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2009年10月の6件の記事

2009年10月30日 (金)

至高なるものへのパッション  ジョン・コルトレーン

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   最近はまた変わったろうが、以前は旅先の音楽といえば、何故か六十~七十年代のロックが多く、カルカッタやバンコクなんかのテープ屋なんかにもいっぱい並んでいたものであった。クラプトンやジャニス・ジョプリン、ジミー・ヘンドリックス、ボブ・マーレーそしてドアーズ。確かにドラッグ・カルチャー、ヒッピー=バック・パッカーであった時代の産物・遺物といってしまえばそれまでだろう。
 それはさて置き、そんなドアーズ、そして同時代の米国グループ、バーズ、あるいはサンタナなんかが影響を可成り受けたのがジャズの、マイルス・デーヴィスなんかの既存のジャズと、オーネット・コールマンやドン・チェリーなんかに代表されるニュー・ジャズあるいはフリー・ジャズとも呼ばれたジャズの接点にあって、己の可能性としてフリーを志向し続けたジョン・コルトレーンであった。

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 ジョン・コルトレーンほど音楽的あるいは精神的に同時代のプレーヤーや青年達に影響を及ぼしたジャズ・プレーヤーは居ないらしい。コルトレーンの場合、"仲々好いじゃん"とか"いかしてる"とかいうのではなく、もっと内的な根源的なところ、人によっては"神"とも誰憚ることもなく言ってのけるぐらいの存在で、変転する時代の影で懊悩し呻吟する若者達に心底共鳴し鼓舞する精神的な存在であった。

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 1967年7月17日、ニュージャージー州ニューアークで黒人暴動が勃発する前日、増す増す熾烈を極めてゆく黒人運動・暴動のまっ只中、疾走の果てに肝臓癌で四十歳の若さで亡くなった。
 コルトレーンはセロニアス・モンク、マイルス・デーヴィスなんかのバンドで次第に頭角を現し、1960年にアトランティックで有名な《ジャイアント・ステップス》、《マイ・フェバリット・シングス》を発表し、更に歴史的不動の存在となるピアノ=マッコイ・タイナー、ベース=ジミー・ギャリソン、ドラムス=エルヴィン・ジョーンズという強力なメンバーの自分のバンド、"ジョン・コルトレーン・カルテット"を率いるに至たる。
 その結晶が、《至上の愛》A LOVES SPREME。
 敬愛するマーチン・ルサー・キング牧師と同様、キリスト教徒だった彼にとって、至高の存在とは"神"であって、その神に捧げる供物としての四つの楽章から成る作品。彼の師事していたらしいインドのラヴィ・シャンカル等はじめインド音楽の影響の強い、荘厳なまでに神秘的な響きが圧倒的。正に歴史的名盤。カルロス・サンタナもカヴァーしているらしい。

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 やがて、コルトレーンはフリー・ジャズの方向へとひた走り始める。
 1966年、ピアノ=アリス・コルトレーン、ドラムス=ラシッド・アリ、サックス=ファラオ・サンダースとメンバーが入れ替わり、《ライブ・アット・ヴィレッジバンガード・アゲイン》を出す。確かに、タイナーやエルヴィン・ジョーンズとは相違して、正にフリーの為の布陣といった趣きで、「ネイマ」、「マイ・フェバリット・シングス」共に素晴らしい。これは、筆者のベスト・コルトレーンの一枚。ファラオ・サンダースのテナー・サックスも仲々好く、ヘビーなエルヴィンのドラムスと違ってラシッド・アリのドラムスも軽快。

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         マッコイ・タイナー

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         エルヴィン・ジョーンズ       

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          ジミー・ギヤリソン

  1967年七月に亡くなる直前の春に録音し、死後発売されたのが、《エキスプレッション》であった。「遺作」の邦題までついているけど、死期を悟ってのか、あるいはひたむきに突き進んできた探求の果てに辿り着いた一つの境地なのか、パッシヴな咆吼も一つの悟りにも似た静寂さに満たされたコルトレーン・ジャズの結晶。
 1964年に亡くなった盟友エリック・ドルフィーの遺品のフルートを使用しての演奏、これが彼が長年求めてきた一つの平和、静寂さに包まれた瞑想的境地、北インドの曲を元にしたらしい鬱蒼と茂った緑の向こうに突如覗けた朝靄漂う碧く沈んだ池上に浮かぶ真紅の蓮花を想わせる。これも筆者のベスト・コルトレーンの一枚。

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      アリス・コルトレーン

  コルトレーンに対する評価は元々、スィングだとかいってジャズを酒の肴として聴くファン達には、騒さいだ、何をやっているのかチンプンカンプンだとか手厳しく非難されたものであったが、真摯にジャズを"聴く"あるいは"共生"しようとしたファン達にとっては他の何物にも代え難い自分達の宝珠であり同志でもあった。
 今では、例えばヨーロッパなんかでは、"フリー・ミュージック"志向のミュージシャン達の間にあっては、例え前置詞の"フリー"をつけたものであっても"ジャズ"なんてものをやろうとすると、「今時ジャズかよ」と顰蹙(ひんしゅく)を買うような情況にすらなっているらしい。けど、これは又些かおかしな話で、ジャズはジャズであって、ブルースがブルースであるようにそれはグローバル化でなし崩されるような代物ではない。

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       ラシッド・アリ

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      ファラオ・サンダース

  放っておいたら平気で一曲を一時間でも二時間でも延々と演奏し続けるコルトレーンも、以前は、クラブで演奏中にアドリブが長過ぎるとかヤジが飛んできたりして、如何したものか悩んだりしたという。ハイライトだけ吹けばいいのかも知れないが、それでは、ミュージシャンとして一体何をしているのか分からなくなってしまう、やはり、一つの曲を余すところなく十全に吹きたいという彼の願望とミュージシャンとしての矜恃が、長時間演奏を選ばせた。突き詰めるタイプなのだろう。芸術家に多いタイプ。

