« 2009年12月 | トップページ | 2010年2月 »

2010年1月の5件の記事

2010年1月30日 (土)

シャールーク・カーンon 列車駅、あるいは旅立ちと別離

  Ddlj_1_2

 

   これはインド映画に限らないけど、(列車)駅を単に移動手段としてだけでなく、旅立ちや別離の象徴として描いたりする作品も少なくない。インド=ボリウッドの雄・シャールーク・カーンの代表的な作品にも印象的あるいは劇的なシーンとして描かれている。

 アディテイヤ・チョプラ監督《DDLJ》(1995年)、エンディングの主人公ラジュ(SRK)の乗った列車に、親が勝手に決めた婚約者を蹴ってヒロインのシムラン(カジョール)が、ラジュと一緒になるためにその列車に乗ろうとするのを、父親(アムリス・プリー)がシムランの腕を掴んで阻止し、泣き叫び必死にラジュだけが唯一の恋人と許しを乞うシムランの想いの強さに敗け手を離し、「ジャー、ジャー」行け、お前のことを一番想っているのは彼奴だ・・・そう言って愛娘を駅を離れ始めた列車に走らせる。身を乗り出し待ち受けるラジュの乗った走り始めた列車にシムランは懸命に走り続けるシーンは、正にこの映画のハイライト。
 ボリウッドの悪役の第一人者アムリス・プリーの頑固親爺の好演が受けた作品でもあったが、父親と娘そして娘の恋人(夫)という世界の何処にもあるその三つ巴の関係、例え立派な男として認めていても、娘を奪われることに恐れと不安そして怒りを覚え、大抵は盲目的な怒りのみが新参者の青年に向けられる。ともかく、どの男も駄目なのだ。只、インド(タイの華系社会でも)にはまだ封建的な親達が勝手に許嫁を決めてしまう習慣があって些か事情が異なるものの、基本的に変化はない。母親は息子に、父親は娘に固着しがち。

Ddlj_1_5

 父親に会ったこともない許嫁との結婚を告げられ、シムランは、一ヶ月のヨーロッパ旅行の許可を求める。一旦結婚してしまうと、相手の家・家族に縛られおよそ自由なんてものとは無縁な人生、だからせめて、という訳だった。父親は、愛娘のそんな最期の願いを肯い彼女の友人達とのヨーロッパ行に送り出す。その旅先で紅い縁で結ばれてでもいたようにラジュと幾度も出遭いやがて恋に陥ってしまったのだった。
 典型的な青春ラブ・ストーリーって奴だ。
 まだ若さの残ったシャールークとカジョールは新鮮だし、些かコミカル仕立てでもある処に強面のA・プリーの娘に甘い頑固親爺が画面に適度の緊張を持たせ、微妙なバランスを保っている。

Ddlj_1
 

  この駅の場面は、シムランの許嫁者の屋敷のある町の駅であり、急に日程の繰り上がった二人の結婚式の当日。母親は既に二人の仲を知っていてひそかに二人に駆け落ちを勧めるのだけど、ラジュが否を云う。ちゃんと父親の許しを得てから一緒になりたいのだと。しかし、突然に日程が繰り上がり、巧く行きかけた父親の懐柔策も、ヨーロッパ旅行中に既に二人が恋仲だったのを父親が知って激怒し、挫折。失意の内に、ラジュの父親(アヌパン・ケール)ともども列車に乗って去ろうとする。そこへ、裏切られた質の好くない許婚者とその手下が襲い掛かってきて乱闘。父親(A・プリー)達が現れ収まり、シムランが列車に乗り込んだラジュの下に駆け寄ろうとする・・・
 地方の小さな町の、せいぜい二本もホームがあれば好いくらいの小駅で、乱闘があってもポリスが駆けつけることもない。それでも何人か赤帽の姿があった。市井の二人のささやかな旅立ちには相応しい。けれど、二人はヨーロッパ旅行、シムランの父親はロンドンにドラッグ・ストアを営んでいて、そして一家でロンドンからインドの地方の許嫁者の屋敷へと、目まぐるしく移動し続けてもいて、さながらロード・ムービーって趣き。正に人生とは流転って訳で、今又一つの別離と出発が駅を媒介として結節し発現したのだ。

