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2009年8月 3日 (月)

改革開放的一瞬の夢  賈樟柯《 小武 》

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   中国を旅する所謂"貧乏旅行"者にとって、漢族エリアは総じて費用が高くつき、上海、北京、西安以外は、やはり風光明媚で費用も安くつくチベットや新疆、雲南なんかに落ち着いてしまう。西安すら結局訪れたことのなかった筆者にとって、普通の漢族達の住む中小都市いわんや村なんて殆ど未見の映画やテレビでしか見たことのない世界であった。
 ところが、この賈樟柯(ジャ・ジャンクー)監督作品《 小武 》は、正に筆者の知らない且つ如何しても見たかった普通の漢族の町・人々が実にリアルに描かれていて、その映像にはビデオではあったけど圧倒され、初めて中国やインドの町を訪れた時に近いシュールなくらいのリアリティーを覚えてしまった。

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 北京と洛陽の間、太源を西に呂梁山脈に入った名水=名酒と炭坑の町らしい山西省汾陽市が舞台。主人公の小武は、スリを生業にする青年で、この町のスリ集団の兄貴分的存在でもあるらしい。以前仲間だった小勇は足を洗って煙草輸入会社を作り、結婚式間近で町のテレビ局が取材に訪れるぐらいに出世していた。
 この映画、登場する男という男がともかくひっきりなしに煙草を吸っている。確かに他に余り娯楽のない社会で数少ない嗜好品なのであろうが、それは又、地方へ行けば行くほどその傾向が強いのだろう(日本も世界に冠たる喫煙大国だろうが)。そこに目をつけた小勇仲々小才が利きそうで、今でもスリ稼業から抜けられないでいる小武には結婚式の通達はしなかった。それを知って小武は傷つき、ムキになって小勇の処に赴き、赤い祝儀袋に包んだ祝儀を、断られても強引に置いて往く。

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 取り締まりが一段と厳しくなってきている最中、仲の良かった小勇の結婚に自分が置いてけぼりを喰わされているように思えて、小武に焦りを覚えさせる。違法な稼業に浮き身をつやしてはいるものの、元来が生真面目な小武に、小勇のような情況を見切り稼いだ金を元に商売を始める能もなく、只もうそれしかないようにスリを繰り返すばかり。
 そんなある日、姉の営っているカラオケ屋に遊びに行き、そこで梅々(メイメイ)という上海からやってきた娘と出会う。そのカラオケ屋は、遠い地方からやって来た娘達をベッドだけの寮に寝泊まりさせて働かせていて、メイメイもその寮に住み込んでいた。 最初、齟齬を来した客とカラオケ嬢の関係だったのが次第に恋愛関係へと発展してゆくように見えたが、小武が彼女に金の指輪を買って渡そうと寮を訪ねると、既にメイメイは何処かへ去っていった後であった。
 実家に戻っても親子喧嘩ですぐ飛び出し、結局、町中のスリでへまをして町民に捕らえられ、公安(警察)に突き出されてしまう。本署に護送中にか、街角の電柱の張り綱に手錠を繋ぎ小武を残して、老公安は用事を足しに向かう。通行人達が小武に気付いてどんどんと野次馬の輪が拡がり始める・・・

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 ストーリーは単純で、スリの小武は、正に"改革開放"の象徴なのだろう。
 冒頭のバスの乗り込んでくるシーン、中の乗客達の姿は正に旅の中で嫌と云うほど見てきた人民中国的中国人達そのもの、小武に切符を売りに来た車掌が又如何見ても典型的な近在・近郷の漢人そのもので、そのリアリティーにはのっけから参ってしまい、汾陽の町中に入ってからは更に参ってしまった。この映像性が、何よりも先ず、この映画の、そして賈樟柯監督の素晴らしさであろう。
 小武が車掌に"俺は警察だ"と嘯ぶき車掌も諦めて戻っていった後、隣の髪の具合が最高に人民中国風な親爺のポケットに手を伸ばした時、運転席のフロント硝子の上に吊った、日本ならお守りかキャラクター・グッズなんだろうが、中国では毛沢東の御真影が執拗にカットバックされる。これは、違法行為を神様"毛沢東主席"は全てをご存じだ!という国定教科書的発想ではなく、スリを働かざるを得なくした当事者・犯人としての"最高責任者・毛沢東"指弾なのか、それとももっと過激に、スリ行為そのもの、つまり人民に対するスリ行為・盗奪を働き搾取してきた者としての毛沢東弾劾なのか。この隠喩が、曖昧さが、すぐれて中国的(政治的)特殊性なのだろう。そして、それは最後の小武が街角で晒し者にされ群衆がじっと見据えるシーンと相補なのかも知れない。