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      ニュージャズの旗手 アルバート・アイラー

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      コルトレーンの盟友 アーチー・シェップ

  コルトレーンの死後、フリー・ジャズのもう一方の旗手アルバート・アイラーがコルトレーンの居たインパルス・レコードがコルトレーンに替わるメインとして売り出そうとしてすぐ1970年に何者かに殺害されてしまつたものの、片方の雄オーネット・コールマンはじめドン・チェリー、セシル・テイラー、ファラオ・サンダース、ミルフォード・グレーヴス、ジョン・チカイ達が席巻するようになっていった。唯、ジョン・コルトレーンに比肩できるほどの"存在"性を獲得できたミュージシャンって皆無。
 それでも、コルトレーンの《至上の愛》以前のものには、アトランティックで出した《マイ・フェバリット・シングス》は別にして、筆者は興味がなく、やはりフリーを志向し始めて以降のコルトレーンのみ。
 激しく生きてきたコルトレーンが力尽き病院に担ぎ込まれ死亡した時節は、また黒人解放運動がいよいよ激しさを増しつつ遭った時期で、マルコムX、マーチン・ルサー・キング等が相次いで斃れ、詩人・評論家であるリロイ・ジョーンズ(アミール・バラカ)が「白いアメリカの中の黒い音楽」としてジャズを定立し、米国中で暴動や抗議運動が拡がっていた。そして、ヒューイ・ニュートン、ボビー・シール、エリドリッジ・クリーバー等の武闘派"ブラック・パンサー"(黒豹党)が席巻し始める。
 今や、黒人の閣僚や大統領をまで頂くまでなってみたものの、果たして米国での黒人達の置かれた境遇ってその頃と較べて如何くらい改善されたのであろう。確かに、白人達と同じバスには乗れるようにはなったろうが。

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2009年10月24日 (土)

2019年のディストピア 《ブレード・ランナー》

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   レプリカント(アンドロイド)達の叛乱の2019年に派生した一つのエピソード。
 戦後映画史に燦然と輝く近未来映画の傑作だが、三十七年後を想定して造られた様々なものの最大の基本前提、地球外遠く他の惑星に移り住む惑星移民や人間と見間違えるぐらいの外観と機能そしてそれ以上の能力を備えたアンドロイドの実現化はまだまだ遠い先の事柄で後十年では到底届きそうもない。いわんや、アンドロイドの叛乱なんて。

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 地球を汚染しまくり破壊し尽くして、他の惑星に殆どの人類が移住した後に尚も地球に居残り続けた人々って、地球が好きなのか、惑星に移るための費用や移った先での生活のあてがないのか、それとも惑星や宇宙での生活がそれほど快適なものではないからなのか。
およそ明るさというものが感じられない昼夜すら定かでない暗い地球の雰囲気が巧く描かれていて、ロスの街の特色なのか、単にデッカードがそんな区域が好きなのか、アジアン風味に溢れ、巨大な電子広告塔に揺らめく「強力ワカモト」の古色蒼然とした"ゲイシャ"スタイルのCMも好い。このCMって日本でも流れたことはないのではないか。何故、"ユンケル"でも"アリナミン"でもなく、日本でも余り知られてないはずの"ワカモト"なのか。この着想の出所を知りたいものだが、さすがにブログ浚っても出てこなかった。"ゲイシャ"仕様は、米国人好みなので簡単に了解できるが。

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 アンドロイド=レプリカント達の叛乱者=テロリスト達を抹殺するブレードランナー、そんな仕事に嫌気が差してリタイアしたデッカード(ハリソン・フォード)に責任者ブライアントから招集がかかる。デッカードの元同僚が、植民地先(惑星あるいは宇宙基地)で叛乱を起こし逃げだし地球に入り込んできた五人組レプリカントの一人に殺害されたからだ。手強い相手故に、辣腕ブレードランナーだったデッカードにお呼びがかかったという訳だ。
 舞台はロサンジエルス。
 巨大なビラミッドのような建物が建ち並び、その間を車が飛び交う。只、画面ではそれ程ビルの間や空中を飛んでる車の姿を見ないので、特定の車しか飛ぶことができないのだろう。恐らく、権力関係のみってところだろうか。
 長いカウンター式のジャパニーズ・レストランの屋台で、デッカードは握り寿司を四つ注文すると、親爺(ボブ・オカザキ)が「二つで十分ですよ」と応じ、仕方なく麺を更に注文する。ブライアントの部下のガフが彼を呼びに来てガフの車に乗ってゆくとき、フロントガラス越しに、ガフの横で彼が小さな器の麺を喰っているのが覗けて、これには笑ってしまった。汚染され尽くした地球であってみれば、当然寿司ネタもDNA操作の工場生産ものだろう。それすら数が配給制宜しく制限されていて、正にディストピアそのもの。

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 久し振りのブレードランナーの仕事だからと、ブライアントにウォーミングアップにレプリカント製造企業のトップ、タイレルの処にいるレプリカントのチェックから申し渡される。レイチェルという美貌の秘書で、タイレルにタイレルの姪の幼い頃の記憶を植えつけられ自分がレプリカントであることすら知らなかった。レプリカント・チェックを受け、レイチェルは漸く自らの出処に疑念を抱き始める。
 やがて、デッカードの住処を訪れ、事の真相を聞き質そうとするが、デッカードはお前はレプリカントじゃないと慰めようとしたものの、レイチェルは信じようとはしない。その時、デッカードは自分がレイチェルに愛情を抱いていることに気付き、出て行こうとしたレイチェルを押し止め、抱き合うことになってしまう。それでも、レーチェルは自らをレプリカントだと確信し、タイレルの処から逃亡する。逃亡レプリカントの一人を処分した時、ブライアントにその旨告げられ、抹殺リストに彼女の名がのせられてしまう。