Ddlj_1_3

 マニ・ラトナム監督《ディル・セ》「心から」(1998年)、暴風雨の吹きつける深夜、国営ラジオ局員アマール(SRK)はインド北部の小さな駅にタクシーで乗り付けた。カシミールの分離独立派ゲリラの取材にカシミールへ趣くためであった。寒風吹き付ける人気のない駅舎のベンチでタバコを吸おうと一本取り出したものの、マッチを忘れ、ホームを振り向くとむこうの影に人影が認められた。「マッチ持ってないかい」と大声で呼べど叫べど振り向きもしない。突然突風が吹き抜け、物陰に蹲っていた人影の身に纏っていたチャドルが大きく翻り、男と決めつけていたら何と女であった。遠目にも白い肌の美形であることが窺えられ、トボトボとアマールは傍へ寄って行き、男と勘違いして大声を出したことを詫びた。何か出来ることはないか、しつこく尋ねると、「熱いチャイを一杯」とその若い女メグナ(マニーシャ・コイララ)は応えた。早速アマールはとって返し、寝ていたチャイ屋を叩き起こし、チャイを二杯作らせる。漸く出来た熱いチャイの湛えられたグラスを両手に戻ってみると、いつの間にか到着していたアマールの乗る予定ではない別の列車に女が乗り込む最中であった。列車はすぐ動き始め、その中にチャドルの女が坐っていた。堪らず大声を出すと、チラリと窓越しにホームに一人佇んだアマールを見遣り不思議そうな眼差しを向けどんどん遠ざかっていった。両手にグラスを手にしたままアマールは呆然として女を乗せた列車を見送る他なく、思わず失笑してしまう。

Dil_se_1_2

 これはラジオ局員(DJ)と分離独立派の一員との、熾烈なインド官憲とカシミール分離独立派ゲリラの死闘を媒介にしての死に至る熱愛物語。RDX(高性能爆薬)と熱愛って趣きで、ヒンドゥー=モスレムの軋轢・葛藤というインド映画ではもはや一つのジャンルと化した感すらあるリアルな舞台装置は緊張感に溢れている。《ボンベイ》(1995年)のマニ・ラトナム監督の得意の範疇でもあろう。音楽が同じA.R.ラフマーンで、冒頭の《チャイヤ》から乗りまくりの音楽クリップだけ観てても飽きない映画だ。

  Dil_se_1_3

 冒頭の深夜の風雨の中の暗い人気の途絶えた駅頭でのシーン、薄闇にシルエットだけが窺える向こうの人影、やがて吹き付けてきた強風に黒いチャドルが大きくめくれ、慌ててチャドルを引っ張ろうとする若い女の姿。思わず、アマールは眼が点になる。男と決めつけていた先入観の破綻と、色白な遠目にも美形と分かってしまう若い女への驚き。独身ではあったものの、近々許嫁者と結婚する運びになっていたアマール。
 先の《DDLJ》とは逆の設定だけど、ラジュ同様女には積極的で、のこのこと女の傍までやってきて、自分の無礼を詫びるが、殆どその未知の妖しい女にアプローチする口実に近い。それと知ってか、女は迷惑気味に対応する。チャイも、意識・無意識にかかわりなく、自分の傍から少しでも遠ざけようとする感情の現れであろう。確かに、分離独立を事としている女メグナにとっては、闖入者は危険でもあり余計者。やがてやってきた列車からメグナを迎え入れた一味の男達、ひょっとして何等かの作戦行動の途中であったかも知れない。そんな謎に満ちた怪しげな雰囲気が、後に続く鬱々とした争闘劇の、エロス+タナトスのカタストロフへと突き進んでゆく予兆でもある。
 インド的特性としての、駅に付属したチャイ屋、これが仲々好い。列車でインドを旅したことのある者達にとってはインド人達以上の思い入れで観てしまう。長い列車での旅の途次停車した駅にあるチャイ屋は嬉しく、アマールの手にしたグラスの中から立ちのぼるマサラや様々な香料の入り交じった甘い香りすら鼻先に漂ってくる。熱い手触りすらが共感できてしまう。

Dil_se_1
 
 こっちは出遭い・端緒としての駅だけど、実際には《DDLJ》でも、初めの頃に、父親に認められ、晴れて友人達とヨーロッパ旅行に出立する時も鉄道駅でラジュと初めて遭遇したのだった。シムランは友人達とユーレイル・パスを使ってのヨーロッパ旅行であった。そのロンドンの駅からシムランとラジュがそれぞれ列車に遅れぎりぎりで駆け込む時、ラジュの方がほんの少し速く乗り込み、シムランが走り寄ってくるのを知って、動き出した列車から少し身を乗り出して走ってくるシムランに手を差し伸べて乗せてやるその構図が、そのままエンディングの構図に対応していたのだった。

|

2010年1月24日 (日)

