印度恐怖映画(1) 《カール》サファリ・パークを徘徊する押しつけガイドの自縛霊
普通インドのホラー映画って、ヨガや心霊主義的なイメージが強く、さぞかしおどろおどろしく怖いのだろうと思いがちだけど、アジアの例に洩れず技術的な問題も絡んでお粗末なゲテ物が多いようだ。で、少し有名俳優が出るような映画となると、まさかゲテ物という訳にはいかず、今度は何とも白けた恐怖の片鱗も見られぬ代物になってしまうようだ。
例えば、ちょっと古いが、サンジェイ・ダッド主演の《ルードラクシュ》なんて、ボリウッドも漸くこんな特殊効果撮影も出来るようになったのか、という感慨だけの代物であった。そしてその特殊効果技術の不完全度故に情けない代物でもあった。もう少し作りようがあろうと想ってしまうのだが、まだまだこれからなのであろう。でも、ホラーに限らず、金を掛けた技術や装置は、必ずしも必須条件ではない。専ら、制作者側の創意と工夫一つ。
昨今、否、考えれば七十年代頃からでももう既にあった人間達の自然・環境破壊に対する警告を主題にしたホラー映画は、数え上げれば切りがない。インドでも、あっちこっちインドの自然・大地を破壊し汚染し続けているニュースばかり。水(パーニー)の汚染も有名過ぎる。北京を筆頭に中国がそうである如く、インドもこれから一層激しくなっていくだろう。欧米先進国が世界中に先鞭をつけ、今まで大概には植民地・半植民地国の破壊と搾取を決め込んできた癖に、決してそれら後進の国々にその警鐘と経験・技術を提供することもなく、したのは部分的な"商品"としての恩着せがましい切り売りのみ。
この《カール》、ヒンディー語では、"運命の時間"という意味らしいけど、恐らくもっと宗教的な意味あいがあるのだろうが、それはともかく、インドの自然・大地=広大な"オービット国立公園"を舞台に、典型的なハリウッド・ホラーのステレオ・タイプを、何の躊躇いもなくボリウッド版に作ってしまったって感じだろう。
同じ2005年だと、タイでは、バスに乗った高校生達が次々に殺されて行く"スケアード"が些か似ているけど、ホラー映画として観たら、目一杯ハリウッド・ライクな"スケアード"の方が明らかに面白い。技術的に昇華出来ているからだろう。人間の犯人も一応登場するけど、タイ・クメール風な精霊信仰・呪術的な要素も漂わせ、その辺は曖昧に韜晦していた。タイには、このタイ・クメール風な精霊信仰・呪術的なバックボーンがあるので、ホラー仕立てに無理がなく、更にイマジネーションを膨らまし易い。歴史の古いインドなら尚更って思えるのだが・・・。
ある日、環境保護運動家のクリシュとリヤの夫婦の家に、ナショナル・ジオグラフィックからインド北西部にあるオービット国立公園での不可解な人食い虎による殺人事件の調査の依頼がある。
早速二人はオービット公園に赴く。丁度そこに、都会からバカンスにやって来たデヴやイシカのグループとひょんなことから同道することとなる。お決まりのように、都会組にはキンキラキンの拳銃をこれ見よがしに弄ぶバカ息子、サジッドが居る。
と、皆が同乗していた地元民の車が止まり、デヴとクリシュがこの公園の規則を破って道端に降りてしまう。それを見透かしたように、次々と虎が現れる。あわや全員人食い虎に喰われてしまうのか、と観念した時、突如道路の向こうから一人の黒いシャルワール・カミーズに身を包つみ手に太い棒を持った男が現れる。虎たちは逃げだし、難無きを得た。カーリーという名のガイドであった。しかし、デヴが嫌い、男は再会を仄めかして去って行く。