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 同じ頃、廃墟ビルの一角に住まっていたタイレル社の技術者セバスチャンの前に逃亡レプリカントのプリスが現れ、彼の部屋で一晩過ごす。タイレルに近づくためだが、あくる朝、早速一味の親玉バッテイ(ルトガー・ハウアー)を手引きし、タイレルの処に案内をさせる。タイレルはセバスチャンと一緒に入ってきたのがバッティであるのが直ぐに分かってしまう。バッティは、俺達の寿命を延ばしてくれ、とタイレルに頼むのが、どんな方法を採ってもそれは不可能なんだと諦めるように説得し、今の残り少ない"生"を満喫しろと云う。遙か銀河の彼方からそのためにやって来た彼等であったが、断念する他なく、バッティは、タイレルの両の眼を自分の両手で潰し殺害する。その場から逃げようとしたセバスチャンをも。

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 タイレルとセバスチャンの死をブライアントに伝えられ、デッカードはプリスの隠れているセバスチャンの住処に赴く。間一髪のところで何とかプリスを処分できたものの、すぐにバッティが戻ってきて、プリスの死を知る。デッカード、必死になってバッティを攻撃するもののてんで歯がたたず、ほうほうの態で逃げ出すしかない。バッティは黒々と朽ちた建物の上へと、徐々にデッカードを追いつめてゆく。そして隣の建物の屋上に命からがら飛び移ったが、もうデッカードの体力の限界。屋上の梁から外に突き出た鉄骨にしがみついているのがやっと。次第にその力も萎えてゆき、上でじっと見下ろすバッティの目の前でとうとう最後の力も尽きビルの真下に落下するその刹那、バッティが片腕で彼を掴み助け上げる。バッテイはもう寿命がきていて、最後の力を振り絞ってたのだった。宇宙の彼方で自分達"奴隷"が見せられてきた光景を呟き、バッテイは静かに死んでゆく。

 デッカードは混乱しながらも、バッティ達、意識をもったレプリカント達の背負わされてきた憐れで過酷な運命を束の間垣間見たような想持ちにとらわれる。と、その時、ガフが現れ、これで総て了りましたな、とヒスパニック訛りに云い、「あの女も短い命とは残念ですな」と意味ありげに云い残して去ってゆく。
 はたとデッカード、レイチェルのことを思い出し、慌てて自分の部屋に戻ってゆく。果たしてレイチェル、スヤスヤと寝息をたてていた。急いで起こし、二人で、レイチェルの生命ある限り何処か遠くまで逃げ続ける旅にでることになる。
 ここで、【ディレクターズ・カット 最終版】は突然終了。

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 以前の劇場公開版だと、レイチェルは寿命が設定されてない、というデッカードのナレーションの続く余韻があったはずなのだけど、如何もそれは会社側が押しつけた"ハッピーエンド"的結末だったようだ。監督のリドリー・スコットとしては、あくまでレプリカントの寿命は四年で、それ故のドラマという訳だし、レイチェルも四年の短い生命しかないにも拘わらずのデッカードとの逃避行という過激なラブロマンス、メロドラマということなのであろう。

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デッカード        ハリソン・フォード
レーチエル        ショーン・ヤング 
ブライアント       M・エメット・ウォルシュ
ガフ           エドワード・ジェームズ・オルモス
セバスチャン       ウィリアム・サンダーソン
バッティ(レプリカント)  ルトガー・ハウアー
プリス(レプリカント)   ダリル・ハンナ
リオン(レプリカント)   ブライオン・ジェームズ
寿司職人         ボブ・オカザキ
目玉製造技術者      ジェームズ・ホン

監督   リドリー・スコット
脚本   ハンプトン・フィンチャー
     デイヴィッド・ピープルズ
撮影   ジョーダン・クローネンウェス
美術   デヴィド・スナイダー
音楽   バンゲリス
制作   ワーナー・ブラザース(米国)1982年

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2009年10月20日 (火)

タイ近況  "タクシー・ドライバー=殺し屋?"

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  最近になって、タイで、残留孤児ならぬ日本人の父親を捜すタイ女性との間に産まれた子供達のニュースが盛んに報じられ、テレビで父親捜しのキャンペーンまで張られたりして心当たりのあるバックパッカーも戦々恐々だったのかも知れないが、ごく最近になって、えらくきな臭くなってきた。
 TBSのニュースで、例の「男児バラバラ死体事件」の犯人が自首してきて、その複雑な関係に、キャスター達も首を傾げるばかりであったが、何故、ローカルなタイのニュースを急に思い立ったように流したのか、むしろそっちの方にあらぬ猜疑の眼を向けたくなってしまったぐらい。件の名乗り出た容疑者・タクシー運転手シリポンが以前日本の暴力団と係わりがあったらしいという関係しか考えられないが、タイ警察は今回の事件でその線は余り考えてないようだ。

 今月11日、バンコクの北に接した17世紀にモン族が作ったと云われるパトムタニー県で発見された女性の射殺体と、12日バンコクのタリンチャンで発見された男児のバラバラ死体の殺害実行犯として、タクシー運転手・シリポン・カチャナニウィット(40歳)が13日夜にMCOT(チャンネル9)を通して警察に自首した。その時の映像がTBSでも流れたけど、中国系の顔立ちのすらりとした体型の男で、Tシャツの袖から出た腕に目一杯刺青を施していたのが印象的であった。
 シリポン容疑者が以前関わり持っていたとされる日本の暴力団は、パッポンやシーロムの日本人経営者からみかじめ料の類を徴収していたという。ラーメン屋や日本料理屋?  初めて知ったが、タイの暴力団とは棲み分けをしているのだろうか。シリポン容疑者は拳銃射撃の腕前は仲々のものらしく、以前警察主催の射撃大会で賞を取ったこともあるという。これって、タクシードライバーは、謂わば世間を欺く借りの職業で、実際は"殺し屋"というタイの定石ではないか。尤も、殺し屋が自首して出るってのも妙な話だが。そこが事実の奇妙さって処かも知れない。(間違ってたらシリポン氏に失礼だが)
 タイの殺し屋は総じて様々な別の職業に就いていて、打診があった時のみ本来の稼業をやってのけるらしい。金のない連中は自らの手で夫の愛人や気に入らない人間を刺し殺すが、ちょっと小金が有ると早速殺し屋の登場となるお国柄、日毎のニュースに枚挙に暇がない。

