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2009年10月30日 (金)

至高なるものへのパッション  ジョン・コルトレーン

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   最近はまた変わったろうが、以前は旅先の音楽といえば、何故か六十~七十年代のロックが多く、カルカッタやバンコクなんかのテープ屋なんかにもいっぱい並んでいたものであった。クラプトンやジャニス・ジョプリン、ジミー・ヘンドリックス、ボブ・マーレーそしてドアーズ。確かにドラッグ・カルチャー、ヒッピー=バック・パッカーであった時代の産物・遺物といってしまえばそれまでだろう。
 それはさて置き、そんなドアーズ、そして同時代の米国グループ、バーズ、あるいはサンタナなんかが影響を可成り受けたのがジャズの、マイルス・デーヴィスなんかの既存のジャズと、オーネット・コールマンやドン・チェリーなんかに代表されるニュー・ジャズあるいはフリー・ジャズとも呼ばれたジャズの接点にあって、己の可能性としてフリーを志向し続けたジョン・コルトレーンであった。

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 ジョン・コルトレーンほど音楽的あるいは精神的に同時代のプレーヤーや青年達に影響を及ぼしたジャズ・プレーヤーは居ないらしい。コルトレーンの場合、"仲々好いじゃん"とか"いかしてる"とかいうのではなく、もっと内的な根源的なところ、人によっては"神"とも誰憚ることもなく言ってのけるぐらいの存在で、変転する時代の影で懊悩し呻吟する若者達に心底共鳴し鼓舞する精神的な存在であった。

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 1967年7月17日、ニュージャージー州ニューアークで黒人暴動が勃発する前日、増す増す熾烈を極めてゆく黒人運動・暴動のまっ只中、疾走の果てに肝臓癌で四十歳の若さで亡くなった。
 コルトレーンはセロニアス・モンク、マイルス・デーヴィスなんかのバンドで次第に頭角を現し、1960年にアトランティックで有名な《ジャイアント・ステップス》、《マイ・フェバリット・シングス》を発表し、更に歴史的不動の存在となるピアノ=マッコイ・タイナー、ベース=ジミー・ギャリソン、ドラムス=エルヴィン・ジョーンズという強力なメンバーの自分のバンド、"ジョン・コルトレーン・カルテット"を率いるに至たる。
 その結晶が、《至上の愛》A LOVES SPREME。
 敬愛するマーチン・ルサー・キング牧師と同様、キリスト教徒だった彼にとって、至高の存在とは"神"であって、その神に捧げる供物としての四つの楽章から成る作品。彼の師事していたらしいインドのラヴィ・シャンカル等はじめインド音楽の影響の強い、荘厳なまでに神秘的な響きが圧倒的。正に歴史的名盤。カルロス・サンタナもカヴァーしているらしい。

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 やがて、コルトレーンはフリー・ジャズの方向へとひた走り始める。
 1966年、ピアノ=アリス・コルトレーン、ドラムス=ラシッド・アリ、サックス=ファラオ・サンダースとメンバーが入れ替わり、《ライブ・アット・ヴィレッジバンガード・アゲイン》を出す。確かに、タイナーやエルヴィン・ジョーンズとは相違して、正にフリーの為の布陣といった趣きで、「ネイマ」、「マイ・フェバリット・シングス」共に素晴らしい。これは、筆者のベスト・コルトレーンの一枚。ファラオ・サンダースのテナー・サックスも仲々好く、ヘビーなエルヴィンのドラムスと違ってラシッド・アリのドラムスも軽快。

