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2009年6月22日 (月)

廃れゆく町 JR筑豊本線・飯塚(樽屋町)

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 一、二時間に一本というスーパー・ローカルな路線バスを待つ合間に、ちょっとぶらついてみただけの文字通りの通りすがりであったが、初めての町を散策するってのはやはり些かの期待感も手伝って蠱惑的なものだ。筆者が訪れたのは二年ぐらい前であったと思う。はっきり覚えてないけど、CDには二年前の日付が認められているので間違いないだろう。

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 正確に云うと、筆者が降り立ったのはこの飯塚駅じゃなくてこの町のすぐ脇を流れている遠賀川を挟んだ対岸の新飯塚駅であった。勿論徒歩で行き来出来る距離圏だ。橋を渡ってどんどん訳も分からず進んでいった行った挙げ句が、地方の何処にでもある商店街。江戸時代から宿場町として栄え、明治に入ってからは石炭の町として隆盛を極めてたのが、戦後は廃れる一方で過疎化も進行したらしい。それでも、何時の間にか学生の街として持ち直し、現在のところ更なる過疎化の深化からは免れているらしかった。それでも、さすが昼間は、若者の姿は殆ど見当たらなかった。

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 数年前に合併・併合し、人口八万から十三万になったという。見た感じ、八万というのが相応って町並みであった。僕がこの町の名で知っているのは、何年か前の集中豪雨の折に有名になった「嘉穂劇場」だけで、結局何処にあるのか分からずじまいになってしまったが、この町の特産は、歌手の井上陽水と麻生太郎らしい。陽水が幾らかっこうつけて洗練ぶろうとしても、如何にも残ってしまう地黒さ加減が、炭坑の町ってところで了解出来たような気がした。尤もここは炭坑の現場ではなく、全国から集まってきた坑夫やその家族達が買物や遊びに訪れる町だったようだ。件の「嘉穂劇場」もそんな場の一つだったのだろう。ちょっと時代が前後するが、少女時代の林芙美子もこの町に買物や観劇に訪れたのかも知れない。

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 ここの何本もある商店街は結構長く、地方色に溢れてはいるけど、やはりメインを外すとシャッターの降りた処や張紙をした処も少なくなかった。そんな、裏寂しい商店街を歩いていて、ふと狭い路地の向こうに、も一つ仄暗い路地が平行に続いているのが覗け、おおっとばかり、分け入ってみると、果たして直ぐにそれと分かってしまうネオン看板の類が狭い細路の両端に点々として連なって居るではないか。只、昼間ではあるけど、ちょっと妙に乾いた雰囲気が気になって、じっくりカメラ片手に確かめているうち、大半が廃墟とまで朽ち落ちてはいないものの空屋であるらしい事が分かってきた。

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 本当に狭い路地にも拘わらず、間口の狭いスタンド・バーの類ばかりという訳でもなく、普通のパブやなんかも看板を出していた。勿論とっくに廃屋となって久しい赴きではあったけれど。仲々に怪しげな雰囲気が好い。
 昼尚薄暗く殆ど人影もない通りは、しかし、夜の帳が降りてしまうと真の漆黒と化してしまうのだろうか。それとも、一軒だけポツンと赤々とした灯りの点った店が妖しく軒上に燐光など燃やしながら人待ち顔に佇んでいるのだろうか。
 それも、一つの風情。そろそろ列島中が熱帯夜にうなされ始める季節ならば、ちょいと遠出して、その正体を確かめてみるのも一興かも。

 尚、ブログで確かめてみたら、この通りは「樽屋町」といって昨年被災したらしい。「恵比寿通り」は一つ向こうの路地。

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 町中で一軒、シネ・コンを見つけた。
 感じからしてこの町の唯一の映画館であろう。しかし、そんなに大きな建物でもないにも拘わらず、何軒も入っているようだった。恐らくスクリーンが狭いのだろう。ちょうど一人だけ如何にも暇を持て余したような親爺さんが腕を組んでじっと並んだポスターとにらめっこを決め込んでいたが、その一番端っこのポスターが古い東映の任侠映画二本立てで、如何にもこの地らしいローカル色ではあった。

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   普通の通りのちょっと端の廃屋。

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