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2009年8月28日 (金)

《街角の天使》 周璇の天涯歌女(1937年)

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 1935年、中国・上海の一代銀幕明星・阮玲玉(ユアン・リンユイ)が自らの生命を絶って二年後、いよいよ時代は暗雲立ちこめ一層混迷が深まる中、袁牧之監督、溌剌と乾坤の一滴たるこの明星影片公司作品《街角の天使》を送り出した。
 上海歌舞団"明月社"の四天王出身で映画でも活躍した黎莉莉・王人美、次第に銀幕から遠ざかり、その後を継いだのが、歌舞《特別快車》で頭角を現わし推しも推されぬ存在となっていた歌星・周璇(チョウ・シュワン)であった。当時まだ十七歳であった周璇、それ以前に何作か他の映画会社の作品にも出演していたが、何よりも、この中国映画史上燦然と輝く《街角の天使》原題;馬路天使で中国中に名が知れ渡り、"金嗓子"(嗓子=声・喉)と呼ばれ、やがて"一代歌后"として不動の地位を占めるようになる。
 尤も、先の影后・阮玲玉がそうであった如く、自殺こそしなかったものの(未遂はあったようだが)三十九歳で病死するまで、彼女も又波乱の多い人生を歩むこととなる。

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 監督・脚本の袁牧之、三年前の1934年に自ら脚本を書き主演までした応雲衛監督作品《桃李劫》で脚光を浴び、草創期トーキーの作品でもあって、作詞・田漢、作曲・聶耳の主題歌"畢業歌"(卒業歌)も中国中に知れ渡っていた。
 この映画の撮影に際しても、八仙橋、「大世界」(当時の一大エンターテイメント・コンプレックス)附近、四馬路一帯の妓院(娼館)・茶館・澡堂(銭湯)・理髪店等を観察し研究したという。

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 タイトルは《馬路天使》だが、"馬路"とは"通り"それも"大通り"を意味していて、一般的には"路地・横町"の意味はないようだ。勿論、辞書を調べてのことで、実際には上海辺りじゃ"路地・横町"的なニュアンスもあるのかも知れない。尤も、上海には、"弄堂"という横町・路地を指す言葉がある。上海では、"ロンダン"、北京読みでは"ノンタン"。
 何故、拘わるかというと、この映画、上海の豪奢で晴れやかな表通りではなく、専らそこから幾重にも入った弄堂(路地)の、それも可成り裏寂れた界隈の貧しい住民達の物語(故事)だからだ。入口には"太平里"の表示がある。

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 外灘はじめ繁華な上海の通りの夜景のオープニング・クレジットの後、デティールの無い上海大厦(ブロードウェイ・マンション)らしき模型を上から下方に視線を移動してゆき、更にその地下層まで降りて行く。そして、大通りでの豪華な結婚式の長い列。
 ・・・けど、考えたら、その頃って、もう既に日本軍が上海を占領し、上海大厦は日本軍に接収されていた可能性が高く、最近死刑にならず生き延びていたと喧しい川島芳子が最上階に泊まるようになった頃だろうか。上海大厦の道路を隔てた向かい側にバック・パッカーの定宿、シックな浦江飯店があって、そこから毎日のように真ん前に聳えたそのくすんだ姿を見ていたけど、何しろ高層というだけで建物に趣がない。因みに手前の蘇州川を外灘に鉄橋を渡って南京路脇に聳えていたサッスーン大厦(現・和平飯店)の上階にあったキャセイ・ホテルは、普通の中国娘同様に周璇に憧れていた歌手・女優の李香蘭の定宿であったようだ。
 監督・脚本の袁牧之、暗喩・隠喩的手法が得意のようなので、ひょっとしてそこだけ白い模型にしたのも、あるいはその地下層での物語というのも、そこだけ"空白"あるいは"地下運動・抵抗"というニュアンスを帯びているのかも知れない。

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 映画評論家の佐藤忠夫は、模型を「大世界」とし、タイトル"通りの天使"を、そのまま"街娼"と解すが、それだと小雲のみが浮かび上がってくる。小紅を陽とするなら、小雲は陰で、地味に描かれ、最後は小雲の死で終わる。明から暗。ところが、佐藤は、やはり少平・小紅をはじめとした仲間達の物語としている。