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 このシリポン容疑者、実は殺害されたタイ女性スナン・スリスワンさんと愛人関係にあって、日本からバンコクのスワンナプーム国際空港に戻ってきたスナンさんと別れた日本人の夫との間の男児ショウ君(5歳)とその前の夫との娘のピチャヤ(13歳)ちゃんを出迎え自分のタクシーに乗せてゆき、運転しながら右手の拳銃をハンドルを握った左脇から後部座席の三人に計14発撃ったとシリポン容疑者は供述しているらしい。14発入りのオートマチック拳銃だろう。
 動機を、シリポン容疑者は、スナンさんから一年前くらいに前夫を殺害して欲しいと依頼があったのを断ったのだけど、それに腹を立てたスナンさんが口封じのために殺し屋を雇って自分を殺すに違いないと危惧し恐怖の余り殺害してしまった、男児のショウ君は殺す気はなく、流れ弾が当たったんだと述べているらしい。
 一方、唯一生き残った娘のピチャヤちゃんも被弾はしたらしいが、死んだ振りをしてそのままタクシーに乗りシリポン容疑者の家まで行くはめになって、そこでばれてしまった。 ピチャヤちゃん両手を合わして必死で命乞いをし、警察に話さないとの約束の上解放されたという。。彼女の証言だと、タクシー内ではシリポン容疑者とスンナさんの間に口論などなく、どころか会話すら殆どなかったようで、パトゥムターニー県ラートルンゲーオ郡に入ってタクシーを止め、突然三人に発砲したようだ。
 
 二人の証言が食い違っていて、更に遺体の傷跡からして、何発かは車外から発射された可能性も考えられるらしく、第三者の関与も視野にいれて捜査しているようだ。それに、スナンさん、タイでの管財人と如何もしっくりいってなかったらしく、そっちの方からも洗ってみているとのこと。因みに、スナンさん家族、その前までは日本の夫とともにレストランを営っていて、離別した後も、経営は続けていてそれなりの財産は所有しているらしい。
 如何も不可解な話だが、何処かで似たような事件あったなーと記憶を辿ってみたら、例のオーム真理教の元警察官が、都内で警察庁長官を狙撃したと名乗り出たあの事件であった。警視庁の対応が奇妙奇天烈を遙かに越えるぐらいに珍妙に、知らぬ半ベエを決め込み、迷宮入りのまま今現在に至っている。これが本当に、国民の安全を守るとか称してきた警察の取るべき態度であろうか。如何考えても、裏があるのが見え透いてしまい、これから考えてもオーム真理教の裁判なんて茶番もいいとこなのが分かってしまう。タイの今度の事件と較べて、果たしてどっちが不可解なのか。

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2009年10月15日 (木)

旅の行き方

   

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     これは旅の行き方とも云うべきか、旅先で、例えばタイなどで、"キン・カオ・ルー・ヤン"(飯喰った?)と挨拶され、文字通りに解して「いえ、まだ飯くってません」と応えたとして、そう呼びかけたタイ人が「じゃあ、うちで喰ってけ」と屈託なく招いてくれたりした折など、こちらも屈託なく挨拶がわりに四方山話でも交わしながら(勿論タイ語か英語で会話が成り立てばのはなしだが、こんな地元の挨拶する人達って現地語しか話せないのが普通なので実際にはなけなしのタイ語や日本語であれこれ共通話題を捜しだし分かったような顔をして互いにニコニコに終始するってことになりかねない)食事を頂くってのがマナーって処だろう。 
 残念ながらそんな挨拶タイでされた経験はなく、バンコクのTTゲストハウスの横の古い屋敷に住み着いた屋台稼業の兄ちゃんに、ソンクラン(タイの正月)の時だったか、「飲んでいかないか」と声をかけられたことがあった。木陰のコンクリートのベンチ&テーブルを見ると既にちょっと出来上がった感じのファラン(白人)も坐っていて、テーブルの上にはビールやウィスキーが並んでいた。これからバスに乗って出かけようとしていた途中もあったし、何しろ当方アルコール直ぐに顔に出てしまうので、さすがに遠慮してしまって残念な思いをしたことがあった。

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 その隣のカンボジアの首府プノンペンでは、一度急に降り出したスコールを避けるため民家の軒先に駆け込んだ時、奥から声をかけられ振り向くと、中の土間のテーブルで男達が昼真っから酒盛りの真っ最中、皆いい気分で盛りあがっていて、氷とウィスキーの入ったグラスを出されてしまった。プノンペンの開放的な土地柄なのかバンコクほどにためらうこともなく雨だからマアいいかと一杯飲み干した。酒飲みじゃないのでそのウィスキーの味云々はともかく、それでも決して飲めないような質のものじゃなくて、二杯が三杯までなつたもののさすがにこれ以上は不味いと辞して少しは勢いの衰えた雨の中を顔面に火照りを覚えながら更に先を急いだことがあった。何しろカンボジア語はさっぱりなので、只、笑顔と即物的に飲むだけではあったが、男達はそれなりに満足し更に気勢が上がっていた。
 これは余談だが、その時向こうから礼拝が終わったのかイスラムのチャム族の一団がぞろぞろと通りをやって来ていて、先頭にいた若者二人が何か言い合いを始め突然殴り合いとなった。すぐに年配の男が止めに入ったのだが、何か小雨の中の物憂い光景として記憶に残っている。
 
 中国・雲南の大理じゃ、中国ロックの聴けるカフェ《雨林居》で、親しくして貰ったそこの若きオーナーに、当方が昆明に戻るってんで、その前夜、送別会めいたものを個人的に催してくれ、彼の店で何種類も皿を並べたテーブルに就く運びとなった。ふと薄明かりの下じっと目を凝らして確かめると、どの皿の料理にも赤々と唐辛子が覗けていた。必ずしも体調万全ではなかった上、翌早朝には昆明行きのバスに乗って五、六時間以上も揺られてなくてはならなず、一瞬これは不味いとなと危惧してしまった。
 しかし、だからといって、せっかく好意でわざわざ催してくれた宴席、無碍に断ることもできず、これが旅先の作法とばかり、観念し美味しく堪能させて貰った。外人向けレストランのメニューじゃなく、彼等が普段食べている料理だったので、味は好かった。お陰で、特に下痢もせず、無事昆明には着くことができた。