シバ神とガンガーの街 バナラシー

 Vanarasi_1

 嘗ては英国式に倣ってインド以外ではベナレスと呼ばれていたのが、バナラシーに変わり、最近じゃ表記は同じでもワーラーナシーと呼称するようになったらしい。VはWで発音したりするのはよくあるけど、ボンベイがムンバイになった頃からだろうか。久しくインドの地に足を踏み入れてないので、もうさっぱり。
 バルナー川とアッシー川に挟まれた街としてバナラシーと呼ばれるようになったという。数千年の歴史を刻んだ遙か以前はカーシー国の首府としても栄えた古都。それだけでも何かエキゾチックな雰囲気で、石造りの建物が狭い細路(ろじ)の両側に切り立った燻すんだ街並みの壁から壁面のあっちこっちに施された装飾あるいは神像の類の一つ一つに秘された歴史が隠されているように想えてくる。ガンガー(ガンジス川)沿いのガートも好いけど、少し奥に這入った細路をゆっくりと散策するのも仲々に面白いものだ。
 只、宗教的な施設の多くは、十七世紀のイスラム王朝六代皇帝アウラングゼーブ(聖地プシュカルにも彼のエピソードが残っている)が厳格なスンニ派で、偶像崇拝を忌み徹底的に破壊したらしく、十八世紀に再建されたものらしい。

Vanarasi_6

 郊外には仏教遺跡のサルナート(鹿野苑)もあるけど、やはりバナラシーといえば、聖なるガンガーだろう。ガンガー、ガート(沐浴場)、沐浴。以前は、インドといえば、もうこれしかないみたいにバナラシーで沐浴するインドの人々の姿が定番であった。皆、このガンガーと沐浴する人々を一目見ようとあるいは自身も沐浴してみよう遣って来たものだった。実際にガンガーに入水して沐浴する観光客って極く一部で、飛び込んだりして川の水を飲むと大抵下痢に苛まれるのもお決まり。ガートに作られたチャイ屋でガンガーの水で作った素焼き茶碗のチャイでも飲む方が賢明だろう。

Vanarasi_4
 
 今でもガートには自称ガイドの類が跋扈してるんだろうが、中にはかなり悪質なのが居て油断ならない。以前、定宿のヨギ・ロッジの屋上から下の細路を眺めていたら、その悪質ガイドの類が白人の後をしつこく追ってきて角の辺りでその若い白人に怒鳴られていた。カエルの面に小便で尚も執拗に付きまとっていると、ヨギ・ロッジの入口前の右手の建物で外人相手のハンディークラフトを商っていた若い長身のオーナーが出てきて、そのガイドを呼びつけ、怒って暫く何か云っていたのが、突然殴り出し、傍にやってきたそのオーナーの使用人か何か、その悪質ガイドと似たような風体の男にも、殴らさせていた。悪質ガイドは泣き声すらあげていたが、やがて逃げるように元来たガート側の方へ走り去っていった。恐らく、悪質ガイドが外人に付きまとって、まともなガイドや客引きが自分達も同様な悪質と思われて相手にされず商売に支障を来し腹に据えかねていたのだろう。ガートから大部入った自分の店先までやってこられた上そんな真似まで遣られたりしてマジ切れてしまったに違いない。普段はニコニコの好青年って処だったのが。

Vanarasi_2

 基本的に定宿はヨギ・ロッジと決めていて、人気のある宿なので仲々チェック・インできないこともあり、そん時は間に合わせで近くのガネーシュやトリムルティ・ゲストハウスに泊まったりしたけど、やはりホットシャワーの備わったヨギ・ロッジのドミトリーが一番リーズナブル。ここのドミはベッドとベッドとの間の間隔がかなり狭いのが難点だけど、早朝、地元の親爺がすぐ近くの住民の家をノックし大声をだしてガートの沐浴に誘ったり、すぐ裏手のゴールデン・テンプルのスピーカーから流れ出す、アザーンならぬヒンドゥーのプジャ・ソングの大音量に、まだ曙光すら差してない明け方の微睡みを打ち破られ怒る白人達の罵りの声を聞き流しながら、サンスクリットの流麗な声色に暫し耳を傾けるのも愉しみの一つ。実際は、その曲名を確かめ損なった妙なる歌声の曲が一等素晴らしかったのでそんな習慣が出来てしまったのだが、それがいつの間にか他の曲に替わってからもその素晴らしさは薄れたもののそれなりに愉しんで聞き続けれた。その曲はゴールデン・テンプルの入口のある細路の向かい側の小さな小屋でカセットを流していて、その件の妙麗な曲のタイトルは結局分からずじまい。その後もあっちこっちで捜してみたが年々メロディーの記憶も薄れるばかりで、幻の妙曲として殿堂入りしてしまった。

Vanarasi_3  

 建物はトリムルティ同様旧く吹き抜けになっていてそれなりに趣きがあり気に入った宿の一つ。'91年にドミで15ルピーだったのが、翌'92年には20ルピーに上がり、'97年には30ルピーに。受付に大きなスピーカーが置いてあってお決まりのドアーズなんかが流れていて、テープのストックを物色してリクエストしたりしていた。ここは、入口のフロアーがリビング・ルーム兼レストランでハガキを書いたり本を読んだりするのに便利。他の宿では余りないらしいアイスクリームなんかがメニューにあり、日本人の学生達は大抵バナナ・スピリットや明日は2スコップ、3スコップに挑戦するとかはしゃぎ嬉しそうに舌鼓をうっていた。
 最初は無かったと記憶しているけど、いつの間にかこのレストランはジャフルズ・レストランという名前を冠していて、ディナーのメニユーすら備えられていた。白人が普通の広いテーブルを占拠し、日本人は内側の丸いテーブルに固まって和気藹々にアイスクリームってことも偶にあった。

