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2009年12月 5日 (土)

ダマスカスの青春グラフィティー  《蝿の乳しぼり》ラフィク・シャミ

   Syria_1

   「『わしは自分の下着を怖がったりはせん。政府なんてものは、その下着を着替えるよりもころころはやく交代するじゃないか。そのどこが怖いっていうんだ?』
 たしかにダマスカスではときどき、権力者は映画館にかかっている映画よりはやく交代した。《風と共に去りぬ》は、三つの政府を生き抜いた。シリアとイタリアとボリビアは、政府交代の数を競争しているようだった。」         《怖がらせ屋が怖がるとき》
 
 今現在も揉めているタイなんかクーデターが日常茶飯のように言われてきたものの、実際はそれほどでもなく、ボリビアなんて戦後、タイの倍の三十数回もクーデターが起こり目まぐるしく政府が変わってきたという。ラフィク・シャミの母国シリアは長いオスマン帝国やフランスの支配から脱却した独立後二十回近くのクーデター。
 
 シリアの首都、"中東の真珠"と嘗ては呼ばれたダマスカスの旧市街の一角、ラフィク・シャミの若き時代の主人公"ぼく"の家の近所に薄い夏服の下にピストルが透けて見える密偵の一家が越してきた。
 
 「そいつがやって来るまでは、近所の人たちは大声で罵っていたし、物価があがったことや戦争に負けたことに、いちいち目くじらを立てていた。だけどそいつがきてからは、みんな、ひそひそ声で話すようになって、自分の意見を誰か知らない人がいっていたように遠回しにいうようになった。つまり、『おれの考えは・・・』といっていたのが、急に『おれはよくわからないんだ。聞いた話なんだが・・・』っていうあいまいないいまわしに変わったんだ」《怖がらせ屋が怖がるとき》

 結局、その密偵=「怖がらせ屋」は、《ゴンドラ酒場》でお忍びで酒を飲みに来ていた空軍大将の政府に対する暴言を耳にし、早速近くの交番にしょっ引いて行って、逆に自分の方がそこの留置所に放り込まれてしまう。その事件以降、近所の住民達は密偵が傍を通りかかると、聞こえよがしに、あたかも自分の親戚に軍部の偉いさんが居るように叫ぶようになり、以前と同様政府のあれこれを声高に罵るようになったという。

 中東から欧州に移住し作家になったりする者も少なくないようだけど、言葉の問題は如何なんだろう。中国でも、チベット人作家なんて、チベット語で認める作家も居なくはないらしいけど、やはり色波(ソーポー)やザシダワ等中国語で書くのが一般的なようだ。勿論チベット内では反発があるが、チベットの中国化が進むに連れ、話せてもチベット語で表現出来ない者達が増大してきているらしい。
 ドイツの小説家ラフィク・シャミは、1946年シリアの首都ダマスカス、アラム語を話すキリスト教徒のパン屋の家庭に生まれ、ダマスカスで反政府的な壁新聞"アル・ムンタレク"を発行していたのが、1970年に発禁になってしまい、翌年(西)ドイツに移住。'77年頃からドイツ語で小説を書き始め、次第に頭角を現し、今ではミヒャエル・エンデと並ぶ存在となっているらしい。彼の母国、シリアでは彼に対する評価は如何なのだろう。

Syria_a2

 シャミの作品、邦訳で幾冊も出ているようで、ダマスカスの近所の住民や同級生達を中心にした寓話的な物語が多いようだ。少年時代の彼の尊敬すべき友人、嘗ては馬車の馭者をしていて兵役すら拒んで逃げ込んだ山に何年も籠もったのが自慢でもある"サリムじいさん"なんかは仲々に面白く愛すべき存在。
 タイトル作品《蝿の乳しぼり》で、シャミの化身たる"ぼく"もサリムじいさんが若い頃、徴兵検査で、何の義理もない権力の為に戦場に送られるのが嫌で、耳の聞こえない身障者の真似をして徴兵を逃れようと画策し、最期の土壇場でバレてしまって全速力でそこから逃亡した顛末を聴き、さて自分は如何しようかと迷ってしまう。
 頭の足りない狂人を装う事を思いつき、官憲との問答を想定してみる。職業を聞かれると、"蝿の乳搾り"と答えようかと思いついたが、もしひょっとして官憲がその答えをまともに信じてしまったひには如何しよう・・・小心翼々な猜疑の輪が拡がってゆくばかり。
 大正・昭和の流浪詩人・金子光晴も、自分の息子に徴兵の赤紙が来ると、断じて行かせまいとあの手この手の涙ぐましい努力をし息子を病気にしたりして結局兵役には就かせなかったようで、洋の東西を問わず、国家・権力の為の"人殺し"の先兵に成るのを肯んじない人々って結構居るようだ。