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 旅行者にとって些か厄介なのがイラン。
 人それぞれ、イランでも同じなのだけど、しばしば旅行者が辛酸・苦渋を舐めさせられたりするのでも有名であった。旅行者を手厚くもてなすのがイラン人の伝統らしく、"コジャ・ミリ?"(何処に行くんだね)の挨拶から、「それじゃうちで飯喰ってけ」から「うちに泊まってけ」って流れに往々にして至り易い。
 ヤズドでは、アリ氏宅に何日もやっかいになって地元の家庭料理を食べさせて貰った。只、それ以前から腹の調子が余り芳しくなく、せっかくの手製料理も十分に食べることができず、そこの主婦がそれをかなり気にしているのを知らされ、何とも言葉の返しようがなく恐縮してしまった。テヘラン行きのバスに乗る際も料金まで払ってくれた歓待振り。正に至れり尽くせり。
 首府テヘランではあるまだ若い夫婦のアパートの家に招かれたことがあった。
 現在のイラン人の都会の若いカップルの住むアパートの部屋ってこんなのかといい勉強になった。十分(彼等にとっては必ずしもそうではなかったろうが)に生活をエンジョイしているように一見みえた。帰国後暫くして、彼等から手紙が届き、日本に出稼ぎに行きたいのだが何処か好い仕事先はないかと打診してきた。当時、この手の日本への出稼ぎ関係の常套であった。只、こっちは一処不定住に頻繁に国外に出ていた時期でもあって、そんな定住者的な面倒は見かね、且つやがて入国管理が一層厳しくなってくると向こうも必死になってくるという可成り白けた様相にまで至ってしまった。

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 これと似た感じが、先頃地震で半壊したと伝えられたバム。
 バムの土塊の要塞を観光していると、一人の学校の教師だったかガイドだったか、鼻髭のよく似合う中年のイラン人が現れ、昼食を近くの彼の自宅でご馳走になることになった。中産階級然とした佇まいの家で、テーブルのうえには何種類も皿が並んでいて、こっちのイラン人って昼間っからこんなにご馳走を食べるのか等と外国旅初めてみたいに驚いてしまった。普段食じゃなく客をもてなす宴としての料理だったのだ。その上、彼の上品な感じの奥さんも同席していて、イランというよりヨーロッパ映画の一シーンといった趣きで、そんな場慣れしない当方些か恐縮しご相伴に預かったため何を食べたか殆ど覚えていない。問題はその直後起きた。
 その品性卑しからずのナイス・ミドル氏、当方にカラー・フィルムを一本呉れないかとやんわりだが言い始めた。イランでは仲々それなりの品質のフィルムが手に入り辛いんだと零して見せた。その頃、まだデジタルなんて出回ってない頃で、当方も一眼レフのカメラを首からかけ、土塊のアルク(城砦)をほっつきまわっていたのだけど、日本から決められた数のフィルムをリュックの底に収めて持参していた。勿論必要とあらばプロじゃないので、それぞれの国で売られているフジでもアグファでも好かった。別に一本や二本プレゼントしても不都合はなかった。只、バクシーシも併せて当時旅行者間で問題にもなっていて、やはり渡さない方が賢明という方途が流布していて、それに何としても、ここで渡してしまうと、それは彼や彼の伴侶すら貶め侮辱したことにもなるのではないかと、しかし、渡さなければ今度は本来の意味で二人の顔に泥を塗る嵌めに陥ってしまうと、微妙複雑な面持ちの二人を前にしてこっちもギリギリまで追い込まれ思念し続け、結局やはり貶めるべきではないとその場を後にしてしまった。何とも後味の悪いバムのテーブル一杯の正午の宴ではあった。

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 今なら、ためらうこともなく、ニッコリとああいいですよとばかり、さっさと渡したであろう。やはり、彼等の顔に泥を塗るような真似をすべきではなかった。(勿論ケース・バイ・ケースであろうが) それが旅の作法であろう。パキスタンの何処であったか、地元民(あるいはアフガン人だったか)に囲まれ、ある老爺が、当方がリュックに点けていた小さな青い゛フリー・チベット゛のバッヂを指差し何度も呉れとせがみ、周りの者にたしなめられたりしていたのだけど、ターバン巻いた屈託のないその老爺がそこまで欲しがっているのならと、プレゼントすると嬉しそうに受け取った。

 多かれ少なかれの旅人が、旅先で、アジアやアフリカ、南米でも歓待して貰ったこと決して少なくはないだろうが、問題は、今度は、自分達が、果たして如何くらい外国からの旅人を歓待出来るのかということに尽きるのだろう。しかし残念ながら、そんな話、寡聞にして余り聴いたことがない。それを阻害する様々な理由があるにしても。
 因みに当方、未だにゼロ・・・・

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2009年10月10日 (土)

アメリカ南北戦争の確執《ロング・ライダーズ》

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  タランティーノの映画《キル・ビル》で悪役を演じていたデヴィッド・キャラダインが、先だってタイのバンコクのホテルの自室で変死したニュース、殺人事件かと暫くニュースを追っていると、病死あるいは事故死に落ち着いてしまった。セクシャルな死に様は、確かに《キル・ビル》での悪役のイメージそのまま。年齢考えたらもういい歳だったけど、嫌いな俳優ではなかっただけに残念。
 ところが、その後今度は、《ブローバック・マウンテン》にも出演したランディー・クエイドが夫婦で、テキサスの片田舎のホテルで一万ドルの料金を不払いで警察に逮捕されたというニュースがあり、そこまで零落(おちぶ)れてしまったのかと驚いてしまったが、どうも行き違いのようで、クエイド自身が保釈金を払って釈放されたという。