Vanarasi_7   
 
 バナラシーでは頻(よ)く夜になると古典の方のインド音楽のミニ・コンサートが外人相手に催されていて、レストランなんかでも演っていた。ヨギ・ロッジ裏の暫くして止めてしまったが《ガネーシュ・ゲストハウス》や"もどき"の日本料理も食える角のレストラン《ガンガーフジ》でも催されていた。ガンガーフジの方は店内が狭く、必ずしも聴きに来たのではない普通の客なんかも混在していて無遠慮な話し声が騒さい事も多く、聴く側も演奏する側も不快な場所ではあった。それでも、やはり演奏に没入してゆくシタールやターブラの掛け合いにそんな不快も忘れ聴き入ってしまう。ある夜なんか客が当方一人ってんでコンサートが中止になったこともあった。確かに一流ミュージシャンじゃないけど、誰も彼もがインドの古典音楽に興味持っている訳ではないという事実に意外だった記憶がある。

Vanarasi_5

 《トリムルティ・ゲストハウス》の屋上には、'92年のヒンドウー教徒によるアヨデヤのバーブリー・モスク破壊事件以降なのかどうか定かでないが、ライフルを持った兵士だかポリスだかが常駐いるようになって、洗濯物を干しづらくなり狭いそれこそ独房のような小部屋に干す羽目になってしまってしまいいよいよ殺風景になってしまった。小さな窓から、向こうの木陰や屋根に猿の姿が頻く覗けたりするのが救いだった。バナラシーも猿が多い街で、屋上から屋上へと飛び回っている。ヨギ・ロッジの屋上にもやって来たりする。所謂黒い顔面の尻尾の長いハヌマーン猿ではなく日本猿に似た赤顔の攻撃的なバンダル猿だけど、ここのは比較的大人しい感じがした。聖地プシュカルのバンダルはモロ攻撃的で人間や犬に追われて一層敵愾心を募らせているので打つ手無し。おっとりしたハヌマーン猿は人気があり、人慣れしているからか、傍に寄っていっても逃げもしないし向こうから寄ってきたりする。仕草も何故か人間くさく、遠くから影だけみていると人と勘違いしかねないくらいだ。ハヌマーン猿達が居なくなったらプシュカルの魅力も半減だろう。
 バナラシーのガートにも猿は出没するし、野良牛も禿鷲も山羊も徘徊している。ガンガーでも時折馬鹿デカい魚やイルカが撥ねたりする姿も見掛けたりする。猿やイルカの姿が見えなくなった時、バナラシーもケミカルに汚染された世界中に瀰漫した死の街のリストに載ることになるのだろう。猿との共存の街は、やはりそれだけで世界遺産というとあざと過ぎるであろうか。

Vanarasi_11

|

2010年1月16日 (土)

銃弾の微笑む国、タイランド

  Siripon

  

 昨年末、タイの巷を騒がせたテレビ局を通じ自首したタクシー運転手シリポン容疑者のバンコク日系少年バラバラ死体事件、後続情報が途絶えその後一体如何なったのかさっぱり不明だけど、少年の母親に2番目の夫の殺害を持ちかけられ断ったのが、今度はその殺人依頼をもみ消すために母親が雇った殺し屋に自分が殺されるのではないかと強迫観念に囚われ恐怖し、彼の車に乗っていたその母親スナンさんと少年を殺害(娘は重傷)したという事件であった。
 
 何とも胡散臭い供述ではあるが、"口封じに殺し屋に殺される"ってフレーズ、何年も前のニュースにもあった。タイ東部の区長が対立する顔役の殺害を部下に命じ活動資金二十万バーツを渡したものの、顔役がその都度予定地に現れなかったり他の人間達と車に相乗りしたりして果たせずにいたのが、区長が平行して殺し屋にも依頼していて、結局殺し屋がライバルの顔役を殺害してしまい、今度はその手下が見知らぬ車に尾行されるようになって、自分が口封じに殺されるのではないかと恐怖してしまった。知り合いの警察幹部からその殺人事件に関して尋問を受け、渡りに船と裁判での証言を約束して身の安全を図ったという。

 その部下も殆ど"殺し屋"に近い感じだけど、やっぱりそんな強迫観念に囚われ身の危険を感じてしまったとすると、やはりシリポン容疑者の供述もあながち為にする虚言とばかりは言い切れなくなってしまう。それでも、シリポン容疑者、射撃の腕も悪くなくて只のタクシー運転手とは思えない。如何にも殺し屋(ムー・プン)の匂いが漂っている。一家全員殺害を、例え殺人罪で収監されることになっても引き受けなければならないのっぴきならぬ事情でも有ったのだろうか。