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 小勇に触発されたように小武も偶然に出遭ったカラオケ小姐・メイメイに急速に接近して行くが、DVDの説明には"妓女"となっていた。メイメイ、親には北京で女優志望で働いていると電話で受け答えしていて、仕事を求めて中国中を流浪する外来妹(出稼ぎ娘)なのだろう。これも"改革開放"の申し子達に違いなく、又、ギャング・チンピラの類には娼婦という昔からの定式でもある。他に好い仕事が見つかったのか、小武なんか打ち棄ててさっと飛んでいってしまう。所詮その程度の関係でしかなかったのであろう。
小武ばかりが勝手に思い詰めたに過ぎない。
 小武、嘗ての学生スタイルそのままに、痩せて小柄な黒縁眼鏡に長髪って冴えない風貌ながらも、(中国人の青年達も日本と同様黒眼鏡・サングラスの類が好きなようでよくかけていたものだが、小武、商売柄からか何故か普通の黒縁眼鏡)、一応腕にも刺青をした山西省汾陽では"顔役"なのだった。

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 如何にも燻すんだ感じの山西省汾陽、最近じゃ、中学生が学校でトランプ遊びで揉めて、相手のクラスメートの家に乗り込み、その中学生と家族を殺害するという凶悪事件や、市長と副市長が、"事故撲滅の敵"である違法操業の炭坑を六カ所も放置してきたとの罪状で解任されたりもして、"改革開放"的盲流、一層中国社会の荒廃をきたしているようだ。

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 オーストラリアの第五十八回メルボルン国際映画祭で、こないだのウイグル族暴動の首謀者と中国政府に指弾された「世界ウイグル会議」主席のラビア・カーディル女史のドキュメント映画の上映と併せて、当のカーディル女史自身が招聘されている事に、《河上的愛情 》を上映予定だった賈樟柯(ジャ・ジャンクー)監督が余りに政治的すぎるとの理由で主催者側に抗議し、参加を辞退したという。
 確かに、米英と同じアングロサクソン同盟って訳ですこぶる政治的な策為であることには相違ないし、彼女自身、元は実業家だったらしいが件の"ウイグル族独立運動"に於いては押しも押されぬ政治的存在らしい。この前の"北京オリンピック"の時と同様、為(ため)にする"反‐中国"的プロパガンダでしかない。
 勿論、オーストラリア側が、世界の全ての民族の独立と自治、自由と平等を原則として掲げての行動ってのなら別に問題はなかろうし、恐らく賈樟柯監督も中国政府に強いられたものでない限り、今回のような異議申し立てはしなかったろう。ところが実際は、冗談でもそんなものではないし、ひたすら米英の悪辣な破壊と搾取の一環としての政治的な策動って奴だろう。
 第一、オーストラリアって、誰の国?
 日本のアイヌ民族に対する長い間の破壊と搾取の果ての"同化"と同様アボジリニなんかにも散々押しつけてきたのではなかったか。米国なんざ今更口にするのもバカバカしいくらい。湾岸やバレスチナ、アフガンの民族独立・解放勢力の映画と併せて、例えばサドル師やハマースのトップなんかを招聘なんてしたことあったろうか・・・実に絵に描いたような"政治的"な策意でしかない。アングロ同盟って、もはや、映画祭であれオリンピックであれ、なりふり構わぬやりたい放題のようだ。

 監督 賈樟柯
 脚本 賈樟柯
 撮影 余力爲
 美術 梁景東

 小武 王宏偉 
  梅梅 左百韜
 父親 馬金瑞

 制作 香港(中国) 1997年

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