《ギリギリの二人》 Nothing to lose ダニー・パン
1999年《レイン : バンコク・デンジャラス》から、オキサイド・パンは2001年に《ワン・テイク・オンリー》、弟のダニー・パンの方は、この《ギリギリの二人》を制作。
この映画、最初知らないで、主演のソムチャイ役のピエール・フォン、何かセリフ廻しがおかしいなと思っていたら、シンガポールの俳優だった。シンガポールも共同出資していた関係でシンガポールの俳優になったという。もう一人の主演、アリサラ・ウォンチャリ(フレッシュ)はタイ娘。彼女は如何にもタイ女然とした気の強そうなゴーゴー・ガール、"ゴーゴー"役がぴったり。若干マイに似ていて、マイから愛らしさと妖艶さを抜いた感じの女優で、前年のオキサイド・パンの《ワン・テイク・オンリー》と似たキャラクター構成。
《レイン : バンコク・デンジャラス》がシリアス且つとりわけ最後のシーンがお涙ものだったのを反省し、同じ轍を踏襲しないと企図された作品らしいので、ウェットさは押さえられ、やはりドライであり、シリアスさも薄められ淡泊におしなべられていている。更にコミカルな要素が注入されているけど、《ワン・テイク・オンリー》ほどには面白くない。好みから云えば、オキサイド・パンの《ワン・テイク・オンリー》の方が好きだし、好く出来ていると思う。俳優のキャラクターの差でもあるかも知れない。
タイで束の間のバブルが弾けてからのペンエーク監督の《タロック69》、女主人公が会社の人減らしで首になり、やけになって液体洗剤をガブガブ飲んで自殺しようとするのだったが、日本人からみれば洗剤飲んで自殺するって発想が何とも凄く、思わず唸らさせられ物で、しかし、それは別段ペンエーク監督の演出効果を狙った創案って訳ではなく、現在でもタイ中の自殺志望者によって採られる最も安易且つ廉価な手段で、新聞紙上を賑わせている。特に女性に多いようだ。
それから更に数年、"9.11"事件の前後、まだ若い二人、ソムチャイとゴーゴーは、偶然同じビルの屋上から飛び降り自殺を企んだ。
飛び降りようとして、屋上の塀の上にしゃがみ込み、逡巡し続けるソムチャイの構図は、翌年のペンエークの《地球で最後の二人》のケンジがやがてノイと出遭うことになる橋の欄干の上にしゃがみ込み、下を流れる川を見詰めている図と同じ。
断念し、よたよたとしていると、ふと同じ屋上の塀の上で、ゴーゴー・バーのカウンターの上で踊るゴーゴー・ガールのように佇む自称"ゴーゴー"を見つけ、傍に寄っていく。そこから、二人の居直った、もう"失う物は何もない"、如何にもタイ人好みの"サバーイ・サバーイ"な生き様=死に様にまっしぐら。
これは、しかし、"迷える青春群像"物の基調トーン。
二人は地上に戻り、早速何処かのバイキング形式のレストランに入る。
目一杯喰いまくり、金も払わず逃げだし、安宿の一室を借りてそこで二人の束の間の同棲生活が始まる。とは云うものの、決してゴーゴーはソムチャイに身体を触らせることはなかった。欲情したソムチャイがベッドに横になったゴーゴーの身体に触れようとして蹴飛ばされてしまう。
《ワン・テイク・オンリー》と同様、女の方が積極的且つ能動的。バーンクと相似にソムチャイは、ゴーゴーに後ろからどんどん押され追い立てられまくる。
秘密のカジノで二人は一儲けを企むが借金を作っただけ。二人はマフィアに拉致されカジノの地下でゴーゴーはボスに金のカタに身体を奪われそうになる。間一髪で、ソムチャイがカジノで大儲けしたチップを持って駆けつけるのだが、ボスはもうそれどころではなく、ゴーゴーに猛り狂う。爆発したソムチャイが、狂ったように銃でマフィア一味を皆殺しにしてしまう。この辺、見せ場のはずが、シリアスさを抜いたためリアリティーが希薄で、コミカル風味なのだろうが、何とも中途半端。だから冴えない。
最後に、銀行強盗を企み被弾し店長らしい親爺を人質にとって屋上に逃げ込み、駆けつけた警官に取り囲まれて、結局元のもくあみ、振り出しに戻ってしまった。が、今度はもはや逡巡することもなく、手に手を取り合って飛び降りてしまう。
主人公達が飛び降りるというラストは、ジョージ・ヒル監督の《明日に向かって撃て》にもあったけど、高層ビルの屋上から地面にじゃちょっと、曖昧さのつけいる隙すらなく、ひょっとしてという可能性も絶たれてしまう。それでも悲壮なはずが、微笑みすら浮かべ、死がサバーイなものとなってしまっていて、もう明日に向かって撃つ必要すらなくなっている。
サバーイ・サバーイともはや生き伸びる必要すら認めなくなったのか、それとも居直ってあたふたしてはみたものの、結局再び同じ終局点に舞い戻ってしまったという、閉じられた環あるいは不如意なのか。
この映画は、実話を基に作られたものらしいけど、幾らタイ人達が、サバーイ志向強いと云っても、容易に死を選んだりはしないだろう。それでも情況に依っては、死が、苦から免れるための、絶望から逃れるためのサバーイな方途となり得る時もあるだろう。否、そもそも現実が否応なしに強いるのでもあろう。
それが故にか、この映画、破滅型青春映画の一つとして悪くはない。
監督 ダニー・パン
脚本 ダニー・パン
撮影 ウィチャ・イントラノイ
音楽 パヨント・ペルムシト&サンザブ
アリサラ・ウォンチャリ
ピエール・フォン
イヴォンヌ・リン
ニムポント・チャイシリクル
制作 フィルム・バンコク 2002年(タイ)
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