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2009年10月 3日 (土)

ナイルの残照 ルクソール

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  たった一度切りだったせいもあるが、エジプトを流れるナイル川って、チャオプラヤ川やサップ川、メコン川ほどには今一つ馴染みが薄い。
 中流域の古の都テーベ、現在のルクソールの町の東端を流れているナイル川、余りにも有名なツタンカーメンの墓なんかがある王家の谷は、このナイルを渡船で渡って行くのだけど、ナイルの刻々と暮れなずむ夕暮れや残照を夕涼みがてら一人川岸に佇んで眺めたりしていると、勿論昼間でもだが、あれこれと訳の分からぬ業者達がすり寄ってきて、蝿か雲蚊の如く一頻り神経を患わせては去ってゆく。だから、ゆったりとしてナイルと交歓するってことが物理的に図られず、そそくさとその場を去る他はなかった。

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 かなりの人数を乗せた渡船(フェリー)も、夕刻なんぞルクソール側に到着した時などは、桟橋に黒山になって待っていた待ち客達が、まだ接岸する以前から大抵は若者達であるが、次々に飛び乗ってきて、更に接岸すると同時に怒濤の如く黒山の待ち客達が、降りようとする乗客達の列に突っ込んでくる。降りようとしても誰も容易に降りれず、いたずらに押し合いへし合いするばかり、仕舞いには何時までたっても降りれずにいた地元の老爺が傍若無人な青年達に怒鳴り散らす。それでも誰も知らん顔でどんどんと我先がちに下船客達を押し退けて乗り込んでくる。
 嘗て秋も深まろうとする西チベットのラダック・レーでの欠航続きの唯一の飛行便の最後に残った一枚のチケットを巡っての、手にした係官をして事務所の並んだ机の上を血相を変え逃げ惑わさせた一幕を想い出させた。

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      (対岸の村)

 
 最近は少しは増になったか知れないが、ともかくカイロは安宿事情が悪かった。カイロから半日の、遺跡の町ルクソールは、そこそこの宿事情で、町ものんびりとして居心地もそれほど悪くはなかった。
 駅前のニューカルナック・ホテル一階に外に漢字書きの「牛肉炒飯」の貼り紙がしてある"カルナック・レストラン"があり、ムハッタ通りにあるブッフェ・タイプのレストラン"アブ・メスハッド"も比較的廉価。
 駅前の地元民のカフェは、表側がイスラム、奥がコプト(エジプトのキリスト教派)のフロアーになっていて、外人は奥の方に坐らせられる。この奥のフロアーの壁には、聖ジョージの竜退治の絵なんかが飾ってあったり仲々興味津々なカフェであった。そういえば、イランのイスファハンだったかタブリーズであったか、片側の壁にキリスト教系の絵が掛けてあったチャイハネ(喫茶店)があった。カイロに限らずルクソールも多種多彩な飲み物があってエジプトのカフェは飽きない。

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 何もないから読書三昧を決め込んだオアシスから戻ってきた青年N君、遭うとこの行きつけのカフェで延々と駄弁り続けた。筆者はサハラブとカルカデ、彼はチャイ二杯。
 バンコクだったか香港でだったかでいっぱい買い込み、インドの何処かで売って費用の足しにでもしようと思っていたコピーの腕時計。カシミール辺をバスで移動していた最中、突如自動小銃を構えた強盗団が現れ、地元民達は別に如何ってこともなかったらしいのが彼とドイツ人青年の二人だけ荷物と一緒に降ろされ、バスはそのまま無情にも二人を置いて先へ向かった。調子が好いのか機を見るに敏なのか、生命あってのものだねとばかり自分の方からバッグの底に隠していたコピー腕時計を早速全部差し出した。強盗団、金ぴかの真新しい腕時計がどうぞお納め下さいとばかり目の前に並べられすっかりご満悦で彼は許されたという。ところが、こんな情況にあっても、ドイツ人青年、何だかんだとゴネたりして賊に殴る蹴るの散々な目に遭って漸く金目の物を差し出したとか。
 N君に云わせると、だったら始めからさっさと差し出していりゃいいものを、とはけだし至言。下手すると銃弾ぶち込まれ、挙げく、生首まで切り落とされかねなかった。直ぐにやってきた後続のバスに乗って難無きを得たという顛末を、悠揚迫らぬのんびりとした性格そのままに、向こうの席でゆったりと水煙草を燻らせるエジプシャンの姿を眺めながら聴かせて貰った。バックパッカーやっていると、必ず一度は遭遇する危機的場面。

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 カルナック・レストランの隣のパン屋の向かいの通りの歩道に常時も坐ってタンバリンを叩き続けている盲目のバクシーシが居た。
 白い長衣に茶色の毛糸の帽子を被った、寒くなると灰色の長衣をその上に引っかけたりもする初老の腹の出た辻の音楽師ってとこだろうか。もう一人、距離を置いてこっちは対照的に坐ったり寝たりの乞食なのか路上生活者なのか定かでない男が居て、タンバリン・マンの方は、前を通る人がバクシーシしたりしてるのだが、寝そべり君の方には誰かがバクシーシしているのを見たことがなかった。否、通行人におよそ媚びることもなく、気儘にそこに起居していた。そこに姿がないことも多かったが、寒いと思うと、集めてきた段ボールを燃やして暖を取ったり。
 タン、タ、タン、タ、タ、タ、シャン、シャ、シャン、シャ、シャ、シャと、タンバリン・マンは延々と一日中叩き続けるのだった。

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      (対岸の村)

 誰かが彼を筆者の行きつけの直ぐ近くの茶店に連れて来ることもあり、午後の強い陽射しが彼の居る通り側に差し始めると、前のメンシーア通りの反対側にあるモスクの方に移動しようと目の前にタンバリンを翳し一歩一歩慎重に渡っている時も、通りがかった人が彼の肩を持ってモスクの方に誘って呉れたり、この町の住民達に愛されているのが伝わってくる。筆者も一度通りがかりにバクシンしたことがあった。1ポンド札を長衣の膝の上に置いたのだが、気付くとタンバリンを叩くのを止め、確かめていた。スーフィーの如く憑かれたように滔々と唄い続けるようにタンバリンを打ち振り叩き続ける様は何か迫ってくるものがあった。
 十年以上も過って、タンブリンマン師、今だ同じ場所で叩き続けているのだろうか。

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