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 この馬路天使は、天使を娘に見立てて、小雲・小紅姉妹の物語とすると、劇中最初に小紅が唄う《四季歌》で、姉妹二人が戦禍を遁れて逃げてきた故郷・東北地方のさわりで、画面に一瞬、戦場と逃げまどう住民の場面が入る。中国の人々には、それが何を意味するのか分かっていてその了解性の上で、曲は冬まで続く。つまり、日本軍侵攻によって、戦禍を逃れるために大陸をあっちこっちさすらい続け漸く上海まで逃げのびて来た姉妹の、上海の周囲の貧しいながらも楽しく共に助け合い励まし合って生きてゆく人々との物語という事になる。
 更に、中国のブログみると、小雲の職業を、妓女(娼婦)だけでなく、"下級妓女"、"野鶏"、"站街妓女"(站=立つ)等と色々表現しているけど、妹の歌手の小紅、茶楼で唄う歌手って、場合によっては春を売るって事もあったろう。小紅も正にその故に逃げる算段を余儀なくされたのだから。そう考えると、先の佐藤の指摘が生きてくる。(尤も、佐藤は小雲のみを指していたが)。

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 普通は、彼女達を含んだ仲間全員を指すタイトルと解すのだろうが、それはあくまで"天使"の解釈で、肝心の"馬路"=大通りはまた別物。
 彼等が住んでいるのは大通りとは別の、もっと幾重にも奥に入った殆ど場末の貧民窟、とは云え、掘っ立て小屋の類ではない。弄堂の古い老朽化したアパートで、浦江飯店の裏手にも、映画のように朽ち果ててはいなかったものの燻すんだ建物がずらりと連なっていた。中国ブログには"小閣楼"とあり、裏側同士なのか細路を隔てた向かいのアパートの窓辺に出た相手と話や物を投げてやりとりするぐらいの密集度。
 で、"大通り"とは、"天使"を小雲か小雲・小紅二人の姉妹を指すのであれば、もうそのまま。全員を指すのなら、姉妹以外の少平をはじめとする仲間も、商売している"場所"が大通りに面しているから、ということになる。只、楽隊や物売りは例え外灘の大通りでもあり得ようが、姉妹や理髪店は如何だろう。南京路以下ではないだろうか。それでも、大通りには違いない。冒頭、結婚式の列に附いた少平の楽隊が大通りを通る時、建物の二、三階にある「・・楼酒館」のバルコニーから小紅が手を振る場面があり、彼女の職場は確かに大通りに面してはいる。
 それ故に、大通りってのは、反語だと思うが如何だろう。晴れやかな大通りの裏側の地下層の人々の物語なのだから。

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 上海の両側に広告看板や旗が犇めく大通りを、古式の結婚式の長い隊列が延々と練り歩いていた。その中の洋楽隊にトランペット吹きの少平が居た。
 その少平に酒楼のバルコニーから手を振る小紅、早速二胡弾きの阿王に呼ばれ、渋々酒楼の自分の居場所に戻り、歌を歌いはじめる。「四季歌」であった。老陳に誘われてか偶然やってきた古先生、すぐに気に入ってしまう。
 「好いなー」
 老陳、透かさず、阿王を呼び、古先生を紹介し、小紅を呼ぶように伝える。阿王、ニンマリとして、小紅を呼ぶ。小紅、てんで気にも染まないが、日々の糧を得るためと渋々横に侍る。やがて、それが高じて、古先生益々歌女・小紅を気に入り、阿王・老陳、古先生に小紅を自分の女にするように勧め、古先生素直に応じてしまった。さあ、一大事と、小紅と恋人同士の少平や彼の仲間の兄貴分・老王等が、彼女を少平の部屋に匿い、弁護士の処に赴いて訴えようとして料金の高さにすごすごと引き返したり、あれこれ無い知恵を絞っているうち、小紅を捜しに来た阿王・老陳と古先生、姉の小雲に詰め寄る。
勿論そんな場合でも、古先生、後ろの方で気弱そうに眺めているだけ。なじられ暴力まで揮われて、怒った小雲、傍にあった包丁を阿王の横の壁に投げつける。すると、逆上した阿王、その包丁を小雲めがけて投げつけ、胸に刺さり、小雲その場に倒れてしまう。古先生、うんざり顔で、その場から姿を消してしまう。阿王・老陳のゴロツキ二人組、、古先生の姿がないのに気付き、慌てて逃げ出す。

