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2009年7月10日 (金)

中国の叛乱

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   ウイグル族の暴動の報道がこの処喧しい。
 先月の広東省韶関市にある香港系の玩具工場での、ウイグル族従業員に対する漢族従業員の集団暴行事件に端を発したと云われる今回のウルムチでのウイグル=漢族暴動。ウイグル族自治区政府の発表では、死者140人、数百人の検束者らしく、国外のウイグル団体ではもっと多いようで、ウルムチに派遣された武装警察3万人という。もう暴動というより叛乱であろう。
 
 韶関市での暴動は、出稼ぎのウイグル族従業員が、漢族の女性に暴行を働く事件が相次いでいるという口実で漢族従業員達がウイグル族従業員達を襲ったということであったが、現在では、ウイグル族の漢族女性に対する暴行の事実はなく、業務上のミスで解雇された漢族従業員が、はらいせに流したデマということで、その容疑で漢族二人が逮捕されているという。
 元々漢族=ウイグル族の反目が背景にあったようだが、新疆(しんきょう)ウイグル自治区内の事象とばかり思ってたので、最初そのニュースを見て驚いてしまった。新疆から遠い遠隔の地ですらそんな反目が有ったのかと、随分と根深いものに発展したものだと只々困惑を覚えるばかり。以前からそんなに、全国的な反目ってあったんだろうか。
 新疆内では、漢族の異民族支配ってんで、それも可成り強権的だから、当然反感は強く、例えば十数年前でも、列車で新疆エリアに入ると皆窓を閉めたものであった。何時、石が飛んでくるか分からないからだったし、カシュガルで爆弾事件もあった。漢族と間違えられ暴行を受けたりする旅行者も稀に居たらしいが、旅行者から見てそんな緊迫したものは感じられなかった。
 
 世界的なイスラム勢力・原理主義の台頭・跋扈ということもあるだろうが、恐らく、ウイグル族の方はそんなに変わってないのではないか、むしろ漢族自体に変化が生じ始めたのではないか。新疆にも、チベット同様どんどんと漢族が移民・植民し続けていて本来の先住民族を遙かに凌駕する程の数になってしまって、ウルムチなんてむしろ先住民族の方が、"少数民族"としてしか見られなくなってしまっている可能性もある。
 漢族が世界に冠たる漢民族として自信を持ちはじめたということだろう。
 そしてそれは、嘗ての日本が、隣国の朝鮮や中国に対して持ちはじめた優越感と蔑視の感情と同じ物でもあろう。
 北京オリンピックの実現と、それに対する世界中からの「人権」を口実にした政治的圧力、それと同期した海外チベット人達の「妨害運動」とチベットの叛乱も、その感情を高まらせた要因になったろう。

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 そもそもが、オリンピックなんて、世界の権力が、自分達の国威発揚と、政治的無能としての国内諸問題の軋轢をすり替える為の、四年に一回は催されるまたとない祭典として担ぎ上げているだけの装置に過ぎず、以前は「ブラックパワー」行動等でオリンピックに政治を持ち込むなと散々喧しかった欧米国家も、モスクワ・オリンピック・ボイコットの頃から、もうなりふり構わず自分達のその時その時の都合でのみ好き勝手やりたい放題の政治的ショーとして「純粋スポーツの祭典」としての粉飾をかなぐり捨ててしまって久しい。それに、英米をはじめ欧米国家が「人権」を口実に他の国を非難すること自体がおこがましいし、そもそも筋違い。
 ダライ・ラマすら北京オリンピックなんて眼中になかったような発言をしていたにも拘わらず、何故に在外チベット人達って、北京オリンピック妨害行動に出たのだろうか。ダライ・ラマがもう影響力が衰えたからか、浅慮な若い連中が欧米の尻馬に乗っかったのだろうか。(尤も、どっちにしたところで、中国政府がダライラマや"チベット自治化"の承認や妥協なんてする気もないのは誰の眼にも自明の事柄であったろうが)
 政争の道具でしかないのがはっきりした今となってはオリンピックにこれ以上しがみつく理由って無いはずだし、オリンピックなんてもう廃止して当然だろう。にも拘わらず世界の権力が容易に手放そうとはしないところが、全てを語って余りある。

 先月、中国・湖北省石首市で、ホテルでコックと思われる男性の屍体が発見され、その死因を巡って暴動が発生。自殺か他殺かで警察と遺族が揉めての騒ぎが発端らしい。もうそんな土壌が出来上がっているからの、些細なトラブルすら暴動の発生原因となってしまう現在の中国の現状。《改革開放》が、資本主義化でしかなかった故の当然の論理的帰結。そこに解決なんてありやしないし、今の欧米同様、行き着くところまで行くしかないだけ。只、中国は、それがなけなしのものであったとしても、権力に対して暴動を起こせるっていう"力"が民衆の側にまだあるというこの一事で、世界的末期資本主義的盲流から抜け出せる「可能性」を抱懐し得ているともいえよう。その前に馴服(じゅんぷく)され無い限りは。

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 それにしても、人民中国、一体何の為に革命・解放を多くの犠牲払ってやってきたのだろう。誰が、今頃、嘗ての大中華帝国並の版図を夢見ろと云ったのであろうか。
 「民族」の自立・独立は本来の革命・解放の理念だったはずで、新疆だろうがチベットだろうがはたまたモンゴルだろうが南の少数民族や北の朝鮮族だろうが、独立を求めるならむしろ協力すべきなはず。大体、先住の無数の民族が居る処で、大国主義を押し通そうとすること自体ナンセンス。

 屈辱の「東亜病夫」の扁額を叩き返したと思ったら、今度は自分自らが、億元戸顔負けの金銀宝飾で飾り立てた逆の意味の「東亜病夫」の扁額を頭上高々と掲げていれば世話はない。 魯迅もそんな手合いと同質とばかりに仰々しい建物に鎮座させられたのでは、死んでも死に切れず、夜な夜な上海は内山書店辺りを慚愧の想いで徘徊しているのであろう。

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