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 相次いで続いた二人のゴシップ・ニュース、何故気になったかといえば、二人はウォルター・ヒル監督の異色西部劇《ロング・ライダーズ》に三家の兄弟同士で共演していたからだ。実際のジェームズ-ヤンガー・ギャングのそれぞれの兄弟に、俳優陣もそれぞれ実の兄弟が演じた異色作。当時は、新感覚西部劇ってふれこみで、伝説的アウト・ロー、ジェシー・ジェームズとその一党の物語。
 デヴィド・キャラダインがヤンガー兄弟の長兄・コール・ヤンガーに扮し、例の長細い顔に長髪で決まっていて、単細胞な弟エド役のデニス・クェイドとすぐ袂を分かつクリル・ミラー役のランディー・クェイドも仲々渋い。

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 "ジェームズ-ヤンガー・ギャング"と呼ばれ、南北戦争(1861~1865年)後の南部ミズーリを中心に、銀行強盗・列車強盗・駅馬車強盗と暴れ廻った。元々南部軍のクァントリル奇襲部隊に所属し、北軍に対するゲリラ戦を展開してきた隊員達で、戦後も南北の確執が続き、北部の方では極悪非道なアウト・ロー集団、南部の方では義賊として見られていたらしい。
 南北の確執というのは戦後になっても容易に解消されないものらしく、筆者もイエメンでそのとばっちりを受けてえらく迷惑を蒙ったけど、この映画は、そんな南部を舞台に淡々とまではいかないが、年代記的に構成し、ジェシー・ジェームズの最期まで追っている。さすがウォルター・ヒル、仲々面白く仕上がっている。

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 "ジェームズ-ヤンガー・ギャング"やその周辺のルーツは、結局南北戦争、南部と南軍のなかんずく伝説的ウィリアム・クァントリル大尉率いるクァントリル奇襲部隊にあるようで、大尉自身戦後も確執を引きづって生きたらしく遂に北軍に銃撃を受け死亡したらしい。
 1866年2月13日、ミズーリ州リバティーのクレイ郡預貯金協会(Saving Assosiasion)が、ジェームズ-ヤンガー・ギャング達によって襲撃され、現金・債権等6万ドルも強奪された。これが、米国史上初の白昼の武装した銀行強盗事件となり、歴史に刻印され、何かでこの日が初の白昼の銀行強盗事件の記念日となっているような話を見た記憶がある。
 映画では簡略化して、兄のフランク、ジェシー・ジェームズのジェームズ兄弟、コール、ジム、ボブ・ヤンガーのヤンガー兄弟、クリル、エド・ミラーのミラー兄弟が主人公だが、それに後年ジェシー・ジェームズを背後から殺害したので悪名高いボブ・フォードとチャーリーのフォード兄弟(映画では双子)は、一味に入ろうとして皆にシカとされてしまう場面以上の説明がない。実際には大部後に参加。

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 昔の西部劇といえば、ゲーリー・クーパーやジョン・ウェインなんかが、腰のごっついガンベルト、シャツの上にチョッキ(ベスト)がいいとこだったのが、長いロング・コートに腰には長い銃身のリボルバー・ピストルを吊したロング・ライダー達。町中をこれ見よがしに走ってみせる初期の自動車。ワイルドな開拓史的熱血世界に射してきた近代の影って趣きなのだが、実際には時代的には殆ど同じはずで、ウォルター・ヒルが些か冷めた情緒に造型しているに過ぎない。

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 映画はのっけから銀行強盗の場面から始まる。
 初めて参加したのかエド・ミラー(デニス・クエイド)が一人興奮し苛立ち、ジェシー達にさんざん諫められながらも、とうとう銀行員を射殺してしまい、忽ち狭い銀行の中は弾丸飛び交う修羅場と化してしまう。ジェシーまで被弾し、逃げ延びた先でジェシーに罵られ実兄のクリル(ランディー・クエイド)にすら見限られて強盗団から追放されてしまう。別れ際、ヤンガー兄弟の長兄コール・ヤンガー(デヴィッド・キャラダイン)に「俺達ヤンガー兄弟の事を口外すると生命がないぞ」と釘を刺される。若きデニス・クエイド、様になっていたけど、先で一味に意趣返しでもしでかす伏線かと穿っていると、何かの嫌疑で牢に放り込まれ、ピンカートン探偵社か保安官が一味の情報を釈放を餌にエドに迫るが、喋ると一味の血族の誰かに殺されしまうと拒絶する。

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 彼等ジェームズ-ヤンガー・ギャングは南部を舞台に暴れ廻っていて、彼等の家族・血族も多く、更に当時の銀行や鉄道って住民の大半がそうであった農民達にとって、悪どく儲けて肥え太った悪の権化、あるいは"近代"という北部の象徴の様な疎ましい存在であったらしく、そんな連中を襲う彼等はむしろ義賊として見られ、逃亡先で匿われたり、食料や水を提供してくれたりし、ピンカートンや当局には非協力的であった。保安官達も、形だけの追跡はしても深追いはせず、専らピンカートン社の連中が追撃の任を帯びていた。(このピンカートン探偵社、次第に巨大化し、悪名ととも軍隊並みの勢力を誇るようになって、州によっては違法化されてしまったりしたらしい。現在も、北欧の警備会社に併合されて存在しているという)

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 銀行・列車・駅馬車強盗と、皆アウト・ロー西部劇の定番。 
  そして、紅一点の"女"の存在。
 ジェシー・ジェームズはとっくに結婚していて、他のメンバーもそれを羨むように女を作ったり一緒になったりしたのだが、この映画で一番光っているデヴィッド・キャラダイン扮するコール・ヤンガーの相手が、ベレ・スターという太腿のガーターにデリンジャー銃を隠した男勝りの娼館の女将。パメラ・リードが好演していたが、実は彼女にはサム・スターというインディアンの旦那がいた。ある日たまたま鉢合わせし、ベレがコールを挑発し、大きなナイフを振りかざして決闘となり、最後にはコールのボーイー・ナイフがサムの太腿にグサリと刺さって了わる。史実にはないフィクションだろう。

