ベンガル湾の望める門外不出の宿《サンタナ・ロッジ》
お手軽に短時日にインドの旅を決め込もうとする向きに、バンコクから直ぐのカルカッタ(コルカタ)、そこから北に一晩の旅程のヒマラヤの望めるダージリン、南に一晩のベンガル湾の見えるプリーの三点セットが重宝されたものだ。
カルカッタの定番宿《パラゴン》の一階のロビーに貼ってあったプリーは《サンタナ・ロッジ》のポスター。三食チャイ五杯付きで1ベッド五十ルピーってのに思わず食指が動いてしまった。他の日本人に尋ねると、好い処らしいとの答え。
ハウラー十時発の夜行便に乗って翌朝九時にプリーに到着。
リキシャ(5ルピー)でサンタナまで。
屋上から、海沿いに建ち並んだ漁師達の藁葺小屋の屋根越しにベンガル湾が一望できた。 海に面したダブル・ルームに入ったけど、ドミも同じ1ベッド=50Rs。ここは、季節(二月)にもよるのか知れないが、窓から海風が吹き込んできてこれが結構寒い。窓ガラスのないタイプで鎧戸を閉めるしかなかったが、鎧戸を閉めてしまうと景観ゼロで風情が損なわれるのが玉に疵。
サンタナはだからビーチに直に面してはいず、浜に出ようとすると、漁師達の藁葺き小屋を横切って行かねばならない。距離的には殆ど問題にならないが、周知の如く波打ち際は漁師達の生活圏、漁もすれば排便の場でもあって、24時間旅行者達用のエレガントなビーチである訳でもない。勿論、それはサンタナ周辺のビーチに関したことであって、普通の観光客達は別の場所にあるホテル街に泊まりクリーン・ビーチを堪能していたようだ。それでも、観光業者達にとっては、現在は知らないが、漁師達って当時はひたすら邪魔な存在でしかなかったらしい。で、色々と悶着もあったようだ。
恰度滞在中に、藁葺き小屋の一つから急に火の手がのぼり、燃え尽きようとした次の刹那そこから五十メートルくらい離れた別の藁葺き小屋からも火の手があがり、あっという間に次から次へと火が燃え拡がっていって三時間近く燃え続け、百軒近くが焼け出されてしまったらしい。後で浜の方へ行ってみると、浜に家財道具がずらり並べられていた。 聞くと毎年のように火事騒ぎが起こり、放火の疑いも否定できないようではあった。
ビーチに面した安宿はサンタナの近くに《ラブ・アンド・ライフ》があり、こっちは女性客に人気があるようだった。
プリーは昼間は暑く、そんなに陽の強くない朝は漁民達の生活の真っ最中、陽の大部傾いた夕刻ぐらいしか外に出る者は余り居なかった。三食全てサンタナじゃ飽きてきた連中が偶に外に昼食を食べに行くぐらいで、皆殆どサンタナの狭い空間から外に出ようとはしなかった。ミャンマーのパガンもやたら暑かったけど、それでも皆精力的にドンドン遺跡群なんかを観て廻っていたいたもんだが、やはり遺跡とジャガンナート寺院と漁師達のビーチだけじゃモチベーションに自ずから差が出てくるのだろうか。観光とリラクゼーションの差と謂うべきか。
で、皆リビング・ルームに集まって、年から年中もうそれしかないみたいに、"トランプ"に興じていた。ドラッグ嗜好の連中も没-ドラッグの泊客も皆飽きずに、大貧民や七並べやともかく延々とプレイし続けていた。ドラッグ耽溺派って偶々その筆者が滞在した一週間の間に居なかったのか、せいぜいバンコクでヘロイン中毒になった元プログラマー氏一人ぐらいで、ヘロイン中毒を自力で克服したという割には葉っぱをやたら巻いていたが。
この頃はこの屋の長男クンナが、日本で習ってきた刺身包丁のさばきの腕を、定食以外のスペシャル・メニユーで発揮していた。すぐ前の漁師達から超フレッシュな海の幸が手に入る。後年、クンナは日本人娘と結婚し、大阪でインド料理屋を出したというのをブログで見た。驚いたのは、家族の反対を押し切っての日本定住らしく、父親が彼を許してないようだった。日本に幾度もやって来ているクンナにとって、因習の強いインド的生活より、まだ気儘に生活出来る日本が魅力的に映ったのだろう。
父親譲りらしいクンナの商売人的感性の強さには、泊客一同甚だ感心することしきり。
押しつけがましさを押さえた絶妙なタイミングで、泊客の生理を把握し尽くしたように、階段を上がってきて「玉子プリン」の注文を取りに来る。否、客の脳と食欲にインプットした「玉子プリン」の香りを漂わせに現れるのだ。
「参ったなー」から「何て奴だ」と罵倒しながらも、もう注文している客の多いこと。
確かに、何故かここの「玉子プリン」って美味い。
他に何があるって訳でもないプリーだから尚更美味く思えるのだろう。このメニュー大阪の彼の店にあるのだろうか?
当時、サンタナから通りに出てちょっと行った処にも外人相手のレストランの類は何軒もあって、バナナ・チャパティーが人気があった。バナナと砂糖をチャパティーでくるんで焼いた実にシンプルなもので、安くて結構美味かった。バンコクのカオサン辺りのクレープ風ほどベタ甘ではない。
プリーといえばジャガンナート寺院ということで、暑い中をトボトボあるいて見に行った。只、異教徒は中に入れないので、隣接する建物から、中の敷地を覗き見するぐらい。 参拝客で溢れ、特に驚いたのは、真っ黒いマンガチックなジャガンナート神以上に、ネーデルランドの画家ブリューゲルの絵の中にあった盲者達の巡礼と同じ姿の盲者達の列を発見したこと。ブリューゲルの絵そのままに、皆前の者の肩に片手をやり一列に並んで巡礼していた。正に、中世そのままの姿を発見できたのは、戦慄ものであった。ブリューゲルの頃のヨーロッパでもああやって町から町へ村から村へと巡礼の旅へ出ていたんだなーと、勿論このインドでも。只、その時カメラを持参してなかったのが何としても悔やまれた。
ブログにそのサンタナ・ロッジとは別の場所に最近建てられたミニ宮殿風のサンタナの写真があって腰を抜かしてしまった。プノンペンの二ドルのキャピトル・ゲストハウスが後手広く建てまくったエアコン付き"ホテル"なんぞとは桁違い。さすがにマハラジャとまではいかないが、小荘園領主の宮殿って赴き。それでも、テレビまでついてツインで300Rsとは随分と安い。いやはやさすが"サンタナ"、益々発展の一途なのだろう。
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