 我が国でも、一昔前、《永田商事会長刺殺事件》って潰れかかった町工場の経営者と従業員二人が悪徳企業の会長をマスコミの囲繞する前で堂々と刃物で刺殺したものだが、残された家族に金が渡るような約束の下に請け負った可能性が高かった。警察が余り本気でその二人の殺人犯を取り調べたようには窺えない、権力関係の影が背後に透けて見えるような事件であった。それは又、昨年だったか、昔子供の頃飼っていた犬が保健所に捕獲・殺害されたことを理由に、元厚生省幹部達を殺害した小泉容疑者の事件を彷彿とさせる。

Thailand_case_1
 
 それにしても、タイって国は、何と殺し屋が跳梁跋扈する国であろうか。
 銃器の類が市販されているって事情もあるのだろうが、警察・軍隊経験者が殺し屋になるってのも一つの傾向らしいし、特別に高等教育を受けてない人々にとって仲々率の好い仕事にはありつけない格差社会でもあるから、そんな"殺人"技術を有している者にとっては、容易に大金が入る実に率の好い仕事であるだろう。只、実際には、そうしばしばやれる仕事ではなく、やはり別に日々の糊口を凌ぐ仕事が必要にはなってしまうらしい。頻度を高めると如何しても官憲に足がつき易くなつてしまう。

 二年前、バンコク郊外の大型ディスカウント・ストアの駐車場で、何年もの間地方の政治家等やら11人を殺害してきた逮捕状の出ていた大物殺し屋スミット元警察軍曹と警察が銃撃戦を展開、計銃弾10発も浴びてスミットは死亡。新たな仕事を引き受けたとの情報が入ったからのことらしいが、警察に張られていたのでなければ、情報を警察に漏らす者が介在していたことになる。斡旋人周辺なのだろうか。オキサイド・パン監督の映画《レイン》では、正にそれだったけど、ただ警察にではなく、マフィアのそれだった。

 バンコク近郊サコンナコンの教会の駐車場で、ミサを終え出てきた「メコンの殺し屋」の異名を取る66歳の男が、隣に停めてあったピックアップ・トラックから出てきた男に至近距離から6発頭に銃弾をぶち込まれ死亡。
 男は既に2006年に殺人容疑で逮捕されていたものの証拠不十分で釈放されていて、犬肉の仲買業を営んでいたらしい。警察によるとその同じ犬肉ビジネスでのライバルとの確執と、以前行った殺人での恨みや報復の二つの線で捜査を進めたらしいが、その後の展開は不明。バンコク近郊で犬肉って、バンコク市内でも犬肉料理食べている処があるってことだろうか。

 つい最近だと、タクシンがらみと謂われている《チャーンチャイ枢密顧問官殺害計画事件》がある。タクシンを追放した2006年の軍事クーデターの後暫定政権の法務大臣に就任したプミンポン国王の顧問のチャーンチャイはタクシンからクーデターの黒幕の一人として指弾されていたらしい。これは首謀者がもろタイ国軍で、チャカリット海軍大佐は証拠不十分で釈放されたらしいけど、逮捕されているティエンチャイ陸軍少佐等四人の方は、大筋で犯行を認めているという。少佐は上官に150万バーツ貰ってチャーンチャイ殺害とバンコク市内の銀行の放火等を請負い、他の三人に60万バーツを渡し実行させようとしたらしい。自分の手は汚さず半分以上の90万バーツも自分の懐に入れる随分とセコイ軍人だけど、如何な連中の世界か想像に余りある。で、この三人何者なのか、軍人かどうかも(筆者には)定かでないが、ターゲットのチャーンチャイが枢密顧問だったことすら知らなかったらしく、普通の民間人なのだろう。と言うことは、やはり殺し屋の類? どちらにしても、正に殺し屋の生まれるべき土壌って訳だ。

|

2010年1月10日 (日)

不可侵の惑星《ソラリス》 S・ソダーバーグ

    Solaris_0

  だいぶ以前アンドレイ・タルコフスキーの《惑星ソラリス》を観た記憶があるのだけれど、これがやたら長ったらしい印象ばかりが残って内容の方は殆ど忘れてしまった。映画自体はそれなりに面白かったという記憶が残っている。
 2002年に今度は米国(二十世紀フォックス)で、監督スティーブン・ソダーバーグ、制作ジェームズ・キャメロンという売れっ子制作者達の手によって作られた。精神科医という設定の主演にジョージ・クルーニーは悪くはないだろう。低予算映画なのかと思えてしまう作りだけど、そんなにチャチさも感じないし、ひたすらメンタルな葛藤劇って趣きなので、違和感もなく、それなりに面白く観れた。

