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2009年12月19日 (土)

九死に一生のフィールドジャケット

    Chitral_1

     チトラール(アフガンのワハーンと繋がっている)

 なんだかんだいったところで、バスって乗り物は、やっぱし今一。
 インドや中国の悪路とお粗末な車体の相乗効果で、飛んだり跳ねたりそして突如のエンコの底なし状態。                怖いのが、やがてそれがむしろ旅の醍醐味とか常識なんてものに転倒してしまいかねない旅人の性。それでも、時代の波は刻々と打ち寄せ変遷してゆき、道も良くなり車体も少なくとも見てくれだけはハイカラになってきた。只、それでも道路のせいか車体のせいか、やっぱし乗り心地は今一。それは日本でも同じで、未だにバスに乗って缶珈琲を落ち着いて飲むことが出来ない。況やカップ珈琲なんて悲惨な結果があるのみ。
 
 先日そんな国内の路線バスに揺られていて、ふと自分の着ていたアーミーのジャケットの腕のところに異変を覚えた。何だろうと、眼を凝らしてみたら、継ぎ目の部分がずっと縫い糸がほつれぽっかりと綻んでいるではないか。驚いて反対側を見るとそっちも同じ肘の処が情けないくらいにほつれ解けていた。
 このモスグリーンのフィールド・ジャケット、内張りがしてあって、インナーを装着するボタンも付いている少し重いが、暖ったかく、旅先では仲々重宝した。かれこれ、十年近く着続けてきた代物。次第に国外の旅には欠かせなくなってきて、それが三着目だった。
 もう旅に出かけなくなって何年も過ってるけど、とうとう限界が来て、美事なくらいに一斉に全体の縫い糸がほつれて始めた。やっぱし十年が限界のようだ。

  Chitral_2  

  チトラールのバザールで出会ったアフガン人達。歩いて国境を越えてきたらしい。

 まだアフガンにソ連軍(シュラビとアフガン人は呼んでいた)の残影が燻すぶり、マスード派とパシュトン側のヘクマチアール派が凌ぎを削っていた頃、パキスタンのアフガン国境近くのチトラールから、アフガン経由でペシャワールに行くミニ・バスがあって、一緒の宿に泊まっていた日本人娘がそのバスに乗り、丁度中国のゴルムドからラサ行きの外人は原則的に乗れないことになっていた人民バスと同じで、地元の乗客達がポリスの眼から隠してくれたりして難なく最期まで無事着けていた。アフガンといってもパキスタンとの国境地帯沿いに走るだけだが、アフガンの小さな町か村で一泊するような話でもあった。
 で、単純な僕は、よしその町で降り、別途にカブールまで行き、せめてバーミアンか、バーミアンに向かう途中の峠が危ないという情報もあったので、殆ど廃墟と化した南の要衝カンダハールに下りそこからパキスタンのクエッタに抜けようなんて計画を立てて、パキスタンの衣装シャルワール・カミーズとアフガン帽まで被って乗り込んでみた。
 ところが、最初のパキスタン側のチェック・ポストで車内に乗り込んできたポリスの眼は如何にか誤魔化せたものの、よりによってそこでバスは小休止し、些かの尿意を催して、他の乗客達の大半が降りていたのに誘われて小用を足し戻ろうとしてバスのドアのところに至った正にその時、同じヒョロンとしたノッポのポリスが突然驚いたように何か口走り、つかつかと傍に寄ってきて一言。
 「ジャパニー!!」
 結局、そこで降ろされ、カブール方面からやってきたミニ・バスに強制的に乗せられ、再びチトラールへ戻ることに。しかし、如何見ても中国系としか見えない娘が通過できて、イランじゃアフガン少年に道を尋ねられたこの僕の方がバレてしまうとは・・・でも、かくいう僕自身如何見てもピュアーな黄色人種面ではあった。