そんな寓話の中に、一篇《炎の手》というラブ・ロマンスあるいは不倫物があって、これも淡々とした筆致だけど面白い。ダマスカスの昼下がりの十六歳の情事。
 ダマスカスの下町じゃ、土曜日は何処も湯浴(あ)みをするらしく、あっちこっちから、身体をゴシゴシ擦られて悲鳴をあげる子供達の叫び声が響き渡ってくる。浴室のある家は中流以上で、ヤカンで沸かした湯を使うのが一般的。小さな中庭があるくらいの家じゃ台所にブリキの湯船を持ち出して湯浴みするようだ。主人公のしがないパン屋の家じゃ湯船なんて高嶺の花。
 そんな土曜の午後、ある建物の二階から淡黄色のタオルが風に舞い落ちてきて、その持ち主=この界隈一の美人(妻)サルマに届けに行った時から、関係が始まる。
 三十代の人妻サルマが台所で湯浴みの真っ最中、
 「でも、サルマは悲鳴をあげなかった。にっこりほほえむと、スポンジを床に置いた。ぼくは敷居のところでぽかんと口をあけて棒立ちになり、弁解のつもりで自分でもわからないことを口走りながら、濡れたタオルをさしだした。
 『なかに入って、ドアを閉めて。風が冷たいわ』
 サルマは小さな声でそういうと、腕で胸を隠した。
 ・・・ぼくががくがく膝を震わせながら、サルマの背後にひざまずき、スポンジと石鹸を手にとって彼女のほのかに光るなめらかな肌を洗いはじめた。くすぐったかったのか、サルマはうれしそうに笑った。」
                                                                                      《炎の手》

Photo

           ラフィーク・シャミ

 結局、暴力的な夫に嫌気が差していたサルマに駆け落ちを求められ、"ぼく"が逡巡している内、"ぼく"に愛想を尽かしてある日突然蒸発してしまった。"ぼく"は己の優柔不断さに辟易してしまうのだけど、"ぼく"の母親はサルマとの不倫を知ると、デートの時なんか二リラも渡し、「サルマにいいとこみせるんだよ」と怒るどころか逆にエールを送ってしまう。
 これは一体ドイツ人向けに、彼等の感覚・モラルに合わせて書いたものなのか、それとも単に作者ラフィク・シャミ自身、つまりシリア人として、自らに忠実に書いたものに過ぎないのか。シリアに限らず、中東・イスラム社会では「不倫」は、今現在でも厳しく罰せられ、最近もニュースになっている。男はともかく、女の方は残忍な「石打ち刑」に処され殺害されたりするのが定式らしい。
 これは知っている旅行者も多いと思うけど、大部前、イランで旅行者の日本人娘がイランのナイス・ミドルと不倫関係に陥り発覚して男の方は何ら罰せられなかったらしいけど、その娘はやはり「石打ち刑」で、外人という事で手加減されたのか殺害からは免れたものの重傷を負ってしまった。
 この人妻サルマとの不倫、だから如何も不可解で、ダマスカスのような大都市だともう西洋化されているのか、あるいは又、ダマスカスのキリスト教徒達の社会は、イスラム教徒達ほどには閉鎖的ではないのかも知れない。(でもやっぱり、古い形のキリスト教って結構保守的だったと思ったけど)

  《蝿の乳しぼり》 ラフィク・シャミ 訳・酒寄進一  (西村書店)

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