Solaris_13

 ポーランドのSF作家スタニスワフ・レムの《ソラリス :邦題ソラリスの陽の下に》(1961年)が原作で、原作は読んでないのでどっちが原作に忠実か分からないが、俗に謂う「宇宙人とのファースト・コンタクト」がテーマ。
 昨年末、その手の学者・研究者達が世界中で宇宙からのシグナルを獲ようと試み収穫ゼロだったらしい。所詮「科学」という括弧つきの制約・有限性に規定された試行、関係者もそれを了解しているのだろうが、地球外生命が果たして人類的科学と何処かで交わるような発信をしているのかどうか。それに、下世話では、神や神の生まれ変わりから宇宙人の類まで無数といっていいくらいに跳梁跋扈しているようだし、緻密なはずの科学の手の指の間から湯水のように滑り落ちていかねない。

Solaris_4

Solaris_9
 
 月もそうだが火星も本格的な探査が始まるようだし、それも甚だいかがわしい目的のためでしかなくて、目一杯汚染し破壊し消尽し尽くした地球から他の惑星に乗り換え更に汚染・破壊と消尽を繰り返そうと企んでいるに過ぎない。
 ここで問題になるのは、果たして地球の生命=人類が、他の惑星に対して一体如何なる資格と権利の下に移住し汚染し破壊出来るのか、という、地球でも大概には同じ事=侵略を繰り返してきて悲惨と悪業をバベルの塔の如く堆積してきたのではなかったか。人類が手前勝手に、"住民"の姿が見えない=無料の空き地と決め込んでいるに過ぎない。例えば、米国やオーストラリアなんかを、原住民達がちゃんと生活していても、神から授かったあるいは導かれた聖なる土地・処女地とばかりに着服してきた恐るべき歴史。

Solaris_12

Solaris_3

 ある日、精神医のクリスの自宅に、宇宙開発企業から使いが現れる。
 ハリウッド映画に頻(よ)くあるもうお決まりパターン、大抵は権力からだけど、この映画での設定は、NASAがその民間企業に権利を売り渡しているようで、その遙か遠い惑星ソラリスの軌道上を旋回する探査観測宇宙ステーションで何か致命的なトラブルが発生し、クリスを名指しで助けを求めてきたという。地球の企業側では、その宇宙ステーションで何が起こったのか皆目見当もつかないありさまで、クリスを指名したのがクリスの友人の乗組員ジバリアンであったのをビデオで確認し、早速ソラリスに向け旅立つ。

Solaris_10

 いつ頃の時代設定かはっきりしないけど、精神科医としてカウンセラーをしているクリスの住んでいる街の佇まいも人々も今現在と殆ど変わらず、僅かにクリスの部屋のテレビモニターがスマートな多重画面ってところぐらい。そこから、いきなり遙か彼方の惑星上空を旋回する宇宙ステーション「プロメテウス」に画面は替わる。
 スタニスワフ・レムの原作では如何なのか定かでないが、地球は他の惑星からの資源等で生産活動を続けているのか、《ブレード・ランナー》ほどには差し迫った逼迫情況にあるようには見えない。ニューヨークやロス、あるいは東京に住んでいて、突然直行便でチベットの秘境カイラスや南極へ飛び、一週間ほど過ごして、再び直行便で東京に戻ってきたみたいな、時差惚けと、カルチャー・ショックとはまた別種の感覚の乖離と反作用に似た戸惑いを覚えてしまう。これは面白い効果だ。

Solaris_1

 宇宙ステーション"プロメテウス"の窓からその表面のあっちこっちでプラズマ状の放電が走る蒼白い惑星が間近に覗けていて、未だその惑星自体には着陸出来ずにいて、専ら資源探査を目的とした観測活動を続けていたらしい。
 到着すると、人影は見えず、早速寝袋に包まれた二体の屍体を見つける。一つは、彼を呼んだジバリアンであった。暫くあっちこっちに血痕の付着した船内を捜すと、乗組員スノーと医者のゴードンの二人だけが生存者だと分かる。が、人影は他にもあった。最初は小さな少年、スノーに云わせると、自殺したジバリアンの地球に居る息子らしい。クリスは困惑し眩暈すら覚えてしまう。と、今度はとっくに同じ街で自殺したはずの妻レイアが現れた。彼のベッドの中にちゃんとした肉体と声を持って。

  Solaris_2

 スノーやゴードン達は、彼等を「客」と呼んだ。
 どうも、彼等は、眼下に佇む惑星ソラリスが仕掛けた、あるいは寄こした人間達の意識・記憶に有る人物をコピーしたクローンの類のようであった。クリスは愛妻レイアが自殺するに至った理由、レイアが身籠もった二人の間の子を勝手に堕胎したことをクリスが怒り突き放した己の軽挙を心底悔やんでいて、プロメテウスのベッドの上でその夢を見てしまっていた。それをソラリスに読まれたらしい。