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         マッコイ・タイナー

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         エルヴィン・ジョーンズ       

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          ジミー・ギヤリソン

  1967年七月に亡くなる直前の春に録音し、死後発売されたのが、《エキスプレッション》であった。「遺作」の邦題までついているけど、死期を悟ってのか、あるいはひたむきに突き進んできた探求の果てに辿り着いた一つの境地なのか、パッシヴな咆吼も一つの悟りにも似た静寂さに満たされたコルトレーン・ジャズの結晶。
 1964年に亡くなった盟友エリック・ドルフィーの遺品のフルートを使用しての演奏、これが彼が長年求めてきた一つの平和、静寂さに包まれた瞑想的境地、北インドの曲を元にしたらしい鬱蒼と茂った緑の向こうに突如覗けた朝靄漂う碧く沈んだ池上に浮かぶ真紅の蓮花を想わせる。これも筆者のベスト・コルトレーンの一枚。

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      アリス・コルトレーン

  コルトレーンに対する評価は元々、スィングだとかいってジャズを酒の肴として聴くファン達には、騒さいだ、何をやっているのかチンプンカンプンだとか手厳しく非難されたものであったが、真摯にジャズを"聴く"あるいは"共生"しようとしたファン達にとっては他の何物にも代え難い自分達の宝珠であり同志でもあった。
 今では、例えばヨーロッパなんかでは、"フリー・ミュージック"志向のミュージシャン達の間にあっては、例え前置詞の"フリー"をつけたものであっても"ジャズ"なんてものをやろうとすると、「今時ジャズかよ」と顰蹙(ひんしゅく)を買うような情況にすらなっているらしい。けど、これは又些かおかしな話で、ジャズはジャズであって、ブルースがブルースであるようにそれはグローバル化でなし崩されるような代物ではない。

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       ラシッド・アリ

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      ファラオ・サンダース

  放っておいたら平気で一曲を一時間でも二時間でも延々と演奏し続けるコルトレーンも、以前は、クラブで演奏中にアドリブが長過ぎるとかヤジが飛んできたりして、如何したものか悩んだりしたという。ハイライトだけ吹けばいいのかも知れないが、それでは、ミュージシャンとして一体何をしているのか分からなくなってしまう、やはり、一つの曲を余すところなく十全に吹きたいという彼の願望とミュージシャンとしての矜恃が、長時間演奏を選ばせた。突き詰めるタイプなのだろう。芸術家に多いタイプ。

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      ニュージャズの旗手 アルバート・アイラー

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      コルトレーンの盟友 アーチー・シェップ

  コルトレーンの死後、フリー・ジャズのもう一方の旗手アルバート・アイラーがコルトレーンの居たインパルス・レコードがコルトレーンに替わるメインとして売り出そうとしてすぐ1970年に何者かに殺害されてしまつたものの、片方の雄オーネット・コールマンはじめドン・チェリー、セシル・テイラー、ファラオ・サンダース、ミルフォード・グレーヴス、ジョン・チカイ達が席巻するようになっていった。唯、ジョン・コルトレーンに比肩できるほどの"存在"性を獲得できたミュージシャンって皆無。
 それでも、コルトレーンの《至上の愛》以前のものには、アトランティックで出した《マイ・フェバリット・シングス》は別にして、筆者は興味がなく、やはりフリーを志向し始めて以降のコルトレーンのみ。
 激しく生きてきたコルトレーンが力尽き病院に担ぎ込まれ死亡した時節は、また黒人解放運動がいよいよ激しさを増しつつ遭った時期で、マルコムX、マーチン・ルサー・キング等が相次いで斃れ、詩人・評論家であるリロイ・ジョーンズ(アミール・バラカ)が「白いアメリカの中の黒い音楽」としてジャズを定立し、米国中で暴動や抗議運動が拡がっていた。そして、ヒューイ・ニュートン、ボビー・シール、エリドリッジ・クリーバー等の武闘派"ブラック・パンサー"(黒豹党)が席巻し始める。
 今や、黒人の閣僚や大統領をまで頂くまでなってみたものの、果たして米国での黒人達の置かれた境遇ってその頃と較べて如何くらい改善されたのであろう。確かに、白人達と同じバスには乗れるようにはなったろうが。

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