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 以前から小雲に心を寄せていた新聞売りの老王が虫の息の小雲を見つけ出し、少平の部屋まで運んでくる。泣き出す小紅。やがて、仲間達が集まって来るも、小雲の容態は一層悪くなり、以前から少平のことが好きだったものの、少平は"娼婦"という職業を嫌って小雲のことを毛嫌いしていた。見かねて、老王、
 「生きていくために小雲も必死なんだ!」 
 とばかり、少平を怒鳴りつける。さすがに、少平も自分の過ちを認め謝まり、老王、医者を呼びに走る。危篤状態に陥った小雲の手を握り、少平が元気づける。自分の愛した男に手を握られ、異郷の地で、しかし温かい仲間達の見守る中で小雲は息絶える。最後に、老王の名を呼んで。暫くして、老王が一人重い足取りで戻って来た。料金が高く払えないので、断られてしまった、と・・・

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 前半は明るい雰囲気の中で物語は推移するが、次第に暗い影が差し、小雲の死で暗転という訳だ。テンポも好い明るいトーンの貧乏物語ではあるが、日本軍占領下、共産党と国民党の暗闘という複雑・錯綜し、少々じゃないくらいに重苦しくもあったであろう当時の上海で、だから大ヒットしたのであろう。否、中国中で。今観ても、十分に面白い。当時を知る中国人なら尚一層、様々な暗喩・隠喩を解きほぐしながら、それぞれの想いを秘めながら楽しめるのであろう。 

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 一つ気になったのが、歌女・小紅を気に入り、最後には姉の小雲殺害にまで発展する機縁なった"流氓"とか"流氓頭子"とか呼ばれる、つまりヤクザの親分"古成龍先生"。
 画面では"古先生"と呼ばれている、ソフト帽にぞろりとした支那長衣の細目の親爺だが、如何見ても、筆者には俗に言う"ヤクザ"の親分には見えないのだ。
 《神女》で阮玲玉扮する街娼にまとわりつくチンピラの頭目・老大は、如何にも兄貴分って感じであったが、この"古先生"、あんな悪質には思えない。実際そんな風には描かれていない。むしろ、ヤクザにしてはナイーブだ。心底、小紅を好いているだけで、二胡弾きの阿王や、古先生の手代なのかそれとも偶々行きがかりで古先生をこの酒楼に連れてきたのか些か人相の悪い老陳の二人が、古先生に勝手に引き合わせ、押しつけようとしたに過ぎない。最後の、阿王が、包丁を小雲に投げつけ殺してしまった時も、迷惑そうに顔をしかめ、悪の二人を置いてそのままその場を去っていった。むしろ、流氓・ゴロツキの類は老陳や阿王の方であろう。
 それでも、DVDの解説すら古先生をそう呼称しているのだから、所謂"黒社会・幇"の人間なのかも知れない。上海といえば、中国でも「魔都」と呼ばれ、暗黒街の顔役達が跋扈し、秘密結社「青幇」の杜月笙なんかも当時現役だったはず。だが、阿片売買やら悪事やりたい放題の連中にしては、古先生何ともそぐわない。一般人的なナィーブさなのだ。

