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2010年1月 4日 (月)

上海《小刀会》 反清復明と列強排撃

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   以前、香港・古装(時代物)武侠映画の雄ツイ・ハークの、本来はジェット・リーにオファーがいっていたらしいブリジット・リン、レオン・カーフェイ、張曼玉、ドニー・イェン等の出演した《新・龍門客桟》のテーマ曲に絡んで、その出典たる1961年"上海歌劇舞劇院舞劇団"作品《小刀会》にちょっと触れたことがあった。

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     「東印度公司」の刻印のある荷箱の中身はアヘン   

 商易作曲の"小刀会・序曲"をツイ・ハークがこの文革前に中国で作られた映画《小刀会》を観た折に耳にしたのだろうと単純に決めつけたけど、彼の師である胡金銓(キンフー)の有名な1967年作品《龍門客桟》のテーマ曲でもあった。ツイ・ハークが彼の師の作品をリメイクした時、勇壮なその曲を気に入ったからかテーマ曲として流用したのであれば、キンフーが《小刀会》を観たのか、あるいは音楽だけ知っていて使用を決めたのか。依然不確かな靄の奥。それでも、この勇壮な曲結構人気があって、上記以外の映画等でも使われているようだ。

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 1853年の中国・上海で欧米列強の侵略と異民族支配・清朝に抗し《小刀会》が決起し、上海県城を占拠、時あたかも浦賀に突如現れたペリー率いる黒船に列島中が震撼した年の同じ夏。上海で大清国支配を部分的に覆し、"大明国"を号し、やがて中国中で荒れ狂い続ける゛太平天国"との合流を企図したものの果たせず、一年半後の1855年1月、英仏軍=清政府側に壊滅されてしまう。謂わば上海コミューンって処であったその二十年後、フランスの首府パリにて労働者・市民が蜂起し"パリ・コミューン"を樹立。

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     捕らえられた潘可祥が公開処刑(斬首)場に
 
 《太平天国》軍の方が先に蜂起していて、それに呼応する形で《小刀会》や《小刀会》の源流でもあるらしい「反清復明」の《天地会》の他の分派も決起したもので、しかし、《太平天国》って創始者=天王・洪秀全をキリストと同等な聖人として欧米列強に拝跪させようとすらした元々新興宗教キリスト教の、この世(中国)に万人平等の天国を創出しようとする運動で、欧米列強排撃的な《小刀会》とは些か趣きを異にしている。つまり、水と脂的な関係なのが、呼応し、連帯・合流すら《小刀会》の方では試み続けた何とも曖昧・錯綜とした主義・運動ではあった。《太平天国》と平衡を保つためか、清政府打倒であって「租界」攻撃ではないと英仏軍に告げたとか。今一《小刀会》のイメージはっきりしない。筆者の勉強不足の故であろうが。《小刀会》が壊滅してしまった後、幾年かして、今度は《太平天国》軍に上海県城は再び占拠されてしまう。

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  舞劇《小刀会》
 欧米列強とそれと結託した清政府の官僚達の横暴と搾取に苦しんできた上海の貧民達、ある日とうとう劉麗川、周秀英、潘可祥達《小刀会》は蜂起し、上海県城を占拠。上海道台・税関監督の呉健彰を捕らえたたものの、米国宣教師に助け出される。
 籠城も時間が経つにつれて次第に食糧不足に陥り、大砲や鉄砲の攻撃も一層厳しさを増してきて、やむなく、《太平天国》軍に援助を乞うことにし、潘可祥を使者として書状を托す。しかし、何時まで過っても援軍は来ず、とうとう清軍・英仏軍の包囲網を突破する挙に出る。首領の劉麗川が銃弾に斃れ、女傑・周秀英に己の太刀を托し、周秀英を先頭に銃弾飛び交う包囲網に果敢に突撃してゆく・・・

  

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   潘可祥、私が洪秀全に書状を渡して来ます、と劉麗川に詰め寄る 

 内容は単純で正に革命的武侠劇って趣き。
 この映画化の前年に、既に上海で舞劇として上演されていて、1960年1月11日,上海芸術劇場での公演の際、会議の為に上海に来ていた毛沢東や周恩来達も観劇に寄り、賞賛したという。“内容が非常に分かりやすく大衆受けする傑作だ”と毛沢東も褒めたとか。
 1960年11月から1961年8月の間に,この映画が上海天馬電影庁と上海(実験)歌劇院の合作として撮影されたらしい。それでも、文化大革命期には、やはり毒草としてヤリ玉に上げられたらしい。

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     周秀英、中々戻ってこない恋人潘可祥の夢をみる

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   預園・点春堂の小刀会本部に清政府=英仏側のイェーツ神父現る

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    潘可祥の死を知って悲嘆に暮れる周秀英

  《紅色娘子軍》の場合はバレー劇の映画化だったけど、この《小刀会》は舞劇で、同様にセリフはなく、剣戟と舞のシーンが多く、京劇俳優達なのかそれとも普通の舞劇俳優達なのか定かでない。京劇の場合、おなじ上海で作られた《海港》は正に京劇で皆延々と唱い続けていたので、この《小刀会》は恐らく舞劇なのだろう。飛んだり跳ねたりの正に中国武術的雑伎的なアクションは、京劇の孫悟空の如く、観ている者を飽きさせない。おまけに、英雄譚でもあり筋運びに起伏があって群舞まであるのだから。正に通俗劇の極み。

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     清政府=上海道台・税関監督の呉健彰と戦う劉麗川

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女傑・周秀英は上海の隣・江蘇省青浦県の出身で、役人に代わって食料の取り立てをする知保の任にあった父親・周立春の娘で、幼い頃から武芸に励んでいたという。
 1852年、知事が取り立てた食料の代金を払わなかったために農民暴動が勃発した折、周立春が農民側のリーダーとなり、娘の秀英ともどもに襲ってきた知事側の軍隊と戦い、これを撃退。翌年、上海で《小刀会》が蜂起すると、呼応して決起。しかし、清軍に襲われ周立春は囚われ処刑。秀英は上海の劉麗川の下に逃れ、そこで娘子軍を率いて、刀や槍で清・仏軍と激戦を繰り返したというムーランと並ぶ正に女傑。

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    娘子軍の弓舞

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    県城を後にする小刀会蜂起軍を見送る民衆

 劉麗川   陳健明
 周秀英   舒 巧
 潘可祥   叶銀章
 旗 手   李青友
 上海歌劇舞劇院舞劇団

 監督    叶 明
 音楽    商 易   
 撮影    査祥康
 美術    胡登仁・黄 力
  (舞劇の方では、武功指導:徐剣豪)
 制作 上海天馬電影制作庁 1961年

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