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      ベレ・スター

 ところが、この女性、映画にもなった西部史における伝説的な男勝りの"アウトロー・クィーン"で、南部の富豪の家に生まれた令嬢だったのが、南北戦争で次第に零落していってとうとう日々の糧を得るためにチェロキー・インデイアン=サム・スターと夫婦になって、インディアン居留区で生活することに。そのサムが保安官との銃撃戦で殺されると、居留区に留まるためにサムの血縁の一回り年下の男と一緒になり、死の数年前からは、男を何人も取っかえ引っかえするようになり、ある日待ち伏せに遭ってショット・ガンで殺害されてしまう。犯人は未だに明らかになってないらしい。
 しかし、ベレを巡ってサム・スターと決闘した男っているのだろうか?
 その本当のところは定かでないけど、むしろジェームズ-ヤンガー・ギャングの一員、ディック・リィディルがボブ・フォードの妹マーサ・ボルトンを巡ってジェシー・ジェームズの従兄弟ウッド・ハイトを殺害した事件をサム・スターとコール・ヤンガーにこじつけ作り出したのではないか。

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    ジェシー・ジェームズ

 更に、画面では娼館の女将のベレ・スター、実際には生きんが為にインディアンと一緒になり居留地住まいする程のおよそ豊かさとは無縁の生活。むしろ、彼女の娘パール・スターが、彼女こそ生きんが為に娼婦に身をやつし、早速頭角を現して自分の店(娼館)を第一次大戦までアーカンサス州に何軒も経営するほどになったらしい史実からの着想だろう。ともかく、この辺、史実・脚色合わせて様々な家族・兄弟が入り乱れてややこしい。

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      コール・ヤンガー

 ジェームズ-ヤンガー・ギャングの最後がやはりこの映画のハイライトで、米国では有名らしい1886年9月7日の南部ミズーリからかなり遠いカナダ国境近くの北部ミネソタ州ノースフィールドにあったファースト・ナショナル・バンク襲撃。
 彼等のモットーから随分と逸脱した場所を選んだもので、映画ではコール・ヤンガーが難色を示し「ミズーリにもまだ銀行は沢山ある」と諫めるのも聴かず、ジェームズ兄弟主導で進められる。これも、実はピンカートンが仕組んだ罠だったのか、途中で察知されたのか、すっかりノースフィールドの町は、待ち伏せ体勢に入っていて、知らぬは南部のギャング団だけ。

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    クリル・ミラー(遺体)

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        ボブ・ヤンガー

 これに参加したのは、ジェームズ兄弟、ヤンガー兄弟、クレル・ミラーそして新参のチャーリー・ピッツ、ビリー・チャドウェル。
 キャッシャーににしか金がなく、金庫はタイム・ロックされていて時間が来ないと開かず、嵌められたことが分かり、対応した銀行員はその場で射殺される。外へ出て逃げようとすると、すかさず通りの両側から猛射撃が始まり、一味は通りの外に逃げようとするもののバリケードされていて出れず、ある建物の広いガラス窓から馬ごと突っ込み反対側から外に逃げ出す。スローモーションのその場面は仲々好くて、サム・ペキンパーを想わせる。結局散々銃弾を浴びさせられ、命からがら町から逃げ仰せる。
 それでも、新参の二人とクレル・ミラーが死に、ヤンガー兄弟も被弾し倒れ逮捕され、ジェームズ兄弟だけが逃げ切れたに過ぎない。因みに、今でもノースフィールドの町ではその日を記念して、ジェシー・ジェームズ粉砕記念日として催し物を行っているという。

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      ボブ・フォード
  
  逃げ延びたジェシー・ジェームズ、ジェームズ・ギャングとしてその後も強盗を繰り返していたのが、知事やピンカートンの策謀に乗ったフォード兄弟が自分達の罪の赦免とジェシーの懸賞金と引き替えに、ジェシー殺害を実行する。
 生き残った兄のフランク・ジェームズももうこれまでと悟ったのか、知事の下に現れ、ジェシーの葬儀の実行と引き替えに自首する。ジェームズ-ヤンガー・ギャングの完全な消滅の日であった。映画はそこで終わるが、そのフランクや以前に逮捕されたコール・ヤンガーは十年以上過って出所し、バァッファロー・ビル主催の"ワイルドウェスト・ショー"に参加したり、コールは自叙伝まで出版したりして余生を全うしたらしい。
 フォード兄弟の兄チャーリー・フォードはその後自殺し、ボブ・フォードの方は1892年、エドワード・オークレーにショット・ガンで射殺された。

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  監督   ウォルター・ヒル
 脚本   スティシー・キーチ、ジェームズ・キーチ、
      ビル・ブライデン、スティーブン・F・スミス
 撮影   リック・ウエイト                                                   
 音楽   ライ・クーダー

 コール・ヤンガー   デヴィッド・キャラダイン
 ジム・ヤンガー    キース・キャラダイン
 ボブ・ヤンガー    ロバート・キヤラダイン
 ジェシー・ジェームズ ジェームズ・キーチ
 フランク・ジェームズ ステーシー・キーチ
 エド・ミラー     デニス・クエイド
 クレル・ミラー    ランディ・クエイド               
 チャーリー・フォード クリストファー・ゲスト
 ボブ・フォード    ニコラス・ゲスト
 ベレ・スター     パメラ・リード
 制作 ユナイテッド・アーチスト 1980年

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2009年10月 3日 (土)

