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2010年1月30日 (土)

シャールーク・カーンon 列車駅、あるいは旅立ちと別離

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   これはインド映画に限らないけど、(列車)駅を単に移動手段としてだけでなく、旅立ちや別離の象徴として描いたりする作品も少なくない。インド=ボリウッドの雄・シャールーク・カーンの代表的な作品にも印象的あるいは劇的なシーンとして描かれている。

 アディテイヤ・チョプラ監督《DDLJ》(1995年)、エンディングの主人公ラジュ(SRK)の乗った列車に、親が勝手に決めた婚約者を蹴ってヒロインのシムラン(カジョール)が、ラジュと一緒になるためにその列車に乗ろうとするのを、父親(アムリス・プリー)がシムランの腕を掴んで阻止し、泣き叫び必死にラジュだけが唯一の恋人と許しを乞うシムランの想いの強さに敗け手を離し、「ジャー、ジャー」行け、お前のことを一番想っているのは彼奴だ・・・そう言って愛娘を駅を離れ始めた列車に走らせる。身を乗り出し待ち受けるラジュの乗った走り始めた列車にシムランは懸命に走り続けるシーンは、正にこの映画のハイライト。
 ボリウッドの悪役の第一人者アムリス・プリーの頑固親爺の好演が受けた作品でもあったが、父親と娘そして娘の恋人(夫)という世界の何処にもあるその三つ巴の関係、例え立派な男として認めていても、娘を奪われることに恐れと不安そして怒りを覚え、大抵は盲目的な怒りのみが新参者の青年に向けられる。ともかく、どの男も駄目なのだ。只、インド(タイの華系社会でも)にはまだ封建的な親達が勝手に許嫁を決めてしまう習慣があって些か事情が異なるものの、基本的に変化はない。母親は息子に、父親は娘に固着しがち。

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 父親に会ったこともない許嫁との結婚を告げられ、シムランは、一ヶ月のヨーロッパ旅行の許可を求める。一旦結婚してしまうと、相手の家・家族に縛られおよそ自由なんてものとは無縁な人生、だからせめて、という訳だった。父親は、愛娘のそんな最期の願いを肯い彼女の友人達とのヨーロッパ行に送り出す。その旅先で紅い縁で結ばれてでもいたようにラジュと幾度も出遭いやがて恋に陥ってしまったのだった。
 典型的な青春ラブ・ストーリーって奴だ。
 まだ若さの残ったシャールークとカジョールは新鮮だし、些かコミカル仕立てでもある処に強面のA・プリーの娘に甘い頑固親爺が画面に適度の緊張を持たせ、微妙なバランスを保っている。

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  この駅の場面は、シムランの許嫁者の屋敷のある町の駅であり、急に日程の繰り上がった二人の結婚式の当日。母親は既に二人の仲を知っていてひそかに二人に駆け落ちを勧めるのだけど、ラジュが否を云う。ちゃんと父親の許しを得てから一緒になりたいのだと。しかし、突然に日程が繰り上がり、巧く行きかけた父親の懐柔策も、ヨーロッパ旅行中に既に二人が恋仲だったのを父親が知って激怒し、挫折。失意の内に、ラジュの父親(アヌパン・ケール)ともども列車に乗って去ろうとする。そこへ、裏切られた質の好くない許婚者とその手下が襲い掛かってきて乱闘。父親(A・プリー)達が現れ収まり、シムランが列車に乗り込んだラジュの下に駆け寄ろうとする・・・
 地方の小さな町の、せいぜい二本もホームがあれば好いくらいの小駅で、乱闘があってもポリスが駆けつけることもない。それでも何人か赤帽の姿があった。市井の二人のささやかな旅立ちには相応しい。けれど、二人はヨーロッパ旅行、シムランの父親はロンドンにドラッグ・ストアを営んでいて、そして一家でロンドンからインドの地方の許嫁者の屋敷へと、目まぐるしく移動し続けてもいて、さながらロード・ムービーって趣き。正に人生とは流転って訳で、今又一つの別離と出発が駅を媒介として結節し発現したのだ。

