スプラッター戦争アクション映画 《ランボー 最後の戦場》
《ロッキー6》が作られたので、《RAMBO 4》も作るんだろうと思ってたら案の定。
ミャンマーが舞台というので、又、アフガン物の踏襲なんだろうと興味もなかったが、せめて、今度は、ソ連侵略軍を叩いたのと同様、アメリカ侵略軍をオサマ・ビン・ラディンやタリバンと共同して叩くとか、あるいはそれら全てをアメリカ的産物として一纏めに叩くとかいう捻りや皮肉に富んだ物を作ろうという平衡感覚もモラリティーもウィットもスタローンには無かった。ひたすら金儲けばかりのようだ。スタローン、大きな借金でもしていたのだろうか。もう、二年後にはミッキー・ロークを迎えて《RAMBO 5》が待っているらしい。
《ランボー》First Blood (1982)、監督テッド・コチェフや脚本が好かったのか、映画としてそれなりに観れた。ベトナム戦争帰りのランボー、同じ部隊の戦友の家を訪ねると枯れ葉剤のせいか奇妙な死に方をしていて、傷心に沈んだ旅を続けているうち、ある小さな何の変哲もない町に脚を踏み入れてしまう。ランボー自身は単にその町で簡単な食事でもして通り抜けようとしていただけなのが、管理主義者のポリスに早速因縁をつけられ、結局警察署に留置され暴行を受け、戦場で受けたトラウマが爆発し、特殊部隊員としての、つまり殺人マシーンとして暴走してゆく。奥深い森に追いつめられ、現れた元上司に泣き叫ぶ。
ベトナムじゃ、何百万ドルの武器も使わせてくれたのに、この故国では皿洗いの仕事ぐらいしかない、と。
確かに、エリート兵士が戦争終わると学歴やコネがなければ只のフリーター。プライドを傷つけられ、その上、訳の分からぬ因縁をつけられ放り込まれた豚箱で更に故ない暴行を受けたんじゃキレもするだろう。尤も、もう少し後の湾岸戦争の頃なら、退役後も民間軍事会社で悪辣全開ってコースもあったろうが。この《ランボー4》でも、ランボーはそんな企業で働いてない。それだと、映画にならないからだろうが。
《ランボー2》からは、スタローン自身がメガホンを取ってのドル箱路線ひた走り。およそ金払って観るに値しない"米国軍産複合体"映画でしかなかった。で、この《ランボー4》、ポスト湾岸戦争・ポスト9.11ってことで、念のため観てみることとなった。
内容は完膚無きまでにやっぱり物だった。
ところが、およそ予期もしてなかったある新局面に驚いてしまった。以前に戦場を舞台にしたホラー映画を観たことがあった。洋画・(準)邦画どちらとも。(準)邦画ってのは、出資と登場人物が日本人で、映画自体はシンガポールだったか。だが、この《ランボー4》では、その新機軸"スプラッター"を戦争アクション映画に巧く導入し観れるアクション映画に仕立てていて感心させられてしまった。
尤も、最近のアクション物の傾向として、とりわけ中東を舞台にした物なんかRPG(肩にかついで発射する対戦車ロケット弾)を始めとしてアクション場面が可成りリアルになってきはしているが、それに更にもう一つアクセントをつけるように派手なスプラッター的要素でギラギラにしてしまった。《ランボー》に限らず戦争アクション一般が更に極彩色のギンギラになるのも時間の問題であろうが。スターローンも伊達に歳を喰っていた訳ではなかった。
ミャンマー国境近くのタイのメーソートで、しがないコブラ捕りで細々と生計を立てていたランボーの処に、あるキリスト教人権団体が現れ、キリスト教徒の多いミャンマーのカレン族の集落に舟で連れてって欲しいとせがむ。断っても執拗で一行の紅一点サラに諭され川を西進しミャンマーへ。
暫くして、今度は同じ団体の男が現れ、先だっての一行はミャンマー政府軍に捕らわれたようで、救出の傭兵達を同じ川岸まで案内して欲しいと請われ、傭兵達を連れて行く。ランボーもサラのことが気になってか、傭兵達の跡を弓矢を持って追う。