この時の、アジェイ・デヴガーン扮するカーリーが登場する際、虎のイメージに合わさってカーリーの両の眼がカットバックされるのだが、これはカーリーを虎の化身として登場させたのであろう。あるいは、思わせ振りな、一連の殺人の犯人を虎に見せかけるためのトリックでもあるのだろうが、やはりこれはインドの大地・自然の化身・虎=カーリー、シヴァのもう一人の嫁、シヴァをも脚で踏みつける地母神カーリー、虎に跨るシヴァの妃パールバティ・ドゥルガー、そうすると彼の手にする棒はシヴァの三叉鉾(トリシューラ)になる。大地・自然を汚す者達にシヴァのピナーカ(弓)やパスパタ(第三の眼から発射される炎)あるいは三つの魔都を焼き尽くしたトリシューラで殲滅しようと謂うのだろうか。
もはやB級ホラーの定番、夜のキャンピングでの恐怖話。
結局、職員本部に辿り着くが、人食い虎が職員を襲い、クリシャ達一行は追い返される。途中、地滑りで通行不能で車が立ち往生している時、再び、カーリーが現れる。もはや、公園の地理に詳しい彼に頼る他すべはなかった。バカ息子アジッドが道端の向こうの雑草に兎を見つけ、オートマチック・ピストルを片手に一人跡を追って行き、汀で何者かに襲われ首を喰われてしまう。カーリーは幾度も彼等に公園の禁止事項(ルール)を守るように警告し続けていたが、ことある毎に一行は破りそして犠牲者となっていった。
やがては、クリシャの妻のリヤも夜中、喉が渇いて泊まっていた廃墟から抜けだし古井戸で水を飲みに行って水死してしまう。リヤが居ないのに気付いたクリシャとデヴが古井戸の底に沈んだままのリヤを見つけ、デヴがリヤの脚に絡まっていた綱を引きあげている最中、カーリーが現れ、再びくどくどと非難がましいことを呟き始めた。ふと、デヴが井戸の底の水面に映った自分の影しか見えないことに気付き、慌てて今まで撮っていた携帯ビデオ・カメラ"ハンデイーカム"の映像を確かめた。果たして、全員の姿ははっきり映っているにも拘わらず、カーリーの姿だけは影すら無かった。カーリーはこの世の者ではなかった。三人は、必死でそこを後にし、走って逃げだした。カーリーは走って逃げた三人を襲おうとするが失敗し、職員のジープに助けられ、無事逃げおおせることになった。そして、後日、又別のバカンスの一行が現れる。そこに、もうカーリーがガイドとして同道していた・・・
実は、カーリーは、件の虎に喰われた外人旅行者達のガイドだった男で、公園を愛する余り人間達に対して敵対的になり、ついには村人達に惨殺されてしまっていたのだった。
シャールークのプロデュースで、大きな画面で観たインドの観客はそれなりに恐がり喜んだのかも知れないが、私見したところ、予断通り怖さは皆無、ミステリーとして見ても平板・凡庸。全てが余りにもホドホドに作られているせいだけど、何かインド映画の倫理規定や規則に触れてしまうからかとつい余計な憶測までしてしまう。
カーリーをインドの自然・大地と、あるいはカーリー神・シヴァ神の化身とするなら、もっとダイナミックなストーリー展開じゃないと余りにも情けない。結局は、ハリウッド・ホラーなんかに出てくる何とも中途半端な、ジェイソンや案山子男ほどにも迫力のないそこら辺の、例えば新宿御苑ていどの公園に出没するのがせいぜいの呪縛霊ってところでしかなかった。
一人アジェイ・デヴガーンだけが、持ち前の三白眼で雰囲気を出していたのが光っていただけ。
アジェイ・デヴガーン カーリー
ジョン・アブラハム クリシャ
ラーラ・ダッド リヤ
ヴィヴェク・オベロイ デヴ
エシャ・ドエル イシカ
監督 ソーハム・シャー
脚本 ソーハム・シャー
撮影 サントーシュ・サンディーアイール
音楽 サリーム・スライマン
制作 ダルマ・プロダクション 2005年(インド)
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