  Afghan_gate

   アフガン国境ゲート(トルハム)  「いらっしゃい」と手で案内しているのではない。

    「ストップ」と制止する肩にカラシニコフを提げたガードマン。   

 そのミニ・バスはペシャワールで野菜を満載してカブールに向かい、今度は他の荷物を積んでチトラールへやってきたアフガン人のミニ・バスで、もう一人運転席の隣の席に坊主頭のモンゴル系のアフガン人を乗せていた。僕は真ん中の席に坐り、無念さに苦り切っていたのだけど、何しろ渓谷を削って作ったガードなんて何もない道路ばかりが続いていて、時たま遙か下の方にゴオゴオと流れる谷底の濁流が覗け、運転手は横の丸顔とのお喋りに夢中で、くねくねと八の字カーブが続く二台ぎりぎりの巾の道路の向こうから突如トラックが現れては慌ててハンドルを切るヤバイ運転に、妙な胸騒ぎを覚え、一難去って又一難かよと、こんどは前の話し好きなアフガン運転手に苦り切ってしまった。
 何故、内側を走らないのだろう、外側だとヤバイだろ・・・と内心毒づいてみても、こっちじゃ左側通行なんだろうと言い聞かす他ない等と自分に言い聞かした次の刹那、カーブから突如トラックが現れた。運転手が慌ててハンドルを切った。トラックは脇を通り過ぎ、ミニ・バスはしかし、カーブを描いて曲がるはずが曲がらず、ズズズッと滑るように道路の端を越え、ふと運転席の窓の向こうに何と真下を流れているはずの濁流が覗けてしまった。
 「エエエッ! 嘘だろうー・・・」
 そして「こりゃ駄目だ・・・」と思わず諦念を覚えた。

 運転席の隣に坐っていた坊主頭が血相を変えて通路を後部に逃げようとした次の刹那、グラッと運転席の窓いっぱいに何故か空が拡がった。
 「何故空が・・・・」
 と眼が点になり思考停止に陥った。
 
 途端ゴロ、ゴロっとミニ・バスが横転し出した。椅子のアームにしっかり掴まったまま回転し、その内、窓ガラスが崖の岩に当たって割れ、そのまま掴まっていたら岩や割れたガラスにやられると思って、手を離し真ん中の通路側に寄るようにした。途端大きく身体が回転し足先が反対側の椅子のアームに打ちつけられた。苦痛はなかったが、ひょっとして骨折でもしたかも知れないと思ったのが最期で、後は激しく回転し続け定かでなくなった。
 と、気付くと回転は止まっていた。

 窓の景色からしてどうも崖の途中の樹に引っ掛かったようで、傍に運転席の近くに居たはずの坊主頭が荷物の下敷きになって倒れていた。完全に意識を失っていて、ミニ・バスは仰向けになつているのがわかった。奥の運転席から運転手が脇腹を押さえやって来て、坊主頭の上の荷物を無造作に除け始めた。木に引っ掛かっている状態でそれは不味いと止め、ふと見遣ると、逆になった運転席に上からガソリンらしきものがポタポタ漏っていて、これは映画で観たお決まりパターンじゃないか、と取り敢えず直ぐ外に出よう、助けるのはそれからにしろ、と言ったのだが、彼は肯んぜず、飛んでもないと言わんばかりに荷物をドタ、バタ取り除きはじめた。ヤバイので僕は取り敢えず外に出た。
 と、そこは崖に作られた細い段々畑で、端の大きな樹の根っこにミニ・バスは引っ掛かっていた。もしその樹がなかったら弾みがついて谷底まで転落していただろう。正に紙一重。驚いたのは、たんなる崖っぷちのはずが、地元の人々が走り寄ってきていて、もう車内から二人を助け出そうとしていた。
 僕は先ず足先を確かめてみた。何ともないようだった。厚いトレッキング・ブーツのお陰だった。踝の部分をクッションで蔽っていて踵の部分もハードな造りで、あの衝撃から足を救ってくれたのだ。これが普通のスニーカーだったら如何なっていたか分かったものじゃない。
 パキスタンやアフガンでも着られているシャルワーズ・カミーズは薄く、その上のモスグリーンのフィールドジャケットと頭に被ったアフガン帽にも助けられたのだろう。アフガン帽は額の部分を何重にも巻いた羊か山羊の毛皮で作ったもので、それがクッションになって頭部も守ってくれたのだろう。それでも、頭部にチクリと痛みを覚えたので何かと思って指先で取ってみたら、微細なガラスの破片であった。僕の被害はたったそれだけ。その後も何処かが痛くなったってこともなかった。
 現地人が渡してくれたリュックを担ぎ上の道路まで昇っていくと、他の乗客を乗せたミニ・バスが止まっていて、崖下に引っ掛かったミニ・バスを見にぞろぞろと乗客が降りてきていた。
 正に、九死に一生を得たって奴だった。
 そんな想い出深いフィールドジャケットであったのだが。

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