人権団体が赴いたはずのカレン族の集落は政府軍に襲撃され跡形もなかった。見せしめの吊された屍体ばかりが風に靡いているばかり。傭兵達は多勢に無勢と引き返そうとする。と、その中のリーダー的存在の男に、ランボーは弓矢で狙いをつけ、俺達みたいな連中はこんな処でしか生きれないんだ、と救出に向かわさせる。
結局、これがランボーの本質って処なんだろう。
政府軍基地の豚小屋に繋がれた一行を救おうと夜襲をかけ、一応救出はするが、川岸の舟の傍で政府軍に掴まってしまう。そこをランボーが襲い、乱闘の末、カレン族のゲリラ部隊の援軍もやって来て、政府軍を四散させる。
ラストは、最後の戦場というタイトルにかこつけたのか、故郷のまだ生きているらしい父親の居る牧場の奥の実家に歩いて戻る長廻しのシーンで終わる。《ランボー1》のオープニングの、内陸部の肌寒い山間の国道を一人トボトボ歩いてくるシーンに対応したのだろう。
結局、戦争が作り出した"殺人マシーン"ということだが、シリーズ2、3ではともかく、この4では、彼自身がそれを自覚し、それとして行動しているって訳だ。脳と神経の奥深くインプットされた殺人プログラムの作動。自身では如何ともし難く、秘された本能として自動律があるのみ。スターローン監督のものであっても、まだ人間としての苦悩と一抹の悲哀が感じられる。
これと似た設定が、マット・ディモン主演の《ボーン・アイデンティティー》だろうか。 こっちはスパイで、スパイというのは十二分に意識的であって兵士達とは些か異なるが、もっと現代的で直接的な"埋め込み"方式。それでもラドラムの原作が1980年(原作の中でも埋め込み式なのかどうかは不詳)と些か旧く、最新式とは云えないだろう。
2000年タイのラチャブリーの病院を占拠した十人全員殲滅されたカレン族"神の軍隊"事件はじめ、カレン族の前途は甚だ険しそうだ。ラオスで迫害されているらしいモン族ともども、自主・独立(運動)って、安直に敵の敵は味方とばかり悪意を含んだ第三国なんかにおもねり、共謀したりすると一層問題を複雑・深刻なものにしてしまう。この轍を、何と多くの民族が踏んできたことか。否、今尚踏み続けている。
ランボーの国・アメリカは、正にその悪しき謀みの為に世界の少数民族、否、国家権力までを自在に操り、混乱・内戦・戦争を生起させ、己の利潤追求に狂奔する最たるもので、英・仏やはたまた露・中も顔色ナシ。
そういえば、もう大部時間も過ったけど、スーチー女史がスパイ罪か何かでミャンマー政府に因縁つけられ更なる自宅拘束される機縁を作った例の中年米国人って、一体何者なんだろう。本当に一介の旅行者・ファンの市民なのであろうか。普通、あんな情況で、あんな挙に出れば、軍事政権が待ってましたとばかり飛びつくのは眼に見えている事柄。本当のファンがそんなスーチーを窮地に陥れること必定の愚挙を敢えて犯すだろうか。何時だったか、ミーハーの日本人娘が北朝鮮に亡命してみせたのとは、随分と事情が異なる。
あの米国人って、普通に考えれば、米国当局の意を受けたスパイってところだ。まさか、自分をランボーと思いこんだ訳じゃあるまい。まあ、世の中奇々怪々で、常識の意表をつくこと珍しくもないけれど。
監督 シルベスター・スターローン
脚本 アート・モンテラステリー
シルベスター・スターローン
撮影 グレン・マックファーソン
美術 スチャルタヌン"カイ"クラディー
音楽 ブライアン・テイラー
制作 ミレニアム・フィルム (米国)2008年作品
ランボー シルベスター・スターローン
サ ラ ジュリー・ベンツ
ルイス グラハム・マックタヴィッシュ
スクールボーイ マチュウ・マースデン
エンジョー ティム・カーン
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