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2009年7月20日 (月)

《コラテラル》 迷走的子夜

Collateral_4

  ジェイミー・フォックス、この映画を観ていたから、《ジャーヘッド》や《キングダム》を観てしまったけど、二作ともこの映画ほどには面白いものではなかった。特に《ジャーヘッド》は私的には"ゴミ映画"の範疇で、男千円の日とはいえ《キングダム》のチケットを買うについては随分と逡巡したものだ。前作よりは増しだったがせめての救いだったが。

Collateral_10
 
 別にトム・クルーズのファンではないが、嫌いではない。
 《七月四日に生まれて》や《レイン・マン》なんかは気に入っている。"MI"シリーズの類には全く興味がなく、最近の反ヒトラーのナチ将校達の叛乱《ワルキューレ》なんて、ハリウッドのユダヤ的プロパガンダ物と一線を画した映画かと少しは期待したものの、案の定のお決まりステレオタイプ物で、ナチを撃ち返す刀でイスラエルをも撃つなんて気の利いた物では全然なかった。ちょっと古いが、ジェームス・コバーン主演サム・ペキンパー監督の《戦争のはらわた》や些か内容が異なるがルキノ・ヴィスコンティ監督の《地獄に墜ちた勇者ども》なんかとも較べようもない。

Collateral_9

 トム・クルーズ、今までにない役所の悪役=殺し屋のこの《コラテラル》に何故出演したのか定かでないが、監督のマイケル・マンにくどかれたようだ。しかし、意外と適役で、ジェイミー・フォックス共々、仲々雰囲気のある映画に仕上がっている。
 この映画、ひたすら"雰囲気"、夜のロサンジェルスを背景に、入眠幻想すら覚えさせられかねない独特の囁きと息吹に統べられている。さすがにロバート・デ・ニーロ主演マーティン・スコセッシ監督の《タクシー・ドライバー》の如く芸術的作品にまで昇華されてはいないけど、決して悪くはない秀作だろう。

Collateral_8

 ある夜、十二年もロスでタクシー運転手をしているマックスのタクシーに、如何にもよそ者(異郷人)風のブリーフ・ケースを手にした男が乗り込んできた。不動産業者と名乗り、何件ものまとめたい仕事があり、一晩だけ貸し切りを求め六百ドル、早く済めばもう百ドルプラスすると百ドル札六枚を見せ、肯うと、手付けとして三百ドル渡す。
 が、これが実は殺し屋で、朝までに五人の検察側の証人を抹殺する仕事を請け負っていたのだった。

Collateral_7

 ところが、のっけから最初の証人、地元ロス市警の情報屋がその殺し屋(ヴィンセント)に自室で射殺され窓から転落して下の通りでヴィンセントを待っていたマックスのタクシーの上に落下した時から、警察がそれとは知らずも姿を眩ませた情報屋の行方を捜し始め、検察側の証人を守ろうとするFBIまでが共に動きだす。
 真面目で些かシャイなマックス、ヴィンセントや女検事アニーに、タクシー・ドライバーはあくまで"繋ぎ"仕事でしかなく、本当はベンツを何台も揃えた顧客専門のリムジン会社設立の準備中だと応える。用意周到に計画しているものの、何時果てることもない夢想のままであることを、ヴィンセントに見抜かれてしまう。ヴィンセントの前に乗せた女検事アニーに一目惚れしたくせにデートの取り付けすら出来てないことも。人生に積極的・能動的でないと。

Collateral_6

 やがて、事のなりゆきで、マックスの入院中の母親を共に見舞う運びになり、無駄だと断言し切るマックスに、「お前を九ヶ月も腹の中に入れてたんだぞ」と花束を買ってマックスに持たせる。母親に渡すと、何故そんな無駄な金を使うの、と母親になじられるマックス、ところが、ヴィンセントが買ったのが分かると、掌を返したように、喜びヴィンセントに礼を云う。そしてマックスのリムジン・サービスに話が及び、何とマックスは母親には既にリムジン会社が実際に稼働している嘘をついていたのが発覚、マックスは居たたまれなくなって、ヴィンセントの鞄を盗み病室から逃げ去る。抹殺するべき証人達のデータが入ったノートパソコンが収めてある大事な鞄で、ヴィンセントは急いで後を追う。が、すっかり追いつめられたように混乱したマックスは自暴自棄になって、鞄を陸橋から下の車道に放り捨てる。トラックに当たり、中味が四散しパソコンも踏み潰されてしまう。怒り心頭に達したヴィンセントは、それでもマックスを殴りはしても射殺はしなかった。彼との間に何か運命めいた絆を感じ始めていたのだろう。