ナイルの残照 ルクソール

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  たった一度切りだったせいもあるが、エジプトを流れるナイル川って、チャオプラヤ川やサップ川、メコン川ほどには今一つ馴染みが薄い。
 中流域の古の都テーベ、現在のルクソールの町の東端を流れているナイル川、余りにも有名なツタンカーメンの墓なんかがある王家の谷は、このナイルを渡船で渡って行くのだけど、ナイルの刻々と暮れなずむ夕暮れや残照を夕涼みがてら一人川岸に佇んで眺めたりしていると、勿論昼間でもだが、あれこれと訳の分からぬ業者達がすり寄ってきて、蝿か雲蚊の如く一頻り神経を患わせては去ってゆく。だから、ゆったりとしてナイルと交歓するってことが物理的に図られず、そそくさとその場を去る他はなかった。

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 かなりの人数を乗せた渡船(フェリー)も、夕刻なんぞルクソール側に到着した時などは、桟橋に黒山になって待っていた待ち客達が、まだ接岸する以前から大抵は若者達であるが、次々に飛び乗ってきて、更に接岸すると同時に怒濤の如く黒山の待ち客達が、降りようとする乗客達の列に突っ込んでくる。降りようとしても誰も容易に降りれず、いたずらに押し合いへし合いするばかり、仕舞いには何時までたっても降りれずにいた地元の老爺が傍若無人な青年達に怒鳴り散らす。それでも誰も知らん顔でどんどんと我先がちに下船客達を押し退けて乗り込んでくる。
 嘗て秋も深まろうとする西チベットのラダック・レーでの欠航続きの唯一の飛行便の最後に残った一枚のチケットを巡っての、手にした係官をして事務所の並んだ机の上を血相を変え逃げ惑わさせた一幕を想い出させた。

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      (対岸の村)

 
 最近は少しは増になったか知れないが、ともかくカイロは安宿事情が悪かった。カイロから半日の、遺跡の町ルクソールは、そこそこの宿事情で、町ものんびりとして居心地もそれほど悪くはなかった。
 駅前のニューカルナック・ホテル一階に外に漢字書きの「牛肉炒飯」の貼り紙がしてある"カルナック・レストラン"があり、ムハッタ通りにあるブッフェ・タイプのレストラン"アブ・メスハッド"も比較的廉価。
 駅前の地元民のカフェは、表側がイスラム、奥がコプト(エジプトのキリスト教派)のフロアーになっていて、外人は奥の方に坐らせられる。この奥のフロアーの壁には、聖ジョージの竜退治の絵なんかが飾ってあったり仲々興味津々なカフェであった。そういえば、イランのイスファハンだったかタブリーズであったか、片側の壁にキリスト教系の絵が掛けてあったチャイハネ(喫茶店)があった。カイロに限らずルクソールも多種多彩な飲み物があってエジプトのカフェは飽きない。

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 何もないから読書三昧を決め込んだオアシスから戻ってきた青年N君、遭うとこの行きつけのカフェで延々と駄弁り続けた。筆者はサハラブとカルカデ、彼はチャイ二杯。
 バンコクだったか香港でだったかでいっぱい買い込み、インドの何処かで売って費用の足しにでもしようと思っていたコピーの腕時計。カシミール辺をバスで移動していた最中、突如自動小銃を構えた強盗団が現れ、地元民達は別に如何ってこともなかったらしいのが彼とドイツ人青年の二人だけ荷物と一緒に降ろされ、バスはそのまま無情にも二人を置いて先へ向かった。調子が好いのか機を見るに敏なのか、生命あってのものだねとばかり自分の方からバッグの底に隠していたコピー腕時計を早速全部差し出した。強盗団、金ぴかの真新しい腕時計がどうぞお納め下さいとばかり目の前に並べられすっかりご満悦で彼は許されたという。ところが、こんな情況にあっても、ドイツ人青年、何だかんだとゴネたりして賊に殴る蹴るの散々な目に遭って漸く金目の物を差し出したとか。
 N君に云わせると、だったら始めからさっさと差し出していりゃいいものを、とはけだし至言。下手すると銃弾ぶち込まれ、挙げく、生首まで切り落とされかねなかった。直ぐにやってきた後続のバスに乗って難無きを得たという顛末を、悠揚迫らぬのんびりとした性格そのままに、向こうの席でゆったりと水煙草を燻らせるエジプシャンの姿を眺めながら聴かせて貰った。バックパッカーやっていると、必ず一度は遭遇する危機的場面。

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 カルナック・レストランの隣のパン屋の向かいの通りの歩道に常時も坐ってタンバリンを叩き続けている盲目のバクシーシが居た。
 白い長衣に茶色の毛糸の帽子を被った、寒くなると灰色の長衣をその上に引っかけたりもする初老の腹の出た辻の音楽師ってとこだろうか。もう一人、距離を置いてこっちは対照的に坐ったり寝たりの乞食なのか路上生活者なのか定かでない男が居て、タンバリン・マンの方は、前を通る人がバクシーシしたりしてるのだが、寝そべり君の方には誰かがバクシーシしているのを見たことがなかった。否、通行人におよそ媚びることもなく、気儘にそこに起居していた。そこに姿がないことも多かったが、寒いと思うと、集めてきた段ボールを燃やして暖を取ったり。
 タン、タ、タン、タ、タ、タ、シャン、シャ、シャン、シャ、シャ、シャと、タンバリン・マンは延々と一日中叩き続けるのだった。

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      (対岸の村)

 誰かが彼を筆者の行きつけの直ぐ近くの茶店に連れて来ることもあり、午後の強い陽射しが彼の居る通り側に差し始めると、前のメンシーア通りの反対側にあるモスクの方に移動しようと目の前にタンバリンを翳し一歩一歩慎重に渡っている時も、通りがかった人が彼の肩を持ってモスクの方に誘って呉れたり、この町の住民達に愛されているのが伝わってくる。筆者も一度通りがかりにバクシンしたことがあった。1ポンド札を長衣の膝の上に置いたのだが、気付くとタンバリンを叩くのを止め、確かめていた。スーフィーの如く憑かれたように滔々と唄い続けるようにタンバリンを打ち振り叩き続ける様は何か迫ってくるものがあった。
 十年以上も過って、タンブリンマン師、今だ同じ場所で叩き続けているのだろうか。

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