の詐欺師等を集めて寺を博打会場と化し、本山の知れるところとなって追放され、長崎の玄冥院に流れてきて先代を騙して先代の死後跡目を継いだのだが、貧乏寺故に忽ち昔の本性も露わに、情婦・お瀧と寺男・馬蔵と計って少女誘拐を計った黒幕の破戒僧であった。
 金山号には、以前支那で不印に娘を攫われ六神丸屋に売り飛ばされた漢成方という巨体の大入道が乗っていて、不印の居場所を聞きつけはるばる支那から長崎に復讐にやって来て、果たして不印の目の前から不印の一人娘をかっ攫った。刑事・村松が冒頭尾行したのがその漢であった。結局村松の手によってお瀧と馬蔵は取り押さえられ、事件の真相が明らかとなった。

 「その時一人の刑事巡査が、慌ただしく駆け込んで参り、茄子を干しかためた形の不気味な、黒褐色の刺すような臭いのする代物を手にかかげながら叫ぶのであります。
 『ごらんください。驚くへし、玄冥院の坊主が創製にかかわる人間の肝の干物です!彼奴発狂しました。盗まれた娘は己が手をくだして殺したとでも思ったんでしょうか。寺の裏手の墓地をあばき、少女の死体を、蛆の這う奴をゾロゾロ引き出しては一心不乱に娘の名を叫びながら捜しております。これは薬箱の中にありました。』」

 不印一味は少女達を生薬"六神丸"の材料として拐わかしていたのだった。
 これは如何にも謎の唐人街ってイメージそのままに猟奇的サスペンスといった赴きの筆致で雰囲気に満ちている。そういえば、タイ映画 《 シーウィー 》 でも、中国南部からタイに出稼ぎに来たシー・ウィーが胸を患い苛烈な職場を転々として貧窮の内に思い至ったのが少年・少女の肺や内蔵を生薬として獲得することだった。数人の子供達が犠牲になってしまったが、元はといえば、シー・ウィーが故郷での少年時代、死刑囚達の内臓を住民達が生薬として抉り取り出してそれぞれに煎じて口にするという風習に染まっていたからだ。
 中国に限らず、一見赴きを別にするようだが、あのイエス・キリストが最後の晩餐で十二人の弟子達に執り行った祭式、イエスの肉をパンに、血を赤ワインに擬して弟子達に食させたのもその発想に於いてはそう大差はない。キリスト教では、あの聖餐・聖体拝受を象徴としてではなく、イエスの霊性を獲るために、本物のイエスの肉や血液として口にしイエスと一体化を企る儀式として行っているらしい。今風に云えば、イエスのDNAを弟子達が授かるということであり、後のクリスチャン達はその形だけではあっても基本的には同様のDNA獲得というプロセスに重きを置いているのだろう。 
 生薬として熊や鹿の内臓と人間の内臓との差は如何?
 臓器移植も口にするのとこれまたそう大して違いがあるとも思えず、否、移植の方がもっと直接的な行為と云える。人類はもうそれを当たり前のように、むしろ先端医療とか称してしたり顔すらして行っている。勿論、その臓器の出所が如何なるものであるか誰も聞きたがらない風なら、不印一味のそれとそれ程隔たった位置に立っている訳ではないだろう。

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 ロシア皇太子が訪日した折の随行員の一人として黒石の父アレクサンドル・ステパノヴィチ・ヤホーヴィチと、当時の日本側の接待役を務めたロシア文学専攻の本山恵子(十六歳)は忽ち恋に陥り、恵子は周囲の反対を押し切って結婚・出産、そして黒石を産んで一週間後に死亡。
 以後、長崎にいる恵子の親戚の処に預けられ小学校三年の時、漢口の領事だった父親の元に移る。が、幾らもしないうちに父も死去。叔母ラリーザにモスクワに連れて行かれ、ヤスナヤ・ポリヤーナに住む叔父の処にもやっかいになった。その村に当時まだ存命だった作家レオ・トルストイが近くに住んでいて言葉も交わしたらしい。しかし、叔父の嫁と馬が合わず、今度はラリーザの住んでいたパリのローマ教会のリセに移る。が、ここでは品行不良ってことで退学になり、長崎の曾祖母が亡くなったという事もあって一旦長崎に戻り、地元の鎮西学園中学を卒業。
ところが、再びモスクワに行き、小さい頃から乳母役をしていたコロドナと同棲し、スイスに移っていたラリーダから学校に通っているという事にして送金して貰って生活をしていたらしい。やがて、1917年3月12日、ロシア革命が勃発。市街戦に文字通り巻き込まれ、結局コロドナが流れ弾に当たって死亡し、再度日本に舞い戻る仕儀となった。
                          
  大正末年辺りまでが黒石の絶頂の頃で、昭和に入ってしまうと社会の雰囲気自体が閉鎖的排他的になってきて、碧眼紅毛のロシヤ=日本のハーフは様々な圧迫をモロに受けるようになり、次第に小説の世界から疎外され始め、且つ時代に頑なな黒石自身の性故に更に一層の危殆に瀕し、家族とも確執を帯び始める。飢えるとバケツ片手に少し離れた地域の畑に赴き野菜やなんかを抜いてきたりしたという。テレビだったか雑誌だったか俳優の大泉滉が父・黒石と子供の頃のそのスイカ泥棒の話をしていたのを覚えている。役者志望だった息子の滉だけが黒石になついていたらしい。
 戦時中、黒石と滉が路を歩いていると、子供達がアメリカ人と思って石を投げたりしたらしい。二人は横須賀の憲兵隊にスパイ容疑で何度も逮捕までされていたという。散々なものだ。

 尚、玉川信明 《 大正アウトロー奇譚 》 (社会評論社)の"大泉黒石・混血の戯作者"が黒石 に比較的詳しい。

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