Collateral_2
 
 結局客の溢れたディスコのフロアーで、ロス市警・FBIとマフィア、証人の韓国系ディスコのオーナーとその手下達とヴィンセントの四巴の銃撃戦の果て、二人は最後のターゲットの処に向かう。パニックに陥り自棄になったマックスが運転を誤りタクシーは横転。パトカーの姿にヴィンセントは目的のビルへと突っ走り、ターゲットが女検事アニーだと知って、奪い取った他人の携帯でアニーに知らせたものの、途中で電池切れ。 ビルの上階へと、ヴィンセントの落とした拳銃を片手に急行する。普段のマックスでは考えられない行動で、平常心を失い、一種憑かれた精神状態のマックスの夢遊病的能動性。
 やがて一緒に逃げ出したアニーとマックスを追って、マックスの銃撃に被弾したヴィンセントが銃弾を発射しながら、ビルの地階の地下鉄乗り場から地下鉄の中まで迫ってくる。しかし、さしものヴィンセントも最後には力尽き、手にした拳銃の弾倉を入れ替える余力すらなくなってしまって、ドタりとシートに坐りこむ。マックスも全弾撃ち尽くした拳銃を握ったまま、向かいのシートに坐る。互いに向き合い、ヴィンセントがタクシーの中でもしたロスの話を呟く。
 七時間も誰にも気づかれることもなく延々と走り続ける地下鉄のシートに坐り続けていた死者の話・・・

Collateral_3

 夜、深夜、様々な大都市の夜景の只中での孤独な人間の囁きと息吹。
 この映画は、それに尽きていると思う。
 無数の色とりどりのネオンや街灯・窓明かり、それが一層寂寥と孤独を際立たせ、"ブルー・バス"とは逆転したタクシーの運転手と客という関係が、微睡みの淵にパッション(情動)を生じさせ、悪夢にも似たダイナミズムとなって、二人プラス一人を、仄昏い醒酔定かならぬ黎明のそれぞれのとば口へと誘い出す。
 そこに於いて、マイケル・マンの謂う、証人のダニエルの経営するジャズ・クラブで3人でテーブルを囲んでマイルス・デーヴィスの話で会話が弾んだ果てにダニエルを消音装置を使って射殺した時、全てが変わり始めるというのは、言わんや、殺し屋ヴィンセントの暗い過去云々は、殆どこじつけ・蛇足に過ぎないだろう。
 「不条理」の一言で済むことだ。

Collateral_1

 現実とはそんなものだし、追いつめられた地下鉄の中での最後のマックスとの向かい遭っての銃撃戦の際、明らかにヴィンセントは意図的にマックスから銃弾を外して撃っているのも、自身の死期を悟ったからか、マックスに己の過去を投影し生かそうとしたのだろう。この映画の面白さ・魅力は、シナリオではなく、あくまで雰囲気にあるのだから。
 「雰囲気」映画といえば、これまたちょっと古いが、亡くなった松田優作主演の《野獣死すべし》なんてのもあった。シナリオ(丸山昇一)や優作の過剰な演技を越えて醸し出された独特の雰囲気、監督の村川透がマーチン・スコセッシの《タクシー・ドライバー》に薫陶を受けていたのかも知れないが、邦画に於ける希有な存在であろう。
 だから、マックスが夜の明けようとするロスの街角で、ふと束の間の微睡みから醒めたように、バックミラーを覗き込んでもおかしくはない。

 ヴィンセント       トム・クルーズ
 マックス         ジェイミー・フォックス
 女検察官アニー      ジェイダ・ピンケット・スミス
 ロス市警ファニングス   マーク・ラフアロ
 ダニエル         バリー・シャバカ・ヘンリー
 フェリクス        ハビエル・バルデム

 監督    マイケル・マン
 脚本    スチュアート・ビーティー
 撮影    ディオン・ビーブ、ポール・キャメロン
 美術    デイビット・ワスコ
 音楽    ジェームス・ニュートン・ハワード
 制作    ドリーム・ワークス 2004年(米国)

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