Solaris_7

 悩んだ末、クリスはレイアを騙してポッドの中に閉じこめ、プロメテウスから切り離し宇宙に放った。呆然としてポッドの窓からクリスの方を見詰めながら遠ざかってゆくレイア。クリスは二度、レイアの生命を奪ってしまった。悲痛と悔恨に沈んだクリスであったが、驚いた事に、再びクリスのベッドにレイアが現れた。そうやって、プロメテウスの乗組員や救助に向かったはずの警備部隊員達も自ずから生命を絶っていったようだ。

Solaris_8

 やがて、当のレイア自身も自分の記憶や感覚の不合理や不具合を覚え始め、とうとうクリスやゴードン達に真実を告げられ、クリスが微睡んだ隙に、ゴードンの開発した装置で消滅してしまう。更にスノーの本物の屍体が見つかり、部屋にいるスノーは実は"客"だったことが判明。二人は追求しようとするが、スノーは「そんな暇はないはず」と云う。ゴードンがレイアに使った装置がパワーを消費してしまい、この宇宙ステーションがどんどんと惑星ソラリスに引き寄せられている、と。二人は慌てて、宇宙服に身を滑らせロケットに乗り込み一刻も早くこのプロメテウスから脱出し地球に戻ろうとした。が、クリスは、発射しようとするロケットから出て、プロメテウスに戻ってしまう。コピーであってもレイアと共に居る方を選んだのであった。
 やがて、地球の自分の部屋に居るクリス。包丁で自分の指を傷つけてしまうが忽ちに癒えてしまう。"客"達の生態であった。と、そこへレイアが現れる。クリスの思惑通り、レイアと再び伴に生きるれるようになったのだったが・・・

Solaris_11

 ソラリスがそんな装置を備えているのか、惑星ソラリス自体の自然にそんな機能が備わっているのか、人間の意識・記憶からコピー人間が作られる。人間に限定されたものであれ「意識の実体化」って処であろうが、「物象化」という観点から見ると別段そう奇異なものではない。要はリアリティーの問題だろう。コピーやクローンなんてもう人類が日常化しつつある昨今、やがて嫌でも人類が直面する局面でもあろう。
   

 クリス   ジョージ・クルーニー
 レイア   ナターシャ・マケルホーン
 スノー   ジェレミー・デイビス
 ゴードン  ビオラ・テ゜イピス
 ジバリアン ウルリッヒ・トゥクール

 監督 スティーブン・ソダーバーグ
 制作 ジェームズ・キャメロン
 脚本 スティーブン・ソダーバーグ
 撮影 スティーブン・ソダーバーグ
 音楽 クリス・マルチネス
 美術 スティーブ・アーノルド
        キース・P・カニングハム
 制作 二十世紀フォックス(2002年)

|

2010年1月 4日 (月)

上海《小刀会》 反清復明と列強排撃

  18

   以前、香港・古装(時代物)武侠映画の雄ツイ・ハークの、本来はジェット・リーにオファーがいっていたらしいブリジット・リン、レオン・カーフェイ、張曼玉、ドニー・イェン等の出演した《新・龍門客桟》のテーマ曲に絡んで、その出典たる1961年"上海歌劇舞劇院舞劇団"作品《小刀会》にちょっと触れたことがあった。

   20

     「東印度公司」の刻印のある荷箱の中身はアヘン   

 商易作曲の"小刀会・序曲"をツイ・ハークがこの文革前に中国で作られた映画《小刀会》を観た折に耳にしたのだろうと単純に決めつけたけど、彼の師である胡金銓(キンフー)の有名な1967年作品《龍門客桟》のテーマ曲でもあった。ツイ・ハークが彼の師の作品をリメイクした時、勇壮なその曲を気に入ったからかテーマ曲として流用したのであれば、キンフーが《小刀会》を観たのか、あるいは音楽だけ知っていて使用を決めたのか。依然不確かな靄の奥。それでも、この勇壮な曲結構人気があって、上記以外の映画等でも使われているようだ。

  19
 
 1853年の中国・上海で欧米列強の侵略と異民族支配・清朝に抗し《小刀会》が決起し、上海県城を占拠、時あたかも浦賀に突如現れたペリー率いる黒船に列島中が震撼した年の同じ夏。上海で大清国支配を部分的に覆し、"大明国"を号し、やがて中国中で荒れ狂い続ける゛太平天国"との合流を企図したものの果たせず、一年半後の1855年1月、英仏軍=清政府側に壊滅されてしまう。謂わば上海コミューンって処であったその二十年後、フランスの首府パリにて労働者・市民が蜂起し"パリ・コミューン"を樹立。