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 趙丹(チャオ・タン)は、農民あがりの軍人の父の下で育ち、後江蘇省南通市に移って、中学生の頃から映画好きが高じて演劇グループを結成。1932年(十七歳)に明星影片公司に入る。イプセンの《人形の家》に主演して名が知れ、この《街角の天使》の前年、杭州六和塔で趙丹・葉露茜、藍蘋・唐納、顧而己・杜小鵑の三組の合同結婚式をする。派手なものだったらしい。監督・顧而己は中学時代の仲間で、藍蘋(ランピン)は、後の"文化大革命"の折、中国史否世界史にその悪名を凶々しく轟かせた"四人組"の頭目・"江青"その人である。
 藍蘋は芸名で、同様に江青の名も"トラブル"で映画界から去り当時革命の根拠地と云われた延安に向かう頃に付けた名。結婚相手の監督・俳優の唐納、江青と一緒になって直ぐに自殺未遂を起こしたらしい。江青、後に"紅色女皇"として文革期に君臨するようになると、今まで冷や飯を食わされてきた映画・演劇界を、多年に渡って鬱々沸々と内に醸成し滾らせてきた復讐の業炎で焼き尽くし始める。1966年、趙丹、撮影所で”混世魔王”の札を下げさせられ吊るし上げを喰い、翌年十月江青の配下の秘密部隊が趙丹(他の映画関係者も)の自宅を襲い、十二月に逮捕され投獄されてしまう。
 三年後獄中から、冤罪を虚構した連中を指弾し、"人一人殺して天下が救えるならば、私を殺せ"と「上申書」を提出。怒った四人組の一人、上海革命委員会副主任・王洪文
は「趙丹みたいな奴を生かしておけぬ。公開銃殺は不味いだろうから、獄中で死ぬようにしむけろ」と吐き捨てた。
 と、一人だけ、その席で、異議を唱えた者が居た。
 籍耿龍という、上海人民芸術戯劇院の青年であった。が、その勇気ある青年も投獄され、更に趙丹を陥れるための偽の証言をさせようと上海映画撮影所の美術監督だった許志誠に圧力を加えると、真実を曲げるを肯んぜぬ許志誠は自死を選び、更に趙丹に不利な証言をさせられようとした映画監督・徐韜も銭塘江に投身自殺してしまう。杭州六和塔で江青や趙丹と一緒に合同結婚式をした監督・顧而己も迫害され死亡。
 それでも生き抜いた趙丹、1972年に周恩来総理の尽力もあってか、漸く釈放される。

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 小雲に扮した趙慧深、四川才女と呼ばれていた演劇界のホープだったらしく、十代で「五四運動」の影響を受けて封建的家庭の束縛を嫌い上海に出、山東省の"実験劇院"に入り、1934年に北平(北京)で唐槐秋・団長の"中国旅行劇団"に参加した。二十歳の時、天津の新新劇場での公演《雷雨》の娘ファンイー役が絶賛され、一躍有名に。
 この《街角の天使》の後も幾多の映画に出演したが、"文化大革命"の嵐に巻き込まれ、あれこれ因縁をつけられ、この映画での小雲役に関しても嘲笑・侮辱を受けたらしく、1967年の12月恨みを呑んで自殺。この映画の「天涯歌女」、「四季歌」の作詞でも高名なあの劇作家・田漢すら翌年12月"獄死"。

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 ブリジット・リン扮する妖艶な東方不敗ならともかく、"大躍進"とやらで驚倒するような数字の被害(者)を出して失脚したはずが、ひたすら権力欲に駆られてまたぞろ中国人民を"文化大革命"を僭称し更なる苦難に陥れた東方紅=毛沢東の犯罪性は幾ら問われても問われ過ぎるってことはない。その罪は、中国の謂う帝国主義"英米日"に匹敵するかそれ以上。いまだに公然と、毛沢東の犯罪性を批判することすら難しいらしい人民中国の情況ではあるらしい。
 それ故に、自分の意に反し、大聖廟を思わせるような派手派手な記念館に、よりによってそんな連中に祭り上げられ、大概には寝心地も悪い魯迅、今夜もトボトボと重い足取りで、内山書店辺りを一人徘徊しているのだろうか。
 心の内は、正に吶喊!

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 陳少平  趙丹
  小紅   周璇
 小雲   趙慧深
 老王   魏鶴齢
 床屋   錢千裡
  二胡弾き 王吉亭

 監督    袁牧之
 脚本    袁牧之
  撮影    呉印咸
  音楽    賀緑汀(作曲)   「天涯歌女」・「四季歌」
        田漢 (作詞)
  制作  明星影片公司作品(中国・上海)1937年

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