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 マニ・ラトナム監督《ディル・セ》「心から」(1998年)、暴風雨の吹きつける深夜、国営ラジオ局員アマール(SRK)はインド北部の小さな駅にタクシーで乗り付けた。カシミールの分離独立派ゲリラの取材にカシミールへ趣くためであった。寒風吹き付ける人気のない駅舎のベンチでタバコを吸おうと一本取り出したものの、マッチを忘れ、ホームを振り向くとむこうの影に人影が認められた。「マッチ持ってないかい」と大声で呼べど叫べど振り向きもしない。突然突風が吹き抜け、物陰に蹲っていた人影の身に纏っていたチャドルが大きく翻り、男と決めつけていたら何と女であった。遠目にも白い肌の美形であることが窺えられ、トボトボとアマールは傍へ寄って行き、男と勘違いして大声を出したことを詫びた。何か出来ることはないか、しつこく尋ねると、「熱いチャイを一杯」とその若い女メグナ(マニーシャ・コイララ)は応えた。早速アマールはとって返し、寝ていたチャイ屋を叩き起こし、チャイを二杯作らせる。漸く出来た熱いチャイの湛えられたグラスを両手に戻ってみると、いつの間にか到着していたアマールの乗る予定ではない別の列車に女が乗り込む最中であった。列車はすぐ動き始め、その中にチャドルの女が坐っていた。堪らず大声を出すと、チラリと窓越しにホームに一人佇んだアマールを見遣り不思議そうな眼差しを向けどんどん遠ざかっていった。両手にグラスを手にしたままアマールは呆然として女を乗せた列車を見送る他なく、思わず失笑してしまう。

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 これはラジオ局員(DJ)と分離独立派の一員との、熾烈なインド官憲とカシミール分離独立派ゲリラの死闘を媒介にしての死に至る熱愛物語。RDX(高性能爆薬)と熱愛って趣きで、ヒンドゥー=モスレムの軋轢・葛藤というインド映画ではもはや一つのジャンルと化した感すらあるリアルな舞台装置は緊張感に溢れている。《ボンベイ》(1995年)のマニ・ラトナム監督の得意の範疇でもあろう。音楽が同じA.R.ラフマーンで、冒頭の《チャイヤ》から乗りまくりの音楽クリップだけ観てても飽きない映画だ。

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 冒頭の深夜の風雨の中の暗い人気の途絶えた駅頭でのシーン、薄闇にシルエットだけが窺える向こうの人影、やがて吹き付けてきた強風に黒いチャドルが大きくめくれ、慌ててチャドルを引っ張ろうとする若い女の姿。思わず、アマールは眼が点になる。男と決めつけていた先入観の破綻と、色白な遠目にも美形と分かってしまう若い女への驚き。独身ではあったものの、近々許嫁者と結婚する運びになっていたアマール。
 先の《DDLJ》とは逆の設定だけど、ラジュ同様女には積極的で、のこのこと女の傍までやってきて、自分の無礼を詫びるが、殆どその未知の妖しい女にアプローチする口実に近い。それと知ってか、女は迷惑気味に対応する。チャイも、意識・無意識にかかわりなく、自分の傍から少しでも遠ざけようとする感情の現れであろう。確かに、分離独立を事としている女メグナにとっては、闖入者は危険でもあり余計者。やがてやってきた列車からメグナを迎え入れた一味の男達、ひょっとして何等かの作戦行動の途中であったかも知れない。そんな謎に満ちた怪しげな雰囲気が、後に続く鬱々とした争闘劇の、エロス+タナトスのカタストロフへと突き進んでゆく予兆でもある。
 インド的特性としての、駅に付属したチャイ屋、これが仲々好い。列車でインドを旅したことのある者達にとってはインド人達以上の思い入れで観てしまう。長い列車での旅の途次停車した駅にあるチャイ屋は嬉しく、アマールの手にしたグラスの中から立ちのぼるマサラや様々な香料の入り交じった甘い香りすら鼻先に漂ってくる。熱い手触りすらが共感できてしまう。

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 こっちは出遭い・端緒としての駅だけど、実際には《DDLJ》でも、初めの頃に、父親に認められ、晴れて友人達とヨーロッパ旅行に出立する時も鉄道駅でラジュと初めて遭遇したのだった。シムランは友人達とユーレイル・パスを使ってのヨーロッパ旅行であった。そのロンドンの駅からシムランとラジュがそれぞれ列車に遅れぎりぎりで駆け込む時、ラジュの方がほんの少し速く乗り込み、シムランが走り寄ってくるのを知って、動き出した列車から少し身を乗り出して走ってくるシムランに手を差し伸べて乗せてやるその構図が、そのままエンディングの構図に対応していたのだった。

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