  17

     捕らえられた潘可祥が公開処刑(斬首)場に
 
 《太平天国》軍の方が先に蜂起していて、それに呼応する形で《小刀会》や《小刀会》の源流でもあるらしい「反清復明」の《天地会》の他の分派も決起したもので、しかし、《太平天国》って創始者=天王・洪秀全をキリストと同等な聖人として欧米列強に拝跪させようとすらした元々新興宗教キリスト教の、この世(中国)に万人平等の天国を創出しようとする運動で、欧米列強排撃的な《小刀会》とは些か趣きを異にしている。つまり、水と脂的な関係なのが、呼応し、連帯・合流すら《小刀会》の方では試み続けた何とも曖昧・錯綜とした主義・運動ではあった。《太平天国》と平衡を保つためか、清政府打倒であって「租界」攻撃ではないと英仏軍に告げたとか。今一《小刀会》のイメージはっきりしない。筆者の勉強不足の故であろうが。《小刀会》が壊滅してしまった後、幾年かして、今度は《太平天国》軍に上海県城は再び占拠されてしまう。

  16  
  
  舞劇《小刀会》
 欧米列強とそれと結託した清政府の官僚達の横暴と搾取に苦しんできた上海の貧民達、ある日とうとう劉麗川、周秀英、潘可祥達《小刀会》は蜂起し、上海県城を占拠。上海道台・税関監督の呉健彰を捕らえたたものの、米国宣教師に助け出される。
 籠城も時間が経つにつれて次第に食糧不足に陥り、大砲や鉄砲の攻撃も一層厳しさを増してきて、やむなく、《太平天国》軍に援助を乞うことにし、潘可祥を使者として書状を托す。しかし、何時まで過っても援軍は来ず、とうとう清軍・英仏軍の包囲網を突破する挙に出る。首領の劉麗川が銃弾に斃れ、女傑・周秀英に己の太刀を托し、周秀英を先頭に銃弾飛び交う包囲網に果敢に突撃してゆく・・・

  

   1

   14

   潘可祥、私が洪秀全に書状を渡して来ます、と劉麗川に詰め寄る 

 内容は単純で正に革命的武侠劇って趣き。
 この映画化の前年に、既に上海で舞劇として上演されていて、1960年1月11日,上海芸術劇場での公演の際、会議の為に上海に来ていた毛沢東や周恩来達も観劇に寄り、賞賛したという。“内容が非常に分かりやすく大衆受けする傑作だ”と毛沢東も褒めたとか。
 1960年11月から1961年8月の間に,この映画が上海天馬電影庁と上海(実験)歌劇院の合作として撮影されたらしい。それでも、文化大革命期には、やはり毒草としてヤリ玉に上げられたらしい。

  10

     周秀英、中々戻ってこない恋人潘可祥の夢をみる

  4

   預園・点春堂の小刀会本部に清政府=英仏側のイェーツ神父現る

  5

    潘可祥の死を知って悲嘆に暮れる周秀英

  《紅色娘子軍》の場合はバレー劇の映画化だったけど、この《小刀会》は舞劇で、同様にセリフはなく、剣戟と舞のシーンが多く、京劇俳優達なのかそれとも普通の舞劇俳優達なのか定かでない。京劇の場合、おなじ上海で作られた《海港》は正に京劇で皆延々と唱い続けていたので、この《小刀会》は恐らく舞劇なのだろう。飛んだり跳ねたりの正に中国武術的雑伎的なアクションは、京劇の孫悟空の如く、観ている者を飽きさせない。おまけに、英雄譚でもあり筋運びに起伏があって群舞まであるのだから。正に通俗劇の極み。

  8

     清政府=上海道台・税関監督の呉健彰と戦う劉麗川

  12   

女傑・周秀英は上海の隣・江蘇省青浦県の出身で、役人に代わって食料の取り立てをする知保の任にあった父親・周立春の娘で、幼い頃から武芸に励んでいたという。
 1852年、知事が取り立てた食料の代金を払わなかったために農民暴動が勃発した折、周立春が農民側のリーダーとなり、娘の秀英ともどもに襲ってきた知事側の軍隊と戦い、これを撃退。翌年、上海で《小刀会》が蜂起すると、呼応して決起。しかし、清軍に襲われ周立春は囚われ処刑。秀英は上海の劉麗川の下に逃れ、そこで娘子軍を率いて、刀や槍で清・仏軍と激戦を繰り返したというムーランと並ぶ正に女傑。

  11

    娘子軍の弓舞

  7
 

    県城を後にする小刀会蜂起軍を見送る民衆

 劉麗川   陳健明
 周秀英   舒 巧
 潘可祥   叶銀章
 旗 手   李青友
 上海歌劇舞劇院舞劇団

 監督    叶 明
 音楽    商 易   
 撮影    査祥康
 美術    胡登仁・黄 力
  (舞劇の方では、武功指導:徐剣豪)
 制作 上海天馬電影制作庁 1961年

  3

  2

|

« 2009年12月 | トップページ | 2010年2月 »