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2009年6月11日 (木)

《ディル・セ》 炎情とRDX

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  ちょっと前、ラダック=レーの記事の中で、アムド・カフェのチベット人従業員の家の前で爆弾事件があった旨記しておいたけど、最近は如何なっているのか分からないが当時ラダック=レーはイスラム勢力に大部浸潤されていてラダッキ=チベット仏教徒側も危機感を募らせてはいたようだ。経済的な問題も含め色々と複雑な利害関係が水面下でうねり絡まっていたらしい。あの従業員=亡命チベット人を狙った爆弾だとしたら、彼等も危惧する中国の影も可能性の中に入れざるを得まい。何しろダライ・ラマとブッシュ(父親の方)米大統領が握手した写真をレーのあっちこっちで見掛け腰を抜かしてしまった。ベトナム戦争の頃のベトナム僧の焼身自殺からしても、米国大統領と握手している写真をご真影のように恭しく掲げたんじゃ、デーモンに身も心も売ったと勘違いされてもしかたない。
 僕はあれはダライ・ラマというより、側近達の差し金じゃないかと贔屓目に観ているんだが、恐らく、長い亡命生活の中で、英米や他の権力の手練手管に傀儡・諜報員に貶められてしまった側近や勢力も居よう。この前の北京オリンピックの時みたいに、ダライ・ラマの表明した意志とは随分とかけ離れたチベット勢力の動きをみても、若い世代がより直接的になっている裏で英米の影が見え隠れしていて、それが余計中国政府を苛立たせているのだろう。ダライ・ラマもそう若くはなく、ここら辺で、何としても一度きっちりと態度を明示すべきではないか。内外に。

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 と、いうのは、ヒンディー=モスレムの軋轢を描いた《ボンベイ》から三年後、マニラトナム監督が、今度はカシミールに舞台を移して、マニーシャ・コイララをカシミール独立派テロリストに扮させ、そのメグナというテロリストが、ラダックのチベット仏教徒なのか、やはりモスレムなのか判然とせず、ついラダック・レーの事に想いが及んだからだ。
 レーにも仏教徒からモスレムに宗旨替えした者は少なくないという話だったけど、そうすると彼等はもう仏教徒ではなく、イスラム教徒であって、巨大な黄金の観音像の前で白いカタを手に祈念するって行為はありえず、じゃあメグナは仏教徒なのであろうか。しかし、浅学ながらも、チベット仏教徒で、カシミール独立のゲリラ活動している者あるいは勢力が存在しているって寡聞にして聞いたことがない。もし、居るのならそれなんだろうが。現実的には独立したカシミールから、ラダック・ザンスカールが独立するって図式で、だからカシミール側のチベット仏教徒ラダッキに対する懐柔と取り込み工作だったんだろう。
 如何もその辺が曖昧で、無論映画ってことで、あのラダックの風景とヒンドゥーでもモスレムでもないラダッキ達の姿を登場させたかっただけの思い付きであったとしても、マアとやかく云うほどの事はないのではあるが・・・。

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 この映画"Dil Se"は、シャールークの中では好きな作品の一つで、何しろラフマーンの音楽と溶け合ったダンスシーンが好い。ミュージック・クリップだけ観ても飽きない。実際には、以前自分でクリップ集作って同じくラフマーンの《サワデス》同様大概には観過ぎ、さすがに最近は滅多に観なくはなってはいたが。
 それでも、映画として見ると、《ボンベイ》の如く涙腺攻勢は別にして、やはりヒンドウー=モスレムの直接的殺戮という緊迫した状況に較べて、やはり何としても陳腐なお決まりアクションの域を出ず面白さも半減しているのは残念。

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  マニーシャ・コイララ、インドの女性映画ファンの騒さ方からはダンスが下手、演技も下手と辛辣な評を得ているとはもう大分前に聞いた話だけど、アクの強いインド女優と違ってやはりネパーリなのか感じがソフト。そこがマニラトラム監督始め彼女のファンのお気に入り処なのだろうか。この映画の中でも、不器用にも、良家の血筋をかなぐり捨てるかのような物凄い表情をしてみせたりしている。恐らく監督の指示によるものだろうが。ダンスシーンの"ディル・セ・レ"でシャールークに抱かれ爆風で木の葉や埃が顔に吹き付けてきて、物凄く顔を顰めてみせるその素人っぽさは、やはりマニーシャにして可能だったのだろうし、監督もほくそ笑んでOKしたんだろう。勿論インド女性映画ファン達からはいぎたなく罵られたであろうが。

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 ラジオ局員アマルはカシミール行きの列車をある小さな駅で待つことになった。強い風雨の深夜で、ホームには他に一人しか客は居なかった。黒いチャドルを纏った若い女、それがメグナだった。
 それ以降訪れる先々で彼女と一緒になり、やがて一目惚れから心底思い焦がれる熱愛に燃え上がる。シャールークの十八番のストーカーと見間違うくらいに。ところが、彼女こそカシミールのインドからの分離・独立を求める武装ゲリラ=テロリストであった。 デリーでのインド独立記念日のパレードの最中に、爆弾による首相暗殺を企てていたのであった。アマルの求愛を悉くはねつけて来て姿をくらませてしまったメグナが、よりによって、メグナを諦め許嫁のプリーティ(プリティー・ジンタ)との結婚を承諾し、その婚約のセレモニーの日に、同じ女テロリスト・ミタと共に彼の邸に突然現れ、デリーは初めてで、当座の住む処と仕事を世話してくれと云い出した。唖然としながらもアマルは了解する。
 やがてひょんな事から足がつき、警察の知れるところとなり、メグナの一味は追いつめられはするが、何とか決行当日の日に至る。アマルも警察からメグナの事を知り、見つけ出した彼女に中止を求めるが、長年カシミールの置かれた悲惨な状況を説き結局カシミール独立しかないと拒絶する。メグナの家族も面前でインド軍に殺害され、少女だった彼女自身も犯されていたのだった。

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 決行の時、建物の影から現れ爆弾RDXを身体に巻いてパレード会場に向かおうとするメグナの前に、死闘の末ボロボロになったアマルが現れ、せめて一度でいいから、俺を愛していると云ってくれと何度も哀願する。アマルに抱かれ灼熱と化しながらもメグナはそれを口にすることなく、爆弾が爆発する。

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 エンターテイメント性の強い映画で、ヒットしたらしく、撮影監督のサントーシュ・シバムも大金を手に入れ、自分の映画を作れたという。因みにプリティー・ジンタはこの映画と"ソルジャー"で新人賞を受賞したらしい。

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 アマル     シャールーク・カーン
 メグナ     マニーシャ・コイララ
 プリーテイ   プリティー・ジンタ
 女性ダンサー  マライカ・アロラ "chaiya chaiya"
 
 監督   マニ・ラトラム
 脚本   ティグマンシュ・ドゥリア   
            マニ・ラトナム
 撮影   サントーシュ・シバン
 音楽   A.R.ラフマーン
 振付   ファラ・カーン
 美術   サミール・チャンダ
  制作   バーラート・シャー/インディアン・トーキーズ 1998年

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