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2009年5月 1日 (金)

下町情緒溢れるハノイ旧市街 1996

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   嘗て雲南省の首都・昆明とベトナムのハノイがつまらない街と喧伝された双璧であった。しかし、実際に昆明を訪れてみると、ちょっと脚(徒歩)を伸ばしてみたら何と旧い佇まいの木造民家がづらり建ち並んだ広い地域があった。所謂"旧市街"だ。仲々面白く何故こんな趣きのある町が退屈なのかさっぱり分からなかった。ところが、数年後、「世界博」とやらでその広大な旧市街の殆どを糞役人達が殲滅してしまい跡には似たり寄ったりの白っぽいマンション群が林立。腰砕けになっちまった。文字通り、評判通りの"つまらない"街に成っり落ちてしまった訳だ。まさかそんな青天の霹靂的事態に至るとは想像だにしてなかったので幾らも旧市街の写真撮ってなくて悔やまれることしきり。あるいは、ひょっとして、あの古都・洛陽の旧市街も同じ運命を辿っているのではないかと、今これを認めながらひょっと思い至った・・・中国(および地方)政府と改革開放的企業ならやりかねない。

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 そしてこのベトナムの首都・ハノイにも、少し規模が小さいがやはり旧市街があった。
 昆明や洛陽とは亦趣きの異なったベトナム風の旧い佇まいやそこに済む人々の生活は、サイゴンに較べても何倍も面白く飽きなかった。
 適度に狭い道路をはさんで、旧い町並みがずっと続き、間口のせまい種々様々な店が軒を連ね、そこをバイクや自転車、天秤棒を担いだおばさん達が所狭しと行き交っていた。ミャンマーを想わせる低い小さな椅子の茶店やフォー屋も多く、綺麗な少女や娘も多い。

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 その一画にある"アイン・シン・ゲストハウス"に泊まる。
 ツインが6ドルでドミトリーが3ドル。ドミは二階に5人部屋、三階に3人部屋。
 ここのスタッフのロイ氏は、彼の言によると、数年前に筏のジャンクで、香港からハワイ辺りまで、欧米人や日本人の女性と一緒に航海したらしく、その内の一人が本を出していてそこに載っている彼の写真のぺージを見せてくれた。フランス語は堪能だが英語は今一らしく、恰度表に設置した屋上のタンクに送水するためと排水のためのモーター(香港製)の英語の説明書を辞書と首っ引きでベトナム語に翻訳中であった。
 そこも、サイゴンの闇ホテルのオーナー家族の女性と年格好も似た利発そうな女性が切り盛りしていた。居住性的にはもう一つの感はあったけど、居心地は悪くない。只、その頃ハノイは午前中停電が多かった。

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 朝の八時頃通りに出ると、もうあっちこっちの歩道脇でフォーや普通の食事の出来る露店等の、例の小さく低い椅子とちゃぶ卓を囲んで朝食の真っ最中。通りいっぱいにママゴトが繰り広げられているようで、仲々壮観であった。
 それでも、アイン・シンの前の右端に溜まっていた天秤棒担ぎのおばさん達が、ふと急に慌てて天秤棒を担いで逃げ出し始めた。何事かと驚いて見ていると、果たしてポリス達が現れ、運の悪いおばさんが天秤棒の紐を掴まれてしまった。雲南の昆明の橋の上でも同じような光景にお目にかかった。サイドカー附きのバイクが突っ込んできて、捕まったおばさんの天秤棒の品物を橋から川に放り捨てていた。ポリス達が去ると再び亦皆ゾロゾロと戻り始めた。
 似たような攻防は、もっとホアン・キエム湖寄りの通りにある書店の前でも行われていた。こっちはもっと組織だっていて、等間隔に並べられた椅子に坐ったりハサミをカチャ、カチャ鳴らしながら立ったりしながらの何とも手の込んだ闇の食物屋を商っていた。正に改革開放ならぬ、薄氷を踏んでの資本主義化"刷新"(ドイモイ)的展開という訳だ。

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 下町なんで露店や小店も面白く、カメラを提げてテクテク歩いていると、ある店のおばさんに手招きされ、中に入ると、三人組の中学生ぐらいの娘達が低いちゃぶ卓の上でコップの中味をスプーンでグチャ、グチャ掻き回しながら美味そうに食べていた。可愛い娘チャン達が食べているなら大丈夫だろうと同じ物を注文。瓶に入っていた茶色っぽい乾燥果物を先ずコップに入れ、次にナッツ類、細かく砕いた氷、薄茶色の粘液状の物をたっぷりその上にかけ、更に冷蔵庫から取り出したココナッツか何かの細く麺状にカットしたものをトッピングして出来上がり。娘達を真似してクチャクチャ掻き回しながら食べたが、味は悪くなかった。"Che Thap Cam"と云うらしい。(3000ドン)
 中国の湯元(圓)に似た甘味の類もあり、中に木の実の砕いた餡が入っていてシロップをかけて呉れる。甘さは薄目で悪くない。湯元同様、湯(スープ)の中に入ったのもある。お猪口のような湯飲茶碗にベトナム茶附き。(1500ドン) 
 フォーも、定番と決め込んでいたパクチーではなく、春菊の入った店もあった。パクチー食べれなくもないが、好きでもなく、やはり春菊のあの爽やかな香りのフォーも亦格別であった。

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  この時期ハノイは肌寒く、天秤棒おばさん達以外の一般住民達はセーターやマフラーまで首に巻いた冬支度。寒い日は17、18度ぐらいで、ふと出店の鍋の中の濃いスープに豆腐や肉が浮き湯気が立っているのを見ると、ふと自分の身体まで温かくなってくるように思えてしまう。が、同じ頃、サイゴンはそこまではなっていないらしかったが、中部のフエなんかはフロッド(洪水)であった。

  二階のドミは日本人が多かった。入れ替わりも激しく、すぐイラン人や白人が入れ替わり入ってきた。イラン人のパッカーは、長い一人旅のせいか、独り言や、一人笑いしたと思ったら慌てて笑い声を押さえたりして、彼の母国の国情を思い合わせると侘びしさと憐れみの念すら覚えてしまった。

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  この時、後にイエメンに入国すべくヴィザを取ろうと、通りで買った地図を頼りにサムローに乗って捜してみたがとっくに移転してしまったようで記載された場所にはなく、キム・マー通りの外務関係の建物のレセプションで訊いてみるとそこの青年が電話で聞いてくれたものの分からずじまい。帰路、イスラムっぽい国旗を掲げた大使館を見つけ中で尋ねてみた。そこはなんとカダフィーの写真を掲げたリビア大使館であった。 そこのベトナム人女性スタッフが問い合わせてくれたが、何とイエメン大使館は現在ベトナムには存在しないと教えてくれた。三年くらい前に内戦か経済的な理由でか引き揚げたらしい。存在しないとは・・・愕然としてしまった。

 十日以上滞在し、フエに南下することとなった。
 駅の外人用窓口でチケットを購入。
 "S1" 19時発、翌朝8時58分着。ソフト・シートで、293000ドン。
    (ハード・ベッド:444000ドン。 ソフト・ベッド:520000ドン。)

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